宮守に来て昼ごはんを食べたら、次はベタだがめがね橋の袂に足を運ぶ以外に無い。
もう親の顔より見た光景。いやもっと親の顔を見ろと言われそうだが。
広場から階段を降り、川のすぐ側まで近付くと、めがね橋は見上げるような位置にある。
昼過ぎだがようやく冬至を過ぎた時分なので、傾き掛けた太陽が残して行く透明な光が目に染みる。薄曇りの空、時折斜陽がめがね橋を照らしてはまた雲に隠れる。
もう何度となく見た光景だが、一度たりとも同じ光景には出会えていない。
土手を上がると、めがね橋のすぐ下まで近付ける。
橋の下には落差工が設けられ、小さな滝のように水が落ちている箇所と、緩やかな傾斜に沿って流れている箇所に分かれている。宮守川はこう見えて治水には苦労して来た歴史があるようで、今でもたまに河川敷の整備に重機が駆り出されている場面を見掛けることがある。
やがて遠くから汽笛の音が聞こえ、汽車が宮守駅に向かって行く姿が見えた。
暫く待っていると、今度は宮守駅を出発した汽車が橋を渡り、海に向けて走って行った。
これも何度となく見た光景。今日も定刻通りに汽車が出発したな、と当たり前に思えることが実は幸せな時間なのだと、だいぶ大人になってから気付いたものだ。