真・遠野物語2 -2ページ目

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

日が陰り空気はだいぶ冷え込んで来た。遠野の冬の夜は早い。校庭で何時までも油を売らず足早に街に下りる。

 

 

 

正しい通学路(?)を下ると、幾分か街の中心近くに出る。

 

 

一度道の駅に戻るか、宮守駅で寒さを凌ぐかで迷うところだが、日が暮れる前にもう一ヶ所だけ行っておきたい場所があるので、一先ず踏切を目指すことにする。

 

 

そして踏切は渡らずに、山神様に挨拶してから線路沿いの小道へ。

 

 

人家の脇を抜けると、めがね橋から釜石街道を見下ろす景色に行き当たる。

この場所は意外に知られていないのか、たまに訪れているが他の人間に出くわしたことは一度もない。

 

 

 

 

宮守もめがね橋も好きだが、取り分けこの場所は本当に来たいときにだけ来る取って置きの場所だ。誰も居ない冬の風の中で、現実とそれを見下ろす非現実の境に少しだけ足を掛けた様な気分だ。

 

 

しかしこうしている間にもどんどん冷えて来ているので、足早に街道に下りて道の駅へ。まさにオアシスのような存在。

ひと息吐いた我々は、道の駅に来るとだいたい食べているわさびソフトを発注。どれだけ外が寒くても、これだけは止められない。

 

 

今日は暖かいチャイをポットに詰めて持参しているので、どれだけ冷たいものを食べても心配要らない。

 

 

 

子供と女子高生は冬でもアイスクリームを食べるという言説は俺が子供の頃からあるが、時代は進み今では誰でも冬でもアイスクリームを食べている気がする。当然俺も食べる。

暖かい建物に入り、冷たいアイスクリームを食べながら、冷えて来たら暖かい飲み物を飲むという行為がとても大好きだ。恐らく、読者諸氏の大部分もそうだろう。

 

目抜き通りに立ち並ぶ家と家の間に、ただ歩いているだけでは気付かずに通り過ぎてしまうような細い道が延びている。その先には狭い階段があり、街の高台に歩いて上れるようだ。

 

 

地元の住人でさえ、この階段を通る人はそう多くないだろう。芝と土に緩やかに覆われつつある階段は、今日も人知れずこの場所を訪れる人間を高い場所に導いている。

 

 

階段の途中の藪の中に、今も確かに人々がこの道を行き交っている証が眠っていた。

 

 

階段を上り切ると視界が開け、眼下に宮守の街や、遠く迷岡方面が見晴らせる。

空は厚い雲に覆われ始め、今にも雪が降り出しそうだ。この景色も明日には真っ白になっているだろう。

 

 

 

 

 

街の一番高い場所には小学校がある。校門というような校門はなく、休みの日には誰でも自由に校庭に入ることが出来る。

校庭の入り口から街に下りる坂道がある。登下校する子供たちはだいたいはこちらの道を通っているのだろう。

 

 

小学校は街の高台の更に土手の上にあり、一番良い景色が眺められそうだ。

 

 

 

校庭には流石に今日は誰も居ない……かと思いきや、子供が何人か来て野球をやっていた。

 

 

 

以前は都会の小学校でも、休日には自由に校庭に入って遊ぶことが出来ていた。何時の頃からか物騒な事件もあったりで、そのようなことは出来なくなってしまった。しかしまあ、では昭和の時代は平和だったかというとそれはそれでアバウトな時代だっただけだという気もするので、時代の流れだと思えば仕方ないことなのかも知れない。

 

空は薄曇りだが青空も見え、時折明るい太陽の光が地上まで届いていた。我々は懐かしい宮守の街の散策へ向かった。

 

 

 

 

 

 

目抜き通りは釜石街道よりも高台にあり、街の至るところから街道を見下ろせる。かつては宮守の街を抜けて行く道がメインの道だったのだろうが……。

 

 

 

街には酒屋や電器屋、衣料品店など、生活に必要な店がひととおり揃っている。そんな生活の合間に、昔からこの場所にあるのであろう古い建物が混在している。

 

 

街外れに一軒の食堂跡がある。看板には「御食事 出前迅速の店 たも乃木屋」と書かれている。もう営業を終えてからかなりの年月が経っていそうだ。

この建物が一時期、150万円で売りに出されているという情報が市の空き家バンクに登録されていた。かなり本気で購入するか迷っていたのだが、そのうちに売れてしまったのか情報が抹消されてしまった。かわいいブタの宮守移住計画は幻に終わった訳だが、今この建物はどうなっているのだろうか。

 

 

 

この先へ行くと街を出るだけなので、このあたりで引き返すことにした。

 

 

 

 

 

宮守の街にはまだ目抜き通りよりも高い場所があるので、今度は其処に行って見る。

 

宮守に来て昼ごはんを食べたら、次はベタだがめがね橋の袂に足を運ぶ以外に無い。

もう親の顔より見た光景。いやもっと親の顔を見ろと言われそうだが。

 

 

広場から階段を降り、川のすぐ側まで近付くと、めがね橋は見上げるような位置にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼過ぎだがようやく冬至を過ぎた時分なので、傾き掛けた太陽が残して行く透明な光が目に染みる。薄曇りの空、時折斜陽がめがね橋を照らしてはまた雲に隠れる。

もう何度となく見た光景だが、一度たりとも同じ光景には出会えていない。

 

 

 

 

土手を上がると、めがね橋のすぐ下まで近付ける。

橋の下には落差工が設けられ、小さな滝のように水が落ちている箇所と、緩やかな傾斜に沿って流れている箇所に分かれている。宮守川はこう見えて治水には苦労して来た歴史があるようで、今でもたまに河川敷の整備に重機が駆り出されている場面を見掛けることがある。

 

 

 

 

やがて遠くから汽笛の音が聞こえ、汽車が宮守駅に向かって行く姿が見えた。

 

 

 

暫く待っていると、今度は宮守駅を出発した汽車が橋を渡り、海に向けて走って行った。

 

 

これも何度となく見た光景。今日も定刻通りに汽車が出発したな、と当たり前に思えることが実は幸せな時間なのだと、だいぶ大人になってから気付いたものだ。

 

我々は昼ごはんが食べたくなり、道の駅に向かった。宮守を訪れる人にとってはオアシスのような建物だが、我々も宮守に来るとだいたい一日滞在するので、道の駅には必ず一度は立ち寄る。

 

 

今はもうなくなってしまったが、当時は道の駅の入り口に、誰でも自由にメッセージを書き残せる黒板が設置されていた。俺もだいたい毎回何かを書き残していたが、思い返せば俺が子供の頃はこうした掲示板の様なものが其処彼処にあった。それが何時の間にか、何となく珍しい存在になろうとは、時代の流れは速い。

 

 

道の駅には直売所が常設されていて、季節の野菜や果物、酒や特産品が手に入る。

併設されているスーパーとの棲み分けは出来ており、買いもの客にとって選択肢は多い。

 

 

 

 

我々はレストランに入る。まだ少し早い時間だからか、我々以外に客はいないようだ。

 

 

俺はわさび蕎麦を発注。天婦羅と生卵が乗った蕎麦に、宮守産のわさびを自分で摺り卸して投入するのだ。わさびは小振りなものが一本付いて来るので、全て投入するとかなり辛いが、香りが良くとても美味い。

 

 

嫁はトンカツ定食を発注。メインのカツの他に小鉢、漬けものが2種類、さらに具沢山の味噌汁も付いて来てかなりのボリューム。野菜がたっぷり食べられるのはとても有り難い。

 

 

 

ゆっくり食事をし、昼過ぎになり店が混み始める頃になって我々は席を立った。