コンヤという町に向かっています。窓から見る景色は乾燥という言葉しかありませんが、その中にもとるこの人は工夫をしているのです。

それにしてもトルコはとても広いです。


車窓観光

話している間に30分近く走り、2時05分になっていた。この辺りの谷幅は20km位だろうか。この谷を既に10km以上は走っているのだろうが、前方を遮るものは何もなくずっと平野が続いている。

毛束さんの余談

パムッカレで骨折したらしい人の情報を話し始めた。

「○○社の旅行団の人が手首を骨折したそうです。添乗員が、病院に行くと、通訳代が2万円かかると言ったら、その人は我慢すると言って、そのまま旅行を続けているそうです。とても信じられません。先ほどのレストランでは、その方は一緒に食事をしていたそうです。私だったら、お金のことはさておき、すぐに病院に担ぎ込みます。それが我が社の方針ですから、このような処置は信じられません。それにしても、その方は痛いでしょうねえ。それを考えると体に震えが来てしまいます。」

何とも信じられない話だ。嘘じゃないだろうかと思ってしまう。

今バスは、コンヤへ向かう高原を走っている。高原は一面の畑で自然の樹木は一本もなく、はるか地平線が見えている。トルコは山地が多く、平野はほとんどないと思われているかも知れないが、そんなことは全くない。広大だ。

畑の中の木 夏は日陰を作る畑の木

畑にはホウキを逆さまにしたような木がパラパラと植えられている。カディルさんの話では、トルコの夏はとても暑い。夏は炎天下で農作業をすることになるが、あの木はそのころ葉を茂らせてくれるので、農民の休憩所を提供してくれるのだそうだ。しかし、景色はそのままで変化もせず単調である。

車内には、当然、睡魔が襲ってきて、エンジン音とタイヤが道路をこする音が睡眠薬になっている。3時30分、コンヤの新市街地に入ってきた。

直線の大通りは時速50km以下に制限されているので、実にゆっくりとバスは走る。

やがて右側にメブラーナ大学と、その隣に高層ビルのリクソスホテルが見えてきた。

道路に沿って真新しい路面電車が走っている。


コンヤの町は、昔のトルコと現在のトルコと併せ持った町です。

新しい町から昔の町へ向かっています。

トルコ風のピザのピデというものをを食べました。タバスコはもちろんありません。一味唐辛子をふりかけて食べましたが、味は・・・・。


デンぺット・デミレラル(Dempet Demireller)の昼食

12時50分、Dempet Demirellerというサービスエリアに入った。この辺りは東西南北から高速道路が入ってくる変則的な交差点になっているが、このレストランはその交差点の角に作られている。パムッカレからコンヤへ移動する時の中継点として、観光ルートになっているようだ。だから、ここでも我々のほかにも4台のバスが駐車している。もっともこのバスはそれまでも付かず離れずずっと一緒に行動をしている感じがする。

4月15日の昼食1 左焼きプリン、右細切りサラダ
4月15日の昼食2 トマト味のスープ
4月15日の昼食3 2種類のトルコピザ(ピデ)
ここでの昼食メニューは

1.サラダ レタス、キャベツ、ニンジン、レモン

  なぜか全て細切りにしてあり、それをフォークで食べるので面倒く

  さい。

箸なら簡単なのだが。

2.デザート? 焼きプリン

  なぜか最初にデザートが出てきたのだが、なぜだろう。

3.スープ

  トマト味で、ジャガイモのトロ味を付けてあってハーブが入ってい

  る。

  ヨーグルトが入っているのだろう。酸味が感じられるがマイルドな

  味なので美味しい。

  テーブルのパンと同時に食べても美味しかった。

4.トルコピザ(ピデ)

  厚さが3mmほどのものが2種類6枚ずつ出てきた。日本だとタバ

  スコなどで味を調えるが、トルコでは一味トウガラシを振りかけて

  食べる。

  もっとも、日本でもタバスコはアントニオ猪木が中南米から輸入し

  て販売してから、テーブルに定着したのだから、食べ始めたのはそ

  んなに昔のことではない。

  ピザに使われていた肉は羊の挽き肉であった。

何とか食べて、1時29分に出発。


毛束さんの話

 移動中の車内では、これと言った話題もないので、毛束さんがマイクを取った。「皆さん、お土産のご案内をしましょう。

トルコのお土産によい食べ物としては、チョコレートがあります。トルコのチョコレートは有名で、「エティ」と「ウルケル」の2社があります。このチョコレートはトルコの政党も表していますので、トルコの人は大抵自分が支持する政党を表すチョコを食べます。ところで、カディルさんはどっちが好きなの?」「それは言えないよ!!」「いま、エルドアン首相は、イスラム色が強めの政策を出して支持率を低下させていますから、トルコの政治は微妙な状況なのです。ところで、ベルギーのゴディバをトルコのウルケルが買収していることはご存じですか?ウルケルは1.1リラくらいで、赤やゴールドのパックがあります。青いのはピスタチオが入っています。私は、エティをお勧めします。

クッキーはエティの赤箱入りのものがあります。TUKUというロゴが入っています。

紅茶はリプトンなどのチャイがお勧めです。

クノールのスープはどこにでもありますが、ここではトルコ風味になっています。

SALEPというドンドルマアイスがあります。これは紫のパッケージですが、中身を取りだして作るとミルクっぽく甘くて冷めにくいものになります。ナッツはヘーゼルナッツがよいでしょう。あとはパスタもお勧めです。ちょっと重量がありますが。」


その後、トルコの選挙ではエルドアンさんが勝利したようです。今後どう変わっていくのでしょうか。

それにしても、ベルギーのゴディバは2007年にトルコのウルケルという会社が買収していたなんて初耳です。それまではアメリカのキャンベルの子会社だったそうです。トルコを侮れません。

トルコの人たちが日本親切なのは、エルトゥールル号事件があったからです。

人間は他人から受けた恩を忘れないようです。明治時代のこの事件を忘れずに、現代の日本人もトルコに対してもっと目を開いていくべきだと思わされました。


トルコの石灰岩

 なぜトルコにこのような地形が現れたのか?数億年前、ヨーロッパから東南アジアにかけてテチス海という細長い浅い海があった。その海では数億年という長い時間をかけて珊瑚などが生息し大量の石灰を蓄積させてきた。その後、地殻変動が起きてテチス海は隆起し、一部はアルプス山脈やヒマラヤ山脈となって現れている。確かにアルプスの登山電車のトンネルを走ると、その壁には白い石灰層が何本も見えていた。パムッカレの石灰段丘もそのように堆積した石灰岩が、温泉のお湯で溶かされ再結晶したもののようだ。

ここパムッカレも、大きな石灰岩の採掘鉱山や、大理石の採掘場もあり、昔からヒエラポリスなどの建築材料に使われてきている。

ギリシャやエフェスなどの遺跡や神殿もこれらの石灰岩・大理石を利用しているから、少なくとも数百kmの地域に渡って石灰岩が分布しているのがわかる。

別の見方をすれば、かつてトルコは亜熱帯の暖かい海の底にあって珊瑚が大繁殖し、その後トルコが地殻変動で強烈な圧力を受けて大理石などを作りながら、大きく隆起をしたことを物語っているのだろう。

エルトゥールル号の話

 バスはコンヤに向かって走っている。カディルさんが「トルコと日本は明治時代の出来事から友好関係が深くなりました。みなさんの中にもご存じの方がいると思いますが、それはエルトゥールル号事件です。1899年にトルコのエルトゥールル号が日本を親善訪問しましたが、和歌山県沖で遭難しました。それを見つけた和歌山県の村の人たちが、献身的に救助活動をしてくれたのです。それをトルコは大変感謝し、学校の教科書にもこの出来事が載せられています。ですから、この出来事はトルコ人ならみんな知っています。そして、イラン・イラク戦争で1985年にイラクのサダムフセインがテヘラン爆撃を宣言した時には、トルコ航空がテヘランの日本人を救出に向かったのです。これはエルトゥールル号への感謝もあるのです。」と話をして、それに関するビデオを放映した。

このような事件があったことから、トルコの人たちは、日本に親近感を持っているという。

車窓より

 10時00分、外は小雨が降っている。運がよいのだろうか、バス移動の時に降っている雨も、観光の時にはほとんどやんでいるのだ。DVDを見ている間もバスはコンヤを目指してひた走り、細長い平野はその幅をだんだん狭くしてきた。道沿いの畑は小規模に分割され冬小麦の緑と、何かを収穫した後の茶色の2色になっている。

トルコに対するイメージは乾燥し、平野に乏しいという印象があるが、今は湿度が高く豊かな地味を有しているという印象になってきている。

10時30分、幅の広い平野に出てきた。右手には山が全く見えず、32分にはアジケル湖という水の色が白っぽい大きな湖の畔に出てきた。この湖の水は苛性ソーダを含んでいるので、塩田のようにソーダの生産を行い、ところどころに大きな苛性ソーダの山が真っ白に輝いている。
ソーダの山  ソーダ工場

アジケル湖岸のソーダの山  ソーダ工場の水蒸気
そのそばには、
ソーダの精製工場があり、煙突から水蒸気を上げていた。雨も上がってきたようだ。

この辺りから、道路はなだらかな丘が続く平野を一直線に走っている。右も左も地平線ばかり。既に海岸からは150kmも内陸に入っているので気候的には乾燥しているように見える。自然の樹木が全くといって良いほど見えない。すれ違う車もほとんどなく、時々遙か遠くの村の、ミナレットが見えるだけで、もちろん畑にも人は見えない。

このように、村もほとんど見えないところに畑があると、農家の人はどうやって農作業に来るのか不思議になってしまう。

11時06分、前方に壁のような山が迫ってきた。その山を越えていくのだが、1時間以上走ったので、ディナルという町のはずれにあるドライブインで休憩になった。

濃厚なヨーグルト 濃厚なヨーグルト、味は絶品

ここの名物は濃厚なヨーグルトで2リラだというので、食べてみることにした。お皿にヨーグルトをのせ、濃いハチミツをかけ、ケシの実を振りかけてある。スプーンでよく練ると、粘りをより増し、皿を逆さまにしても落ちない。ほのかに甘酸っぱく口の中に牛乳の味が残るのがよい。

この濃いヨーグルトは、普通のヨーグルトを布袋に入れ、2~3時間ぶら下げておけば水分と固形分が分離して出来るそうだ。水分のホエーは冷やして飲むと良いそうだ。

11時30分出発。

前方の山を越えると、谷底平野がずっと続いていく。この辺りは昔からケシの栽培が盛んだそうだが・・・・。ケシの実のほかに何を生産しているのだろう。

左右の山は石灰岩と大理石、山肌にはずっと石灰岩の露頭が続いている。畑には石灰岩の石ころがごろごろしているし、斜面の土は石灰岩が風化して出来た赤土か、ベージュ色になっている。黒土というものはない。山には木がほとんど見られないのは、乾燥していることと、土壌が薄くて木は根を張れないのだろう。

平野にはサクランボの果樹園が広がり、その間には小麦畑が緑色のアクセントを付けている。何でも2013~4年にかけては山の雪が少ないので、春から初夏に雪解け水が期待できないため、水不足になるのではと心配しているそうだ。

田舎のモスクのミナレット 村には必ずモスクとミナレット

村にはモスクがあり、モスクには必ずミナレットがある。そこから毎日5回、礼拝の時刻を告げるアザーンがながされる。ミナレットは、そのモスクを寄付した人数を表しているそうで、1本なら1人、2本なら2人、最大のものはイスタンブルのブルーモスクで6本建っているそうだ。

山には相変わらず雲がかかって雨が降っているようだが、平地はやんでいる。外気は7度くらいだが、車内は蒸し暑くなっている。

バスは、時々緩やかにカーブをするが、すぐに直線道路を数十分ひた走ることを繰り返している。


皆さんトルコへ行ったら、ヨーグルトは絶対に食べてください。とても美味しいです。日本で食べているヨーグルトとは違った食感で今になっても懐かしいのですが、日本でそれを食べることはできません。

それを食べたら、日本のものはヨーグルトではない感覚になります。

ヒエラポリスはなぜできたのでしょう?おそらくそこに水があったから、そして温泉があったからではないでしょうか。とにかくギリシャ・ローマ時代の人は水と温泉が大好きですから。


ヒエラポリス・パムッカレ

バスは丘陵を左右にカーブしアップダウンを繰り返していくが、霧がどんどん濃くなって視界が200m以下になってしまった。やがて前方が白く輝くようになり、パムッカレの景勝地が見えてきた。8時20分、ヒエラポリスの駐車場に到着。

特徴ある屋根の受付事務所でカディルさんがチケットをもらい、ゲートからヒエラポリスの遺跡に入っていった。案内板の前でカディルさんが「皆さんこれがヒエラポリスの全景です。中央に横に描いてある道路をたどっていくと195kmでエフェソスに行けます。ヒエラポリスとは、ヒエラ=幸福、ポリス=町という意味です。観光地としてはカッパドキアが一番で、ヒエラポリスが2番目でしょうか。」ゲートを入って60mくらい進むと「皆さん、これがヘレニズム時代に造られた壁です。ギリシャとローマの形式が融合されていますので、グレコローマンと言います。」グレコローマンとはレスリングのスタイルでも使われているではないか。


ヒエラポリスの住居跡 ヒエラポリスの住居跡。中央は上水道
さらに歩いていくと、何の変哲もないだだっ広い土地に、石がごろごろ転がっているところに出た。「皆さん、ここがヒエラポリスの住居跡です。地面に石の溝がありますが、これは排水溝で、陶器のような土管は給水管です。とても広いですが、当時の人口は、劇場の収容人数×3で計算されています。それによりますと、ヒエラポリスの劇場定員は合計で10万人ですから、人口は30万人いたと言うことになります。」

さらに進んでいくと、左手は石灰華の段丘、右手はアンティクプールへ行く分岐点になった。「左手に行くと、足湯体験ができます。滑りやすいですから十分に注意をして下さい。ここで自由時間になりますが、集合は9時15分に、右手の奥に見えます、アンティクプールの入り口の前となります。それまでに、足湯体験をし、プールを見てきて下さい。」ということで、まず石灰段丘での足湯体験に向かった。

この段丘は、ここの温泉が地下の石灰を溶かして湧き出し、地上でその石灰を分離するという化学反応を何万年何十万年も続けてきた結果であるという。地下でその作用が起きると鍾乳洞になるはずだ。

石灰を見ると、大学入試の時に、石灰の化学反応式が書けなかったことが、昨日のように思い出されてきてしまう。いい加減でそのトラウマからは抜け出したいのだが・・・。

足湯につかる女子大生   アンティクプール

足湯につかる女子大生     アンティクプール

板張りの歩道の下に、湧き出した温泉が流れ出ている。それは石灰棚の溝に続き、そこでは観光客が足湯を楽しんでいる。板張りの歩道で靴を脱ぎ、裸足で足湯の出来るところへ歩いていくのだが、石灰岩はその表面がヌルヌルしているので、滑りやすくて危険だ。

ショルダーバッグを掛け、自分の靴を持って歩くからなおさらになる。温泉が流れる溝を見ると、緑の藻が生えている。雑巾を敷いて座り、溝に足を浸してしばし暖まることにしたが、流れが強くてお湯に足を取られそうになるくらいだ。温度はぬるま湯程度。

8時55分に、もう良いだろうと思い、十分に注意しながら立ち上がり、もとの板張り歩道に戻って靴を履き、アンティクプールへ進んだ。ゲートの前の大きな雄鳥を見てから、プールへ行ったが、そのプールにはクレオパトラが入ったという話もあり、水の中には昔の建物の柱の残骸がいくつも横たわっていた。プールのゲート前に9時15分集合。

ザクロジュース屋さん どこにでもあるザクロジュース屋さん

左にあるザクロジュース屋さんを見て出口に出発。

その時、ほかの旅行社の団体の中に、足湯体験で足を滑らせた人がいて、1人は服がびしょぬれになり、1人は腕を骨折したという情報が入ってきた。我々の同行者は誰も事故が無くまずは安心。再び、ヒエラポリスの遺跡を歩いて駐車場に戻り、9時32分にコンヤに向かって出発した。


今は廃墟となっているヒエラポリスですが、その地域に家や様々な建築物を想像してみると、良いところだと思います。後は食べるものがどうであったかが解決すれば、ここに住んでみたい気持ちにもなります。何しろ温泉がありますから。

皆さん、ギュナイドン(おはようございます)。

今日は、トルコのパンをお見せします。

他の国の朝食も何度か食べましたが、トルコはパンの種類がとても多いので驚きです。それも美味しそうなものばかりです。


2月15日(土)

朝食

 5時30分に起き出して、今日の準備をしはじめた。外は小雨が降っている。パムッカレに行くのだが、そこでは足湯体験などもあるから、足ふきや靴袋を持って行かねばならない。傘も持っていくのだが、これが荷物になる。

そのうち6時15分になったので、食事に行くことにした。

4月15日の朝食 ヨーグルトたくさんで大満足の朝食
メニューは

キュウリ、トマト、チーズ、ソーセージ4種、ゆで卵、ドーナツ、ペストリー、牛乳、

ヨーグルト

野菜は新鮮で美味しい。チーズは塩味が強いのがトルコの特徴なのだろうか。ヨーグルトは相変わらず濃厚で美味しいためトルコでは多めに取るようにしている。

嬉しいことに、牛乳はホットだったので丁寧に飲むことが出来た。

食べ物の味はマイルドでクセがないから、どれを取っても外れたという感じがしないのがよい。ただ色々食べたくなるので、食べ過ぎには注意しないといけない。

4月15日朝食のパン1  4月15日朝食のパン2

とにかくたくさんの種類のパンが提供されています

トルコのバイキングでの特徴の1つは、パンの種類がたくさんあることだ。このホテルの場合は、色々取り混ぜて20以上の種類が並べられていたのだ。彩りも豊かで味も変化があって面白い。残念なのは、種類が多すぎて全てを味見することが出来ないことだ。

6時55分終了。

出発

 部屋に戻り、7時00分に荷物を廊下に出した。出発は8時なので、1時間ほどゆったりと部屋でくつろいでいると、ロビーへ行く時間になった。バスは既に来ていたので、座席を確認すると右側の前から3列目。毛束さん、カディルさんに朝の挨拶をすると、既にほとんどの方が座っていて8時01分出発。

毛束さんが「皆さんおはようございます。今日の運転もムスタファさんとシャダンさんです。よろしくお願いします。」拍手「皆さん、お忘れ物はありませんか。今なら引き返すことも出来ますが、後で気がつくと大金が必要になります。大丈夫ですね。今日はこの後パムッカレに行きますが、足ふきとビニール袋は準備してありますか?せっかくトルコに来たのですから、この後、毎日トルコ語を覚えましょう。今日は“ありがとう”です。ありがとうは“ティシュキュレ”といいます。“ティッシュペーパーをくれ”から連想すると良いでしょう。では練習しましょう。“ティシュクレ”」「はい良くできました。トルコ語は日本語とよく似ています。“さあ始めよう”の“さあ”は“サオール”と言います。“羊”は“ケチ”です。“ジジ”はかわいい、“ババ”はおじさんです。ですから“ジジババ”は“かわいいおじさん”になります。」

と毛束さんの講義を受けながら、バスは新築の家がたくさん建っている農村地帯のでこぼこ道を走っていく。建築中の集合住宅がいくつも見えるが、1階部分の面積よりも2階以上の方が広いという、およそ考えられない構造になっている。さらに、建物を支える柱が実に細いし、その数も思った以上に少ない感じがする。地震でも来たらそのほとんどが倒壊するのではないだろうか。トルコは地震国なのだが。


本当にトルコの食事は美味しいです。

これは自分に合っているからでしょうか。

 パルムホテルのパルムとは、石けんやマーガリンで知られているパーム椰子のことです。キリスト教やイスラム教ではとてもよく知られている植物で、イースターの直前にはパルムサンデーという日が設けられているくらいなのです。この日に教会へ行くと祭壇にパーム椰子の葉が飾られています。


 パムッカレのパルムホテル
パルムホテル7号棟  パルムホテル外プール
宿泊した7号棟       冷たい外プール
 バスが出発すると、毛束さんがマイクを取り、ホテルの連絡を始めた。「皆さん、今日泊まるパルムホテルは、客室がいくつかの建物に分かれています。私たちは
7号棟で、私の部屋は7027号室です。明日の朝のモーニングコールは6時00分、朝食は6時00分からとなっています。荷物は7時までに部屋の前へ出して下さい。出発は8時00分です。」と話し終わってしばらくすると、バスは近道をするために6時35分に左折をし、7時06分にパルムホテルに到着した。
 

ロビーでチェックインを待っている時に「このホテルは、NHK国際放送が19チャンネルで映ります。部屋番号の下二桁が00~10までは1階、11~20が2階、21~30が3階で、3階までしかありません。ですから、エレベーターはありません。部屋にポットはあります。夕食の場所をご案内しますから、7時40分にこの場所にお集まり下さい。また、このホテルは温泉がありますから、利用したい方は後ほどご案内いたします。」と連絡を受け、7015号室のカギをもらって外プールと室内プールの場所を案内されてから7号棟へ移動していった。外は小雨が降り続き、通路は濡れて滑りやすい。部屋についても、荷物を解く間もなく、すぐにロビーへ移動しなければならない。ロビー棟に集合すると、廻り階段を使って2階のレストランへ上がっていった。レストランはほぼ満員の人が食事をしていたが、ほとんどが日本人観光客のようだ。7時45分に、左手にある円テーブルに席を確保してから、バイキング形式で料理を取りに行くのだが、料理はレストランの外に並べてあり、そこまでは2~30mも歩かねばならない。料理の種類や品質はよいのだが。
パルムホテル夕食1  パルムホテル夕食3

パルムホテル夕食2 とりすぎてしまった夕食
取ってきたメニューは

 トマトスープ、ご飯、ナスの挽き肉煮、ポテト、マッシュルーム、ピザ、ヨーグルト、キュウリ、トマト、大根、ナスなどで少量ずつを心がけている。少量と言っても、どうしても全体量が多くなってしまう。ただトルコの野菜が新鮮で美味しいのはとてもうれしい。 

隣の席では、ドイツ人の観光客がスナップなどを見せ合って楽しそうだ。8時30分食事終了。

 

7015室
 パムッカレは温泉地域で、このホテルにも温泉が引かれている。このホテルは、作られたのは比較的最近のようで建物は新しい感じがする。3階建ての建物を10以上配置してあり、中央が玄関ロビー・レストラン棟、その裏側が屋外プール、その裏側にお風呂のような室内プールがあった。宿泊棟は右手にあり外を歩いて行かねばならないのに加えて。今日は小雨が降っているので傘を差さねばならないのは不便だ。おまけに通路は滑りやすくて危ない。
7015号室 きれいな7015号室
7号棟の7015室だったから2階だ。各階に10部屋があるので、この棟だけで30部屋ということになる。宿泊棟は中央に吹き抜けのパティオを持ち芭蕉などが植えられ、天井は透明の板で覆われ明かり取りになっていた。壁は明るいパステルカラーなので、光を反射して明るさを増している。
部屋にはベランダが付いている。しかし、ベッドには毛布がないので、クローゼットから取りだして眠ることにした。NHKの国際放送は映るのだが、画面がチラチラして見にくいし、日本のニュースはほとんど流していない。このホテルはパルムという名にちなんだのだろうか、敷地内には何本ものフェニックスを植えてあった。敷地の隣の斜面には赤松が植わっている。そういえばトルコは、松茸の産地として、日本にも数年前から輸出しているという。日本を連想させるものに温泉があるが、パムッカレの温泉はその湧出量を国がコントロールしているそうだ。最近は湧出量の関係で国がバルブを閉めているようで、パルムホテルの室内プールも今年限りのようなことをカディルさんが話していた。
プールで泳ごうと思ったのだが、外プールは水なので今はとても無理。室内プールはとてもプールという感じではないので泳ぐことはやめにした。と言うより、とっても疲れていたのだ。9時頃に部屋に戻ったのだが、そのままベッドに倒れ込んでしまい、ふと目が覚めた時は12時になっていた。ノタノタとカメラの充電をして歯磨きなどをして、またそのまま寝てしまったのだ。いつも不眠気味なのに寝てしまったのだから、相当疲れていたのだろう。

 

 パルムホテルのプールはお薦めではありませんでした。

日本では女の子が生まれると、桐の苗木を植え、お嫁に行くときにはそれを切り倒してタンスにして嫁入り道具にしたという話が昔からあります。

トルコでは女の子ではなく男の子が生まれるとポプラを植えるそうです。もちろん都市ではできませんが。


車窓観光

 セルチュクを出発したバスは、20kmほど北上してから東に道を取り、南北の山地に挟まれた幅7~10kmの肥沃そうな谷底平野を進んでいく。平野のほとんどは果樹栽培が行われ、オリーブが植えられている。道路沿いにはユーカリが、家々の周りには糸杉やポプラが植えられ高く高くのびている。
トルコのポプラの木 子供のために植えられたポプラ
カディルさんの話では、トルコでは男の子が生まれると敷地に数十本のポプラを植える習慣があるという。これはその子が生長してからの資金にするためで、その時が来ると切り倒して、お金に換えるのだそうだ。カディルさんも、自分のために植えられたポプラを切り倒し、それを次の資金にしたそうだ。

ふと前方を見るとフロントガラスが濡れている。見ると、左前方の山が真っ白に煙っているから、その雲が降らせているのだろう。雲が通りすぎると暖かい日差しが指してくるので、雨は2~300m幅の帯で降っているのだ。天気予報で「晴れのち曇り時々雨」という訳の分からないものがあったがその通りだ。雲の切れ目から、太陽の光の柱が平野に降り注いでいる光景を見ていると、光の柱は神のお出ましを感じさせられる。昔の人は、こういった光景を見て人間以外の力というものを想像したのではないかと思えてしまう。

家々の屋根を見ると、必ずあるものは、「太陽熱温水器」と「パラボラアンテナ」だ。集合住宅などでは、屋上にそれらが住戸の数だけ乗っているのだから壮観になる。

4時44分、再び雨雲の下に入ったようだ。

既に高速道路を30分以上走っているが、谷底平野がずっと続いている。その距離は40から50kmにもなろうか。

トルコはイスラムの国だ。時々現れる村や町には、その町の大きさに比例したモスクとミナレットが見える。

バスから見える道路沿いの農地は、大変よく手入れがなされているが、一枚の畑の面積は狭い。1ha(1町歩)の畑を見ることはほとんど無い。それからは、トルコ人の勤勉さと代々住み続けている歴史の古さを知ることが出来る。

休憩

イチジクとチョコレート イチジクのアーモンドチョコのせ

 1時間以上走ったので、MARLAと言うドライブインで休憩になった。売店を覗くと、“イチジクのアーモンドチョコのせ”を1箱買うと1200円、5箱買うと1箱おまけ、10箱買うと3箱おまけというお土産屋さん定番のサービスを行っていた。高いなあと思っていたのだが、結構買っている人がいたが、これは日本人。1.5リットルペットボトルの水を2リラ(100円)で購入。20リラ札の肖像を指さして、レジのおじさんに「アタチュルク」と言ったら、壁の肖像を示して、「これもそうだ」と言ったようだ。そしてそばにいた店員に「この人アタチュルクを知っているぞ」的なことを言っていたような。

トルコでは、アタチュルクは国父だから、外国人がその名前を知っていることはうれしいのだろう。バスに戻って5時40分出発。


地中海沿岸では、イチジクという果物が実にポピュラーにあります。

また、先ほど飲んだザクロのジュースで分かるように、大きなザクロがたくさん売られています。もちろん生食用ではなくジュースようです。

アルテミス神殿は、エフェソス遺跡から通りに出たところの反対側にあります。

そのあとレザーショップのファッションショーです。

やはりモデルさんはイケメンと美人ばかりです。


アルテミス神殿

 バスはセルチュクの市街地に向けて出発し、左折して先ほどエフェソス遺跡から来た道に入っていった。そしてその途中の狭い道を右折すると、アルテミス神殿の跡に着き、バスを降りて50m位歩いていった。


アルテミス神殿の石柱

アルテミス神殿の柱。遠方の丘はキャラバンサライ
アルテミス神殿
と言っても、幅が100m未満の浅い谷に一本の柱が立っているだけになっている。神殿は、今から約2500年前の紀元前550年頃に完成したのだが、その200年後に名誉欲に駆られたバカな男が、この神殿に火を付けたそうだ。それで荒廃し、幾度かの地震もあって現在のような廃墟になってしまった。この遺跡はイギリス人が発見したのだが、発掘品をイギリスに持って帰ってしまっているという。早く返すべきだ。アルテミスとはギリシャ神話の月の神のことで、ダイアナともいわれ、純血や狩猟の神、出産の守護神などいくつもの側面を持った女神で、トルコのエフェソスはアルテミス信仰の大中心地だったという。人が歩いて出来た谷底の道を歩いて、一本残った石柱のふもとまで行き、バスに戻ってきた。そこから東側を見ると、丘の上には先ほどのキャラバンサライが砦のようにそびえ立ち、好天の空にトルコ国旗が翻っていた。3時出発。

レザーショップ クルジュラル

 バスはセルチュクの町を縦断しているアタチュルク道路に出て右折し、南に向かって1kmほど走って、3時10分にクルジュラルという、レザーショップの駐車場に入った。周辺が一面の果樹園の中に、このショップが道路沿いにポツンとあったのだが、ゲートを入り庭の小径を歩いて1つの建物に案内された。中に入るとそこはレザーウエアのファッションショーを行う部屋になっていて、

壁沿いの席に座ると、アップルチャイが配られてきた。

ファッションショー ファッションショーの始まり

スタイルの良いイケメンと美女がモデル特有のフォームで歩き、レザーの服をアピールしていく。そのうち、同行者の中から3人の人を選び出し、衣装を着させてステージを歩かせるのは定番のことなのだろう。この時は、女子大生、アラ還の男性と女性であった。その後、その女性がご購入されたので、ファッションショーの効果はあったのだろう。

10分ほどのファッションショーが終了すると、隣の部屋に案内され、商品の説明を受けてショッピングタイムの始まりだ。

トークが上手なセールス担当者 トークが上手な販売担当者

日本語が上手なセールス担当者が、ユーモアを交えて話を進めていく。それによると、トルコは昔から、上質な羊の皮の産地であった。それに目を付けたヨーロッパのブランド各社は、それらの皮を輸入・加工して高価な製品として売っている。皆さんが聞いたことがあるブランドが50万円、60万円と言った高価格で売っているものがそれだ。ここトルコは原料の皮の原産地で人件費も安いから、その何分の一もの価格での生産が可能なので、格安に販売することが出来る。

安くするのは品質が悪いからだろうといわれるが、このように品質はとても良い。

皮製品は手入れが大変だといわれるが、汚れが付いた時には、少し湿ったタオルなどで軽く拭けば取れてしまうので、手入れはとても簡単である。

代金の支払いは、リラ、円、ドル、ユーロ、カード何でも大丈夫である。

とセールストークは立て板に水の勢いだ。トークの後は販売タイム。店内を見回すと、女性店員がほとんど見られない。捜してみると2人いたか?10人以上の男性がお客の相手をしている。陳列されている品々をブラブラ見てみると、安いとは言っても、どれも15万円以上する物ばかり。このような安い旅行に参加しているのだから、目的でも持って来ていたならともかく、このような価格の物を購入するのは信じられない。

そのうちに、ハーフのブレザーを買う人が出てきた。50万円くらいする物だが、トルコなので12万5千円だという。ご本人は大変気に入ったようだが、そばにいたご主人はちょっとご立腹。「俺はユニクロだ。」とぼやいていたが、「ご飯作ってあげない」と抵抗していた。

隣の部屋は、バッグや財布など皮の小物売り場になっていた。良い物だが、これを使うだろうかと思うと買う気にならないからいつも見ているだけだ。

そこから売り場に戻ってくると、もう1人の人が20万円のジャケットを買って支払いをしているところだった。これはブランド品だったら70万円もするという説明だが、どこまでが本当か分からない。そうだと信じておくのが幸せなのだろう。それにしても他人の財布は分からない、と言うのが感想だ。ユニクロ党、しまむら党にしてみれば別世界の話だ。観光客相手のこういった皮革製造販売のショップは、ほかにもあるという話だが、確かめたわけではないので定かではない。

駐車場に戻って4時00分に出発。


貧乏人根性というのはいくつになっても変わりません。レザーのジャケットなどには全く興味がわかないのです。

その国にはその国独特の料理があります。トルコは東西南北からの民族が融合していますから、そのバラエティーはとても豊かです。

やはりその国の空気の中で食べてみないと本当の味は分からないと思いました。


昼食

 エフェソス市街地の街路にはオレンジの木が植えられ、オレンジ色の実がたくさん実っていた。バスは市街地を南へ進み、右手にあるレストランに入った。

トルコでは、商店を含めて店名をほとんど表記してない。表記してあっても目立たないものが多いのに加えて、トルコ語なので読めない。だから、どこで何をしたのかがほとんど分からなくなってしまう。

このレストランもその位置は推測であり、名前が分からないのだ。

このレスランに着く前に、カディルさんが飲み物と料理の説明をしてくれた。
アイラン   ザクロのジュース

ヨーグルトで作ったアイラン  ザクロのジュース

「このレストランでは、ザクロのジュースヨーグルトの飲み物のアイランが有名です。ザクロのジュースは前もって注文しておくと、すぐに出してもらえますから、ご希望の方は手を挙げて下さい。また料理にシシケバブが出ますが、これは羊肉の串焼きです。串の手元には羊の脂身が刺さっています。トルコの人は普段から食べていますから大丈夫なのですが、日本の人がそれを食べるとお腹を壊す危険性がありますので、脂身は食べないことを勧めます。」と言ってから、ザクロのジュースの注文を取ると、20名以上の人が手を挙げていた。ザクロは子供の頃によく食べたので、ここではアイランと言う飲み物を注文してみよう。

かくしてレストランには、2時ちょうどに到着した。6時半と9時半に食事をしているので、昼食は2時頃で十分なのだ。

席につくと注文したアイラン運ばれてきた。値段は6リラ(300円)。プレーンヨーグルトの酸味中に塩味があり、乾燥している時に飲むとしたらとても美味しいと思われる。ザクロのジュースを少し味見させてもらったが、クセが無くザクロのほのかな酸味と甘味がしっかりと伝わってくるもので美味しい。


エフェソスのレストランのスープ   エフェソスのレストランのジャガイモ

スープ            ミルフィーユ的なジャガイモ

エフェソスのレストランのシシケバブ   エフェソスのレストランのデザート

羊の肉のシシケバブ      デザートのプリン

料理のメニューは

1.前菜のスープ

  トマトスープにジャガイモ?のとろみがあり、具として豆が入って

  いた。

  テーブルパンはトルコ製のフランスパンで、柔らかくて噛んでいる

  と美味しい味がし

てきた。マナーもわきまえず、パンでスープをぬぐって食べたがこ

れもまた良い。

2.ジャガイモのミルフィーユ?

  チーズの土台の上にマッシュポテトをのせ、表面に粉チーズをかけ

  て焼いてある。

  噛まずに食べられるほど柔らかかった。

3.シシケバブとサフランライス、カリフラワー、クミン添え

  8本のシシケバブがサフランライスの上にのせられていた。

  シシケバブにはクミンを付けて食べたが、肉はパサパサでそれほど

  美味しいものではない。しかし、脂身とともに食べると少し美味し

  い感じがしてくる。脂身を1つ刺してある意味がこれで分かった。

  お腹に少し危険だといわれたが、脂身を含めて全部食べてしまっ

  た。

4.デザートはプリン

  少し大きめの器に盛られ、硬めで少し濃厚な感じがした。

  カラメルソースの味が甘く、冷やしてあるので美味しく感じた。

2時34分終了、45分出発。


このあと、ファッションショーに行きます。

エフェソス遺跡です。大きな遺跡で、見たまま感じたままをまとめてみました。古代の人がなぜこんなに大きな遺跡を作ることができたのでしょうか?

それにしてもこのようなロマンが、トルコの魅力なのでしょう。


エフェソス遺跡

 バスは、2kmほどのセルチュクの市街地を通り抜けてから右折し、11時45分にエフェソス遺跡に到着した。バスを降りて、入場ゲートを通過し、遺跡に入っていった。
枕木の通路 通路は枕木。遺跡保護もかねている
この遺跡は、発掘されるまでは、石の残骸が地中に埋もれる何の変哲もない場所だったような気がする。
鉄道の枕木を敷いた通路を歩いていくと、右手に日干し煉瓦で出来たローマ時代のフロがあった。ローマ人が町を作ると必ず上下水道とフロと劇場を作るがこの遺跡にもそれがしっかりと残っていた。この遺跡にはかつて歴史上の有名人がたくさん住んだそうだ。

ローマ時代の末期には、かのクレオパトラがアントニウスと住んでいたとか、また遺跡の丘の方では、イエスの母のマリアが使徒ヨハネとともに余生を送ったと言われている。

通路を右にたどるとそこには、崩落したかつての建物跡がたくさん並んでいた。

建物の柱は全て大理石で、イオニア式の柱やドーリア式の柱を見ることが出来た。その見分けかたは、柱の周囲に彫られている縦の溝の数で、イオニア式は20本、ドーリア式は22本、コリント式は24本だという。ナルト巻を縦にしてみると分かりやすいだろう。たいした道具もない時代に良くもこれだけの石の柱を切り出し、加工し、運んできて、組み立てたものだと驚いてしまう。

カディラさんの解説では、一本の柱を完成させるには、それらの作業に2年間を要するということだ。きっとたくさんの奴隷がその作業に従事させられたのだろう。

石の柱の継ぎ手 柱は石を積み重ね、中心にずれ止め

柱は組み立て式で、だるま落としをセットした感じになっている。積み上げた石材は柱の芯にずれ止め加工がなされているが、芯の外側に2カ所、直径7~8cmほどの穴が開けられ上下の石材を繋ぐための穴が開けられていた。そこには組み立てる際に溶けた鉛を流し込み、よりしっかりとしたずれ止め加工がなされていた。

しかし、これらの工夫にもかかわらず、これらの石造りの建物は、何度かの大地震により完全に崩壊してしまったのだ。現在はその膨大な遺跡を少しずつ発掘して、ジグソーパズルのように根気よく組み立てているのだという。しかしこれだけ広い遺跡を復元することは資金的にも時間的にも想像がつかない。

高台からセルシウス図書館 左側がニケ、前方にセルシウス図書館

さらに進んでいくと、緩やかな下り坂になり突き当たったところに、女神「ニケ」のレリーフがあった。「ニケ」は“NIKE”と書くが、これはアメリカのスポーツメーカー「ナイキ」の名前になり、その商標はレリーフの衣服の流れ模様から取ったのではないかといわれている。ちなみに「ナイキ社」はオレゴン州の小さな会社が、日本の鬼塚タイガー(アシックス)の代理店になって陸上用品の販売をしていたのだが、その後、会社の規模を拡大し巨大な企業になったものである。
ヘルメスのレリーフ   ニケのレリーフ

ヘルメスのレリーフ          ニケ(NIKE)のレリーフ
「ニケ」のレリーフの目の前には、「ヘルメス」のレリーフを彫った柱が置かれている。「ヘルメス」は神々の伝令役で足が速かったそうだ。駆け足が早い「ヘルメス」とスポーツ用具点に使われている「ニケ」が隣り合わせにあるというのも面白い。ちなみに「ヘルメス」をフランス語で言うとエルメスになり、馬具会社から高級ブランドに成長した会社名になっている。

次にレリーフの前を右手に進むと「ヘラクレスの門」を通過して、「僧侶の通り(クレトス通り)」という下り坂道になった。この傾斜は、水はけを良くするためでもあったようだ。もちろん古代の通りは全て大理石で舗装されていた。この通りは、当時の一番の繁華街だったようで、通りの左右には壊れた建物が隙間無く並び、空き地を見ることは出来ない。途中左手に、お金持ちの家の跡があり、その前庭は細かい石のモザイクで装飾されていた。このモザイクは2700年前のものだそうだが、モザイクが天然の石なので今でもその色彩がはっきりとしている。このお金持ちの家は4階建てになっていて、一階が台所だった。道を挟んだ前には「ハドリアヌスの神殿」が復元工事中、さらに坂を下っていくと、右手に昔の水洗トイレがあった。壁を作っている大理石の隙間にはローマの泥と呼んでいるものを、あたかもモルタルセメントのように埋め込んであった。
水洗トイレ トイレの便座と水路

この水洗トイレには、同時に50人ほどが用を足せるように作られている。大理石の板を壁に沿ってベンチのように置き、1枚につき3人分の穴を開けて、足の前の溝には手洗いの水を流し、下の溝には汚物を流す水を流す水洗式になっている。大理石の石は12枚がL字状に並んでいた。もちろん個室ではないから、何も隠すことは出来ない。用を足した人は、足下を流れる水を手水や紙の代わりにしていたという。

公衆トイレと言っても、ここではサロンのような役割を果たしていたようで、数時間ここで過ごし世間話に花を咲かせていたと言うから、トイレも時代とともに変化をしている。うさん臭い話をしていたことだろう。では、女性や子供、奴隷などはどの様にしていたのだろうか?

トイレの隣は、売春宿になっていた。これもこの時代はとても必要な施設だったのだが、売春婦にはどの様な人がなったのだろうか。奴隷だろうか。疑問が次々に浮かんでくる。

トイレから通りに戻ると、そこにはクレオパトラが妹を殺したと言う場所があった。妹の方が綺麗だったのだろうか、それとも妹がアントニウスを誘惑でもしたのだろうか。
セルシウス図書館 セルシウス図書館
そこからは、すぐ目の前に
「セルシウス図書館」の遺跡が大きく見えている。この図書館は、昔の3大図書館でアレキサンドリア、ペルガモに次ぐ大きさで、その蔵書は15万冊もあったそうだ。当時の本の材質は、パピルスだったのだろうか、それとも羊皮紙だったのだろうか。印刷技術がなかったころだから、全て手書きにされていたのだろう。本はきわめて貴重なものだったことが分かる。残念ながら今ではそれを知るよしもない。

この図書館の正面の壁には、様々な彫刻が施され、中央の下には読書用の椅子が置かれていた。壁に置かれていた4体の像は、全てレプリカで本物はウィーンにあるという。どういうことなのだ?オーストリアはトルコに返すべきだろう。またこの建物は光が室内に入るように建てられていたので、室内で読書がしやすいようになっていたという。

また、当時はもっと標高が低かったようで、セルシウス図書館の裏には海が来ていたという。そのせいか、図書館の隣はアゴラ(市場)になっていた。そこから様々な物資が運搬されていたのだろう。

円形劇場

大円形劇場の全景パノラマ

次に、図書館前からアゴラの脇を通って、大円形劇場へ進んでいった。これは紀元前3世紀ごろに山の急斜面を利用して大理石で作られている。

道路から階段を上がり、観客席に向かって左側の入り口からステージに入っていったが、そこは、かつてライオンや剣闘士たちが通った狭い通路だった。直径が50mくらいの半円形のステージは、およそ1万人以上は楽に収容出来る急傾斜の観客席で囲まれている。観客席の中段にある通路へ上がり、端から端まで歩いたがその大きさから、ローマ人の高度な建築技術を思い知らされてしまった。もちろん座席も大理石である。
アルカディアン通り クレオパトラも歩いたアルカディアン通り
そこからは、前方に
アルカディアン(皇帝の歩く)通りがよく見える。この通りは2000年近く前に、クレオパトラがエジプトからやってきた時に歩いた道でもあるという。

またこの道路は、はるか195km先にあるパムッカレのヒエラポリスまで通じていた重要な道であったようだ。

その道沿いに置かれている、大理石の棺を見ながら右折をし、赤松の並木が作る日陰をたどって、北側の出入り口からエフェソスの遺跡の外に出た。1時40分。

ここでも、屋台の土産物屋さんが大きな声で客の呼び込みをし、写真屋さんも遺跡のスナップなどを売っている。ノーサンキューで1時45分バスに戻って出発。ここで2人目の運転手のシャルダンさんがバスに乗ってきた。


見れば見るほど頭の中に疑問が浮かんできます。ギリシャ・ローマの人たちは、どうしてこのようなことができたのでしょう。