翌日に、父の元の自宅から

冷蔵庫を譲ってもらうための準備。

 

(僕の自宅、下宿の廃品を処分するのも含め)

 

していたところ。

 

スマホの呼び出しがなる。

 

姉である。

 

じいちゃん。僕はいつからか自分の父を

じいちゃんと呼ぶようになり

 

つまりは、僕には子供がいないが

姉の子供達からしての

 

じいちゃんであり、また

 

それ相応の年齢の父に『じいちゃん』と呼んでやることで

ある意味での、なんというか

 

相応の尊厳のようなものを付与して、そう呼んでいる。

 

その、じいちゃんが少し離れたところに在している

友人に会いに行きたい。ということで

 

姉はそんなにいうなら、送りは送っていくけど

帰りは、自分で帰ってきてね

 

と、まあ、渋々承諾して行かせた。

 

 

 

ところが、帰ってくる時間になっても

帰宅してない。

 

と、電話が姉からあった。というわけである。

 

 

あとで判明したのではあるが

その日,帰ろうとしていた路線では

 

2つくらいの障害が重なっていたとのことであったのだが,,,,

 

なかなか、携帯の連絡がじいちゃんとつながらず

 

焦っていたのだが、姉と相談して、とりあえず

僕は、駅にゆき,電車で追いかけることにした。

 

その後、やや連絡がつきだして、

 

 

⚪︎⚪︎駅にいる。

 

ということがわかり、

 

それは、いつも僕が会社へ向かう

路線を乗り換えの駅までゆき、

 

僕が、会社へ向かう東京の方面の反対側へ6つか7つくらい

行ったところの駅であった....

 

 

前述のとおり、路線トラブルのため

車内は大混雑で、ぎゅーぎゅー

 

ななか、

 

泡をくって、駅へ着き、探すと

駅のベンチにサコッシュを肩にかけ

 

座っていたじいちゃんであった。

 

『じいちゃん、いかんなぁ〜』

 

と、とりあえず見つかったことに安堵し

トイレへ連れて行った。

 

 

シャツ一枚で上着などをきておらず

この時期ではあるが夜分に近く

 

少し、寒いかも知らんが、

帰るしかないので

 

探しに、いまきた路線を

逆戻して、帰途についた。

 

じいちゃんは、

 

『どっかで、飯でもくっていくか』

 

と呑気である。

 

 

 

と、まあ、80代の老人の介護の

出来事であった。

 

 

 

めんどくさいなぁ。と

思いつつも、


じいちゃんとこのように

電車に乗るのも


ごく貴重な機会でもあるかも

しれないなぁ。


と思い、


しかしながら

じいちゃんのある意味


公共交通機関の移動にも

支障のきてしまった現実的を


受け入れ


かつて、言うことを聞いたり

例えば、僕の入院時の


僕が世話をしてもらっていた

ところから


今度は僕が父を世話をする


ということになってきたのだなぁ。


と、実感した出来事であった。


 

続く.....

 

 

今朝、というのは今日は
火曜日では、あるのだけど

僕らの図書館は古い感じで
月曜日は休館日なので、

必ず、月曜日は休みであり
週の始めは

火曜日ということになる。

A班、B班とわけて
土曜日と月曜日の休み

また、日曜日と月曜日の
連休、とこれが

交互にくる。

主婦のパートの方や
また、火曜から金曜までの
人など、

それなりにあるけど、


基本はこのA班B班の
週休2日である。


そんなわけで、
僕は今週は連休であった、

結局、いつものように
休むといってもなにも

せずに、父の付き合いに
参加したり

したが

あまりなんかとか
しなかった....


の、はずなのだけど、
出社がしんどかった....


早起きを目指しているのだけど、

寝床から出られず、
ダラダラしてしまった。

それでも、
6時40分頃に

シャワーを浴びて、
着替えて、なんとか

会社へ向かうことが

出来た。

こういう、アンニュイな
気分のときの

しかし、やっぱり図書館へ
向かえた時のいつも

感じることは

やっぱり、図書館の
仕事は楽しいなぁ。

と、思ったりもする。

僕は30代くらいの時に
いわゆる、工場みたいな

職場にいたけれど、

こういう風には
感じることはなかったのなぁ。

と、思う。


工場の仕事は本当にウンザリする

労働で、楽しいと思うことは

皆無で、ヤンキーあがりの


責任者が、セクハラするために

女性の事務員を入れて


不倫関係を愉んでいたりする

吹きっ晒しの工場だった。



まぁ、そういうとこで

働いていたところから


考えてみると、現在の職場は

障害者雇用だけども


まぁ、ぜんぜん今の方が

いいよなぁ、と思う。


働いていると、


火曜日、週のはじまりは

図書館などにある、


返却ポスト(図書館が開館して

いない時などに、ポトンと

返却していく、返却口)


そこの、処理から仕事は

始まるんだけど、


返却ポストのこっち側には

大きなカートが置いてあって


そこに返却された本が

溜まっていて


それを、だいたい

児童の本を避けたりして

(児童は児童の職員が担当するので

いちおう大雑把にわけたりする)


それを作業スペースまで、運び

(カートなので、車輪がついて

いて、それで、移動させる)


それらを、カートにあっても

返信できないので


つまり、利用者さんたちが

返却ポストへ返却したから

と言っても、


システムとしては返却しなければ

ならないので、


その、カートからまず、作業台の

上に本を重ねて並べて、


並べていくのを

どんどん、パソコンの

返却作業をしていきます。


ICリーダーという板の

上に置くと、パソコンは

処理してくれるので、


それをどんどんやっていき、

それらは、パラパラ、と

呼んでいるけど、中を見る。


中に何か挟まっていないか、

確認する。


そういう作業をして

それを


ブックトラックという、

3段になった本棚。に車輪

がついたもの。


それに、この本はこの辺とか

この本はこの辺と、


決まっているので、

並べていく。


という作業が、火曜日。

週の最初の仕事であったりします。


それらは、まぁ非常に単純

といえば単純な


作業でもあるのだけど


単純な決まり切った作業を

はじめることで、


やっぱり、扱うのが本であつたり

するので、


楽しいなあ。と感じたりします。


特集展示のレイチェルカーソン

の話しをしたりしながら


朝の仕事をします。


今朝は寝床で


休んでしまおうかなぁ〜


と、思っていたりしたけど


やっぱり、働ける。というのは

意味のあることであるなあ。


と、思ったりしました。




続く..





買い物して、帰宅したら
昨日炊いたごはんが

少しあった。

ヨカツタ!

すぐ食べられる。







温野菜が好きで、
単純にアスパラを

ゆでて、マヨで食べる。

最近、アスパラがかなり
高くて、困っている。

豆腐など、時々食べたくなる。


ある日の晩ごはんである。




続く......

早起きして、
朝の、活動として、行っている
漢検のテキストなどの

学習を少しして、

自動販売機まで
コーヒーを買いに出ると

これから悪くなるであろうと
曇天な朝の天気と

もわっとして、やや強めの
風が

していて、

やや、どんよりとしていて、
なんとなく、スッキリとしない、

不安症みたいな
天気と空気でした。

僕らの街はこれから
お祭りの時期で、

提灯が街中に
かけてあって、

不安げに

ふらふらと揺れていました。

やや、不気味。


僕は図書館に勤めていますが、

最近あまり見かけませんが
(あるとは思いますが、)

障害や体調不安や
適職障害や

出社拒否など

のブログを拝見していて

僕なりに障害が
あって、仕事へいくことの

利点などを書いてみようかな
と思っています。

僕は45歳くらいまで
いわゆる精神科的な

病院へ入院していました。

45歳まで、であるので
人生の良い時期、

例えば、就職とか、
恋愛、結婚、子育て、

また、仕事などに

費やすであろう
時期は、

ほぼ病気、また悪いときでは
入院と言った、病院生活が

長く続きました。


いろいろとあり

退院が決まり

グループホームは嫌であったので

役所の社会的援助により
安普請ではあるけれど

アパートで退院、一人暮らしを
始めました。
 
いま、僕は、障害者雇用で
公共図書館へ勤めています。

今度7月がくると、
丸2年になります。

いま、働いていて
思うことは、

単純に働きにいくので
単に、1日のおそらく、ある部分を

会社の方々と

それなりに働きます。

それは、僕なんか特に思いますが
僕はなんにも、

人間関係ありませんので

会社の方々と

働くことにより
人間というか

ヒトに接することになります。
 
別に何も、会社の方々とも
話したり、

そんなこともありませんが

まず、ヒトとは接することに
なる。というのは

非常に、こういう僕のような
障害があったりする場合には

多分、もちろん、障害。
あるいは社会性のような

面で、

意味があるような
気がします。


それと、僕はB型、A型、一般
と、きましたが、

例えば

まず、A型でも

それなりに働けば、
1月、10万円くらいには

(9万、8万....)

なるのでは

ないでしょうか?

もちろん、障害の
年金を貰える。

という前提ではありますが

そうすると、思いっきり
贅沢はできませんが

やや、生活の見通しがたつ
のでは

ないでしょうか?

実際、僕も

このA型での
生活を

かなり2年くらい続けて

それなりに生活していけました。

個人差はあると
思います。

また、家族や子供さんが
いられるとか

そういうことは

あるかと思いますが
例えば、単身の、

生活であれば

A型と年金で
生活していくことは

不可能ではない。と思います。

もちろん、贅沢は
できませんが

障害や病気がある中で
自分で生活が

できていくことは
社会性や

自律や自分の意識や

ある意味で
障害者の尊厳を

保つことが

非常に出来ていくと
思います。

考えてみれば、

その、3年程以前であれば

狭い、4人部屋で
カーテンで仕切られ、

個人スペースは
ほぼ、ベット。

という生活から抜けて

自分で生活を組み立て
生きていけるというのは

ほんとうに

意味があるし、

快適な気分にもなると
思います。

僕はそのように
思いながら、

生活してきました。

おそらく、
A型でも、続けていけない
というひとも

いましたし、

そうなると、
難しいことも

体調などのこどあるし


一概に言うことは
できないかもしれませんが

ある面で

障害があり
かつ、自分で

生活を組み立て生活していける。


というのは

障害者の悲願。とも言える
のではないでしょうか?


でも、それはいまは
それなりに

A型があったりと、

手順や方法や

また、信頼できるケアマネジャー
さんなど

利用できる社会資源などを
利用することで


可能になる、とも言えると
思うのです。




続く......




メルカリが売れた。

 

文庫本である。

 

ご存知のとおり、文庫本などが販売できても

送料、手数料などで

 

ほとんど利益はない。ないことはないが

100円未満であることが

 

普通であると思う。(たぶん)

 

そこで、販売の際に、評価として

 

『残念だった』の悪い評価がついてしまった。

 

つまり、たばこ臭がキツく、それなら情報をつけて

最初に記載してほしかった。とのことである。

 

!?

 

そこで私は上述のことや、

現実的に300円くらいの古書を買って

 

たばこ臭とか、なんである、とかって

あんまり言わないよね。

 

と、やや思ってしまった。

 

 

なら、アマゾンで新品買えよ。

 

と、思う次第であった。

 

 

300円くらいの

 

古書に、評価も何もないんでない?

 

 

と、やや淡々と思う次第であった。

 

 

 

 

しかしながら,それなりに

たばこ臭というのは、

 

嫌いな人にとっては

本当に、嫌なものであるのだろうな

 

と、も思った。

 

タバコのニュアンスとか

イメージとかは

 

かつてのハードボイルドなある意味(その頃の)

強い男、(あるいは女性)の

 

嗜好するというなんらのイメージとは

滑落し、

 

どちらかといえば

 

ルースな自己管理のできない

弱い、男のイメージという

 

負の像に追いやられ、実際自分でも

そうなのだろうなぁ〜

 

という思いもあるにはある。

 

 

訪問看護のお姉さんに言ったけれども

 

喫煙所の喫煙に集まる群の中にいる

自分と

 

喫煙者の像というのは

 

非常に貧相な、イメージも持つのではあるにはある。

 

 

 

 

早く、禁煙しなきゃぁ〜なぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く......

 

乙武氏が選挙に出馬して
落選したようだ。





五体不満足。

という書籍で一躍、有名人とも
なった人であるけど、





僕も障害があるけど、
同じような

立場の方々でも

彼について、何か不愉快というか
違わない?

という、気持ちを持ちひとは
けっこういるんじゃないかな。

僕はそう思ったりする。

そういう話しが

TBSラジオの武田砂鉄さんという
方の著作の中で、語られている。

興味があったら
読んでもらいたいと
思う。

 



僕はそれほど、乙武氏に
注目してきたわけでは
ないけれども、

何か、違和感を
感じないわけには 
いかなかった。

そこには、障害があるけども
こんなにも、

というような

そして、グングン自己実現していく
のような、

確かにそれまでの
障害を扱った、書籍には   
ないような  

感覚はあるにはあったのだと
思う。

でも、それはなんというか
よくいう、

障害がある。障害者である
という、自分自身の

受容という論点とは
ズレているようにも

思える。のだ。

障害が、あり
しかし、学校にも

全てに馴染んで

上流の高等教育へ
進学し、

と、いう。

なんとなく、現在の
多様性とか言われてる
のとも

もう違和感がある感じもする。

そして、思うことは

別に、乙武氏が
障害を持つ人たちの

気持ちや意見を
具現化してるとも
 
言えないのである。
と言うことである。

障害を持って、生活していく 
生活者は  

もっと、粛々と現実的な  
生活を送っているのである。

と、思うのだ。

別に、たとえばテレビに
出るとか、

選挙に出るとか

なんらかの社会的な 
意見を述べるとか
 
別に、そんなことを
現実的な障害を持つ人たちに             
 
機会もあるいはそんな
必要もないのではないだろうか。
 
おそらく、乙武氏の
マーケット。は

多分、健常者というか
そういうことを前提とした
社会に 

あるんじやないだろうか。



とも思えるのである。
 
選挙などがそうであるし、
乙武氏が

当選したとして、

何か、障害者福祉に
関する

充実が図られるのか。というと 
別に、そんなことは

起きないんじやないか。

と、けっこうフツーに
思えてしまうのだ。

五体不満足といのは
五体満足の

社会において

成立する話し。
とも言えるような...

実際の障害者は
もっと、フツーだよ。

と、思うのである。

僕はそれなりに
オーディオが好きであり、

この現在の一人暮らしを
はじめて、

それ以来、すごーくこだわって
いる。(オーディオマニアとは
そういう、上をみたらキリがない)

というわけではないが

一人暮らしの生活で
好きに、

リスニング環境を整えて
楽しんできた。


主に、いろいろと入手経路などは
当たり前のように、

ヤフオクであったり
メルカリであったり

また、Amazonの中古販売で
あったりとするが、

例えば、イヤホンとか以外のものは

たいてい、そういった中古品を
探している。

もちろんオーディオマニアも
現行のオーディオ機器

を多分、使う人や、

また、僕のように、
わざわざ古い、

アンプなどを

探す。という人など

さまざまではないかと
思う。

音楽配信か当たり前となり
そのため

オーディオシステムを
変わってきてて

僕は実はあまり

やらなくて、


というのは

純然たる、ステレオ。な
オーディオ感覚が好きである。

というのもあるし、


僕が、高校生や中学生の
頃に、やってみたかった

オーディオ環境を

現在整えてみるのに
ノスタルジーを感ずる。

ほんとかどうか定かでないけれど

昔の音楽。60年代や
そういう音楽をきくのには

その頃、というか、

僕らの世代でいえは、
80年代とかの

古いオーディオで聴くと

また、ぐっと良い。

などと、いう言説もあるにはある。

 
僕が所有している

BOSE4702というのに
とても憧れていて




グループホームではなく、
一人暮らしを始めたことが

できた、この下宿にうつり

けっこう早く手に入れた。

このアンプは
僕が最近はいかなくなったけれども

ジャズライブのお店にも
置いてあって、

そこはどちらかというと

ジャズ喫茶というより
ライブハウスという感じであり

そこに、設置してあり

良いなあと思っていたりした。

詳しくはないが4chアンプと
いうことになつており、

通常の2chを2つ
出力することが

できて、

ひとつひとつの
パワーを設定できる。

と、いうか、

要するに

スピーカーごとに
音量を変えることができる。

という、あんまり

目にしないシステムといえたりも
する。


まぁ、憧れていたので
いまもとても満足している。

(現在のアンプなどとは
比べるとぜんぜんだっ

たりも
するかもしれないのだが.....)


そのアンプが時々、不具合が
えるように思えてきて、

気に入っている物なので
どうにかならないで

あろうか?

と思って、ドライバーを使って
様子を見てみた。

CDの再生が時々、よくない
のだが、

裏を開けてよく見てみると、
どうやら






 




CDのコネクター部分の
ハンダが上手くいっていない
ようであった。

というか、ぜんぜんハンダ付け
されていない感じであった。

ハンダゴテとハンダは
持っていたので、

温めて、

ハンダ付けを試みた。

なんとか、

修理することが
できた。

気に入っている
アンプであるので

直せてよかった。


GWにオーディオを聴いて、
読書しようと思う。




続く.....

図書館を退社して、

帰途についていますが、
クリニックへ移って、

帰り道の途中駅で診察を
受けることができます。

メンタルクリニックへ移る
要件として、

3ヶ月に一度の注射と
この、

退社後の受診。という
ことが、あり

それが可能となり
まぁ、メンタルクリニックに

移って、とくに不具合もなく
というのは

取り立てた不調も
起こらず、

(注射が変わるので何か
起こるかも?)

など、とくに問題なく
過ごしています。
 
もともと、あまり
クリニックなどにおいて、

特段話すことも

思いつかない。


やや、あると思うのは
以前の精神科の病院などでは

基本的に

5分診療。という現実があり
それをそのように、ずっと

受けてきている。という
こともあるかもしれませんが

とくに話したいことも
見つからない。

ということは

問題なく、日常を
送ることができている。

とも言えるかもしれません。

私も若い頃は
なんというか、

やや、根源的な
話をしたがる患者でしたが

そういうのは40代の
入院のころに

違うのだろうなあ

と思いはじめ


その当時の担当医と
退院へ向けての

実務的な

問題について、
話す。というような

治療となりました。


もちろん、担当医は投薬
について、

診療行為を行なっては
いるんけですが、


よく言われる、
精神科診療。

とかいう、雰囲気からは

イメージが遠くなる
かもしれません。


さて、何を話しましょう。

まぁ、父が老人ホームへ
行くことになった。

ということは話さねば
ならないでしょう。

あと、前の先生から 
もらって、溜まっていた

ベルソムラを地道に
(速攻に寝る。という利用で)

かなり消費し、もうないので
睡眠薬をもらっておこうと

思っています。

私は早起きのために
早寝するのですが
 
その際に服薬すると
ちょうど良い。

そんなのを訊いてみようかと
思います。
 
ベルソムラでなくても
よいのです。

別にベルソムラでも
いいけど.....


まあ、そんなことくらい   
でしょうか。


精神科って

話したいことも

ある程度絞って話さないと
ある意味、診察にならにいよね。


なんでもかんでも
話すわけじゃない。

というか。

2つか、一つくらいじゃない。

話したいこと。話すことって。



帰りにこの駅の
ブックオフに寄り道します。



続く.....

 

いきなり、個人情報的になるけれども

 

僕は、浦安。というところに住んでいて

その地区の

 

就労支援機関というのが、もちろんあるのだけれども

僕は、そこへ相談するということになっている。

 

 

 

 

 

 

 

その、所在地について非常に疑問がある。

 

まぁ、知っている方も多いのではないかと思うけれども

浦安、というところには

 

ネズミの王国というディズニーがあって

 

その、どちらかというと舞浜。という海っぺたに

その就労支援機関はある。

 

舞浜、自体がディズニーしかない。

あと  

 

倉庫街。

 

そのずーと先の、海の端に

 

就労支援機関はあって

 

確かに

 

 

その地区。この場合浦安の

 

行政施設のようなものにあって

 

つまり、B型事業所があったり

特例子会社の印刷工場があったりも

 

するのだけれども

 

 

 

どう見積もっても

 

気軽に

 

就労の相談に足を運ぼうと

 

思えない、という立地である。

 

 

 

それは、非常にデメリットだし、

 

多分だけれども、あまり存在しても利用されていないのでは

ないだろうか?

 

 

実は、当初、

 

市川というところの就労支援機関に

相談へ行って、

 

 

かなり懇切に相談に乗ってもらい

今の図書館へ

 

就職できた。

 

 

そこで

 

 

浦安の就労支援機関を紹介されたのだけれども

 

 

まぁ、どうして

市川のところで

 

支援してもらえないのだろうかということもあるには

あるけれども

 

 

浦安のはあんまりなぁ。と思う。

 

あれは、考えた方がいいと思う。

 

 

就労の相談機関として

機能しないと思う。

 

市川のは

 

 

まぁ、そのそばに職安があるなど

地の利が常識的と言える

 

浦安のは

本当にどうしようもないよ。

 

 

 

続く,,,,,,,

 

更新が滞っていました。

お久しぶりです。
私は、なんとか、現在も図書館
勤めを続けています。

働きだして、 
1年半くらいになるでしょうか?

今度、7月が来ると
まる2年になります。

それでも、1日の勤務時間が
6時間。と、いうことに

例えば朝から定時まで、 
とかの勤務になると、

やや、生活。(時給なので、時間数)
が潤うなぁ。

と、上司などに、希望をしていた
のですが、

何故か、今年も6時間のままであり

そのことは、なんとなく 
腑に落ちない気分もしたりします、

それで、一度、民間の図書館の 
仕事。

要するに、指定管理者制度の
図書館の仕事。もちろん

図書館員として、

の、転職活動も行なってみましたが
 
残念ながら、不採用でした。  


あまり、いまの図書館でも
いわゆる、カウンターのような

図書館員のような
部分の仕事は

私はしておらず、

どちらかというと、バックヤード
業務中心。

というのは


転職にあまり効果的ではなかった
ようです。

また、面接時のテンションも
あまり良くはありませんでした。



と、ここまでの近況ではある
のですが、


まぁ、翻ってみて 
障害枠で 

障害者雇用で公共図書館に
勤められている。

というのは、よく考えてみると
非常に、レアケースであり

滅多にない、私にとっては
非常にラッキーな職場で

あったりするのだなぁ。

と、思ったりもします。 

日常的に、自分の好む書籍と
関わっていられるというのは

モチベーションというか、
仕事かイヤになる。

部分があまりない。といえると
思います。

なので、無理なく続くのでしょう。

いろいろと、思ったり考えしまう
こともなくはないけど、

それを超えて、
書籍に向き合える仕事というのに 
 
よかったなぁ。と思ったりします。

いろいろな仕事でも
ある、ことと思いますが

1年とか1年半とか
続けて働くと

それなりに仕事のやることも
自分の中で、自動化されてきて

要するに、自分の仕事は  
覚えてきていて

毎日、関わることで
経験して、覚えて、仕事して

の繰り返しで

覚えてくんだとおもいます。
 

それはなんというか、
まあるい、ワッカが

どんどんスムーズにまわっていく。
のような感じて


仕事を覚えていってる
という感じがします。

私は決して仕事や要領や
知的とか

効率的とかのどちらかといえは

その反対。という感じであり
仕事に関しても

パートの方や
メモを取ったり、

マニュアルを読んだりする

女性の従業員の方がいますが

私は、仕事を実際して、
その、仕事の業務の
 
現実的積み重ねで

身体で覚えていく。と、いう感じ
です。

あまり、効率的ではないかも
しれませんが、

例えば、誰かに、何も見ずに

仕事の説明などが  
出来る。

そんな、ことをイメージしています。 

メモやマニュアルを
見るんでなく、

頭や、自分の中に  
やり方や、手順。

などが、理解されていて

その業務を説明できる。 
と良い。と思っています。       


(当たり前といえば当たり前ですが)



この前、前から気になっていた
『尾崎翠』という、



やや昔の、小説家の本を
読みました。

はじめて読んだひとだったので
馴染み薄かったですが

なかなか楽しめました。

あまり、著名ではないですが、
当時、それなりに評価が部分的に

あったりした

女性小説家でした。

でも、それほど、名をあげることは
なく、

それなりに不遇といえば  
不遇のまま

のひとだったようです。


私は最近、こういう、
あまり有名でもない、ような
 
女性小説家を

よく、読んでいます。

この前、森田たまさんの

『石狩少女』(だったと思う)  



を読みました。



⭐️月への着陸計画。(アルティメス

計画?)

 





とかいうのがあるようですが


アポロでしたっけ、

ずいぶんと昔に、
月面着陸。というのが

(私の子供の頃より前と思いますが...)

そんな、ずいぶん昔に月面着陸が
できているのに、

何故、実際の宇宙計画は  
スペースシャトル。程度だった
のでしょうか?

あんなに昔に

月面着陸してるなら

もうすでに、何十回も
 

月面に着陸して(る)

はず、なのではないでしょうか?



いまさらアルテイメス計画って

どうなのでしょうか....


私はすごく疑問です。


 

続く.......