昨日ですが、午後から津別町まちづくりアイデアコンペの最終審査会を見に、中央公民館に行ってきました。
ちなみに私が応募した、パワーポイントA4版4枚きりの提案は、当初の予定どうり書類審査の段階で落とされてしまっていました。
書類審査で70数点から参考された12点は、関西関東から4点、札幌釧路から4点、網走美幌から2点、津別町内2点とバランスよく最終審査会に進んできました。
尼崎市の男性は『攻めの林業を主軸とした地方創生~Inovation of Tsubetsu~』。特別賞受賞。
横浜市の女性は『津別町の持続可能な発展を目指して』。特別賞受賞。
国分寺市の男性は『チェスの街 TUPET』。
朝霞市の女性は『津別町の未来をつくる~インバウンドの視点から津別町を世界へ~』。優秀賞受賞。
札幌市の北海学園大学学生は『Re make~津別の未来を創る~』。観客賞受賞。
札幌市の道新サービスセンター職員は『愛林のまちとしてのシンボルおよびコンパクトシティ化について』。
札幌市の北海道大学学生は『Active Learning City Tsubetsu 津別町における中高一貫校導入の提案』。優秀賞受賞。
釧路市の男性は『TSUBETSU3(ツベさん)プロジェクト』。特別賞受賞。
網走市の東京農業大学からは『津別町を舞台にした新規就労機会の創造』。
美幌町の男性は『津別ワクワク作戦』。
津別町の男性①『観光による津別創生プラン~観光街道による地域連携~』。特別賞受賞。
津別町の男性②『クライミングウォールを作り、道東のクライミング拠点とする』。特別賞受賞。
以上の12点から、驚いたのは津別町長の総評で、クライミングウォールを津別町に作ります。約束しますと言い切らせた最後の発表でした。
各賞受賞提案についてはいずれ何かで発表される機会もあるでしょうから、私はそれ以外で思ったことを書きます。
津別町を舞台にした新規就労機会の創造は、夏季を中心に町内の施設をオフィスとしてレンタルしたり、廃業したスキー場を簡易的に再利用しようというもので、台湾の女性を交えた発表でした。
愛林のまちとしてのシンボルおよびコンパクトシティ化については、木造建築の高齢者マンション、商業施設、公共施設を作ろうというもので、入賞はしませんでしたが町長の関心を引きつけていました。
津別ワクワク作戦は、町内の運動公園などに全国的には稀なアスレチック遊具を設置して楽しませようというもので、これは津別町の魅力アップに有効だと思いました。
私の興味を最も引いたのは、チェスの街 TUPETです。海外には人間チェスをやっている街がありますが、国内には人間将棋くらいしかありません。そこでチェス人口比率を高めて日本チェスのメッカという位置付けを確立し、町の木材工芸でチェス用具を作ったり、海外の人間チェスが隔年開催であることでそれのない年に津別で人間チェスを開催しましょうというものです。
これなどは国内他地域に無い独創的なものですから魅力的な“まちづくり”に最適かと思いましたが、どの提案も聴いた人ごとに違った魅力を感じる素晴らしいものだったということは間違いありませんね。
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今朝、出勤時に玄関先で撮りました。
今回は通勤車の COROLLA RUNX の姿です。
(端が赤っぽいけど急いでいたので…)

今冬はどか雪があまり無い代わりに、ここにきて一週間に一度くらいは半日以上降り続くようなのがやってきます。ですから右側の畑部分の積雪はなかなか50cmくらいから減りません。
昨日のうちに近所の農家さんがトラクターで除雪してくれたのでこの状況ですが、除雪されていなければ深さ50cmの雪原を漕がなければ玄関まで辿りつけない状況となるわけです。

この画像、道路にしては除雪幅が狭いなと思った方はおられるでしょうか?
とんでもない。農家が使っていた空き家を買ったため、我が家の玄関先から町道までの出入り口がご覧の通路なのです。
先のほうで電柱の並びが曲がっているところから町道で、そこは町の除雪も入ります。
今日は出勤日でしたが、昨夜から頭痛を中心とした風邪症状を感じ、今朝はひどくなっていて看護主任に連絡したうえで欠勤しました。

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それがまた日曜日だったので一般的な病院は休診日です。当番医は美幌町のみやざわクリニックだったので、少し症状が和らいだ午後に受診してきました。
私がこちらで以前お世話になったのは、9年半くらい前のことで、当時まだ自衛官だった私は花壇を作ろうと土おこしをしていて、慣れない中で一気に片付けようとして負担がかかったのか軽度のヘルニアになりました。
それの診断をしてくれて、腰痛ベルトを出してくれたのがみやざわクリニックでした。
皆さんご察しの通り、こちらは本来、整形外科を専門とされる病院です。ですがもともと病院の少ない田舎では、休日当番医に内科も外科も小児科もありませんから、今回は風邪症状ですがみやざわクリニックへ受診しに行きました。
ただ、本来なら整形外科が専門とはいえ、頭痛・微熱・鼻汁・咳嗽を訴えたら『ロキソプロフェン・ペリアクチン各毎食後1錠2日分』をすぐに処方できるところがプロの医師ですね。私は家に帰って検索しました。
医師はもともと歯科医を除くと全て同じ免許だったはずなので、極端な話ですが産科の医師でも精神科患者の悩みくらいは聞いてくれるでしょう。
考えてみると、私も看護学生になる直前、広島市南区段原にある岡田外科医院という病院で看護助手をさせていただきましたが、外科とは言え近所の患者さんたちは内科系疾患でも何でも来ていた気がしますし、入院患者も様々でした。
もちろん周辺の病院で専門分野に強い医師がたくさんいることは理想的ですが、広島の岡田外科や美幌のみやざわクリニックのように、どんな傷病でも関係無しに頼っていける病院が近隣にあることは、住民にとって心強いことだと思います。
今季限りで運行廃止が予定されている観光列車、流氷ノロッコ号に乗車してきました。

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まずは釧網本線北浜駅に向かい、展望塔から到着間近のノロッコ4号を撮影。それから喫茶店で食事をしていると切符を買ったノロッコ3号の時刻が迫ってきたので、予定していた網走駅からの乗車は諦めて北浜駅まで戻りました。

ノロッコ3号がホームに入ると、ホームの端ギリギリまで身を乗り出して撮影する悪質な撮り鉄がいました。鉄道ファンが悪質な行為を繰り返すニュースを聞きますが、普段北見・網走では見かけないので迷惑なマニアまで集まってしまったのは残念です。

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網走行きの先頭はディーゼル機関車ですが、知床斜里行きの先頭はオクハテ510-1という客車。運転席もついていました。
客車は元々窓ガラス自体が外された貨物車のような車両だったようで若干寒いのですが、それでも石炭ストーブが設置されており乗客は乾物を焼いて食べたりしながら寒さを楽しんでいる感じすらあります。
車内アナウンスも車掌による事務的なものだけではなく、地元団体の方から沿線環境に関するアナウンスもありなかなか良い列車でした。

流氷ノロッコ号は、ディーゼル機関車の老朽化により今季限りで運行を終える予定ですが、これだけ観光客を集めるられる資源を失っても良いのでしょうか?
可能であれば、北海道に新しいディーゼル機関車を購入していただき、釧網・石北本線直通の定期列車を週末だけでも構わないので継続してもらいたいものです。
雪は少しずつ融けて少なくなっていましたが、約1カ月くらいぶりでまとまった雪が一昨日から昨日夕方あたりまで降り続きました。

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前回の大雪でブレード部分が破損したため我が家の PAJERO io KAI はごらんの有り様。ときどきエンジンはかけていますが使い物になりません。
今月転職して半月くらいは平日に休みが無かったため、修理の依頼も最近までできず放置状態となっています。
そんなとき助かるのは近所に農家さんがあることで、昨日の午前中にトラクターで除雪に入ってくれた様子でした。
現在、北海道オホーツク海側の津別町北部の平地では、積雪量50cm程度といったところですね。
今月に入り、私が転職したのをきっかけに、仲間うちで手話学習活動を再開しました。
それまで手話学習会ということで活動してきましたが、今月より北海蝦夷鹿舎手話同好会・歓喜団と名称変更。本当は気象用語にひっかけてオホーツク歓喜団というのも考えたのですが、オホーツク寒気団という団体が実在するとのことで混乱を回避しました。
名称変更に至ったのは、私の転職によりメンバーが全て私の研修先の関係者となったことで、活動場所もその特別養護老人ホーム内に移したことによります。
今後の展開は医療福祉施設、学校や保育所などで手話による合唱や劇を公演しようと考えており、まずは手話歌の学習準備として模造紙に歌詞の書き写しをしました。
さんぽ(となりのトトロ)・大きな古時計・北国の春の3曲から始めようと準備してきましたが、「天国へのぼるおじいさん時計ともお別れ」では高齢者施設で使えないので、急遽ふるさとに変更しました。
今日はこどもくらぶ編の手話歌の本も2冊購入しました。
親バカと言っても私に子どもがいるわけではありません。
毎週土曜日に開いている初心者向けの囲碁サークルGoENに、小学2年生の女の子フクミちゃんが再びやってきました。
インフルエンザにかかっていたとのことで何週間ぶりかの2回目でしたが、碁のウデはやはり素質があるようです。
前回は他の人が相手になっての九路盤、十三路盤対局を見ていたので、彼女がそこそこの感覚で打てること、盤面が大きくなるとまだ判断が難しいことはわかっていました。
私はまだ局所の攻め合いは後回しで良いと思っているので、石どうしが接触した場合の打ち方はその都度教えながら彼女と対局してみました。
対局してみると、九路盤では筋が良く、フクミちゃんに先手を持たせるだけでじゅうぶん勝負になることを確認。
続けて十三路盤では5子局で打ちましたが、やはりこれだとかなり苦戦している様子がみられたので、そこは今後伸ばす必要がありそうです。
最後は教え始めて半年くらいの、15~20級くらいの大人相手に九路盤で打ってもらいましたが、ちょっとコツを教えただけで良い勝負でした。
自分が囲碁を教えている子どもが強くなるのを見ていると嬉しくなるもので、いわゆる親バカっていうのはこんな感じだろうと思いました。
私が2007年(平成19年)、介護福祉士を目指そうと35歳で入学した北海道置戸高等学校を久しぶりに訪問しました。
結局私は半年ほどでこの高校を中退し、別の看護専門学校へ進学したのですが、置戸高校福祉科の授業は専門分野のレベルが高いので、看護専門学校以外でも医療福祉系への進学者にはここで得た知識が確実にその後のスキルアップの礎となっていること間違いありません。
そんな置戸高校に、8年前のまま在籍している専門教科の教職員が医学の大槻先生、介護の佐藤先生と二人おられ、育児休暇中の佐藤先生は不在でしたが、在校中から大変お世話になった大槻先生には転職の挨拶がやっとできました。
これまで勤めてきた老健には同校卒業生がかなりいましたが、今回就職した特養にはまだ就職実績が無いようです。また研修扱いで通っている特養には結構在籍している様子で、今春からまた卒業生が就職してくることもあり、よろしくお願いしますとまで言われて少し責任も感じました。
2007年に入学して同じクラスにいた生徒たちの現在についてもいろいろ聞かれましたが、逆にかつて置戸高校で家政学を担当していた先生が津別高校にいるといった情報を聞くこともできました。
2月17日のことでしたが、仕事が終わってから津別町中央公民館で行われた、まちづくり・地域おこしフォーラム『住み続けたい町つべつ』を聞いてきました。
第1部は新潟県立大学准教授田口一博さんの基調講演でしたが、この部分は会場入りする前にほぼ終わっていてよくわかりません。
ただし第2部のパネルディスカッションのコーディネーターも田口さんだったので、彼が何を言いに来られたのかは聞き取ることができました。
パネリスト①水上さんは、まちなか再生協議会の方で、津別の魅力は自然環境が良いことでそこを活かしたいと答えたのに対し、町中心部に自然環境が豊かなことが魅力ですかと逆に返されていました。
パネリスト②真鍋さんは、JAつべつ女性部フレッシュミズの方で、結婚して津別にやって来たと話されていました。まちなか再生協議会の発想ではなく、町内郊外も便利にならなければ暮らしにくいといった内容でもっともだと思いました。
パネリスト③溝口さんは、子ども・子育て会議の方で、乳幼児を育てる母親が子どもを連れて集まれる場所が欲しいという話が出ました。認定こども園や児童館といった場所がもっと幅広い層から利用可能になると良いかも知れません。
パネリスト④國枝さんは、津別高校生徒会長。津別高校がまちづくりの協議に参加してきたことを後々へと継続するとともに、津別高校の魅力を発信して行きたいとのこと。
パネリスト⑤山本さんは、生徒会長と同級生の津別高校生徒。高校生が放課後集える場所が欲しいと、町中心部の多目的施設を使ったイベントを提案していました。
パネリスト⑥上原さんは、青年活動プロジェクトandの方で、町内の20~30代の青年が集まって自分たちで楽しめるイベントを開いてきたことを話しました。また町職員という立場から、子どもたちに林業の魅力も伝えて行きたいとも言っていました。
また全体を通して、津別は過疎の町でありながら町内の事業所に町外から通勤している人もいるという稀な状況から、いかにして町外の人に津別で住んでもらえば良いのかという話になりました。
これはマンションやアパートが無い代わりに町営住宅が多いのだから、例えば数年後に取り壊しが予定されている古い町営住宅にはペットを飼っている人も入居可能にする等、町役場が仕組みを変えることで転入希望者が引っ越して来やすい環境は整っていくのかなと思いました。
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本日は北見市民会館に来ています。
昨日は有級者の部でしたが、本日は有段者の部ということで1級から八段までの74人が参加。
Aブロックは五段から八段の16名。
Bブロックは四段から五段の16名。
Cブロックは三段から四段の16名。
Dブロックは初段から三段の16名。
Eブロックは1級から初段の10名で競いました。
昨冬に同じ北見市民会館で行われた大会で私は二段以下の部に初段として出場し優勝しましたが、1年後に三段で出場するとさすがに苦戦を強いられました。
昨冬ならば段級位差置石1子のルールなので、二段の相手には常に先手で打ち、盤面の地が1目でも多ければ勝ちだったのです。
今冬は四段の相手に常先、三段の相手にはハンデ無しの互い先(後手に6目半のコミというものは有ります)というルールなので、単純に昇段2回分厳しくなりました。
結局三段から四段のCブロックにエントリーされ四段の相手に0勝2敗、三段の相手に1勝1敗で大会を終えました。
北見の碁打ちは美幌、津別でいつも打つ相手より同じ段位でもやや強いというイメージがありましたが、打ってみると勝てる気がしないとまで差は無いと感じました。