システムエンジニア フリーランス 年収・やりがい・魅力・将来性 -9ページ目

システムエンジニア フリーランス 年収・やりがい・魅力・将来性

システムエンジニアの業界の優秀な社員が、フリーランスに転職していくその魅力(年収・やりがい・将来性)についての解説。

フリーSEになると、将来が不安と
言う人がいます。


しかし、将来的な不安を払拭する
には、私は個人個人の精神力の
問題だと考えます。


強靭な精神力を身につけることが
できれば、どこの業界だって、生きて
行くことができるんですよ。


しかし、その強靭な精神力を、若いうちに
身につけようと思うことができるかと
いうことが問題なんですよ。


私は、何を隠そう、もう50歳を超えて
いるのですが、このブログを開設した
時は、アラフォーエンジニアというぐらい
でしたから。


それで、気付いたのですが、私には強靭
な精神力が身についていないので、
つけなければいけないと、今思い始めた
ところなんです。


残念ながら、私は若い頃に精神力の
重要さに気が付くことができなかった
んです。


しかし、強靭な精神力というものは、
この世で生きて行く限り、いくつに
なっても必要なことなので、今この
歳になっても、強靭な精神力を身につけて
いく努力を始めたところなんです。


先ほど、私は仕事面で尊敬ができる
リーダーのお話をしましたが、振り返ると
人から尊敬される人って、誰もが強靭
な精神力の持ち主だと思いませんか?


強靭な精神力があるからこそ、人を
引きつける力があるんですよ。


人間は、強靭な精神力の持ち主に
憧れて、自分もそのような人間に
なろうとするんです。


私も若いうちに憧れることができるリーダー
に巡り会えたお話をしましたが、その人
の真似をすることにより、それなりに
精神力も鍛え上げられていたんです。


しかし、私はそれが精神力の問題であると
いうことに気が付いていませんでした。


だから、知らず知らずのうちに、そこそこ
精神力は鍛え上げられていたものの、
世の中を生きて行くのに十分の強靭な
精神力であるかというと、未だ未だそこまで
には成長していなかったんです。


そのことにやっと、この歳になってから
気が付くことができたので、経験談と
して、今このようにお話をさせていただいている
わけです。


だから、私は今の若い人に向けて、世の中
の何かに不安があるのであれば、最優先
事項として、強靭な精神力を身につけること
だと断言したいと思います。


強靭な精神力を身につけることによって、
積極的に行動できる力と言うのは必然的に
ついてきます。


強靭な精神力と、すぐに行動できる行動力を
身につければ、世の中何も怖いものは無く
なります。


そうなった暁には、人から尊敬される人間に
なるので、何をやってもうまくいく状態が
訪れるものだと確信しています。


みんな若い人は、そのことを目標にできれば
いいのですが、どうやったらそのように考える
ことができるのかが問題なんですよね。


自らが、そのような考え方をしないと、中々
モチベーションも続きませんから。



システムエンジニアの仕事をしていると、
仕事面で尊敬ができる先輩やリーダー
に出逢えると、俄然やる気というものが
出てきますよね!?


私も過去に数名、そのような先輩やリーダー
と出会えたことがあります。


そのような先輩に出逢えると、言葉一つ一つ
から、その先輩を真似ようとするものです。


そもそも、仕事面で尊敬しているので、何を
言われた訳でもないのに、仕事まで真似て
その先輩が率先して残って頑張っているのに
自分も帰れないと遅くまで一生懸命仕事を
することができたりするんですよ。


私は、そのような先輩に初めて出会えたのは、
フリーSEになってからでした。


最初に入った会社では、仕事面で尊敬ができる
先輩は、残念ながらいませんでした。


フリーSE1年目で配属された、某証券会社の
センターが現場でした。


当時、そのリーダーは、確か25歳。


私は、高卒で3年目だったので、21歳でした。


その25歳のリーダーは、21歳の私をちゃんと
1人の大人として扱ってくれ、未だ不自由分で
理解に苦しんだと思うような私の言葉にも、
一生懸命理解しようとしてくれて、私の言いたい
ことを理解してくれたんです。


私が言いたい事を理解すると、それに対して
的確に意見をしてくれて、その時私は、流石に
東大出身だと驚きました。


要点の的を得ていて、コメントに無駄が無いんです。


私の言葉足らずの意見を理解することに、一番
時間がかかっていましたが、私が言いたい事を
理解すると、その内容を私に言いたかったことは
こういうことかと確認をし、そうとわかるとそれに対して
こうすればいい、ああすればいいという的確な
対応方法を示し、それで納得が出来たかを私に
確認をして、要件が済むとサッと自分の作業に
戻るという鮮やかな対応でした。


周りには、私のような人間がたくさんいるので、
一通りその対応に追われてしまうと、1日が
終わってしまうんですよ。


そうなると、自分の作業が進まないので、そのため
徹夜で自分の作業に追われてしまうというような
状況がありました。


しかし、愚痴一つ言わず、毎日人からの対応に
追われていたんです。


やがて、みんなそのことに気付き、○○さんの
作業時間が無くなってしまうから、なるべく自己解決
をする努力や、他の先輩で確認ができるような
ことは、他の先輩に質問をして、なるべくリーダーには
負担をかけないようにしようと、個人個人がその
ような対応を自らしていました。


みんな、このチームリーダーの為なら何でもする
くらいのことを、自ら考えていたのだと思います。


その証拠に、誰もがそのチームリーダーの仕草や
会話や口癖を真似る人がたくさんいて、仕事面だって
毎日最終まで仕事をして、休日出勤だって、強いられた
訳でもないのに、自ら出勤していましたから。


ユーザに確認に行く作業だって、お客さんのところに
行くまでがまた面倒くさいんですよ。


証券会社のお偉いさんなんか、面倒くさい人ばかり
なので、なにかひとつ質問に行く作業だって、足が
中々向わないんです。


しかし、みんなチームリーダーに憧れているものだから、
率先して嫌な作業にもあたっていましたね。


今思うと、私はあの頃最も、システムエンジニアとして、
最も成長したのだと思います。


自分自身の責任感というものを、身につけることができた
と思った時期だったんです。


その自覚が芽生えてくると、後はもうどこの現場に行っても
十分にやっていけるようになります。


私がSEとして、新たな現場に立ち向かうスタンスは、当時の
ものが基本になっているので、相変わらず当時のまんまの
対応です。


それでいて、どこの現場にも馴染むことができ、入り込んだら
重宝されて、1度離脱をしても、再びその現場からはお呼びが
かかると言った具合です。


だから、仕事に困ったことは、リーマンショックの時だけです。


当時だって、別に困りはしませんでしたが、先がどうなるのかが
見えなかったので、その時に仕事に就いていないという不安は
ありましたけど、私的には長い夏休みだったんです。



私は、システムエンジニアでプロパーだった
時って、わずか2年しかありません。


給与があまりにも安かったので、その会社
や辞めざるをえなかったんです。


でも、その2年間はとても楽しかった時代
でもありました。


フリーSEというものは、言い方を変えると
所謂1匹オオカミじゃないですか。


現場で、仕事仲間ができても、やっぱり
同じ会社内の仲間とは違うんですよ。


私が初めて入った会社には、同期が美人
揃いで、私は未だ高校を卒業したばかり
でしたが、同期の女性は殆ど大学卒ばかり
だったんです。


だから、結構からかわれたりしたのですが、
からかわれるのがとてもうれしかったんです。


会社のクラブ活動なんかにも参加していて、
月に1度区内の体育館を借りきって、クラブ
活動なんかをしたものです。


同期に美人が揃っていると、それを先輩社員
が狙うんですよ。


でも、同期というだけで、なんだか自分のもの
が取られるような気がしてしまい、内心焼きもち
をやいていたものです。


仕事は、最初は本当について行くのがやっとでした。


私は、コンピュータ会社に就職が決まり、高校を
卒業した時、学年の先生の誰もが私にコンピュータ
など、勤まる訳がないと、職員室内では噂をされて
いたようです。


確かに私は、高校時代はロクに学校にも行かず、
学校に行くためにバス停で待っていると、そのまま
マージャンに誘われて、雀荘に直行していましたから。


授業を受けていても、殆ど寝ている状態でしたから。


しかし、中学校時代の成績は、上の下といったところで
偏差値だって65位あったんです。


しかも、得意科目は数学で、計算をするのが大好き
だったんです。


それが、プログラミングと言う形で計算ができるのですから、
これほど私に向いていた仕事は無いという位、適性が
あったんです。


私は当時、コンピュータというものは何でもできるものと
いうブラックボックスで、計算とは結びついていなかった
んです。


だから、大学に行っても、コンピュータ会社に自分の適性
を見つけられたかというと、恐らく見つけられなかった
のではないかと思います。


それほど、私は仕事に対する熱意というものもなく、無知
な人間でした。


私がコンピュータ会社でやりがいを持ったのは、1年目の
後半からでした。


当時は、学校の事務計算の仕事を小規模でやっていて、
一通り開発が終わると、私がその現場で1人残り、ユーザ
対応を任せられたんです。


最初のうちは、ユーザともロクに会話もできないような
ペーペー状態でしたが、後半はすべてユーザの質問
にも応えられるようになり、そのシステムを一番知りつくして
いる人間になったんです。


物凄く小さい規模の仕事でしたが、それでも火事場と
なったことがあり、元々6人くらいで開発をしていたもの
が、ある休日出勤日には、総勢20名以上がヘルプに
やってきてくれたんです。


あの時は、同じ会社の先輩たちに感謝をし、会社って
いいな~と、思ったものです。


でも、その会社は、社員はみんな本当に良い人ばかりで、
人間関係はその後それ以上と言う場所にはめぐり会うこと
もありませんでした。


時代も時代で、まだそういう時代だったんです。


システムの開発だって、1kstepのプログラムを開発するのに
何カ月も時間を取っていた時代ですから。


あまり、時間に追われるような時代ではなかったんです。


でも、その会社は確かに良い会社には違いありませんでしたが、
次の年、私はフリーSEとなって、世の中の厳しさを体験
しました。


私がフリーになって始めて派遣させられた会社は、業界でも
最大手のコンピュータハウスだったんです。


東大卒の人材がうようよいる、優秀なソフト会社は、今まで
いた会社とは雲泥の差でした。


私は、その現場で約3年間、証券業務の仕事に就きましたが、
そこで思い切り実力をつけることができたんです。


そのチームのリーダーが、やはり東大卒だったのですが、
その人の仕事ざまに惚れ惚れして、私もこの人のように
なりたいと思ったことがみるみる私を成長させてくれた
んです。




システムエンジニアの仕事をフリーで
やろうと考えた場合、大事なことは、
決してフリーSEをゴールにしようと
考えてはいけません。


フリーSEは、40代には終了をして、
それまでに貯めた資金で自分が
やりたいことを最終ゴールにするべき
です。


フリーseは、20代、或いは30代で
始める人が多いと思いますが、40代に
なると明らかに仕事の量は減少します。


50代になると、殆どどこの企業も
雇ってくれません。


というのも、50代になると、体のあちこち
にガタは出てくるし、50代の人間を
今から雇っても、その現場では将来的な
ことを考えるとすぐにいなくなってしまう
人材だと考えるからです。


しかし、50代を過ぎても、現場で人間関係が
できてしまえば、定年までその現場で使って
もらえることもあります。


勿論、それまでその現場で勤務していた実績
を考えてのことですが、人間関係というのは
とても大事なことなんです。


最も重要な事項と考えてもいいくらいです。


若い社員とは、絶対に仲良く仕事ができる
というスキルは身につけておくべきです。


そのようなスキルもなく、将来的な構想も
無いような40歳を過ぎた人材が、世の中
にはたくさんいます。


彼らは、仕事的にもそれほど優秀ではないので、
他に行ける所もなく、フリーSEでは底辺の
30万、40万円の仕事をやり続けています。


それ以外に、彼らが生きて行く手段はもう
無いんです。


そうならない為にも、将来40歳を過ぎたら
自分は何をするのかを見据えておき、
それまではフリーSEでバンバンと資金を
稼ぎ、40歳を過ぎた段階できれいさっぱり
フリーSEは辞めるんですよ。


そして、有り余った資金を元に、自分自身の
事業を始めるんです。


今、自分がやりたい事と言われても、ピンと
来ない人もいるかもしれません。


しかし、40歳までには自分は将来何が
やりたいのか、見つけることができるが
できるようになるものです。


さすがに40歳になれば、将来何になりたいか
を見つけられなければまずいでしょう。


そのような夢が持てた場合、今度はその
夢を実現化していくんです。


夢は、具体化していかなければ、夢で終わって
しまいます。


この夢をかなえるには、何歳までにいくら貯めて、
それには毎月幾ら故金をして、幾らを元手に
何年には○○の会社を設立するとかいう具体的
な計画が必要なんです。


漠然とベンツが欲しいとか、将来は1軒屋を建てたい
とか思っていても、それって夢で終わってしまうんです。


ベンツをいつまでに購入したいのか?


3年後に1000万円のベンツを購入するのであれば、
1年間に340万円貯金をしていけばいい。


340万円貯金をするには、1月30万円ずつ貯金が
できれば、十分に貯まる。


などと考えれば、余裕で3年後にはベンツが購入
できますよ。


フリーSEをやっていれば、1月に30万円の貯金なんて
容易いことですから。


このように、夢を具体化することにより、より現実的と
なって、それにたいするモチベーションというものが
働くんです。


その結果、夢への実現を続けることができ、実際に
夢を現実に変えることが可能になってくるんです。


みんなこのようにして、実際に夢を現実のものに
変えているんですよ。



フリーSEになった時、仕事が途切れてしまったら
どうしようという不安を考えて、イマイチ1歩が
踏み切れないという人が多いということが
わかりました。


確かにフリーSEになると、次の仕事も自分で
探さなければならないため、不安に思うのも
無理はありません。


私の経験からいうと、私は最長3ヶ月?の間、
仕事に就けなかったことがありました。


あの時は、めちゃくちゃタイミングが悪かった
のですが、携わっている開発がカットオーバー
を向かえ、次の仕事も当然決まっているだろう
と思っていると、何と取引先の会社から私の
次の仕事の手続きが漏れてしまったという連絡
があったんです。


当時、そこの会社の社長は、関西に出張すること
が多く、物凄く忙しい時期だったんです。


そこの会社の社長は、普段からうっかりしている
ことが多く、私の営業をするのを忘れていたという
話を訊いても、誰もが十分に頷ける話しなんですよ。


しかも、運が悪いことに、その時はリーマンショック
の真っただ中だったので、世の中が一揆に不景気
へと落ち込んだ時でもありました。


既に年度予算を使い切っているため、幾らお願いを
しても、私が入りこめる余地など、どこにも無かった
んです。


私は、その現場系列の会社に5年もいたんですよ。


同じ現場に5年いたのではなく、同系列の会社を
行ったり来たりしていたんです。


その私が、どこにも入りこめる余地が無くなる程、
世の中の扉はどこも固く、閉ざされてしまったんです。


その時に、私は40万円と言う低単価に群がる人
たちに混ざって、面接に参加したことがあったんです。


某大手都市銀行の面接でした。


私は、その頃60万円~100万円の仕事が主流だったので、
40万円の仕事など、見向きもしないような金額
でしたが、背に腹は代えられないということで、
面接を受けに行ったんです。


しかし、あらゆる人材が押し寄せていたので、私は
適性が無いと判断されたようで、落とされてしまいました。


その後、私は友人からの紹介で、「ギークスジョブ」を
申し込んだんです。


当時は、「エンジニアナビ」と、言っていました。


ともかく私は藁にもすがりたいという気持ちで、ダメ元で
申し込んだんです。


すると、1週間後に案件紹介のメールが来たので、
話を勧めてもらうと、3日後に現場に面接に行き、
見事に仕事に就くことができました。


私は、当時60万円を下回る仕事には、就かないように
していたのですが、この際我儘は言ってられないと
いう状態だったのですが、その時の契約金額は60万円
以上の金額だったので、その時私は「ギークスジョブ」の
凄さを感じました。



フリーエンジニア5日以内に案件決定!【ギークスジョブ】



世の中不景気のズンドコ状態で、私のネットワークを駆使
しても、3ヶ月間仕事に就くことができなかったんです。


それが、「ギークスジョブ」は、たったの10日で仕事に
就くことができました。


しかも、世の中軒並み、二束三文の仕事しか出廻らない
中で、まともな単価の金額の仕事に就くことができたんです。


私は、その時に奇跡が起きたとさえ、思ったくらいですから。


それ以来、私は自分の数ある営業窓口の中から、
「ギークスジョブ」オンリーと、取引を続けてきました。


リーマンショックが2008年ですから、もう7年です。


それまでの私は、ネットでフリーSEの案件紹介サイト
など、高額なわけがないと思っていたので、完全に
舐めていたんです。


ところが、現在はたくさんの人材を抱えている「ギークスジョブ」
等の方が、いつでも依頼をすれば、すぐに適した人材
を用意してくれるということで企業の信頼が高いんです。


その結果、「ギークスジョブ」には、1次受け、2次受け
のような良質の仕事がたくさん集まるんです。


フリーSEで仕事が途切れるのではないかと心配の方は
リーマンショックなどのように、世界的な不景気に襲われた
時は、確かに2ヶ月3ヶ月仕事に就けないような状況が
発生する場合はありますが、それ以外は心配ないですよ。


40歳以下ならば、尚更仕事の方も、次から次へと来る
ことでしょう。


さらに「ギークスジョブ」なら、仕事が切れる度に予め
次の仕事を依頼しておけば、今の現場が跳ねた翌日
からも仕事に就くことができるでしょう。


私の場合、1つの現場が跳ねた時は、わざと1ケ月間
次の仕事は入れずに、大好きな釣りを楽しんできました。


このように、正々堂々と長期リフレッシュ休暇が取れる
のも、フリーSEの醍醐味と言っても過言ではありません。


私は、ず~っと、そのようにしてきました。


現場では、一切信用を落としていないため、未だに
以前行った現場から、再度仕事の依頼があります。


そのような時は、他の協力会社の社員から誘われる
場合が多いので、酸化する場合はその協力会社経由
での参加と言うことになりますが、その時は現場からの
逆指名ということで、契約金額も以前の契約よりも
跳ねあがる場合が殆どです。


そうなると、100万円のオーダー越えとなるようなことも
多々あったりするんです。