日頃、図書館で、雑誌の
仕事をしている。

よって、この文藝春秋も
扱ったりする。

僕は受け入れという、
図書館のライブラリーの

中に登録したり
して、その後、

装備という工程で

よく図書館の資料などで
わかると思う、

透明なフィルム。

特に、ホチキス留めの
雑誌、例えば

週刊誌のような
(週刊文春のような)

の背なかを(ホチキス留め部分を)

フィルムでまぁ、多分ある意味で、補強しているのだと思う。

そういう工程があり

また、雑誌の中のクロスワード
パズルなどを

透明なフィルムは
我々はブッカーと言っていて

クロスワードをブッカーで
クロスワードを書けないように

パズルの上に貼ってしまう。

(透明であるので、紙面は見える)


そんなことをしたり

中に、応募のハガキがついていたりするのを

蔵書印を押したりする。


そんな作業を僕は木曜日と
金曜日に行っている。

(まだ、あまり得意ではない)

そんな作業では

やはり文藝春秋は扱い、
また、芥川賞の
今月号は

やはり、『自分て買おう〜』

という気になり

買ってきた。




前から、
そういうことは

していたが、

まぁ、なんといっても、
受賞した

2作が丸々読めて

選評もあり

また、受賞者インタビューなど
も載っているので

個人的には

お得な気持ちもするの
である。


今回から、選者に
川上未映子が

入っていて

少し僕はビビった。


まだ、片方の作品しか
読んでいないのだが、

既読の受賞作は

個人的にはあまり
読んでいく、没入する

感覚が得られず、


やや、うーん。
と、なってしまい。

すこし、読むのに
面倒が入ってしまった。

もう片方に

期待したいと思う。


僕のお盆休みは
こんな感じであった。

明日も休みでは

あるが、
だんだん遅寝に

なってきているので


それなりな時間に
寝ることにしたい。




続く.....

かつて、僕は
いまからは考えられ
ないけれども、

かなり、激しい状態の時が
あった。

あたりまえではあるのだけど
急性期病棟というところに

いて

もちろん、保護室に
いたのだけど、

ある時、どういう具合か
その治療中に

アカジシア。という
症状が出て

身体がグラグラ、
と揺れる。という

症状が出だした。

その、状態で
あまりにも酷くて

その、メンタルの病院から

近くの、総合病院の
要するにICUみたいな

ところへ、救急車に
乗って、

行ったりもした。

それなりに
たいへんであった。
と思う。

そこから、またメンタルの
病院へと戻り、

また、ベットにグルグル巻き
にされたりしながら

治療しているころに

ある、どちらかというと
屈強な、看護師の

若者に世話をしてもらって
(ユニークなヒトであった)

その看護師さんに

僕は

『アマゾネス』と
あだ名をつけられた。

患者にあだ名をつけるとは

という考え方もあるかとは
思うが、

どちらかというと

患者に対しての
なんというか、か気楽な
関わりとして

あったようにも思う。

ある多分、僕が
グラグラ、カクカク
している、そんな

感じの状態が

なんとなく、『アマゾネス』
であったのだと思う。

でも
その看護師さんには
たいへんありがたかったなあ

と、思う。

保護室で、あつたので

食事やクスリなどを
持ってきて

くれたりしたりするのだけど


就寝前のクスリを
持ってきてくれて、

ちょっと、ディスコ調の
唄をうたって、

身体をシェイクさせて、

なんとなく、何にもない
保護室の生活に

たのしさみたいな
ものを

与えてくれたりした。


とか、また、違う人で
同じような世代の

少し、中性的な 
看護師さんが

スマホで、

宇多田ヒカル。だったと
思うけど、

なんかの

音楽をかけてくれたりした。


でも、そのアカジシア
というんが、

ある程度で

治ってくれたのは

本当によかったと
思っている。

いろいろと、高齢の
他の患者さんを 

見ていると、

そういった症状が
進行に進行して

終局的な感じのする。


どちらかいえば
こんな言い方はヒドいかと
思うが、

もう、人間とは
思えない。というか

見たことない、何かの
動物。という感じの

そういった人達も
いたりした。

正確なところは
わからないけれど

多分、そういう
アカジシアの進行が

止められない。という
ことなのだろう。と

想像する。



現在の仕事の
状況や生活を、

取り戻すことが
できて、

ああいった、精神的や
肉体的に

危機的な
込み入った状況には

(必ずしもないとは言えないが)

もう戻りたくはない。

そういうために、
服薬や

睡眠を大切にして
いきたいと

考えている。


続く......

少し。というか
僕は以前より

けっこう痩せた。と思う。

僕は身長は170cmくらい。
体重は62kg

くらい。

身長は変わらないけど

体重は以前は
おおよそ、70kgの真ん中

くらいになっていた。

そんなわけで、
自分のサイズは

Lと思ってきた。

だんだんと痩せてきて

ふと、肌着などを
Mを

買ってみたら

実にフィットした。

なので別段Lでは
ないらしい。

それから

図書館のとなりの
ショッピングモールに

GUというのが

あって、

安いし、広いし
会計も簡単で

気に入っているけど、

Mサイズのシャツを
買ってみたら

ブカブカであった。

なので、自分のサイズは
だんだんと、

タウンサイズしている。


これはおそらく


若い子やフツーに
皆、

大きくなっている。気がする

甥っ子たちを
見ていると

如実に思ってしまう。

2人とも

180cmを超えている。

170ccmの僕は
もうすでに

小柄な方なのかもしれない。

続く....

出勤前にYouTubeのニュースをかけて

いたら

 

あるニュースで

 

参政権でなく

 

立候補に関する年齢の制限の

引き下げを

 

願って

 

活動している高校生の

ニュースを見た。

 

あまり

 

関心もなく

 

取り止めもなく見ていたが

 

その中で

 

資料的な映像が流れ

 

国会議員の平均年齢が

 

58歳と出てきて

 

あー。そりゃ、そういう考え

(立候補の年齢に関しての要望)

 

もわからんでもないなぁ

 

と感じた。

 

 

 

 

 

 

 

それから

 

このニュースのような

 

ある意味で社会的意識の突出した

若い高校生たちが

 

その後、どのような

 

経路を辿っって、オトナになっていくのだろうか

 

他人事で余計なお世話な感じも

するが

 

考えてしまった。

 

 

 

今はツールも発達しているし

知りたいことや、連絡をとりたいことも

 

簡単になって

 

このように意識がある

若い世代が

 

考えを行動に移すのに

 

容易な感じもあるのかも

しれないし

 

そんなことは

 

別に昔から

フツーに行われていたことなの

かも

 

しれない。

 

 

 

 

全然関係はないが

 

 

私の勤務する図書館で

 

月の特集展示で

レイチェル・カーソンの

 

特集があり

 

「センス・オブ・ワンダー」

 

とかいう本を読んでみたりもした。

 

 

 

 

 

 

沈黙の春という著作で

 

環境問題を提唱された方のようだが

 

どちらかというと

 

詩的に思った。

 

 

そうは,思うが,そういう意識や

そのような

 

考えを若いうちから

行動に移せる

 

というのは

 

自分の過去のていたらくを

考えると

 

ことの関心の傾向や

 

活動内容にもよるかもしれないが

 

若さと意識というものを感じた。

 

 

 

 

 

 

続く........

 

音楽の日。というイベント
というか、番組群が


嫌いだ。


別段、音楽の日。なんて
思わなくても

いつも音楽を聴いている。

余計なお世話だ。



続く...

少し遅刻気味です。

図書館には連絡しました。
昨夜、このブログを

更新して、夜更かし
してしまいました。

久しぶりに少し、
調子を狂わせています。

やや、あまり大きな声では
いえませんが

クスリの服薬が
乱れたのが

原因かと

思います。

つまり、服薬が乱れる。
→睡眠が、不確かになる。

夜更かしが、増える。

現象として、部屋が
乱雑になる。

いつもの、サイクル。

たいてい、調子の
良いときは

帰宅。洗濯。
ご飯炊き。

掃除機。

食事。

というサイクルが
できる。というか。

維持できると
言えるのですが、

その、サイクルが
崩れてきています。


それらは良いときの
いー感じの

習慣とも言えると
思います。

よく、ちょっと前に、
OLの朝のルーティン。

なんてありましたが、

あれの、帰宅版。

と言えるかも
しれません。

早く、調子を
整えていきたいです。

それについては、
今日、
 

めんどうでは、あった
けれども、遅刻しても

会社へ向かうことができて
よかった。

と、思ったりもしました。

!オリンピックについても
考えていきます!



続く....

非常に思うことでも
あるのですけど、

オリンピックって、
要するに

その競技での

世界一を決めたい。
ってな発想ですよね。


でも、その考え方って

もう、当然ともなってて
でも、

このような、個別的な社会で
別に

何らかの世界一なんて

その意義って、
あるんでしょうけど

あまり、ないともいえません 
か?と私は思います。


少し違ったりも
しますが、

野球の大谷さんという方が
いられますが、

ちょっと前に、12億円とかの
お家を買うとか買わないとか

言ってました。


別段いいんですけど

要するに、スポーツってのは
資本主義的であり

確かに素晴らしい
選手でしよう。


でも、百歩譲って、
ご結婚されたとので

しかし、基本的にお二人


どうしてそんなにも
広い家に住む、

必然性があるのでしようか?

もちろんスーパースター
であるから別にいいんです。


でも、そこには

スポーツで
メジャーリーガーになり


成功し、

という、資本主義の
土台に乗った

様式があるように
思います。

日本の小学校とかに
グラブを

送りましたが


何というか。


かなり
極端な言い方には
なりますが

勝者が全てである。

という発想は
どう考えても

もう、違うのでは
ないだろうかと
 
個人的に思ったりも
します。

かと言って

他の考え方も
見つからないとも

思ったりもしますが....



でも、ことさらに
世界一を決めたがる
  
オリンピックというものが

私にはとても気持ちが悪い
です。
  


続く....9

別にいいんだけど

プリンセス.メグって

言われてる選手が
いるでしょう。

かなり、卑猥な、
考えてみれば
だけど

卑猥な言い方でも
あるよなぁ。

逆説的に
女性蔑視な

というか。

オリンピックというのは
そういうことの

宝庫でもあるよなあ

と、思う。

別段、女性に限らないかも
しれない。

男性選手に向けた
異常な

人気とか

応援熱っていうのも
だいぶん


客観的な
多様性とか、

そういうことから

逸脱してると思う。

ある意味で

(想像ですが)

オリンピックとかいう
ところは

多様性とか
LGBTとかに

親和性があるはず
なのだろうと

思うのだけど。

違うでしょうか?


続く.....

オリンピックで、

ナダル。って言ってて、

まぁ、僕の世代では
確かいたかなぁ。

と、も思ったのだけど、

お笑いというか

タレントさんで、

ナダルってヒト

いたなぁ〜。


って思ったのが
1番思ったことでした。

リーチマイケルさんとか


いた、とか活躍していた
この前くらいに盛り上がった

ラグビーの

〈これは、武田砂鉄さんが
ラジオで話していて本当にそうだなあ。と思ったことなので
純粋に僕の発見したことでは
ありませんが...〉

ラグビーのメンバーたちが

....を犠牲にしてきた、

いろいろなことを
ラグビーに向けて使い、

他を犠牲にして...

のような言動が
非常によく現れていて

それは

非常に違和感を感じる。

と、まぁ、

ラジオで言っていて

ホントにそうだなぁ。

と、思ったりもしたのです。


別に

犠牲にしてまで

特別な


勝利とか

そういうものって
現代的なんでしょうか?

その勝利とかいうものに

何かしらの意味が

あるんでしょうか?


例えば、ラグビーが

好きだから、楽しいから、

では済まない。というか。

確かに
そういうことを

している当事者達。

選手たちは


そういう考えの回路に
陥っている

ようにも思えています。



同じ、オリンピックの
あるいは

スポーツの人でも


いまの槍投げの

あまり名前が不確かですが

北口さんでしたか

ああいう、ある意味で
独特な

感覚のあるひとには

そういった

卑屈な
感じは

あまりしません。


ところで、



前回のオリンピックの
時にも触れましたが


あと、20年、30年
で、

スケートボードの

競技の

普遍化というのは

ちゃんと進行していくと

思いますか?

いろいろな技もあるの
でしょうが

それに付随する


例えば、基礎的な


筋力とか

そういう部分の



鍛錬なんてあるんでしょうか?

ある意味で技の

一瞬といえなくもない。


そのレア感。とかを愉しむ

ということなのでしようが



それから


ああいう、オリンピックに
限らずに

街で

ガリガリやってる
子供らを

私らは

非常に迷惑に

思うわけなのですが、


よくありがちな


行政のああいった

スケボーパークを

行政が作ったりして

施設として
運営してたり

するのですよね。


別段、意味はありませんが、


どちらかといえば


行政の迎合的でも
あると

いえなくもないなぁ。


と、私は思って
しまいます。

むかしから

あるところには
ああいうバンクは

あって、


お金を払って

そういうところへ
行けばいいじゃん。

とか思います。

そういうことを

行政が
わざわざ、と、思ったりも
します。




またオリンピックで
良く思うのは


ああいうスポーツといえるか
不確かな分野を


拡張していくことが


私は


非常に、納得が
行かないのです。

ぜんぜん前回くらいまでは

競技空手とか

くらいで、納得感は
ややあつたといえなくもないの

ですが、

スケボー、ブレイキンは

非常に違和感を
感じてなりません。



せっかくオリンピックが
開催されて  

いるので、

できるだけたくさん

オリンピックということに
ついて

考えてみたい。

と思っています。



続く....