カッパドキアの奇岩はどう見ても面白いものです。どうしたらこのような形になるのか考えれば考えるほど不思議になります。


カッパドキアの奇岩

 カッパドキアの奇岩は一カ所にあるわけではない。奇岩は何カ所にもあり、それぞれが車で10分程度離れたところに分布していた。物の本では、カッパドキア全体は、かつて火山地帯でその火山灰が大量に堆積して、水平の地層を形成したそうだ。その後、雨や川による浸食、風化などによって削られ切り刻まれて、現在のような奇岩になったと書いてある。しかし実物を見ると、その地層は海底に堆積したものではないかと思えてしまうくらい水平なのだ。ただ、岩石を分析してみて火山灰だと分かったのだろう。

目の前に広がる、ギョレメの谷底などは、かつて奇岩があったところで、今は完全に浸食されてしまった場所だろう。そして今ある奇岩も、いずれかは全て浸食されて平野になるはずだから、長い歴史の一瞬の造形美を見ていることになる。テーブル状の台地があちこちに見えるが、ここもこれから浸食され、数万年、数十万年後に奇岩になっていくはずだ。カッパドキア全域の地下には、ピンクの厚い岩石層が堆積しているようで、その上部の岩石層が浸食されてしまったところが、ローズバレーのようだ。

これらの岩石層は、テーブル状の台地の崖の断面に明瞭に見ることが出来た。

KAYA HOTEL 335号室


洞窟ホテルの廊下  洞窟ホテルの335号室
洞窟ホテルの廊下      335号室
ホテルのキブラ 引き出しの中にあるキブラの矢印
 このホテルは洞窟ホテルというのが売り物になっている。建物は岩の斜面をくりぬいて造られているので、半分洞窟で半分はそうでないようだ。ただ廊下や室内はその雰囲気を出すために、岩盤を掘り抜いたようなイメージになっている。廊下や部屋の天井をカマボコのようなアーチ構造にしてあり、部屋はそんなに広くない。壁面には厚さが18cmくらいの硬めの砂岩(人工石か?)を貼り付けてあり、その内側に電気の配線や、パイプなどを埋め込んである。机の引き出しを開けると、その底にキブラを示す矢印が貼り付けてあるのがうれしい。室内調度や、洗面所などの作りは良いので満足だった。

廊下と室内にはスチームが入っていて、とても暖かい。エアコンよりも優しい暖かさだ。

夕食後部屋に戻り、シャワーを浴び、荷物の整理などをしていると、10時に近くなっていたので、さっさと寝付いてしまったのだが、夜中に2回も起きている。


イスラム圏のホテルに泊まるのは初めてのことです。イスラムと言えば1日5回メッカに向かっての礼拝です。ですからホテルにはメッカの方向を示すキブラが示してあります。それを見るのも興味があります。

カッパドキア周辺に森はありません。ですから、家や建物は石造りになります。

ホテルも石造り、洞窟利用になっています。


ブルーアートセンター(宝石販売)

 バスの中で毛束さんが明日の連絡を始めた。「皆さん、この時間を利用して、明日の連絡をしておきます。明日はモーニングコールが5時30分、朝食は6時00分から、荷物出しは6時30分まで、出発は7時30分といたします。」

やがてアバノスの町が見えてきた。この町は3000年前に誕生した町であるという。トルコにはこのような古代の話がどこにでもある印象だ。

やがて5時41分に、ブルーアートセンターというところに到着した。午前中の絨毯販売に続き、2度目のショッピングタイムだが、買う人はいるのだろうか。

ここはトルコ石を中心とした宝石販売所だ。珍しく4人の女性販売員、2人のお茶の給仕、13人の男性販売員がいて、ウェルカムチャイのサービスがあった。47分~54分まで販売員により日本語の商品説明が行われ、それから、皆さんのウインドーショッピングになった。6時
トルコ石のペンダント トルコ石のペンダント
20分になって、1人の方がペンダントを買われたようだが、出発までに男性の方が海泡石のパイプを、4人の女性がペンダントを買われたので合計15万円くらいになるだろうか。6時30分出発。外はもうとっぷりと暮れている。

KAYA HOTELにチェックイン

朝の洞窟ホテル

朝の洞窟ホテル、遠方にウチヒサルの洞窟住居

 6時40分に、ライトアップされたウチヒサルの洞窟住居を見に行き、幻想的な景色を見て写真に納めて53分出発。

58分に今日のホテルのKAYAについた。このホテルは洞窟ホテルだそうだが、玄関は全くそれらしい感じがせず実に狭い。ロビーの左手がレストラン、右手に部屋が続いていた。チェックインを済ませてから鍵が配られ始めた。「カギをお配りします。私の部屋は142号室、NHKは0チャンネル、明日の予定は先ほどの通りです。明日は、午前中にカッパドキア観光と、陶器工場に行ってからアンカラへ向けて走ります。昼の1時過ぎには着くと思います。その後博物館に行きホテルに入ります。スーパーはありません。

なお今いる階は3階ですから、カギ番号が100番台200番台の方は下へ降りていただきます。すみませんがエレベーターはありません。夕食はこの後からですが、7時20分にここへ集合して下さい。レストランへご案内します。」ということでカギが配られて解散になった。7時10分に335号室に入り、直ぐにロビーに引き返した。

夕食

2月16日の夕食1  2月16日の夕食2

スープと生野菜       オニオンリングやサバ、ラビオリ

2月16日の夕食3 オレンジなどのデザート

レストランの座席に案内されてから、食事を取りに行った。

メニューは

生野菜(キュウリ、トマト、レタス、パセリ)、スープ、オニオンリング、ラビオリ、サバ、肉のつみれ、ピクルス、サラダ2種、オレンジ

スープはトロ味があり、ニンジン、マッシュルーム、グリンピース、タマネギのみじん切りなどが入っている。

旅行をしていると、知らず知らずのうちに胃腸は弱ってくる。バイキング式だとどうしても美味しいものを選んで食べすぎてしまうきらいがあるのでなるべくでんぷん質のものを取らないようにしている。その方が旅行中は体調が維持できるようだ。

8時15分に終了し、22分部屋に戻った。

ついでにトルコの料理について見てみよう。

今まで、どこで食べても味に嫌味がなくマイルドである。油や塩も適度に使われているので、食べていても何らの違和感なく食べられて良い。生野菜は新鮮で、量もたくさんあるし、新鮮なのが何よりだ。パンについてはその種類や色彩、形が様々で目を楽しませてくれる。野菜炒め、煮物なども種類が多く、どれを食べるか迷ってしまうくらいだ。

それにしても、イワシ、サバと言った青魚が出て来るの面白い。


トルコと言ったらトルコ石。それを見せられた女性はそれがほしくなるのでしょうが、男性の「そんなのどうでも良い」という様子はいつもの通りです。

カッパドキアは奇岩だけではありません。多くの人が住んでいますので、その家も見てみました。


トルコの最近の家
トルコの最近の集合住宅   カッパドキアの伝統的な一戸建て
どこでも見られる集合住宅   伝統的な一戸建て 
トルコはどこへ行っても新市街地の開発が行われているが、その建物のほとんどは10階建位の集合住宅で、正方形の四角柱ばかりだ。柱が細くて1階がすぼまっているので、上が重い感じがして不安定そうだから地震には耐えられないだろう。各階のベランダは本体の外側に張り出しているが、住民はそこを囲い込んで部屋にしている。建物にエレベーターはないそうだから忘れ物をした時が大変だ。

カッパドキアの1戸建てを見ると、1階は家畜小屋にしてあり、2階以上を住居にしてある。1階に家畜を飼っておくと、その体温で2階が暖かくなるのだそうだ。家畜からは、肉と皮と毛と乳と肥料が得られるだけでなく、熱まで得ているとは初耳である。

そういえば、家畜は銀行の役割もしているのだ。子を産めばそれが利子になる。

1戸建てのこのような家にはだいたい7人程度の家族が住んでいるという。

パシャバーの奇岩

パシャバーの奇岩 典型的なキノコ岩

 3時50分、小雨、4度と冷えてきた。55分刑務所脇を通過。チャウシンの地下教会を車窓観光し、4時14分にパシャバーのキノコの岩群に着いた。

この奇岩群はあちこちに穴が掘られ、かつてそこが住居として使われていた。それらの穴は、8畳くらいの広さだったが、ここで人間が暮らしていたとは思えない感じがした。しかしそのような場所が何カ所もある。また、ここの奇岩は平地に直接立っているので、直に触れることが出来るのも良い。まさに観光写真のように細長いキノコの形をし、カサにあたる部分には黒灰色の石が乗り、その下には粒子が細かいシルト岩、その下に砂岩があると見える。調べると、これらは水成岩ではなく、火山灰と溶岩か堆積して出来たものだと言うから砂岩ではなくなるが、とてもそのようには思えない。遙か彼方まで、同質の地層が全く水平に堆積しているのだ。火山灰の堆積なら、もっと崩れ易いはずなのだが。

ローズバレー

ローズバレーの赤い石 夕方のローズバレーの一部

 バスは丘を上り谷に下りを繰り返して4時53分にローズバレーに着いた。

この辺りを埋め尽くしていた薄いピンクの地層が、今まさに浸食され続けている。

既に浸食が終わっているところは谷そこの平坦地となり、浸食途中のところは急な谷を形成し、浸食から取り残されているところはテーブル状の山として残るなど、浸食の段階の違いによる地形の違いがよく分かる。岩の色彩が綺麗なことに加えて、夕日を浴びるとコントラストやシルエットがはっきりしてくるので、見る者は感動を受けて思わず歓声を上げ、あとは無言でその景色を目に焼き付けている。

人気が少なくなった展望台から駐車場に戻ってくると、そこに1軒だけ売店を出しているおじさんがいた。10数種類の乾燥果物を売っていたので、珍しいものとして乾燥した桑の実を10リラほど買ってみた。サボンなどを試食してみたがこれも美味しい。5時17分出発。気温は8度から6度に下がっている。


カッパドキアにはたくさんの奇岩があります。しかしそのどれもが、長い歴史の瞬間を示していることが分かります。

木が少ない土地ですから洞窟を利用するのでしょう。中は夏は涼しく、冬は暖かくて気持ちが良いそうです。


ALTINOCAK(アルティノカク)で昼食

 1時14分にALTINOCAKという洞窟レストランに着いた。外側から見ると、この辺りは岩山で、その内部をくりぬいていくつかの部屋を作り、それをレストランにしてあるものだ。岩山の最上部には煙突や温水器をおいてある。狭い通路を入っていくとその内部はかなり広くなっていて、大理石造りのテーブルが10くらいセットされ、天井や内側の壁には石灰岩を貼り付けてある。

洞窟レストランの入り口  洞窟レストラン 赤ブドウジュース
洞窟レストラン入口     赤ブドウジュース

洞窟レストラン スープとパン  洞窟レストラン サラダ

スープとパン            野菜サラダ
洞窟レストラン テスティケバブ  洞窟レストラン ライスプディング
テスティケバブとバターライス  ライスプディング
メニューは

1.赤ブドウのジュース  12リラ

2.野菜スープとパン

  熱くて、コーンポタージュの薄いものという感じだが、味はとても

良い。

3.野菜サラダ

  ゆでたジャガイモ、トマト、ピーマン、ピクルス、トウガラシを酢

  で和えてある。

サッパリ味でちょっとピリ辛味。赤トウガラシも入っている。

4.テスティケバブとバターライス

  牛肉とトマト、ジャガイモ、タマネギ、ピーマンを蛸壺のような容

  器に入れて蒸し煮

にしたものを、カレーライスのように盛りつけてある。

ケバブは味がぼけている感じがしたので、塩・胡椒をふりかけて味

を調えて食べた。

バターライスはインディカ米と米粒くらいの小麦パスタ?

5.ライスプディング

  牛乳味の米入りプリン。少し暖かく、牛乳の味がしている。

ここの料理はちょっと・・・・。1時50分終了。

外に出ると右手におみやげ屋さんがあったが、怖いのは商品に値札がないことだ。珍しいことに、ここの店員は女性2人だった。あまり商売っ気はない。2時15分出発。

カイマクルの地下都市

 2時32分に、ネブシェヒルの新市街を通過。ネブシェヒルの旧市街は谷間にある。

丘の上に城があり、その直ぐ下には10くらいのモスクがある。城の下にある斜面は住民が移住させられてゴーストタウンになっていた。

そして2時49分に到着し、バスを降りて、だらだらとした道を登っていくと受付があり、そこが地下都市の入り口になっていた。

カイマクル地下都市の入り口  カイマクル地下都市のワイン工場 
カイマクル地下都市の入口  ブドウを搾った場所

地下都市には、狭いから頭をぶつけないようにと注意を受けて入っていった。各部屋を案内されていくのだが、案内された場所を、記憶を便りに並べてみると、入り口、家畜のえさ場、階段、キリスト教会、狭い通路、石の回転扉、階段、トイレ、階段、トイレ、狭い道、換気口、狭い道、ワイン工場、階段、台所、階段(上り下りで40段近く)、家畜のえさ場、出口と見てから地上人になることが出来た。

洞窟から出たところで、カディルさんが「地下都市にはロウソクなどの灯りはありませんでした。当時の人は暗いところに目が慣れていたので、少しの光でもよく見えていたようです。通路の大きさから考えると、人々の身長は低かったようです。この都市の人口は1200人~1500人だったといわれています。地下を歩いている時に暖かかったと思いますが、地下都市は暖かいのです。人々はここに住んで、農作業に出かけていました。

また、当時は外敵に攻撃される危険性がありましたから、この都市で防衛もしていたようです。」という説明が終わり、3時20分から45分まで自由時間になった。

ちなみに地下都市で頭を3回ぶつけたので、身長が1cm伸びてしまった。

トイレを済ませ、おみやげ屋さんで、ナザール・ボンジュという魔よけの小さい青い目玉のお土産をたくさん買いバスに戻ってきたのは3時38分。42個1000円也はお土産にちょうど良い。ここでも売店の店員は全員男性だ。外気は8度。40分出発。


トルコに行った皆さん、ナザール・ボンジュは買ったでしょうね。

これから行かれる皆さんも買われるでしょうね。

大きさもいろいろありますが、一番小さなものを買って、知り合いにばらまきました。

おまけをしてくれと交渉するのは絶対ですよ。言わなきゃ何も始まりませんから。

団体旅行では現地のおみやげ屋さんや、現地の特産品などへ案内されるのは定番です。既にエフェス遺跡のセルチュクで革製品の販売店を案内されています。ですから、今回の絨毯販売店は2回目ということになります。


絨毯販売店(biz corpet

 カッパドキアといっても、奇岩がたくさんあるだけなので、感嘆をしながら一通り見てしまうと、同じことの連続になってしまう。
絨毯販売店のbiz corpet 絨毯販売店の biz corpet の建物
 
絨毯の折り方を見せる女性   ある絨毯の模様

絨毯織りを見せている女性   ある絨毯の模様
11時25分に絨毯販売店の
biz corpetというところに連れて行かれた。建物の外観は、石造りのような感じでツートンカラーに塗られている。

建物の中に入ると、絨毯製造のデモンストレーションを見せてくれた。珍しく、3人の女性が絨毯折りの実演をして見せてくれたが、その手際は素早く熟練を感じてしまう。

6畳程度の絨毯だと2ヶ月から4ヶ月もかかるという。複雑な模様は設計図でもあるのだろうか、それとも彼女たち織り子の頭に入っているのだろうか。

彼女たちの明るい笑顔がとても印象的だったが、トルコで女性をまともに写真に写すことが出来たのはこの時だけだった。美人である。

また男性が、カイコの繭から糸を取り出すことも見せていた。絹は、繭25個から糸を取りだし、それを20本よりあわせて(500個の繭)生糸を作っている。絹の絨毯も製造しているという。

トルコの内陸部の農村はこれといった産業はないので、羊を飼って羊毛を生産し、それを自然の草木を利用して様々な色に染め上げ、絨毯の製造をしてきた。それまでも重要な収入源だったのだが、近年になって観光化が進み、その人達に直接販売を始めたようだ。

ここでは、草木染めの技法で、赤(紅花)青(藍)ピンク(タマネギ)茶(クルミ)などといった色を作り出し、毛糸を染めた後は岩塩で色の定着を行っているという。そのため、全部の色をそろえるには長い期間が必要になってしまうそうだ。

トーク上手な販売員 日本語とジョーク巧みな販売員

次に、2階へ案内され、11時40分から、笑顔と日本語がうまい販売員のジョークを交えた絨毯トークを聞くことになった。

「ここの絨毯は、人件費、自給された染色剤と毛糸、技術(染色、模様、きめ細かさ)などを考えて価格を決めているので、品質の割には格安になっている。デパートなどではここの何倍もの価格で売られているはずだ。もしここで買われたら、ここで手に触れた品物を1ヶ月半以内にご自宅へ届ける。代金は内金だけ払い、残りは着払いでかまわない。」と立て板に水のトークだ。そのうちに、壁に立てかけてあった絨毯を、床に次々に広げ、客を何度も回れ右させてだんだん高級な品物を紹介していった。途中でトルココーヒーや赤ワインのサービスを受けたが、それらを給仕してくれるのは全部体格の良い男性であったのもイスラム社会だからだろうか。このコーヒーやワインも重要な作戦なのだ。

セールスたけなわ 販売員は全て男性

最後は絹製の絨毯まで出してきて、12時20分にトークは終了した。

すると20人近い男性販売員が、一斉にセールス活動を始めた。その動きを見ているとシルクロードを股に掛けたキャラバン商人のバイタリティーを感じてしまう。販売スタイルは皮工房の時と同じだ。販売員はこれと思ったお客の前で正座し、商品を勧めているが、絨毯での生活をしているから正座が出来るのだろう。呉服屋さんの店員さんのようだ。

そういえば、カディルさんが言っていたが、子供の頃に土足で室内に上がると母親に怒られたそうだ。バス移動中に途中の家を見ると、確かに入り口のところに靴が脱いである。これは世界的に見ると実に珍しい生活スタイルで、日本、韓国、トルコと3つ目だ。

このような生活習慣があるから、正座が出来るのだろう。

程なく、あちこちで成約したのだろうか、拍手が聞こえてきた。購入を決めた人は12時39分の時には5名だった。その直後に1人、さらに40分、44分、53分と立て続けに購入が成立している。皆さん広い家にお住まいなのだろう。9人の購入金額を合計すると100万円を超えていることは確かだろう。日本人は平均してお金持ちだ。

乾燥地では羊や山羊から得た繊維で、昔から絨毯を製造していることはよく知られている。しかし、その製造には膨大な時間と手間がかかるので、本物を手にすることなど庶民である自分には高価すぎてとても出来ない。もっとも、もし買ったとしても、それを敷いておく場所がないのが実情なのだが。

ところで、欧米人・中国人・韓国人の観光客はどういった購買行動を取るのだろう?

この一連の流れに、先ほどのトルココーヒーとワインが果たした役割は決して小さくはないはずだ。何となく買ってしまったという人もいたのだから。

12時54分終了。1時07分に出発。小雨が降り続き、気温は8度。


後で考えたことですが、絨毯の販売はワインの酔いが少し回ったところで始まっているのです。

これから、カッパドキアの洞窟住居に向かいますが、そこで見たドンドルマアイスなど、トルコ文化満載です。


隊商宿前で休憩

1300年前の隊商宿 1300年前の隊商宿
8時42分、1300年前の隊商宿の前で休憩。この隊商宿は、砦の
ような大きさで、幅は50m以上、奥行きは100mもあり、高さ12~13mの城壁で囲まれている。

城壁の厚さは7~8mもあり、当時の治安がいかに悪かったかが分かる。正面の門は大理石造りで細かい細工をほどこし、黒石や白石のモザイク模様で飾られ、扉は鉄製で木材を貼り付けてある。9時07分出発。

車窓観光

 再び平原を進んでいる。平原にポツリポツリとある建物は、干し草があれば家畜小屋、なければセメント、ガスなどの工場だ。既に2時間近くも時速90kmで走っているから、トルコは大平原がある国だと言っても良いのではないだろうか。

9時35分にアクサライという人口200万人の大都市を通過。あと80km。

10時になると、平原が終わり、畑は黒い石を畦に積み上げそれを土地の境にしている。前方と左右に山が見え、雲は依然として全天を多い、外気温は5度と下がってきている。丘を登ると小雨になり、4度にまで下がってきた。車内の睡魔は30%。

10時25分ネブシェヒルという町を通過した。

ウチヒサルの洞窟住居とドンドルマアイス

 ウチヒサルの洞窟住居 ウチヒサルの洞窟住居

10時50分、ウチヒサルの岩山の洞窟住居に着いた。この近くではもっとも大きな奇岩で、中にはらせん階段が作られたくさんの洞窟がうがたれているそうで、外から見るとあちこちに明かり取りの穴が見える。ほかの奇岩にも住居跡の穴か見られるが、ここを構成する岩は、砂岩のようなので柔らかく掘りやすいのだろう。当然換気はしにくいので、石炭の使用は禁止されていたそうだ。夜になって夜景を見に戻って来るので出発。

ドンドルマアイスのパフォーマンス ドンドルマアイスのパフォーマンス


55分に、カッパドキアの谷を見渡せる展望台にやってきた。そこからは谷の奇岩がよく見える。左前方はテーブル状の山(メサ)が水平に堆積した地層を乗せ、谷には何本もの石柱(ビュート)があり、それぞれに洞窟住居がある。岩が風化したところは黒く変色している。展望台の売店では、トルコのドンドルマアイスを、パフォーマンスをしながら1つ4リラで売っていた。飛ぶように売れている。おいしい。11時13分出発。

谷底にあるギョレメへバスは降りていった。奇岩は広い谷のあちこちに分散し、バスは右左と走っていくので、カッパドキア・ギョレメの谷のどの辺りにいるのかが分からなくなってくる。しかし、カッパドキアは生活には不便だろう。


噂で聞き、写真で見ていたカッパドキアですが、やはり実物は違います。

メルハバ!!

今日は朝食後にカッパドキアへ向かいます。

カッパドキアはお楽しみですが、その途中でみられるものは全て楽しみでもあります。


2月16日(日)

朝食

 起きたのは5時30分だった。荷物を詰めるなど準備をしていると6時になったので、食事に行くことにした。地下のレストランに行くと、まだあまり人が来ていない。


2月16日の朝食 健康的な朝食です
メニューは

キュウリ、トマト、ほうれん草のような野菜、チーズ5種、ソーセージ5種、

ヨーグルト(ハチミツ、レーズン)、ゆで卵、牛乳

野菜は相変わらず新鮮でみずみずしい。アクもなく歯ごたえもしっかりしているし、色も良いのでうれしい。チーズやソーセージを色々食べられるのもトルコらしくて面白い。ヨーグルトはここでも少し硬めで、濃厚なハチミツを混ぜるととても美味しい。レーズンを混ぜて食べたらもっと美味しく感じた。これははまりそうだ。

早かったせいか、最初に取ってきた卵は生だったが、割ってそのまま食べようとしたら「それは冒険だね」といわれたのでやめ、そのうちにゆで卵があるといわれたので、生はそのままにしてゆで卵を食べた。それにしても、外国で生卵が出てきたのは初めてなのだが、誰がどの様にして食べるのだろうか?

パン類相変わらず他種類が準備されているが、朝食ではパンを食べないようにしているのでその味は不明。6時30分終了。

出発

 出発の準備を済ませ、7時10分に部屋を出て、バスに乗り込んだのが20分。今日の座席は左側の最後尾席でゆったりだ。座席には既に半分以上の人が座っていた。

7時29分に全員がそろって出発。

毛束さんの挨拶が始まった。「皆さん、おはようございます。今日も運転をして下さいます運転手さんはムスタファさんとシャダンさんです。よろしくお願いします。」拍手。は毎朝の定番だ。「忘れ物はありませんか。パスポート、お金、カメラ大丈夫ですか。今日はカッパドキアまでの長距離移動になります。それではトルコ語の勉強を始めましょう。

ギュナイドンは“おはようございます”、メルハバは“こんにちは”、ティシュクレは“ありがとう”ジジババは“かわいいおじさん”ジジベベは“かわいい赤ちゃん”でした。

今日は、ギュゼルとタマンです。ギュゼルは“美味しい”、タマンは“OK”です。では練習しましょう。パスポートは大丈夫ですか。」「タマン」「だめです。あることを確かめないで、タマンは言えませんよ。」(みんなで大笑い)

「ところでガイドさんの名前は?」「・・・・・」「エッ!ぼくの名前を覚えてくれていないの?がっかりだなあ。」「皆さんガイドさんの名前は、カディルさんですよ。」

どうもトルコ語の発音は難しくて、聞き取りにくいのだ。

車窓観光

 バスは7時40分から、カッパドキアに向かう直線道路を走っている。この辺りは少し高度のある平原で、360度山が見えず道路は平坦だ。20kmほど走ると前方に山が迫ってきた。平野は麦畑と牧草地だろうが緑はほとんど見えない。時々麦畑なのだろうか、うっすらとした麦の芽?らしきものが見えるだけだ。8時05分。

カディルさんが「トルコの国土の3分の2に当たる63%は国有地です。この辺りは、メリノ種の羊の自然放牧地になっています。かつてはその数が少なかったのですが、保護の結果1800頭まで増えています。ところで、昔のキャラバンは一日に70kmを移動していました。ですからその距離が隊商宿の配置基準になってきます。ラクダは1頭が300kgの荷物を載せて移動することが出来ました。そして1日に30kgの草を食べました。それを維持するためにも隊商宿が必要だったのです。これから行くカッパドキアは、東から入ってくる何本かのシルクロードが合流した場所なのです。イランから来る北側ルート、中央ルートのほかにシリアから来るルートがありました。そしてここからイスタンブルに向かって行ったのです。カッパドキアは、“美しい馬”という意味なのです。」

8時20分、依然としてバスは直線道路を走っている。外気は5度、小雨が降っているが路面を濡らすほどではない。内陸で乾燥しているのだろうか、畑には灌漑のための黒いパイプを敷いているところもある。


今でこそ、トルコなど国家が領土を囲い込んでいます。昔は今のような国境はありませんでしたから、シルクロードで自由に東西を往来していました。しかし、その往来は実に厳しいものがあったはずです。我々はバスと飛行機で便利に移動していますが、パスポートやビザといったものが必要になってしまいました。

今日は結構満足な観光でした。コンヤの町は歴史を感じさせる旧市街と、現代的な新市街が組み合わさっています。そしてその町の面積はかなり大きいのです。


リクソスホテル

コンヤ リクソスホテル 近代的な高層建築のリクソスホテル

 5分ほど走り、ホテルには6時20分に着いてしまった。毛束さんがチェックインを済ませてから「食堂はこの奥の地下で、6時30分から食べられます。プールがありバスタオルも置かれていますから希望される方は利用して下さい。メブラーナの踊りを見に行く人は8時20分にロビーに集合して下さい。料金は5000円です。水は1部屋に1本サービスしてあるそうです。私の部屋は702号室です。ではカギをお配りします。」ということで名前が呼ばれていったが、なかなか呼ばれない。皆さんが移動しても2組が残されてしまった。「すみません。実は2部屋だけ21階を割り振られました。私が何で上じゃないんだとクレームを付けられると困りますので、2組の方には残ってもらったのです。ほかの方には上の階だったとは言わないようにして下さい。」

何でもパムッカレのホテルではクレーム電話が20回も来たそうで、毛束さんは早朝にたたき起こされていた。だから、このようにややこしいことをせざるを得なかったようだ。ということで2009号室のカギを渡された。委細承知、秘密厳守。

皆さんと時間差を付けて6時50分に2009号室に着いた。トルコのエレベーターは今まで全てスイスの「シンドラー」製である。不安。
夕食

 荷物を放り出してから、夕食に行くことにした。ロビーへ下りて地下のレストランに行ったのだが、7時15分だったのに、既に席がなく係員に言って別の席を案内してもらった。ビュッフェスタイル。

リクソスホテルの夕食 健康的なトルコ料理です

メニューは

トルコ料理をトルコピザを含めて6種類、他にはキュウリ、トマト、ピクルス、イワシのマリネ、ピーマンの肉詰め、トウガラシ

もちろん味はマイルドで良い。イワシのマリネは酢の味がするので、疲れた身体にはとても美味しく感じたが、もう一度取りに行った時には品切れになっていた。皆さん同じ考えなのだろう。ちょっと冒険的に青トウガラシを食べてみたのだが、食べられる程度の刺激なのでよい。同席の人と、四方山話の栄養も注入している間に9時に近くなってしまったので、部屋に戻ることにした。

2009号室

リクソスホテル2009号室 コンヤの旧市街の夜景が見えます

 疲れた身体にむち打ってシャワーを浴びると、人心地がしてきたので、明日の準備などをしてベッドに潜り込んだのは10時頃だったような気がする。

リクソスホテルは、コンヤの旧市街からみて、北に延びる新市街の道路沿いの20階以上の高層ホテルだった。その北隣には、メブラーナ大学の広いキャンパスがある。

2009号室は21階で100m近くの高さがあるので、窓からは14~15km離れたコンヤの町の夜景がよく見える。旧市街とを結ぶ直線道路にはオレンジ色の外灯が光り、それと平行して路面電車が小さく走っていた。

神秘主義メブラーナ派

 この派は、1228年にアフガニスタン北部で生まれたイスラム神秘主義者のジェラルッディン・ルーミーがコンヤに定住して開いた教団であるという。15世紀にはオスマン帝国の庇護を受けて栄えたが、1923年のトルコ革命による「脱イスラム主義」のために教団は解散させられ、霊廟も閉鎖されてしまった。その後、歴史的文化的重要性から復活して現在に至っている。信者の信仰スタイルが、手を挙げて回転するという独特の礼拝形式があり有名なのだ。


トルコのイスラム教の一端に触れることができたのですが、信仰のスタイルは様々です。でも、皆さん敬虔なイスラム教徒です。

その国の姿は、スーパーマーケットなど人々の日常生活の中に見ることができます。トルコのスーパーマーケットには期待していたのですが、その通りでした。残念なのは時間が少なかったことです。あと2時間くらいほしかった。


コンヤの新市街のスーパーマーケット

 ホテルに入る前に、スーパーマーケットへ行くことになっている。そこへ移動する間に毛束さんから定番の連絡があった。「皆さん今日泊まるのは、先ほどご覧になったリクソスホテルです。部屋には、ポットがあります。コーヒー、紅茶は無料です。水は有料です。プールがありますが無料です。エアコンのスイッチは、その表示が違いますから注意して下さい。NHK国際放送は34チャンネルです。

モーニングコールは5時45分、朝食は6時00分から、荷物出しは6時30分まで

出発は7時30分といたします。明日は、カッパドキアに行きますが、気温は最高9度、最低-2度、降水は40%ですから雨具を準備しておいて下さい。

ホテルに入る前に、スーパーへ寄りますので、先ほどのことなどを参考にして下さい。」

と話している間に、5時39分にホテルのそばの「Migros」というスーパーマーケットに着いた。「ここで6時20分まで、40分間のお買い物になります。」ということで入店。40分では品定めをする時間もない。

このスーパーはまだ出来て間もないようで綺麗だ。店内はそれほど大きくはない。レジも3カ所しかない。ここで買うものといったらチョコレートぐらいしかないが、毛束さんが話していた、エティとウルケルはすぐに見つかったので、それをいくつか買い物カゴに入れた。店内を見ていくと、綺麗に品揃えをしてあり、色彩も豊かである。時間がないので値段を見る余裕がなかったのが残念だ。お酒を売っているコーナーが一番奥にあった。

スーパーのお酒コーナー 世俗主義だからお酒を売っている 

スーパーの魚コーナー   スーパーの野菜コーナー
淡水魚だけの魚売り場     きれいすぎる野菜売り場
スーパーの肉コーナー 豚肉はもちろんありません

ワインとビールが主なものだ。野菜・果物売り場は色とりどりで品揃えも多いが、ザクロ

を売っているのがトルコだ。肉売り場・魚売り場はとても狭い。当然豚肉は無いが、牛・山羊なども品揃えは乏しい。魚は、マス、コイ、イワシしか売っていないが、商品の扱いは清潔である。その代わり、ハム・ソーセージ、乳製品売り場は品数も多いし充実している。

スーパーのレジ 店員は男性だけのレジ

レジで精算する時は、買った品物をレジ台に出すことは世界共通。ただレジ係、店内の客を見ると女性が1人もいないのが面白い。6時14分出発。

後で聞いたのだが、31リラの代金を100リラ札で払ったら、お釣りが31リラしかなかったと、ホテルで言っている人がいたが、これは後の祭りだろう。外国人はお釣りの計算がとにかく苦手なのだから、その場でしっかりと確認し言わなくてはならない。言わないということは納得したことになるのだから。


ここのスーパーはちょっときれいすぎたのです。一般の人はもっと雑然とした町中のバザールのようなところで買い物をしているはずなのですが。

でもいろいろ見られたのでとても面白い経験でした。

コンヤの町は歴史のにおいがとても強い町です。メブラーナ廟は写真禁止ですから、記憶に焼き付けるしかありませんでしたが、とても良いところに思えました。


メブラーナ廟

 コンヤの町は大きい。かつてはセルジュクトルコの首都(1097年)でもあったのでそれなりの重みを感じ取ることが出来る。旧市街の歩道を歩いている人はたくさんいるが、女性はとても少ない。その女性の多くはヒジャブ(へジャブ)を着用して髪の毛を隠しているが、何も付けていない人もみられる。トルコは世俗主義であるが、この町はイスラム神秘主義メブラーナ(メブレビー)教団の中心地なので保守的色彩が残り、ヒジャブの着用率は高いそうだ。

メブラーナ廟1 メブラーナ廟の遠景

メブラーナ廟2 メブラーナ廟脇に立つカディルさん
3時55分、旧市内の中心にある
メブラーナ廟に到着した。北側の狭い門から入ったが、門にはレアズット王の紋章が掲示されている。廟の建物には西から土足を脱いで入っていった。イスラム信者の中には前庭にある足洗い場で清めてから入ってくる人もいる。

廟内はもちろん撮影は禁止になっている。

入ると右手はメステビー派の高貴な指導者の墓所となっていて、その程度によって棺に置かれているターバンの高さが違っていた。もちろん棺は絨毯の上に安置され、絨毯で覆われている。一番奥に置かれているのがメブラーナその人の棺で、あまりの高貴さからターバンは2つ置かれ、下に敷かれている絨毯は金糸を織り込んだものになっていた。天井からは燭台がつり下げられているが、この燭台の灯明からはススが取られ、それから墨を作って利用していたそうだ。燭台をつり下げてある鎖にはダチョウの卵が虫除けとしてぶら下げられていた。一番のムシは蜘蛛である。

メブラーナの棺の正面は礼拝の間になっていて、廟内全体には24時間ヒーリングのような音楽が流され、独特な雰囲気を醸し出している。ここでの礼拝作法をカディルさんが示してくれた。それによると①両手をクロスして手のひらを肩に乗せて瞑想をする。②神への言葉を唱えて、その姿勢で礼を3回する。③左の手のひらを上にし、右の手のひらを下にして回る。というものだという。

礼拝の間の隣には宝物が置かれている部屋があった。置かれている中で最も重要なものは、中央にある「ムハンマドゥのあご髭」だ。髭は、透明な箱の中の、螺鈿細工を施した箱の中に入れられているという。透明な箱に開いている小さな穴に鼻を近づけると、ほのかにシナモンの香りがしてきた。宝物の部屋の棺側の壁には、メッカの方角を示す窪みのミヒラーブがあり、反対側にはメブラーナ派のコーランが置かれていた。これは羊皮紙で作られ、文字は入れ墨の技法を用いて書かれているそうだ。

羊皮紙を使った聖書はスペインのトレド大聖堂にもあったが、そのためには、コーランや聖書の枚数分の子羊が犠牲になっていることを忘れてはならない。

日本人は“なんとまあ可哀想に”と思うのだが、ユダヤ、キリスト、イスラムの人々は、「羊は人間のために神が下されたものだから殺しても良い動物だ。」という考えを持っているから、問題はないのだろう。ヒンズー教や仏教の輪廻転生とは大きな違いがある。

「ムハンマドゥのあご髭」だが、世界にはあご髭が17本あるそうで、ここには1本、イスタンブルのトプカプ宮殿に3本あるそうだ。売り物ではないので値段は付けられない。

それは、仏教における仏舎利や仏歯のようなものだ。

昨年スリランカのキャンディの仏歯寺で、お釈迦様の歯が入った箱を見てきたので、これで釈迦とムハンマドゥという2人の偉人に接近できたわけだ。汚れのない正直な人生を送らねばなるまい。

廟の前には、メブラーナ派の神学校の宿舎があり、仕切られた小部屋には当時の品々が陳列されていたが、蜘蛛が糸を張っている部屋もあった。確かにダチョウの卵は必要なのだ。

4時45分に廟を出て、52分にバスが出発した。

インジェ・ミナーレ神学校 インジェ・ミナーレ神学校の遺跡

旧市街にはインジェ・ミナーレ神学校の遺跡があったが、門にはコーランの言葉が細かく彫り込まれイスラム的な雰囲気を出している。石像や人間・動物などのレリーフはどこにもない。偶像は徹底して禁止しているので、それをかたくなに守っているのだ。

町中にも人形や像と思われるものはどこにもない。子供達のおもちゃはどうなっているのだろう。5時03分出発。

メブラーナの7つの格言というパンフレットが配られたが、そこに書いてある言葉は、イエスや釈迦や孔子やムハンマドゥが唱えたことと共通している。

格言の言っているところを見ると、人を援助する、平等にする、他人の過ちを許せ、腹を立てるな、正しく見よ、邪念を持つな、広い心を持てなどとなるだろうか。

非常に危険な地域ほど、こういった格言が生まれるのだが、後世、その格言はその地域では生かされず、ほかの地域で尊重されているのは皮肉だ。

もっとも、安全な地域にはそのような格言は必要ない。


メブラーナ廟のシナモンの香りは忘れられません。

宗教家は皆さん、世界の平和、人類の平和を願っていたはずなのに何でこの世には人間の争いが消えないのでしょう。

そしてそれを助長するような政治家がなんと多いことでしょう。

全く嫌になってしまいます。