浅学とは恐ろしいものです。キリスト教は現在のように確定するまで、何回も会議を開いていますが、その会議はトルコで開かれていたのです。正直驚きました。いわば、トルコは世界の文化の中心地であったのです。


セルチュク

運転手はムスタファさんで、これからアンカラまで数日間運転をしてくれることになった。ここで、カディルさんがトルコの地図と観光みやげとして知られている目玉の魔よけ(ナザールボンジュウ)を皆さんに配ってくれた。バスの前方には同じ地図が貼られ、これから旅行する場所の解説を始めたが、地図が小さいので、バスの真ん中から後ろの席はほとんど見えない。

バスはイズミールからエフェソス遺跡のあるセルチュクへ向かって南下していく。11時27分にセルチュクという道路標識を目にした。途中は山間地なので、やや開けた谷筋をバスは走っていくが、広い平野というものに出くわすことはない。学校の地図帳でトルコを見ると、国土のほとんどはベージュから茶色に塗られ、200m以下の平野があまり示されていないから、景色は地図帳通りだという印象になってしまう。山を構成しているのはほとんどが石灰岩で遠目にも白く、雨量が少ないせいか山の緑はそれほど濃くない。土壌は石灰岩が風化して出来る赤土のテラロッシャがよく見える。平坦な土地が現れると畑や果樹園として利用されているが、それは日本的な水平な平坦地ではなく、丘陵の傾斜地をそのまま畑にしているだけで、よく見るとたくさんの石ころが畑に転がっている。

11時34分、右前方の丘の上にお城が見えてきた。カディルさんが「皆さん丘の上にある建物が、シルクロードの終点の1つの隊商宿(キャラバンサライ)です。約1000年前に作られたものです。ここでバスを停めますので、下りて写真を撮って下さい。車には十分注意して下さい。」と言われ、バスはセルチュクに入る直前で道路脇に停車した。

キャラバンサライ

キャラバンサライはシルクロードの終点の一つ

見ると、平坦地の向こうの丘の上に、石造りのキャラバンサライがトルコ国旗をはためかせて建っている。その昔、商人達はラクダの背中に荷物を積んでここから出発し、オアシスを経由して商売をしながら中国との間を行き来していた。中国から、戻ってきた商人は、ここで一休みをして商品を売り払ったか、そのままヨーロッパにまで向かったのかも知れない。その往復には数年がかかったようで、途中残念な結果に終わった商人もいたことだろう。マルコ・ポーロはここを利用していない。写真を撮って、11時38分に出発。

エフェソス公会議

 キリスト教の公会議と言えば、325年の「ニケーア公会議」が有名だが、431年にはエフェソスでも開かれている。それが「エフェソス公会議」で、その後449年に「エフェソス強盗会議」451年に「カルケドン公会議」が開かれている。これらの歴史上重要な会議の場所は全て現在のトルコ西部だった。

それらの公会議では、当時のローマ皇帝や宗教者が、イエスとは何者なのかを何度も議論をしたのだが、学校ではその会議の場所をほとんど教えてはくれないから、生徒は、それらの会議はフランスやイタリアで開かれたと思っているだろう。

結果、ヤーベの神とキリストと聖霊は同じであると言う三位一体説を公認したのは「ニケーア公会議」で、現在のキリスト教の立場になっている。しかし、ネストリウス派やエチオピアのコプト教、中国の景教などは、そうでない立場を取るキリスト教である。


セルチュクの町はそれほど大きいものではないのですが、ここには紀元前から多くの人々が住み、キャラバンが行き来していた場所でした。

エフェス遺跡のそばまでエーゲ海が入ってきていましたから、交通路のポイントでもあったようです。


トルコ航空は国内線でもおもてなしです。

このころの情報では、成田が大雪だったのです。空港閉鎖になってしまったようで、我々の次に海外へ旅立つツアーの人たちはどうなるのだろうと人ごとながらみんなで心配をしたのです。


東京の積雪

 トルコ時間では朝の8時を過ぎているから、東京は午後3時だ。インターネットで東京の情報を仕入れた人がいて、それによると、朝10時40分頃は大雪で飛行場が閉鎖になっているという。トルコ便も足留めになりは出発できないそうだ。もし1日遅かったら我々がその状態になっていたのだから、運が良かったとしかいえない。

ところでその便に乗ろうとしていた旅行団の人はどうなるのだろうか、他人ごとながら心配になってしまう。

離陸と機内食

 搭乗開始になったので、列には8時40分に並ぶと50分には席に着いていた。

機体はB737-800 27列×6席の160人乗りくらいのやや小型の機体だ。座席はほぼ満員状態。

9時04分にスポットを離れた機は滑走路に向かっていくが、混んでいる。後ろの方を見ると9機が数珠繋ぎになっている。そのため滑走を開始したのは9時22分になっていた。

35秒の滑走で離陸した機はすぐに左へ大きく旋回し、南方のイズミールに向かって高度をどんどん上げていく。離陸してすぐ見える右下の海はマルマラ海だが、そこは雲の海でもありよく見えない。するとシートベルトのサインがまだ消えない9時35分に軽食が配られ始めた。
国内線の機内食1 ちょっとおしゃれな美味しい機内食
メニューは

チーズ・レタス・キュウリ・トマトを挟んだサンドウィッチ。サラダ(キュウリ・トマト・黒オリーブ・白オリーブ)。フルーツヨーグルト。トマトジュース。

チーズはやや塩味だがそれほどきつくないので、パンとの相性がちょうど良い。キュウリは水分がたくさんあり新鮮でよい。オリーブは独特のクセがあるので、食べてはみるがあまり好きではないので2つだけで止めてしまった。フルーツヨーグルトとトマトジュースは美味しいので満足。ちなみにトルコのトマトジュースは、日本のカゴメが進出して生産しているそうだ。9時50分に満足して食べ終わったのだが、この後昼食を食べることを考えると、どうなるのだろう。食べ過ぎではないだろうか。

エーゲ海とイズミール

国内線から見たエーゲ海 トルコ西海岸上空から見たエーゲ海

 途中の雲の切れ目からは、トルコ西部の海岸線が見えている。トロイの遺跡もこの下あたりにあるのだろうか。冬なのに山間部には緑がたっぷりあるのは、地中海性気候の特色の冬雨だからだろうか。山はそれほど高くはないので、丘陵の連続と言った方がよく、ところどころに村が点在している。それらも、やがて再び厚い雲に覆われてしまった。その後、遠方に島々が見え始め、海岸線はたくさんの入り江や岬があるリアス海岸になってきた。この海はエーゲ海だろう。地図を見ると、イズミールの港は大きな湾の奥に出来た入り江の奥にあり、天然の良港である。

この辺りから機は高度を下げ始め、10時12分にイズミール空港に着陸した。

国内線なので、35分にスーツケースを受け取って、ターミナルビルを出てから線路にかかる陸橋を渡り、駐車場でバスに乗って49分に空港を後にした。外は雲があるが太陽は出ていて暖かい。冬なのにここでも拍子抜け。

イズミール空港(アドナン・メンデレス空港)はとても広く成田よりも広い感じがする。

調べてみると3240m滑走路が1本だけだが、周辺が平野でゆったり作られているからそういう印象を受けるのだろう。成田空港は最初からいろいろと制限が多すぎる空港なので、トルコの空港のような自由さが乏しい気がする。


このあとセルチュクへ向かっていきます。

そうです。エフェスの遺跡へ行くのです。

団体旅行をすると様々な人がいます。その中でたいていいるのは、集合時間に遅れる人です。それも何度も遅れるのです。JTB・旅物語ではそれらの人をチェックして、データベースにしてあるようです。

そうしないと添乗員さんも、心の準備ができませんからね。


国内線の飛行機に乗る

 石畳の道を、昨日バスを降りたところへ歩いていったのだが、明るい光の中で見るイスタンブルの旧市街はそれなりの歴史を感じる風情がある。海岸線と平行な道路に来ると、バスが停まっていた。スーツケースは既に積み込んであるようだ。出発予定の7時00分には皆さんが乗り込んでいたが、毛束さんが確認をすると、1人の女性が来ていないという。何でもホテルに手荷物を忘れたので取りに行ったそうだ。

この後、国内線の飛行機に乗ってイズミールまで行くので、時間は絶対に守らなければならない。毛束さんとカディルさんはとても焦っている。2人はバスから飛び降りてホテルへ向かった。そのうち毛束さんが戻ってきたが、見つけられなかったので、さらに焦っている。見ると、汗をびっしょりかいている。手伝ってあげたいが、じっとしているのが最高のお手伝いだ。

すると、その女性は06分になって、ホテルの人に付き添われて、バスにやってきた。

その人は小さな声で「すみません」と言っていたが、毛束さんとカディルさんが腹を立てているのはその顔にはっきりと表れていた。毛束さんの顔からは焦りの冷や汗が吹き出し、ハンカチでしきりに拭いている。バスはその女性が戻ると同時に出発した。車内は何となく微妙な空気が流れている。

渋滞を心配したが、何とかうまく進むことが出来て、7時30分に無事イスタンブル空港に到着した。

イスタンブル空港のメスジット

 この空港はと言うよりトルコはセキュリティーチェックが非常に厳しいようだ。ここでも、ターミナルビルに入る時に、スーツケースを含め厳重にチェックをされた。スーツケース、手荷物、コート、ズボンのベルト、時計、メガネ、カメラ、ペンもトレーに入れて、X線チェックを受けた。体の方は無事通過したのだが、手荷物が引っかかってしまった。係員が「ウォッチ」と言っている。カバンの中にもう1つの時計が入っていることは知っているが、それを見せろというのだ。時限爆弾だとでも思っているのだろうか。「イエス、ウェイト」と言って、手提げバッグから時計を取りだして見せたら、オーケーと言われて通過。その間ベルトをはずしたズボンが下に落ちたらどうしようかと気が気ではない。

手荷物チェックはもう一度あると毛束さんが言っていた。嫌になってしまうが、これは現在のトルコが置かれた厳しい国際状況なのだと思うと、協力をしなければなるまい。

7時42分にカウンターでチケットをもらい、スーツケースを預けた。チケットには、座席は23F・24F、搭乗は110番ゲートだと書いてある。そのまま進んで50分から2度目の手荷物チェックを受けた。先ほどの轍を踏まないために、今度は時計も出して無事に通過。110番ゲートは、そこからすぐのところにあったので、そのロビーで搭乗開始の8時40分まで待たねばならない。

ロビー内を見回すと、目の前の椅子には空港の10名くらいの作業員達が暇をもてあまし、座って雑談をし、ニカーブ(目だけ出している黒服)やチャドル、へジャブの女性が何人も目の前を通り過ぎていく。

こちらも暇になったので、空港内をちょっと散歩してみることにした。
空港の礼拝所 礼拝所の表示と礼拝している人
すると、案内板に「Mescit」「Masjid」という表示があった。
メスチット、メスキト、メスジットとも読める。これはスペイン語ならメスキータ、空港内の礼拝所だ。興味津々で見ると、左側が女性用、右側が男性用になっている。中には、左側に足洗い場があり、その奥に絨毯を敷き詰めた礼拝スペースがあった。中では1人の男性がミフラーブに向かって一生懸命に礼拝を行い、ほかの男性は後ろで寝ていた。外に出ると、ちょうど女性が礼拝所に入るところだった。

再びロビーに戻り、ぼんやり座っていたのだが、先ほどの忙しさは何だったのだろう。


トルコはイスラム教の国ですが、世俗主義をとっていますから、国が国民にイスラム教を強制することはないようです。

しかし、最近はエルドアン首相が、トルコのイスラム国家化を進めようとしているようです。

いずれにしても、トルコ国民の中にイスラム教があることは確かです。

何度経験しても解決方法が見えないのが時差ボケです。結局、時間が解決してくれるのも待つしかないのでしょう。トルコ時間に合わせた生活をするしかないようです。


335号室
355号室 元貴族の部屋だった雰囲気の335号室
 この部屋は、見た目は重厚な感じでなかなか良い。天井は高く床は絨毯敷き、窓装飾もシンプルだが歴史を感じさせるので、貴族の館をホテルに転用したことがよく分かる。バスタブは引き戸式でお湯が外に漏れにくい構造になっている。湯量も多いので満足だ。

欠点を上げると、隣の話し声や水音が良く聞こえることだ。ホテルの外の音も聞こえてくる。換気ファンの音がずっと鳴っていてうるさいので電源を切ってしまった。エアコンの調節はホテル全体を一括でコントロールしているそうなので、各部屋からは出来ないのが実に不便だ。温度が一定でなかったので、室内が暑くなった時は窓を開けて眠らざるを得なくなったが、そうすると外部の音が聞こえてくるし・・・。そういったことから、体を休めるためには、あまりよいホテルとは言い難い。悪い方かも知れない。

このホテルの構造は、アラブ的である。ロビーの中央には吹き抜けがあり、建物は四角い筒になっている。それはアラブのパティオの感じがする。だから、各階には中廊下をはさんで部屋が向かい合い、内側の部屋はパティオに面して、外側の部屋は外に向かって窓がある。335号室は奇数なので外側になっていた。だから外部の音が聞こえてうるさい。中廊下はぐるりと一周できる。建物は6階までなので7階建てとなっている。

疲れた1日目

 ホテルの部屋に着いたのは午後7時35分だから、日本時間にしてみると26時35分になる。朝の5時30分ごろに起床したので、21時間もバスと飛行機と徒歩で移動を続けていたことになる。さらに、7時間の時差もあるので、身体は芯から疲れている。一応スーツケースを開けたのだが、とりあえずベッドに横になっていると、起きあがるのが嫌になってしまい、10時頃までじっとしていた。3時30分の機内食から6時間以上食べていないので、身体にむち打って、日本から持ってきた“助六寿司”をケースから取りだし、飛行機でもらってきたワインを飲みながら食べ、スタミナの回復を図った。そのおかげで、少し元気を取り戻してシャワーを浴び、ベッドに潜り込んでしまった。

モーニングコールまで、あと6時間ぐらいしかない。

2月14日(金)

出発

 やはり緊張をしているのだろう。5時30分のモーニングコールよりも早く目が覚めている。それを待つまでもなく、着替え、洗面、荷物の整理やカメラの準備をしてから、スーツケースを廊下に出し、レストランへ食事に出かけた。

6時前だったが、既にレストラン前には10名近い人が待っていた。時間が過ぎてもレストランが空かないのはヨーロッパ流で、開いたのは5分過ぎてからだった。

ヨーロッパは面白い。時刻を指定したら決してそれより早くオープンはしない。黙っていると大抵遅れてオープンする。ある意味時刻に正確なのだが、実にルーズなので、いらつくことは良くある。しかし郷に入っては郷に従うしかない。

2月14日の朝食 乳製品が多く水化物がない朝食

席を確保してから食べるものを取り始めた。

取ってきたメニューは

トマト、キュウリ、ソーセージ3種、チーズ7種、ヨーグルト、牛乳

トマトとキュウリは野菜の味がしっかりとして、みずみずしく美味しい。チーズは塩味が強いものとそうでないものがあるが、ハーブ入りのものは特に塩味を強く感じた。ソーセージは塩分が少なくて美味しい。畜製品の種類が豊富にあるのは、トルコ民族がその昔からの牧畜民族であった証拠なのだろう。ヨーグルトはナチュラルで硬い感じがして美味しい。牛乳も心なしか濃厚な感じがする。満足して6時28分に終了。

以前の旅行で、お腹を壊したことがある。旅行は長距離を移動するが、体を動かすことは少ない。そして料理は美味しいのでどうしても食べ過ぎてしまうことが多いのだ。その時もそれが原因だったようだ。それ以来、朝食ではパン類を食べないようにしている。始めて見ると、お腹がすくような感じがするが、体にはその方がよいようだ。体調を壊しての旅行ほどつらく不安なことはないものだ。

部屋に戻って歯磨きなどをしていると6時45分になった。ロビーに下りてチェックアウトをすると、バスへ移動するということなので、カディルさんの後について昨晩バスを降りたところまで歩いてホテルを出発した。


トルコのヨーグルトはやや堅めなのです。そして豊富におかれています。トルコへ行ったらこのタイプのヨーグルトをたくさん食べると良いと思います。この食感は他の国では感じたことがありません。そのせいでしょうか、日本でヨーグルトを食べると実に物足りない感じがしてしまい、しばらく困ってしまいました。

レガシーオットマンは、イスタンブルのヨーロッパ側にありました。とは言うものの、この日はホテルがどこにあるのか全く分からず、すぐそばにガラタ橋があったことだけを記憶していただけです。まさしく五里霧中状態でした。


ホテルへ出発
イスタンブル空港出発 暗闇の中をホテルに向かって出発
6時25分、あれやこれやの手続きをすませて空港ビルをあとにし、33分にはバスの中の人となった。既に冬の太陽は沈んで、冷たい空気が漂い温度計は15度を示し、空港ビルの照明が輝きを増している。

毛束さんがマイクを取り「皆さんご苦労様でした。忘れ物はありませんか。全員そろいましたのでこれからホテルに向かいます。今日バスを運転してくれますのはオルハンさん、今日から19日までガイドをしてくれますのはカディルさんです。よろしくお願いします。」拍手。「これからホテルまでは、30から40分はかかると思います。何しろイスタンブルの交通渋滞は慢性的になっているのです。10分程度の距離を1時間かかることも珍しくありません。時間がかかるかも知れませんから、この間を利用しまして、ホテルや明日の連絡をしておきたいと思います。今日のホテルは、旧市街にある“レガシー オットマン ホテル”です。詳しい説明はカディルさんからあると思います。ホテルはカードキーです。電話はホテルのものを利用して外線に掛けた場合、呼び出し音を3回以上鳴らすと、相手が出なくても料金がかかりますから注意をして下さい。お部屋にポットはありますが、ワインなどはミニバーですから有料です。テーブルの上に置いてあっても有料なので注意して下さい。コーヒー・紅茶は無料ですから大丈夫です。明朝は、モーニングコールが5時30分、朝食は6時00分からです。レストランに行きましたら部屋番号を言ってください。スーツケースを廊下へ出すのは6時です。出発は6時50分と早いですが、飛行機でイズミールへ行きますので飛行場へ向かいます。」

ガイドのカディルさん ビジネスマンのガイド、カディルさん

 毛束さんの連絡が終わると、カディルさんがマイクを取って自己紹介を兼ねながら、ガイドを始めた。「皆さんこんにちは。私はカディルと言います。数年間日本にいて、日本語を勉強しました。今は大手町にお店を持っています。埼玉県の方にもすんでいました。品川の方もよく知っています。トルコに戻って試験を受け、ガイドの仕事もしています。奥さんは日本人ですが、とっても怖いです。子供は女の子が2人います。年に何回か日本に行っています。」というような話をしてからガイドを始めた。「イスタンブルはヨーロッパ大陸とアジア大陸の両方に町が開けています。その間にボスポラス海峡があります。昔からたくさんの民族がここを通過していきましたので、あちこちにたくさんの遺跡があります。」バスは、マルマラ海の畔に出てきた。「目の前の海は。マルマラ海です。海にはこれからボスポラス海峡を通過する船などがたくさん浮かんでいますが、この海峡はとても狭いので、船は一列に並んでいかなければなりません。また海岸にはローマ時代の城壁が今でもしっかりと残っています。丘の上にちらっと見えるのは最終日に行きますブルーモスクです。今日泊まるホテルはイスタンブルの旧市街にありますが、ホテル一帯は世界遺産になっていて、ホテルの建物の一部も世界遺産です。そのため、以前は貴族の館だったホテルは簡単に改造をすることが出来ません。少し不便なところもあるかと思いますがやむを得ません。」


ホテル「レガシー オットマン」

レガシーオットマンホテル 今日のホテル、レガシーオットマン
などと話している間に、バスはガラタ橋が見える道路脇に停車した。「皆さん、ここでバスを降ります。スーツケースはポーターがロビーまで運びますが、ロビーから各お部屋まではご自分で運ばれた方が早いと思います。また、ガラタ橋に行っても良いのですが、治安の問題がありますので、なるべく外出は控えた方が良いと思います。それではバスを降りてからホテルまで少し歩きます。」カディルさんの後を付いて、両側に2m巾の歩道が付いた車の通る狭い石畳の道を5分ほど歩いていくと、前方に“
Legacy Ottoman”という表示のあるホテルが見えてきた。この建物の1階には、ホテルのロビー部分を除くと、テナントがいくつか入っていた。だからレストランが6階になっているのだろう。6階といっても日本的には7階、1階は“L”と表示されている。明日の連絡はすんでいるので、ロビーではチェックインを済ませてカギをもらうだけだ。毛束さんがチェックインをしている間に、ボーイさんが“ウェルカムドリンク”の甘いリンゴチャイを配ってくれた。やがてカギが配られはじめ、毛束さんが「私の部屋は、217号です。ご用のおありの方は、室内電話で部屋番号を回せば通じます。この後カギをお渡ししますが、このホテルは6人乗り程度のエレベーターが2つしかありません。時間がかかるかと思いますが、ご自分のスーツケースを持って移動して下さい。」といってからカギを配り始めた。渡されたのは335号室。スーツケースを引きずってエレベーターを一回待ち、部屋に着いた時は
7時35分になっていた。


レガシーオットマンというホテルは、イスラムの香りがする作りになっていました。ホテルの一部が世界遺産になっているというのも分かります。

トルコへ行くのでしたら、英雄アタチュルク(ムスタファ・ケマル・アタチュルク又はムスタファ・ケマル・パシャ)のことを知らなければなりません。

あちこちに、アタチュルクの名前を付けたものを見ますし、トルコのリラ紙幣の肖像は、アタチュルクなのです。

トルコへ行く観光客は、アタチュルクへの敬意を持っていかれると良いかと思います。何しろ彼は現代トルコの基礎を作った人なのですから。彼がいなかったら現代トルコはなかったのです。


機内食2
        機内食2

   日本なら夜食、トルコなら三時のおやつの機内食
 3時40分になると、着陸前の食事が配られてきた。この時刻の食事をなんといったらいいのだろうか。日本なら夜食、トルコなら3時のおやつになってしまう。

飲み物は赤ワインとEFESビールをもらい、美味しくいただいて4時05分に終了。

機内3

 実は、右斜め4席ほど前にいる赤ちゃんと子供が、大きな声を出して泣きわめいている。狭い空間に押し込められているのだから、飽きてしまうのは良く理解できる。

その家族が一生懸命におもちゃであやしてもいるのだが効果が無く、お祖父さんや母親が抱きかかえて通路を前に後ろに歩いている。キャビンアテンダントが目先の変わるものを持ってきたり、いろいろとご機嫌を取っているがその効果もすぐに切れてしまい、ついには通路に寝ころんで騒ぎ始めた。

ほとほと困ってしまって、どうにも手のつけようがない状態が続いていたが、そのうちに疲れて眠って待ったのだろうかようやく静かになった。子供を連れての長距離移動は実に大変だ。

4時20分、クリミア半島の根元から黒海に出ようとしている。半島の先端にはヤルタ会談ヤルタ協定で有名なヤルタがあるはずだ。あと1時間で着陸になるようだが、外は一面の雲で黒海の水を見ることは出来ない。

5時を過ぎたころ、機は高度をどんどん下げている。外は曇りで気温は15度だという。夕方でもあるし、窓から入る日差しは暮れなずみ始めているようだ。

イスタンブル到着

 5時28分、イスタンブル空港(アタチュルク空港)に着陸した。この空港はとても広い空港のようで、3000m滑走路を2本、2300m滑走路を1本持っている。誘導路を10分ほど走って、39分にスポットに駐機し、空港ビルに集合をした。ロビーにはHISなどの日本人旅行団もいて、それぞれがこれからの行動の注意を添乗員から受けている。このような光景が毎日繰り広げられているのだろう。

長い通路を歩いて入国審査に進んだのだが、そこは長蛇の列で20分ほど並び、ようやくスタンプをもらって、両替所に行き5000円をトルコリラに交換した。この日の交換比率(トルコリラ÷円)は0.02124だったので、0.2124×5000円=106.2リラになったのだが、その中から手数料と税金を引かれたので、手元には101.74リラが明細書とともに渡された。最近のトルコはアメリカの金融引き締めの関係で、投資資金が引き揚げられリラが大きく下落している不安定な状況なのだ。

スーツケースをターンテーブルから受け取ろうとしたら、ポーターさんがいて我々のケースをどんどんと台車に載せていた。こんな贅沢をしても良いのだろうかと思ってしまう。

経済的に見ると、トルコ人の平均収入は日本の3分の1から10分の1の間だと言うから、こういったポーターの仕事も、失業率が高い現状からして重要なものになるのだろう。

それにしても空港での空気が穏やかなのだ。初めて訪れた国だから、緊張はあるにしても、今までの国とはその程度が違う。どこか安心感を覚えてしまうような柔らかさがある。


このころ、アメリカの金融引き締め政策により世界のドルが、アメリカに戻り始めたので、BRICSやトルコなどの国々の貨幣がどんどんと売られその国の通貨が下落していたのです。それは相対的に円高にもなっていましたので、トルコ経済は大きな打撃を受けていたのです。

それは、エルドアン政権にも少なからぬ影響を与えていたようです。

機内食は長距離移動の大きなお楽しみ。やはり無難なのはパスタだろうか。色々見てみるとイタリア料理は偉大な物だ。世界中の誰も、これを出されて不満を言う人はいないのではないかと思ってしまいます。

でもほとんど動かないで、食べているから身体にはたっぷりと皮下脂肪と内臓脂肪がたまることでしょう。後が怖いです。

機内食1

1回目の機内食 トルコのエフェスビール

1回目の美味しい機内食  トルコのエフェスビール

 2時35分に食事と飲み物が配られてきた。先ほどのメニュー表に、“EFES”というビールが書いてあったので、今回はそれと、食事はリガットーニのパスタをお願いした。

配られてきたものはメニュー表の通りで、色とりどりで味も良く美味しいものだ。塩、オリーブオイル、バター、チーズが付いてきている。

そのころ機は日本海を北上しシホテアリニ山脈を横断してハバロフスクに向かっている。

3時05分に食事を終了したのだが、EFESビールは、ピルスナータイプで飲んだあとの口中がサッパリとして爽やかで嫌味がない。これはトルコでもっとも有名なビールの1つなのに、なぜ最初の時にくれなかったのだろう?これからはEFESだけ飲むようにしよう。5%33clはヨーロッパタイプの缶ビールの基準のようだ

機内2

 5時30分にバイカル湖の北側を飛んでいる、とモニターには映っている。機の航跡を見ると日本海を蛇行して北上しているのだが、これは北朝鮮の領域を避けているのだろう。2月28日の新聞には、北朝鮮が日本海に短距離ミサイルを発射したと言う記事が載っていたのだが、やはり危ういところは大きく迂回すべきだ。

機内のギャレー 自由に利用できるギャレー

機内の後ろと中央のギャレーには、メニュー表の通りにサンドイッチやおにぎりが置いてある。トイレのついでと運動がてらにそれらを貰いに行くことはストレッチにもなってちょうど良い。CAの労働軽減にもなることだ。

6時24分、あと5100kmのところまで来た、これまで4時間42分飛んできたとモニターに表示されているので、あと6時間ほど我慢すればイスタンブル空港に着陸する。機は高度9753mを時速931kmで飛んでいる。

5時頃は冷気が来ていて寒いくらいだったが、7時頃は暖かくなり衣類を1枚脱ぐ人もいるなど、機内の温度は不安定になっている。

8時25分、ウラル山脈の南側を横断中。

時計を替える

 今回時計を2つもってきた。1つは日本時間で、1つはトルコ時間にあわせてある。

ところが、これが後でちょっと面倒なことになるとは、この時はまったく気が付いていなかった。2つの時計は無くしても良いようにもちろん1000円の安物だ。

時差が7時間あるから、今は日本時間20時44分、トルコ時間は13時44分と言うことになる。とにかく巨大なユーラシア大陸を横断するのは時間がかかるので、暇をもてあましてしまうのだ。その中で、今回は背中と腰が痛くならないのがせめてもの慰めになっている。貧乏揺すりや、水を時々口に含んだりして、エコノミー症候群にならないようにするだけだ。

今、午後2時30分、東ヨーロッパ平原のニジニノブゴロドの辺りを南西に向かい、ウクライナ共和国のハリコフに向かっている。左の方向に冬季オリンピックのソチがあるのだが、今はそんなの関係ない。あと3時間でイスタンブルに着くが、距離にすると2500kmもあるという。ロシアはとてつもなく広い国だ。

今回は時計を2つ持っていき、一つは日本時間、一つはトルコ時間に合わせてあります。

でもこれが後でちょっと面倒を引き起こすのです。

1000円の安物時計は、アメ横に行けば大量に売られています。

トルコ航空は、何かとサービスがよいのです。何しろ離陸する前からサービスが始まるのですから驚いてしまいます。その後も何かとサービスがあり、何か恐縮してしまいます。

でも人間はそれを当たり前のように受け入れてしまう動物でもあるのです。


離陸
 12時50分になって機はようやくスポットを離れて、滑走路への移動中にお菓子が配られてきたではないか。それはギュウヒのような生地にナッツが練りこまれ1.5cm立方のものだった。甘くて美味しいが歯に粘り着く感じのものだ。これはウェルカムスウィーツと言ったところだろうか。初めての体験だ。

17分もかけて、1時07分にようやく滑走路の端にたどり着き、09分にフルスロットルで滑走をはじめて40秒後に離陸をした。

成田周辺の谷は、昨日の雪で一面の銀世界になっている。

サービスセット 初体験のサービスセット

1時20分になると、まだシートベルトサインが消えていないのにキャビンアテンダントが何かを配ってきた。配られたケースの中を見ると“室内履きの靴下、アイマスク、歯ブラシセット、耳栓、リップオイル”のセットが入っている。これも初体験だ。そう言えば座席には既にスリッパが置かれていたのも初めてのことだ。

トルコ航空の機内サービスは今までにないことが多すぎる。

機内

 成田・イスタンブル間の飛行は、新潟・ウラジヴォストク・ハルビン・イルクーツク・シベリアの南部・カスピ海北部を通って黒海を斜めに縦断していくようだ。その距離は約9000km11時間10分のフライトだそうだ。機体は既に高度9000mを時速850kmで飛んでいる。

ワインとビール 味はそこそこのビールと白ワイン

1時36分になると“おしぼり”52分に飲み物のサービスが始まった。「トルコのビールを下さい」と言ったらデンマークの「TUBORG」(5%、33cl)をくれた。デンマークのものなんてここでは飲みたくもないが、くれたものは仕方がないから飲んでみると、これはあまり美味しいビールではない。

白ワインもお願いすると、トルコ製のもので14%、187.5mlのものをくれた。このワインはまだ熟成が進んでいないというか何というか、飲んだ時に舌にぴりっとした刺激を感じるもので、まだマイルドな感じがしないものだ。機内サービスで質の高いものを要求する方が無理なことなのだが、欲望には際限がない。おつまみは干したアプリコットで、それほど旨いものではないが文句は言えない。

2時15分になると、機内食のメニュー表が配られてきた。それによると、このあとに配られる食事、フライト中に自由にセルフサービスで提供してくれる食べ物、着陸前に配られる機内食のメニューが書いてある。

それによれば、最初は“マリネされたエビ”“新鮮野菜サラダ”“プロフィトロール(シュークリーム)”に加えて“焼いたタラ、ブロッコリー、ミニトマト、サフランライス”又は

“トマトソースとパルメザンチーズのソースで和えたリガットーニ、ズッキーニのソテー、ブロッコリー、ミニトマト”のどちらかを選べと書いてある。

セルフサービスは“チーズサンドウィッチとツナサンドウィッチ”“フルーツケーキ”“鮭のおにぎり”“梅干しのおにぎり”を準備してある。

着陸前は“新鮮サラダ”“鶏もも肉のソテーのマッシュルームソースがけ、ほうれん草とニンジンのソテー、ご飯”“チョコレートムース”“パン”を出す。となかなか充実をしている。


これから長い長い機内生活がはじまります。

これさえなければ海外旅行も良いのですが、やむを得ません。エコノミー症候群にならないように、体を定期的に動かし続けました。




いよいよトルコへ出発する朝がやってきました。いつも思うのですが、成田はやはり遠いです。これだけ東京から離れたところに飛行場を作ったのですから、交通費がもっと安ければ良いのにといつも思っています。
日本は、飛行場や高速道路などを建設しても、そこへのアクセスを考慮しないので、利用するこちらはいつも不便を我慢させられ、高い料金を払わなければなりません。
成田はその最たる物です。まったく・・・・・・。



11月13日(木)

出発

 朝は5時30分頃には目が覚めてしまったので、いつものバナナを食べてから、もう一度手荷物を確認するのは心配性だからだ。飛行機の離陸時間から逆算して、玄関にカギをかけた時は8時05分。横浜駅に着いたのは8時30分。YCATでリムジンバスに乗れたのは8時40分だった。電車内は通勤通学時間の状態が感じられたが、満員のラッシュ状態ではなく、リムジンバスの車内を見ると42席のバスに28人が座っている。それでも、今まで利用してきた中で一番の乗車人数だ。

通勤と仕事の間の時間帯なのだろうか、バスは快調に高速道路を走り始めていた。

8時50分、ベイブリッジを通過中。外は冬の寒気が強いのか、工場の煙突から出ている真っ白な水蒸気が北風に吹かれて南へたなびいている。

千葉の君津にある新日鉄も霞がかかりうっすらとしか見えない。立春を過ぎているので、春霞と言いたいのだが、季節感はまだ冬だ。

9時大師橋、08分大井、10分お台場、20分ディズニーランド、30分習志野、39分宮野木、55分成田料金所と順調に通過し、10時に成田の検問所でチェックを受けて10時08分に第一ターミナル南ウィングにリムジンバスは停車した。


成田空港

  JTBカウンター  HISに並ぶ大学生

 JTBの受付で手続き中    HISに並んでいる大学生達

JTBの受付はいつものKカウンターにある。受付に15人ほどの同行者が列を作っていたので、ほかの係の人と旅行保険(1人5500円)に入る手続きを先にしておいた。やがて順番が来たので、今回の添乗員の毛束さんから、eチケットとイヤホンガイドをもらい、これからの行動の連絡を受けたのが10時32分。トルコ航空のIカウンターで搭乗券をもらい、スーツケースを預け、アライアンスのマイレージカードを作った時は10時40分。搭乗券には12時10分までに34番ゲートへ来るように書いてあった。

そういえば、HISのカウンターには若い人が列を作っている。どうも大学生が卒業を前にどこかへ卒業旅行にでも行くのだろう。若いうちに見聞を広げることはとても重要なことだが、それをいとも簡単に実行できる姿を見て、今時の大学生は恵まれていると言うのが感想だ。

添乗員の毛束さん 添乗員の毛束さん

時計塔の近くに座って、持参したパンとみたらし団子を食べ水分を補給したのが、11時05分。15分になったので旅行団が集合し、毛束さんから注意と連絡を受けてから搭乗手続きに向かった。39名の同行者なので、何をするにも時間がかかってしまい、手荷物のチェックがすんだ時には10時50分になっていた。54分に出入国審査でパスポートにスタンプをもらい34番ゲートへ向かって歩き始めた。

途中の両替所を覗いて、100ドル=10519円で交換したが、この日のレートはドル105.19円と円安で比率は良くない。トルコリラはトルコの空港で両替しよう。

34番のロビーで待っていると、12時10分に綺麗なお姉さんが来てパスポートと搭乗券の照合チェックをしていった。搭乗券にはTK51便35E、D席と書いてある。

機体はボーイングB777-300ERとパンフレットに載っていた。

25分から搭乗が開始され、席に着いてほっとした時は40分。離陸は40分のはずだがまったくそのような気配はない。

34F席を見ると女性が弁当を食べている。その女性は食べ終わると、ほかの空いている席へ移っていってしまった。だから35F席は空席になった。


飛行機に乗る時は、いつもエコノミークラスですから、座席がどうなるかは大きな問題です。10時間近くのフライトをどう過ごせるかは、旅行開始時のスタミナと大きな関係があるのです。



最近は旅行の準備をすのがおっくうになっています。そして10時間以上も飛行機に乗ることもおっくうになっています。

現地に行ってしまえばいいのですが、それまでの心構えにスタミナ切れが起きているのでしょうか。

とにかく、気持ちを奮い立たせて、出発前の準備をしているのです。

本当は楽しい気分なのでしょうが、どうもいけません。


はじめに

 トルコはオスマントルコなど歴史的にとても重要な役割を果たして来た有名な国だが、近年は経済混乱もありその重さが低下しているような気がしてならない。

しかし、日本とトルコはアジアの西の端と東の端にもかかわらず、エルトゥールル号事件や日露戦争、イラン人質事件などで、その心理的・感情的な距離はとても近く感じられている。そう言えば、暮に上野アメ横へ行った時、何軒もケバブ売りの屋台が出ていたことに驚かされ、気軽に「メルハバ」と挨拶をしたことを思い出した。

そこで、この前、地中海の西の端にあるスペイン・ポルトガルへ行って来たので、今度は東の端にあるトルコへ行こうということに決めた。調べてみると、トルコを訪れる日本人観光客はとても多く、評判が良いので、旅行会社も様々な企画を組んでツアーを実施していた。もちろん、旅行代金が安い時期の企画を組んでいた旅行を探したので、冬のシーズンオフになってしまうのはやむを得ない。

冬の旅行の大きな問題点は、衣服をどうするかだ。インターネットで旅行直前までトルコの気象予報を見続け、気温のチェックをすることはとても重要になってくる。その点は昔よりもずっと便利な時代になったとは思うのだが、トルコの内陸部は、最低気温がマイナス4度にまで下がると表示されていたので、その気温を十分に考慮しなければならなくなった。しかし、イスタンブルは20度近くになるとも表示されていたので、その差に困ってしまう。

さらに天気予報が「晴れのち曇り時々雨」などとも表示されていたので、カサはどうする、靴はどうする、ビニールのレインコートを持っていくか、等々頭を悩ますことがたくさん出てきたのだ。結局、寒さに備えることが重要になるので、「大丈夫だろう」と思いながらも持っていく服が多くなってしまった。日常生活で着ている物を重ね着していくことになったのだ。

肌着・下着・靴下を宿泊数分、トレーナー、ジャンバー、ウィンドブレーカー、換えズボン、カラーシャツ4枚、タオル2枚などをケースに詰め込んだのは出発の前日。ネックウォーマー、手袋、帽子、厚手のコートは日本から身につけて行かねばならない。もちろんロングTシャツやジャージーの上着は中に着ていくことになる。さらに、トルコに着いた日の夕食や、移動中に食べるお菓子も準備して行くことにした。

あれやこれやと追い立てられながらの準備だったので「大丈夫だよな。忘れ物はないよな」と一抹二抹の不安を抱きながら前日の眠りに就いた。

もちろん、そのほかにも「ハトガマメクテパ」のお題目で持っていくものを確認していたことはいうまでもない。


出発前の慌ただしさというか不安というか、何となく気もそぞろになってきました。いつものことで、帰国してみると使わなかった品や着なかった衣服などが結構あるものですが、次に旅行するときはその反省は不安に負けているのです。結局荷物は多くなっています。それも使わなかった物で。