長崎旅行✈️ | 個人の英語日記コーチング

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今日のタイトル
 

​長崎旅行✈️

 



約10年ぶりに長崎に行ってきましたキメてる





弾丸旅行でしたが、楽しかったです指差し飛び出すハート





長崎は九州の端で、昔から海外との交流があり、

歴史がある県なんだよな〜。


気になって歴史を調べてみました。




※For you lifeのサイト参照※


古くから大陸とのつながりが強く、すでに縄文時代には対馬と朝鮮との間で貿易がおこなわれていました。1550年にポルトガル(南蛮:なんばん)船が平戸(ひらど)に入港すると、来日していたフランシスコ・ザビエルは布教活動を鹿児島から平戸に移します。キリスト教が広まった長崎市は、一気にヨーロッパ文化のあふれる街として栄えました。

1571年に当時の大名である大村純忠(おおむらすみただ)が開いた長崎港は、南蛮貿易の拠点として重要な位置を占めていました。その背後で、豊臣秀吉や徳川幕府の相次ぐ禁教令によってキリスト教の弾圧が強まり、1637~1638年の島原の乱で多くのキリシタンが被害に遭います。

江戸時代の200年以上に渡る鎖国の間、長崎市の出島(でじま)は一部の国と貿易を続け、1859年日米修好通商条約まで日本の窓口として機能しました。開港とともに長崎県にはますます西洋の文化が浸透し、来日した貿易商のトーマス・ブレーク・グラバーによって貿易や造船、鉄鋼、炭坑などの分野も開拓されました。

昭和に入ると軍艦建造のための造船所が増加、太平洋戦争へと突入します。1945年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、周辺は甚大な被害を受けました。戦後は奇跡的な復興を遂げ、最盛期には国産石炭のうちおよそ1割を産出するなど、長崎県は日本の産業発展に大きく貢献しました。

現在、造船の技術は各種機械や電子部品などに応用され、漁業や観光業などとともに長崎県の主要産業としての役割を担います。




歴史を理解して旅行をすると、
旅がさらに楽しくなります♪

ただ旅前にそんな余裕はなく泣き笑い







写真を何枚か載せますニコニコ


軍艦島スター

 高い護岸と煙突の勇ましい姿が軍艦「土佐」に似ているとされ、「軍艦島」の名で知られる端島炭坑。海底から石炭を採掘する海底炭坑として、日本の近代化を支えました。








スター






恐竜博物館スター

最近?開館したらしい^^




 





I’m sure that traveling expands our horizons💓

 


では、Have a great day 🙌



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