個人金融の時代? - 日本初の個人間融資仲介サービスmaneo(マネオ)
日本初の個人間融資仲介サービスが登場したそうです。
「ソーシャルレンディングmaneo(マネオ)」
お金を借りたい人が貸し手を募集し、応募者の中から一番金利が安かった人を選んでお金を借りられるという仕組みです。
銀行という仲介業者を中抜きしているわけですから、借り手は銀行から借りるよりも安い金利で借りられ、貸し手は銀行に貸すよりも高い金利を受け取れるでしょう。
しかしその分システムが与信コストを担保しなければなりません。見知らぬ個人の信用を確保するためにはよほどシステムが良くできていなければなりませんが、なかなか容易なことではないと思います。ですが新しいことを率先してやるという精神には喝采を送りたいと思います。
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http://slashdot.jp/it/08/10/16/0413258.shtml
順位論の前に議論すべきこと
日本の世界における地位が下がっている。
・国際競争力
1993年1位であったがその後徐々に下がり2008年では22位である。
・GDP国際比較
日本は2位であるが新興国の追い上げが激しく、ダントツの米国を除き2位以下はどんぐりの背比べのようになってきている。いつ抜かれてもおかしくない。
・GDP国民一人当たり
1995年、日本は5位であったのだが、2006年では32位に落ち込んでいる。
・教育リテラシー
2000年 2003年 2006年
科学力 2位 2位 6位
読解力 8位 14位 15位
数学力 1位 6位 10位
というように下がる一方である。
といったような順位論はよく聞かれる。が、その前に議論すべきことがあるのではないか。
まず日本をどうしたいのか、私たちは何を望んでいるのかを明確にしなくてはならない。誰しも幸せに生きたいと思っている。これに異存はないと思う。だがその幸せの定義は人によって違う。何を持って幸せと感じるのか。これを最大公約数的に感じ取って、それを元に議論しなければ、そもそも議論はかみ合わない。
たとえば、国民全員が有り余るほどの金を持っていても、他人を信用できずにギクシャクした社会であってはそれは幸福な国とはいえないだろう。ある程度金があれば、もてあますほどの金を持っていても仕方がない。
ではどうするのがこれからの日本国民にとって一番幸せなのか。金持ちになりたいのか。環境をよくしたいのか。安全を確保したいのか。それがわかって初めて、それを達成するためにはじゃあGDPだよね。競争力だよね。いや教育だよね。となってくるのではないか。その上で始めて上記の順位論が意味を持ってくる。望むべく姿がわかっていないのに順位だけを議論しても詮方ない。
次に、上記の国際指標の算出の仕方はどうなっているのか。これも重要である。人間の価値は「強さ」や「裕福」や「賢さ」(これも重要な要素ではあるが)だけではない。ひいては国家の価値も生産性や金や知識だけではない。この指標は国家の価値というものを本当にどこまで表現できているのか。100歩ゆずって昔ならば表現できたかもしれないが、価値観が多様化した現代においては単純すぎるこのような指標ではたして国家の価値を計れるのかどうか。本当に競争力を1位に戻せば幸せになるのかどうか。
教育リテラシーの順位があるが、たとえばテストの点数は最高に良くても人間的に冷酷であったり、実践の場になって弱かったりしていては仕方が無い。テストの点数は悪くても人間的魅力があり、話して面白く、やさしさにあふれた人が周りに多くいた場合、そちらのほうが国民として幸福かもしれない。人間的魅力を作ることも教育の重要な要素であるのだが、教育リテラシーの点数とはそこまで見込んで作られているのか?(作られていないと思うが)
このような国際順位にとらわれすぎることは道を誤る原因となるが、かといって否定しているわけではない。人間というものは元来他人と比べることによって不幸を感じるので、他の国よりもはっきり貧しいとわかれば不幸だと感じるだろう。そういう意味では他の国よりも単純に豊かであることが幸福量を大きくする可能性もある。
要は今人々が望んでいること、将来こうなりたいと思っていること、こうなれば幸せだと思うことをアンテナを張り巡らせて正確に把握しなくてはならない。一人ひとりの要望に全てこたえることはできない。そもそも国家の政治に出来ることは最大公約数的な政策なのだから。
幸せの定義は人によって違うし、かといって全員から集計を取ることもできないし、時がたつにつれて移り変わりもするだろう。だから国民の代表者はそれを「感じ取る」能力がなくてはならないのである。そして前提を共有できた上で、だからこの順位が落ちてきているのはまずい。と言って順位論を語ろうではないか。
クレイジークライマー
今度はレバノンの高層ホテルに挑戦したそうです。
http://jp.reuters.com/article/newsOne/idJPJAPAN-34261320081012
ロッククライマーである彼は崖だけでは飽き足らず、世界中の高層ビルを登っています。高いものがあると登らずにいられない。しかもポリシーは「命綱なし」。少しでも指先が狂えば即死の状況で精神力を保つ秘訣はなんなのか。
ロベール氏の華麗なクライムをどうぞ。
<オフィシャルサイト>
http://www.alainrobert.com/
洗濯物が臭くなる理由
ぐずついたお天気が続いていますね。こんなとき洗濯物を部屋干して、いやなニオイがついてしまったことを多くの方が経験されていると思います。あのなんともいえない納豆のような匂いです。特に生乾きのまま放置すると臭くなることが多いですよね。実はこの詳しい理由は今まで謎でした。しかしこのたび解明されたようです。
花王
によると、
「洗濯物を室内干ししたときに発生しやすい“生乾きのニオイ”の発生には、皮膚に普通に存在している皮膚常在菌の一種である“表皮ブドウ球菌”が関与しており、洗濯物に残った身体汚れであるタンパク質や皮脂を栄養分としてニオイ物質を生成していることを明らかにしました」
とのこと。
表皮ブドウ球菌とはなんでしょうか。「黄色ブドウ球菌」はよく食中毒のニュースで話題になったりしますね。ほかにも皮膚炎を起こしたりします。表皮ブドウ球菌はこれと同じブドウ球菌(見た目がぶどうの房に似ていることから)の仲間で、主として鼻腔や表皮に常在するタイプのものです。これは黄色ブドウ球菌のように感染症を引き起こしたりはしないのですが、人間の老廃物を養分として増殖しますので常に身近に存在します。これがついていない人は皆無でしょう。
でも表皮ブドウ球菌だけではニオイの発生源にはならないようです。花王によると、
「汚れなしで表皮ブドウ球菌だけを培養した場合、ニオイの発生はありませんでしたが、L-ロイシンもしくはオレイン酸を加えて表皮ブドウ球菌を培養した場合にのみ、“生乾きのニオイ”の成分の1つである吉草酸(納豆様酸臭)や垢のようなニオイが発生しました」
とのことで、身体の汚れ以外の栄養分を与えてもニオイは発生しなかったということです。ですから「表皮ブドウ球菌」と「身体の汚れ」が合わさったときにニオイは発生するのです。
それではどうやったら解消するのかというと、
「植物原料からつくられた除菌剤を含む除菌消臭スプレーの使用によって、ニオイの発生を抑えられることが確認されました」
とのことですが、他にも以下の方法が考えられるでしょう。
①身体を清潔にする
②汗をかいたら直ぐに洗濯する
③洗濯物を溜め込まない(汚れた衣服は菌の繁殖の場になる)
④乾燥機で熱風を送る(菌を殺す、しかし表皮ブドウ球菌は結構強いので完全には死なない)
おそらく多くの方はなんらかの菌が原因であると推測し、殺菌性のあるスプレーか何かで対処されていたと思います。たしかにこれで正解で、スプレーで消えることが多かったのですが、毎日殺菌スプレーを振り掛けるのも肌に心配ですよね。真の原因が解明されたことでより根本的に効果のある商品(洗剤や繊維など)が開発されそうですね。期待したいと思います。
<参考資料>
NIKKEI NET記事 - 花王、生乾き臭の発生に皮膚常在菌「表皮ブドウ球菌」の関与を解明
ノーベル化学賞
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200810080242.html
ノーベル物理学賞に続きノーベル化学賞も日本人が受賞しました。下村氏の受賞理由は緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見です。
1961年、オワンクラゲという日本でもよく見られるクラゲから発見したそうです。つまりオワンクラゲはGFPを作る遺伝子を持っているということで、後にこの遺伝子が特定され、優れたレポーター遺伝子として活用されるようになります。
オワンクラゲ
レポーター遺伝子とは何かというと、遺伝子を追跡するためのマーカーに使われるものです。遺伝子の追跡は容易ではありません。微小で同じ形をしており、中の塩基配列だけが違う遺伝子を峻別するには一つ一つ解読しなければわかりません。
そこでレポーター遺伝子が使われます。遺伝子というのはたんぱく質を製造する設計図です。レポーター遺伝子は、薬液に付けると発色したり発光したりするたんぱく質を作り出します。遺伝子というのは自身をコピーして増えます。調査対象の遺伝子の後ろにレポーター遺伝子をくっつけておくとレポーター遺伝子もいっしょにコピーされます。そして遺伝子が機能(発現)するとレポーター遺伝子が目立つたんぱく質を作り出しますので、その量を測定すれば一目瞭然です。
ではGFPはなにがすごいのかというと、薬液や特殊な加工を必要とせず、単体で発光するということです。検査対象である細胞を生きたまま外から観測することができます。つまり非常に使い勝手がいいわけです。この発見がなかったら遺伝子研究はそうとうに遅れていたと思われます。生物学をはじめ病気の研究や薬の開発など幅広い分野で使われ多大な貢献をしたことが下村氏の受賞につながりました。
身近にいたクラゲからこんな発見がされるとは目の付け所ですね。偉大な発見は案外身近にあるものから見つかるのかもしれません。
P.S.
ちなみにご子息はこの方
