リーチマイケルさんとか


いた、とか活躍していた
この前くらいに盛り上がった

ラグビーの

〈これは、武田砂鉄さんが
ラジオで話していて本当にそうだなあ。と思ったことなので
純粋に僕の発見したことでは
ありませんが...〉

ラグビーのメンバーたちが

....を犠牲にしてきた、

いろいろなことを
ラグビーに向けて使い、

他を犠牲にして...

のような言動が
非常によく現れていて

それは

非常に違和感を感じる。

と、まぁ、

ラジオで言っていて

ホントにそうだなぁ。

と、思ったりもしたのです。


別に

犠牲にしてまで

特別な


勝利とか

そういうものって
現代的なんでしょうか?

その勝利とかいうものに

何かしらの意味が

あるんでしょうか?


例えば、ラグビーが

好きだから、楽しいから、

では済まない。というか。

確かに
そういうことを

している当事者達。

選手たちは


そういう考えの回路に
陥っている

ようにも思えています。



同じ、オリンピックの
あるいは

スポーツの人でも


いまの槍投げの

あまり名前が不確かですが

北口さんでしたか

ああいう、ある意味で
独特な

感覚のあるひとには

そういった

卑屈な
感じは

あまりしません。


ところで、



前回のオリンピックの
時にも触れましたが


あと、20年、30年
で、

スケートボードの

競技の

普遍化というのは

ちゃんと進行していくと

思いますか?

いろいろな技もあるの
でしょうが

それに付随する


例えば、基礎的な


筋力とか

そういう部分の



鍛錬なんてあるんでしょうか?

ある意味で技の

一瞬といえなくもない。


そのレア感。とかを愉しむ

ということなのでしようが



それから


ああいう、オリンピックに
限らずに

街で

ガリガリやってる
子供らを

私らは

非常に迷惑に

思うわけなのですが、


よくありがちな


行政のああいった

スケボーパークを

行政が作ったりして

施設として
運営してたり

するのですよね。


別段、意味はありませんが、


どちらかといえば


行政の迎合的でも
あると

いえなくもないなぁ。


と、私は思って
しまいます。

むかしから

あるところには
ああいうバンクは

あって、


お金を払って

そういうところへ
行けばいいじゃん。

とか思います。

そういうことを

行政が
わざわざ、と、思ったりも
します。




またオリンピックで
良く思うのは


ああいうスポーツといえるか
不確かな分野を


拡張していくことが


私は


非常に、納得が
行かないのです。

ぜんぜん前回くらいまでは

競技空手とか

くらいで、納得感は
ややあつたといえなくもないの

ですが、

スケボー、ブレイキンは

非常に違和感を
感じてなりません。



せっかくオリンピックが
開催されて  

いるので、

できるだけたくさん

オリンピックということに
ついて

考えてみたい。

と思っています。



続く....