真・遠野物語2 -8ページ目

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

此処まで幾つもの団体の演目を見て来たが、時間的にそろそろ初日のパレードは終わりだろう。となると最後にどの団体を見学するのかだが、俺の目の前を通り過ぎて行く行列の最後尾が板澤しし踊りだったので、これも何かの縁だと思い、彼らの行列に付いて行くことにした。

 

 

 

 

 

板澤しし踊りは上郷の板沢地区に伝わる踊りで、板沢というと上郷駅や貉堂の物語が残る曹源寺がある上郷の中心地区であり、踊りの団体も結構な大所帯だ。

 

 

 

 

踊りの創始者は地元の名士・菊池田子助と弟の村助という人たちであるとされ、今の静岡県は掛川に旅をした際に見た踊りを持ち帰って広めたものだとされる。遠州発祥とされる鹿踊りは他にも幾つかあり、遠野の鹿踊りの原型は遠州にあると言えるようだ。

 

 

一団は駅前へ移動し、日没間近の遠野盆地に今日最後のカンナガラの音を響かせている。

遠野の鹿踊りは概して、衣装の前掛け部分(幕)を靡かせて踊る幕踊りに属するものであり、地域毎に地元の芸能に対するプライドを持ちつつ、同時に他の地域と比較して「我々は遠野の鹿踊りだ」という連帯感も強く持っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗闇に包まれ始めている遠野駅前で、青空のような鮮やかな青の衣装が舞い踊る様は、まさに物語の世界だ。

 

 

物語の世界だとは言いつつも、同時に其処には地域に暮らす名も無き人々の笑顔、真剣な顔、泣き顔、ありとあらゆる表情が散りばめられている。街の生活からほんの少し足を踏み出すだけで、そのような世界がすぐ隣にあることに気付く。

 

南部ばやしの一団が通り過ぎてひと息吐いていると、再び鹿踊りの一団が登場して踊り始めた。

 

 

早池峰の鹿踊りはさっき見たが、白装束に九曜紋が格好良い個人的に気に入っている団体なので、再び見て行くことにする。

 

 

 

 

 

早池峰の鹿踊りの内、装束が白いのは東禅寺と張山だが(残る上柳は昔ながらの濃紺)、その2団体が続けて行列を組んでいるので、民話通りの一角が真っ白に染まったようにさえ見える。何時かの夏に菅原神社で見た、地元団体の揃い踏みの光景を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

厚い雲の隙間から、僅かながら青空も見えた。白い装束は燦燦と降り注ぐ陽の下でも、霧が立つような蠱惑的な空気の中でも、そしてこの後に来る夜闇の中でも、はっきりと映える。

 

 

 

早池峰の鹿踊りを偶々目撃した柳田さんが遠野物語を遺すことを決意したのだから、彼らは遠野物語の原点に立つ存在の継承者でもあるのだ。この後十年、二十年と時代が進んでも、今見ている光景は変わらずに続いているだろうか。

 

続いて登場するのが上組町南部ばやし。頭には艶やかな花冠、手には大きな八重の花が付いた枝を持ち、前掛けには踊り手の家紋と家名が記されている。

 

 

 

 

若くては小学生くらいの年齢から踊りの行列に加わっている。

上組町は4団体ある南部ばやしの地域の中で、唯一駅の北側にあり、遠野の古い街と新しい街を繋ぐ立地にある。時代の影響を最も受けて来たであろう地域を背負う若者たちが多いのは嬉しい。

 

 

 

 

枝を手放し、徒手空拳で舞う姿も見事だ。

 

 

 

 

 

 

南部ばやし行列の最後に、仲町南部ばやしの一団が来た。頭には黄金の烏帽子を被り、手にする枝の花は控えめだ。

 

 

 

南部ばやしの踊り手は、どの団体であっても鼻に白い塗料を付けている。調べてみてもこれがどのような意味を持つのかはわからなかったが、古来馬を何よりも大切な生活のパートナーとして来た遠野の文化であることを考えると、馬の流星を表現しているように思える。

取り分け仲町の白い紋様は、くっきりと鮮やかに見える。遠野の内と外を結ぶ地域であるだけに、多くの馬が行き交い人々の生活と密接に関連して来たことが文化にも反映されているのだろうか。

 

 

 

 

 

仲町の踊りのテンポは、4団体の中でも最もゆっくりだ。地域の、他の地域とは明確に異なる歴史の積み重ねが、その文化の上澄みに微かな違いとして表れているのだろう。

 

一日市の衣装は、襟が青と白の縞模様なのが特徴。但し全員がそうではなく、行列を先導する立ち位置の人たちの衣装は、少し雰囲気が違う。手にするのは、季節に依らず春の花であるようだ。

 

 

 

踊りの後半では花を手放し、両手を大きく使った動きを披露。

元来テンポは緩やかで、それでいて流れるような美しさを表現する優美な南部ばやしだが、一見スピーディに踊るよりも踊り手たちに掛かる負担は大きい筈だ。一般の人でも、普段の半分以下の速さで歩いたり、しゃがんで立つ動きを十数秒かけてやってみると、意外にしんどいことがわかる。

増して南部ばやしは細部まで美しさが求められる踊りであり、技術と体幹の両方が高いレベルで求められている筈だ。

 

 

 

 

 

 

白鳥の美しい佇まいが、水面下で懸命に動かす脚によって支えられているように、南部ばやしも華麗な動きの裏に、技術だけでなく肉体的な鍛錬も積んだ踊り手たちの強さがあるように感じる。

 

 

 

 

 

 

手の動き、足の運びといった全身的なスケールから、顔を傾げるような小さな動きまで、まさに身体の全てで表現する踊りだ。

見る側もそんな踊り手たちの一挙手一投足を見逃すまいと集中し、何時の間にか完全に「非日常的な空間」の中に取り込まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

遠野の9月は既に少々肌寒いが、時を止めるような踊り手たちの佇まいと、燃えるような真紅の衣装が、そんなことを忘れさせてくれるようだ。

 

段々と日が傾き、民話通りは遠野の伝統芸能の華でもある南部ばやしの番になった。

最初に通りに入って来たのは穀町南部ばやし。遠野に4団体ある南部ばやしは其々に衣装や踊りのテンポが違うが、穀町は中でも最もテンポが速い。また頭飾りもとても煌びやかだ。

 

 

 

小さい子供から大人まで、あらゆる年代の女性が参加している。秋の祭りらしく、手には紅葉の枝を携えている。

 

 

 

 

 

 

枝を手にした踊りを披露した後は、徒手空拳で流れるように踊る。真紅の衣装がはためき、燃えるような秋を体現している。

 

 

 

続いて一日市南部ばやしの一団が来た。こちらは穀町と違い、赤や青、薄桃色、黄金色といった様々な色の衣装を身に纏っている。

 

 

 

 

手には桜の枝を持ち、頭には黄金色の烏帽子を被っている。手足、全身を流れるように動かし、ミドルテンポな踊りを披露する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一日市は、町家の雛祭りでも名高い遠野に於いても、古雛を所有する老舗が最も多いと言われていて、それだけ古典文化を現代まで育み続ける気概が高いようだ。

南部ばやしに参加する人も多いようで、恐らくはたまたまだろうが俺が見学のために陣取っていたあたりに留まり、最も長い時間踊りを見せてくれた。