真・遠野物語2 -6ページ目

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

長野獅子踊りの一団が来た。長野は小友の中心より南にあり、同地にある西来院を開創した與庵篤隆和尚に同行して修行を積んだ東山五書という人物が、1597年に同地に踊りを伝えたとされる。

西来院の近くには、1742年の建立とされる獅子一吼百獣脳烈の碑があり、一説では現在の長野獅子踊りの様式が確立されたことを記念して獅子一吼百獣脳烈の碑が建立されたともされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長野獅子踊りは参加人数が多く、一斉に多くの鹿が舞う様はとても迫力がある。

前掛けには、長野役獅子筆頭役じし・役じしといった文言が刻まれている。これは去る1935年、遠野八幡神社(現在の八幡宮)から本認許証状を得て同社の役獅子になったことによるもので、それから80年もの長きに渡って役獅子を務め続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

遠野の鹿踊りは、その長いカンナガラが特徴で、透き通る鬣の様なカンナガラが太陽の光を浴びて輝きながら振り乱される情景は、百年昔から変わらない。

遠野の鹿踊りの元祖は、大別して駒木と長野に分かれるというが、長野は東山五書が最初に遠野に踊りを伝えた時期を発祥とすると、歴史は駒木よりも長い。長野から分かれて各地で独立した団体も数多くあり、鹿踊りの元祖のひとつとして裾野を広げた功績は途轍もなく大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間と鹿の関係性が濃密に感じられるのも、長野獅子踊りの好きなところだ。

 

これで本殿に踊りを奉納する団体はもうないようなので、我々も馬場に戻り、皆大好きな流鏑馬が始まるのを待つことにする。

 

再び本殿前に視線を移すと、鹿踊りの奉納が始まるところだった。

準備を整えているのは佐比内しし踊りの一団。ほぼフルメンバーで来たようで、鹿の数も踊り子の数も夥しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐比内のシンボルは前掛けの九曜紋であり、これは南部家家紋の向い鶴の腹部にあしらわれている。

佐比内は裏紋を戴いているが、表紋を戴いている団体もある。この違いは何なのだろうか(裏紋は元々公用でない場に出る際に身に着けたものであるが、裏紋を戴いている団体が非公式な扱いを受けているわけでは当然ないし、違いはわからない)。

一方頭部には、珍しい文字飾りを戴いている。「佐比内」「熊野神社」「愛宕神社」「月山宮」「八幡宮」といった、地元の神々が住まう場所の名前を天に掲げ、それが一斉に踊り遊ぶ様はとてもエネルギッシュだ。他の鹿踊りの団体と比べ、佐比内の踊りからは取り分け楽しさが伝わって来るように思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

踊りの次第もフルバージョンであるため、とても長い。踊り手は疲れ果ててしまう。しかし見ている方は、鹿たちの勇壮なエネルギーを一身に享受し、完全に興奮状態。鹿たちを見送った後も、次にどの団体が来るのかと待ち切れないのだ。

 

我々が馬場でうろうろしている間にも、次々に遠野中から団体が集まって来る。その行列は途切れることがなく、馬場には常に黒山の人だかりが出来ている。

 

 

なんと一般企業も自前の神輿で参列している。泉商店は花巻に本社を構え、遠野・盛岡・大船渡にも支店を構える建設資材業者だ。建設系の企業は何かと地域と深くかかわることが多いが、それにしても支店があるだけの地域に於いて自前の神輿まで投入して祭りを盛り上げる姿勢はとても嬉しい。

 

 

 

 

再び本殿前に目を移すと、獅子舞が奉納されているところだった。遠野の神というと獅子舞と似ているゴンゲサマが各地に住むというイメージだが、こうして獅子舞も奉納されることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

獅子舞は、ゴンゲサマには無い赤く長い舌を持ち、人の頭を噛むことでその人に憑いている邪気を食うとか、噛み付く=神憑くという縁起の良さがあるという云い伝えで有名だ。元々は、インドの遊牧民族が屈強な野生のライオンを模した踊りを踊ったことが由来らしい。

ゴンゲサマも子供の頭を噛むことで、頭痛など頭の病を癒すとか。似ているようで違うが、やはり共通点もある存在なのだ。

 

一般の参拝者は、各地から来る団体の合間に本殿に参拝する。

 

 

やがて今度は南部ばやしの一団が来た。冠の細工が煌びやかな穀町南部ばやしだ。

 

 

小さな子から妙齢の女性まで、同じように手を合わせて神に祈っている。それらが解き放たれる様は、秋の野山に燃える紅葉に似ていた。

 

 

 

 

踊り手のお母さんたちも次々に本殿の前に進み、首を垂れて祈りを捧げる。

彼女たちもまた、長年南部ばやしの踊り手を務めて来たのだろう。

 

 

参拝を終えた踊り手たちは、思い思いに談笑して時間を過ごす。このような場でないとなかなか会えない友人もいるのかもしれない。今は南部ばやしの踊り手から、ひとりの少女に戻っているようだ。

 

 

南部ばやしたちのすぐ背後に、六日町の神輿が来ていた。これだけ人数が多い団体が揃うと、順番待ちも大変だ。

 

 

 

 

幾つかの団体を見届けた後、やや間が空いたので馬場に戻り、先に昼ごはんに向け出店を物色することにした。

特に変わったものを売っている店が出ているわけではないが、そんな中で俺は発見した!

で、でたー!トロピカルジュースだ~!!

 

 

何が入っているのかもよくわからないアヤシさ満点のジュースは、学生の頃に遠野まつりで発見して飲んでみたら妙に美味かったという、懐かしい思い出の一品だ。

というか、遠野まつり以外の場で見掛けたことがないのだが、全国的には知られた存在なのだろうか。

懐かしすぎて一本買ってしまった。口の中で弾けるトロピカルな味が、俺を子供に引き戻してくれた。

 

馬場での諸事が始まるまでに、八幡宮本殿には遠野中の団体が集結し、それぞれ祈りや芸を捧げて行く。

遠野のあらゆる土地の神々が一ヶ所に集う様は荘厳だ。

 

 

 

 

 

 

神輿を持つ団体は、本殿に首を垂れ神に祈った後、神輿を高く掲げて勝鬨を上げる。そして、次に八幡を離れて街を練り歩く日に備え、神輿を神輿殿に運び込んで眠りに就かせる。

 

 

 

神楽や踊りの団体は、笛や太鼓を賑やかに奏でながら参道を上って来るところもあれば、厳粛に静寂を守って上って来るところもある。

 

 

 

俺が本殿の近くをうろついているタイミングで来たのは、大出早池峰神楽。大所帯だけあり、参道を上り切るのにもかなり時間が掛かっている。

 

 

 

これだけの人数、本殿前に収まり切るのかと思って見ていたが、統率の取れた動きで収まり、他の団体と同じく神に祈りを捧げた。

 

 

そして、人と神が交わる権現舞が始まった。

 

 

 

 

 

 

静寂に包まれた八幡に、ゴンゲサマが力強く歯を打ち鳴らす乾いた音だけが響いている。

参道を下った馬場には大勢の人が集まり、賑やかな声、時折馬の嘶きが聞こえている。それら全てが、ゴンゲサマの音が作り出す結界から遠く離れた別世界のように思えた。