フリーSE1年目|チームリーダーの仕事ざまに惚れ込んで実力がついた | システムエンジニア フリーランス 年収・やりがい・魅力・将来性

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システムエンジニアの業界の優秀な社員が、フリーランスに転職していくその魅力(年収・やりがい・将来性)についての解説。

私は、システムエンジニアでプロパーだった
時って、わずか2年しかありません。


給与があまりにも安かったので、その会社
や辞めざるをえなかったんです。


でも、その2年間はとても楽しかった時代
でもありました。


フリーSEというものは、言い方を変えると
所謂1匹オオカミじゃないですか。


現場で、仕事仲間ができても、やっぱり
同じ会社内の仲間とは違うんですよ。


私が初めて入った会社には、同期が美人
揃いで、私は未だ高校を卒業したばかり
でしたが、同期の女性は殆ど大学卒ばかり
だったんです。


だから、結構からかわれたりしたのですが、
からかわれるのがとてもうれしかったんです。


会社のクラブ活動なんかにも参加していて、
月に1度区内の体育館を借りきって、クラブ
活動なんかをしたものです。


同期に美人が揃っていると、それを先輩社員
が狙うんですよ。


でも、同期というだけで、なんだか自分のもの
が取られるような気がしてしまい、内心焼きもち
をやいていたものです。


仕事は、最初は本当について行くのがやっとでした。


私は、コンピュータ会社に就職が決まり、高校を
卒業した時、学年の先生の誰もが私にコンピュータ
など、勤まる訳がないと、職員室内では噂をされて
いたようです。


確かに私は、高校時代はロクに学校にも行かず、
学校に行くためにバス停で待っていると、そのまま
マージャンに誘われて、雀荘に直行していましたから。


授業を受けていても、殆ど寝ている状態でしたから。


しかし、中学校時代の成績は、上の下といったところで
偏差値だって65位あったんです。


しかも、得意科目は数学で、計算をするのが大好き
だったんです。


それが、プログラミングと言う形で計算ができるのですから、
これほど私に向いていた仕事は無いという位、適性が
あったんです。


私は当時、コンピュータというものは何でもできるものと
いうブラックボックスで、計算とは結びついていなかった
んです。


だから、大学に行っても、コンピュータ会社に自分の適性
を見つけられたかというと、恐らく見つけられなかった
のではないかと思います。


それほど、私は仕事に対する熱意というものもなく、無知
な人間でした。


私がコンピュータ会社でやりがいを持ったのは、1年目の
後半からでした。


当時は、学校の事務計算の仕事を小規模でやっていて、
一通り開発が終わると、私がその現場で1人残り、ユーザ
対応を任せられたんです。


最初のうちは、ユーザともロクに会話もできないような
ペーペー状態でしたが、後半はすべてユーザの質問
にも応えられるようになり、そのシステムを一番知りつくして
いる人間になったんです。


物凄く小さい規模の仕事でしたが、それでも火事場と
なったことがあり、元々6人くらいで開発をしていたもの
が、ある休日出勤日には、総勢20名以上がヘルプに
やってきてくれたんです。


あの時は、同じ会社の先輩たちに感謝をし、会社って
いいな~と、思ったものです。


でも、その会社は、社員はみんな本当に良い人ばかりで、
人間関係はその後それ以上と言う場所にはめぐり会うこと
もありませんでした。


時代も時代で、まだそういう時代だったんです。


システムの開発だって、1kstepのプログラムを開発するのに
何カ月も時間を取っていた時代ですから。


あまり、時間に追われるような時代ではなかったんです。


でも、その会社は確かに良い会社には違いありませんでしたが、
次の年、私はフリーSEとなって、世の中の厳しさを体験
しました。


私がフリーになって始めて派遣させられた会社は、業界でも
最大手のコンピュータハウスだったんです。


東大卒の人材がうようよいる、優秀なソフト会社は、今まで
いた会社とは雲泥の差でした。


私は、その現場で約3年間、証券業務の仕事に就きましたが、
そこで思い切り実力をつけることができたんです。


そのチームのリーダーが、やはり東大卒だったのですが、
その人の仕事ざまに惚れ惚れして、私もこの人のように
なりたいと思ったことがみるみる私を成長させてくれた
んです。