木下英範のブログ -40ページ目

動物のおもしろい習性

YouTubeにはいろいろな動物のおもしろい動画がUPされています。

http://www.youtube.com/watch?v=epUk3T2Kfno
こちらは手をつないで寝ている2匹のラッコ。偶然につながったのかと思いきや、手が離れても自分から手を取りにいっているので、手をつないで寝る習性があるのでしょうか?

http://www.youtube.com/watch?v=xPxDw7ajfGE
こちらは鯉にえさをやるアヒルの子供。野生のアヒルが鯉にえさを与えるのは
どういう意味があるのでしょうか。親鳥は雛が赤い口を開けてまっていると(雛でなくても赤い口に見えるものでも)、そこにえさを持っていく習性がありますが、それが現れたものなのでしょうか。しかしこれは子供のアヒルなんですけれども。わからないです。

http://www.youtube.com/watch?v=X6mfHFLLc4U
こちらは仲の良い猫とカラス。猫とカラスがじゃれあっているのはたまに見ますが、この2匹はいつもいっしょにいるようですね。相棒のようになっています。動物にも種を超えた友情があるのでしょうか。

g+wd Takashi Okada

http://okadada.com/

なかなか面白い雰囲気を持っています

省エネの定義

省エネとは「エネルギーを使わない」ということではなく、「効率を上げる」ということである。

成功の定義

 成功の定義とは金でも幸せでもない。 「自分の日々の経験を通して新しい知識を発見し、自分の引き出しが増やせているか。自分の成長を実感し、"プロセス"を楽しんでいるか」である。いくら金持ちになろうが、プロセスを楽しんでいないならば、それは成功とはいえない。この定義に従うならば、もはや失敗ですら失敗ではない。失敗からは多くのことが学べるのだから。

店員に対し、必要以上に威張るということ

 携帯が壊れたのでDocomoの修理センターに行ったのですが、なんだかお客さんがみんなすごく怒っていて、店員さんは大変そうでした。途中で携帯を放り投げて帰ってしまう人もいて、店長が出てきて追いかけていきました。まあ、お金を出して買ったものが壊れたのだから仕方がないとも思いますが、怒ってもすぐに直るわけではないですね。
 どうも客の立場になると必要以上に威張りだす方がいますね(もちろん建設的で正当なクレームは品質向上につながりますが)。
 商売というのは「価格」=「価値」の交換であって、根本的には対等な取引です。「価格」>「価値」であるならばそのうち売れなくなりますし、「価格」<「価値」であるならばそのうち破綻するでしょう。物々交換の時代では対等な取引があたりまえだったはずです。それがどうしてお金というものができてからは対等ではなくなってしまったのでしょうか。やはりお金というものに魔力があるからでしょうか。それはお金の負の面といえるかもしれません。
 仕事から得る報酬で購買をしているということは、社会に参加しているすべての人が売り手であり、買い手であるわけです。そのループの中で買い手として無意味に威張った分、回りまわって結局は自分の首を絞めているのです。
そのことにちょっとだけ気づいて、なんというか、大人のあきらめ、みたいなことができると、もっと穏やかな日々をすごせるような気がするのですが。

会議の心構え

会議における発言は次の3つに絞るべきだ。

・明確化のための質問

・代替案の提示

・リクエスト

コンプライアンス

 コンプライアンスに重きを置くと社員にとっては足かせとなり、モチベーションの減少につながる。よってコンプラと自由度のバランスを保つことが重要である。と、考えがちだが・・・。

 コンプラと自由度(モチベーション)は同じ皿に載せられるのではないか。つまり、失敗をあってはならないものとして禁止にするのではなく、むしろ許容し、みんなで協力し合って早期解決していくという風土を作り上げることこそコンプライアンスであり、社員の挑戦力を高め、同時にモチベーションのUPにつながる。

語録

生きるってことは矛盾の中で正しいことをやり続けることだ。
(木村剛)

経営とは地味の連続
(佐川八重子)

「同じ時間を生きていれば知識価値は同じ」を検証する

 知識は使わなくては意味がない。よって知識の価値は「知識×使い方」である。したがって、自分の知識をうまく利用している人ほどその人の知識価値は高いといえる。これは、知識は「使い方」によってその価値が変化することを意味する。すなわち、「使い方」がわからなければその知識の真の価値を計ることができない。
 ところが、「知識」とは時間変化によらず、永久に存在するものであるが、「使い方」とはその時々により異なるし、その時点になってみなければわからない。したがって、その人が知識をどう「使うか」がわからない状態において、「あの人は知識人」だとか、知識の価値を測定するのはそもそも間違いである。
 しかし、あえて知識のみの価値を測定しようとするならば、それは「量×希少性」によってなすことができる。ここで量と希少性には反比例の性質がある。量を増やせば知識は浅くなり、希少性(深さ)を追い求めれば、量が少なくなる。「知識の量を増やすこと」「希少な知識を探ること」にはどちらも時間コストが必要である。
 よって、費やした時間が知識の獲得量だとすると、次の等式が成り立つ。
知識の価値=量×希少性=時間
したがって、同じ時間を生きている人間ならば、持ちえる総知識価値は同じである。

 我々は、「自分の知っていること」を「知らない」人間をつい自分より無知であると思いがちだ。しかし、そういう人間こそ、あなたの先生になりえる人物である。なぜなら、別の「自分の知らないこと」をその人は「知っている」はずなのだから。

語録

たとえば、ハンバーガーを売ることを考えると、営業の素人は味はどうするべきか、接客をどうするべきかと議論する。しかし、それは実体験のない人間が言うことだ。ハンバーガーを売るのに一番いい方法は、腹が減っている人間の群れを探すことだ。そうしたら、まずくて高いハンバーガーでも行列ができるようになる。
(神田昌典)