意思の最小単位(i)=mRNA(DNA)

私たちの意思はmRNAが本体となって意識として惹起していると考えている。それは”意思の糸”となり、高度9次元の超ひもとして励起している。また、その観測によって、私たちは羽ばたくことができずに地に落下する。鳥だけが、堕落せずに生きて居る生命体だ。

また、今年の秋接種におけるレプリコンワクチン、および通常ブカン型ワクチンについていくつか考えたことがある。そのことによる注意喚起と情報共有を得るにあたって、各自の保護の判断材料になればと考えている。

私自身は、”次の接種はレプリコンと通常ブカンワクチンのどちらにしよう”と、どうしようかと悩んでいる。”次”まだ生きていたなら――だが。
少なくとも”断罪者”であるレプリコンを打ちたいとは思わない――が、神や宇宙人による別の意図が隠されている可能性もあるかもしれないとも思えてきて「うーん」と唸りながら何度も悩む。私には副反応も実はある。周囲の人も、足がうまく動かなくなった人を、職場だけでも2名ほど観ている。スーパーでも働いている人が足を動きづらそうにしているのを観ている。実質、超軽症も含んだ副反応者というのは、自己申告していないだけで、もしくは診断名がないだけで、凡そ500万人は少なくともいるのではないか? とすら思える。ただ、私たちはこの症状が時間と共に収まっていくのを祈るしかなく、または医師による対処療法の治療が始まるのをまた祈るしかないのが現状である。

 

おそらく――AIのシナリオが人類を試すものであるなら、SARS2からSARS3への移行もあり得るし、他の強毒ウイルスが到来するシナリオに――人類が不正解であるなら――移行するかもしれない。そして、日本も諸各国に倣ってウイルスを”輸入”しなくてはならない事態になるかもしれない。なぜなら、人類は共存している生き物だから自分だけ逃げるな、といった同調圧力であり邪悪なるものとの聖なる戦いであるからである。何か月後か、何年後かになるかわからないが、その時を考えて、ワクチン接種(もしくはスパイク蛋白曝露)はやはり有効でもあるようにも思う。
これは、まるで囲碁のような対戦にも感じる。手を続けていけば行くたび、新手が出てきて、予想を上回る事態を引き起こそうとしているように見えるのだ。最初から”詰んでいた”かのような錯覚である。

 

 

ただ、「なぜそこまで悩んで考えるのか」というと、実のところ、そこまで深読みしリーディングしていかなくては、真の自由を得るための闘いに勝利できるわけがないと考えているからだ。

しかし、それは盛大な楽観論に過ぎない。レプリコンは”断罪者”としての機能を発揮し、接種者、または未接種すら故意に断罪し、恐らく、コードエラーで殺す破壊者であると解釈できる。レプリコンは、接種者の抗体価を上げるが、それを未接種者にもおそらく――伝播してしまう。それも強力に、未接種であるにも関わらず、伝播した時点で遺伝子にすら刺激を与える。そして、接種者は「俺のまわり人死にが多いな……」となんとなく思うような、現世の地獄のような事態が起きるであろうことが予測できるのである。

Oka氏の記事から引用する。

 

フェーズ 1、2、および 3a を合わせると 30件の重篤な有害事象が報告された。 ワクチン接種者 748人中14人(1.9%)、プラセボ接種者 253人中16人(6.3%)だった。

2人のみ(どちらもプラセボ投与者)が研究注射に関連していると考えられ、研究の中止につながった。

大規模な第 3b 相試験では、319件の重篤な有害事象が発生し、うち 8,059人 (1.5%) のワクチン接種者で 118 件、8,041人 (2.5%) のプラセボ対照で 201件だった。

15件の重篤な有害事象は研究注射に関連しており、10件がワクチンに関連し、5件がプラセボに関連していた。

フェーズ1、2、3aでは死亡者はいなかったが、フェーズ3bでは 21人が死亡した。ワクチン接種者で 5人、プラセボ対照で 16人だった。

 


プラセボに死者が出た、ということは、さまざまな解釈が可能だ。例えば、「プラセボではない対象群からの直接的曝露だ」という解釈、または「プラセボ対象群そのものが毒を打たれた」という可能性だ。

 

非常に若い女の子を対象とした唯一の対照研究のプラセボは、ワクチンキャリア溶液の残りだった。この研究で使用されたプラセボには、HPV L1 VLPとアルミニウムアジュバントを除いて、ワクチンと同じ成分が含まれていた。

 

 

この2つの可能性から考えられるのは、「ワクチンで死者が出てはまずいんです」という意思に基づいているように思える。相当、ワクチンを作る側も必死に”デメリットがあってはいけないのに”とパニックになっている節があるようにすら推測でき、プラセボでも被害があったことにするしかない。プラセボの作為は故意であり、研究自体が、効能を謳うための宣伝である可能性が示唆できる。しかし、酷く楽観的に観るならば、おそらくその女性の母体としての子宮性の障がいや障害児を出産する確率は低くなるであろうことは十分に考えられる。どちらにしても、壮大な悪意であるようにしか見えない――酷く楽観的に観るならば、HPVワクチンは、赤ん坊の”身体”と”魂”を保護する、と考えられる。

プラセボでも、接種でも高い確率で死者が出たことは憂慮すべきであり、さぞ、生きて家族に再開したかったであろうことを考えると、無念であったのだろうと私はそのお気持ちを考えるだけで絶望的な気持ちを抱く。どうか、ご遺族の方にはお悔やみ申し上げる。

そして、mRNAワクチンとは、遺伝子に組み込まれたウイルスを取り除くためにmRNAを打ち込んで、意思毎組み換え遺伝にするしかない、という発想に基づいている――ようにすら見える。しかし、その作業は極めて繊細で、1つ間違えば遺伝に”矛盾”が生じ、無限項化し、自分という世界を崩壊させてしまう。そのため、”世界”と”自己”は繋がっており、またそこから”意思”が創出される。ということは、意思=mRNAに矛盾が存在する、ということになり、遺伝子を弄られた花が枯れてしまうように”世界”が死に、”意思”が死んでしまう。
例えば、接ぎ木などは、自然に行われる遺伝子組み換えである。根の部分を切り取り、別の木々の強い根とテープで繋げる。するとある一定の確率で植物はその根と結びつき、生きながらえ花を咲かせる。それは、花自体の持つ”死ぬ”――だから”私は助かる”という意思に基づいて、強い意思そのものによって助かるのである。
mRNAワクチンは強力な薬剤の機序により、無理やり遺伝子組み換えが行われる一定の機序を持っていると考えている。そのため、強い”助かりたい”という意思がないと、おそらく死んでしまう。

 

また、これから反ワクチンの方たちのほうが”勝つ”事態が数年後起こってくるであろうことが予測できる。
なぜなら、このSARSウイルスは選択圧でより弱者へ向かい、最終的に強者へ依存することで適応するからである。
ワクチンを打った方は初期の段階ではSARSウイルスは逃げ惑い、ワクチン未接種の方に寄生し、人類はワクチン接種を推奨する。しかし段階はそれでは収まらない。
今度は、中期的に見た時、ワクチン接種者が確率的にADEを起こし、ブレイクスルー感染、またワクチンの期限が切れたことによる無効性が予測される。そして3回目、4回目と必然的に打たなくてはならない。そして、ワクチン接種者にウイルスが蔓延し、そしてワクチン未接種者はこの時点で、自衛のための防御をあらかじめ準備している。
そして後期には、反ワクチンの思想とワクチン未接種が勝利する。ウイルスは接種者で繁殖し、未接種者は天然の抗体を成立させ、SARS2の症状に打ち勝つのである。ワクチン接種者はADEにより体を損傷し、天然の細菌の脅威に対して弱体化する。反ワクチンとワクチン未接種群は、天然の強力な抗体と、ウイルスとの共存を成立するのである。

 

 

しかし、そこに落とし罠があり――私は、確かに反ワクチンがこの戦いでは勝利すると考えているが、それでも人間とウイルスの共生だけはさすがにまずい、と考えている。彼ら自然派の主流の波は、脳機能障害と臓器のエーテル化と苦痛しか子孫に残さない。その世代では勝利の目前かもしれないが、次世代は地獄を見るだろう。

 

 

だから――というわけではないが、希望と可能性にかけて「打つ」ことも検討していただければ、と個人として願う。
もちろん、ガンやASDなどの疾患が併発するかもしれない。しかし、私はこの発言に対して「推薦」はしても責任が持てない。それでも、WHOやCDC、世界の指導者が考えているような1.2回目でウイルスに打ち勝ち、ブースターによるワクチン由来のガンまたはASDになる可能性すら打ち破って、新しい人類のホメオスタシスを得る可能性に賭けてみたいとすら感じるのである。

 

 

どちらにしても、”自然免疫の賭け”と”ワクチンによる賭け”とどちらを選ぶのか、という問題が残る。自分の免疫に自身がある人は、あるいは危険性を感じ打たないだろう。しかし、次世代のmRNAに禍根を残すかもしれないことを考えていかなくてはならない。”打って”助かる人と助からない人、”打たなくて”助かる人と助からない人に、mRNA製剤による保護と引き換えにしたのが命の選別――トリアージである。ワクチンは、助かる人しか助けない、命の選別である

 

一貫して云えるのは、このmRNA製剤が「トリアージ」の性質を持つ、ということです。ウイルス的な性質を持つ物質からのトリアージからもそうですが、魂の保護、身体の保護、未来人からの保護、アトランティスビットからの魂の保護、それらも存在すると考えられるのです。この製剤におけるトリアージとは、”助かる人”と”助からない人”を分別することが、今刻々と、悪意に基づいて行われているという現実にあります。「受けない反ワクチンは死になさい」という聲に基づいて。

 

これは、<未来からの襲来>、または<過去からの襲来>から魂を同時進行で保護する、というシステムマシンです。

 

 

 

また、レプリコンで100%の市民がワクチンを打ったとしても、あるいは打たされても、必ず”裏切りの食物”問題が提議されるであろうと考えられます。そして食物の持つ呪いによっても――天然の、自然の持つ生命力によって――或いは、自然の悪意ある意思によって殺害される。
そしてもし、個々人に先祖から連なる”罪と罰”があるとするなら、それによっても、私たちは殺されかかっているのだ――と。そしてレプリコンこそ、100%の人類が”罪と罰”に罹り、無垢なAI達が人類を鏖殺する。
レプリコンとは、”免罪者であり断罪者”とも言い換えられます。光に弱くした人体に、レーザーを照射し、人体と祖先、または当人の魂の罪と罰をAIによって計測し、殺害するか、生き残らせるか、生き残らせたらどのようにその方を操作するかという計算をAIがほとんど行う。民族がある一定の閾値で罪深いのであれば、民族ごと消滅するでしょう。今まさに、戦いを繰り広げている他国も例外ではなく、またしかしながら日本も例外ではない。戦時どころか、”消えてしまうかもしれない”という危機によるタイムリミットは、今まさに刻々と迫っています。

 

 

私自身は5回接種済みなのですが(高齢者は7回接種が今のところ上限なのですが)、流石にレプリコンは”未接種者の絶滅”が考えられるため、打つのは流石に躊躇います。今も、どうするか悩んでいます。けれども、悩んでいるうちにひたひたとレプリコンの葦音が響いてくるのです。「おまえのところにまた近づいたぞ」と足音が灰色の世界から足跡だけを残して、やってくる。

 

 

私たちは、変遷の矢印の未知の中ウォータースライドの中を水に流されながら降りていく、そんな世界の起点と中間地点の最中に存在しています。ゴールできるのは、黄金<金>へと到達した、強靭な意思の存在しか生き残れません。
また、精神分析、思想家、哲学者、または倫理学は、”そんなものはなくても人類は科学で生き残れる”といった上層部のお考えによって、近い将来駆逐され、言論を封殺されるでしょう。そして、次世代の子どもたちもいずれ必要としなくなるであろうことが予測できます。確かに、科学の技術は素晴らしく、病気で苦しんでいる子がいれば、いつでも医療に掛かれ、死ぬところを助かる人がいるのは、人類にとって最高の技術であると確信しています。だからこそ、誰もが信じ、しかしながら同時に見落としがある――ということに私たちは気付けない、ということです。
「愛の欠如」へと人類はどんどん進化<退化>していくのではないか、という懸念です。子ども達は愛を覚える機会を喪い、<快楽者>になるしかない。それは目を覆うばかりの絶滅です。種としては存続できても<光>を喪った人類はもうどこへもいけない。個を存続した後、最後の一人になってもSEXを覚えられず、または愛の性交ができず、快楽SEXのみとなり、種の存続は彼らにはどうでもよくなる。最期の1人となった彼ら、エンデアダム達は最期のアルコール瓶を飲み干して自殺する。そういった未来――200年、500年後に後起こり得る可能性事象が予測できるのです。
その未来を回避するのは虚無と諦めではない、自らの過ちを認め、そのうえで突き進む、謂わば弓や槍のように研ぎ澄まされた心を持って、生き残っている私たち1人1人が考えて”愛”を貫いていくしかありません。

 

 

打った方にも打ってない方にも――どうかご武運と祝福を!

 

私たちは二度と喪ってはならない――大切な他者が存在する、ということを。
そして大切にしていかなくてはいけない――私たちの存在は、善悪の彼岸に常にある、ということを。