メルハバトゥルキエもこれで終わりです。

飛行機に乗ると、あとはひたすらシベリア上空を飛んでくるだけです。


搭乗開始・離陸

4時50分になって、ようやく搭乗ゲートが開き、乗り込み始めた。45JK席についてみてみると、後ろの席に空きがあるみたいだ。しばらく待っていると45Hの席に人が来た。しかし、50HJKと51JKには誰も人が来ないので、さっさとそこへ行って座ることにし、45Hの女性には「JK席はどうぞお使い下さい」と言って移動をしてしまった。5時17分。

32分になると、キャビンアテンダントがアイマスクなどのセットを配ってきたが、機はまだ駐機場を離れない。35分に少し動き始めると、ギュウヒのような小さなお菓子が配られてきた。

5時48分にようやく滑走路に入り、離陸の順番がやってきて38秒の滑走で空の上。イスタンブルは一面の霧で、それを上へ突き抜けると明るい太陽の光が見えてきた。機は高度を上げながらUターンをし、霧に包まれたボスポラス海峡を後にしたが、高層ビルは霧の上に頭を出している。やがて数km離れると霧は全く消え、黒海の上空に出ていた。

6時にお手ふきタオルが配られ、04分に税関申告書も配られたので今回の旅行のアンケートと一緒にさっさと書いてしまい込むと、6時57分に1回目の機内食が配られてきた。

帰りの機内食1

 時間的に見てこれは夕食。
帰りの機内食1 最後のエフェスビールと機内食
メニューは

チキンのグリル、バターライス、トマト、ナスのピューレ、マメ、青トウガラシ、

青マメのオリーブオイルマリネ、サラダ(レタス、トマト、オリーブ)、モッツァレラチーズ、チョコレートムース、パン、水、

飲み物として、エフェスビールをいただいた。

ナスのピューレ、チョコレートムース、ビールはとても美味しい。味はマイルドなので、抵抗は全くなく完食。7時30分に食事終了

7時も過ぎているので、既に外は暗闇になり、機は高度10000mを時速964kmでカフカス山脈の上空当たりを飛んでいる。帰りはずいぶんと南を飛んでいくものだ。ジェット気流でも流れているのだろうか。今、バクー上空からカスピ海に入ろうとしている。

何もすることもなく、モニターを見ていると7時54分にカスピ海を横断し終わり、成田まで8時間40分のフライトだと表示されている。

2月20日(木)

少し寝たのだろうか?10時40分に、カザフスタンの大平原を通過し終わっている。ほぼ5時間飛んだところだ。そろそろ日本時間に戻そう。だから、トルコ時間午後10時45分は、日本時間で朝の5時45分。

また寝たのだろうか。気が付いた時は9時02分だった。北京上空辺りを飛んでいるようだ。外は夜が明けてきているが、一面の雲海になっている。この雲の下はPM2.5がたっぷりとたまっていることだろう。9時37分山東半島の先端を通過中。雲の切れ目からは渤海に浮かぶ船が見えている。

帰りの機内食2

帰りの機内食2 トルコ航空の機内食は美味しい

 2度目の機内食が配られてきた。

メニューは、

トルコ風ほうれん草入りペストリー、スクランブルエッグ、焼きトマト、白チーズ

サラダ(キュウリ、トマト、オリーブ、チーズ)、ヨーグルト、ケーキ、パン、水

飲み物は紅茶をもらった。

9時57分に美味しく終了したが、量が多い。これは朝食なのだろう。

飛行機の複雑な航路 北朝鮮情勢を表している航路

モニターの航跡を見ていると、機は北京付近から朝鮮半島を横断するまでに、6回もその進路を変えている。北朝鮮を大きく迂回しているのだ。北朝鮮上空を通過できれば、30分程度は短縮できるのに。日本上空にさしかかってくると、相当ジェット気流が強くなっているようで、機の速度が時速1216kmを指している。音速は1225kmだから、それに近いスピードになっているが、機体は大丈夫なのだろうか。

鹿島港 平野を掘り込んで造った鹿島港

1時になると高度を下げ始め、新潟方面から越後山脈を越え、前橋の北側を通過して、いわきで南に進路を取り鹿島灘に沿って飛んでいる。内陸には北浦が見え、鹿島アントラーズのスタジアム、鹿島港を通過して、利根川を渡り九十九里海岸に出て行く。

いわきから九十九里に至るまで、畑のほとんどはビニールハウスで覆われている。ここに大雪が降ったのだが、ビニールハウスは大丈夫だろうか。

11時30分に屏風ヶ浦から太平洋に出て、右に大きく翼を傾けて進路を真っ直ぐに成田空港に取り始めた。

11時39分、着地が分からないくらいスムーズにランディングをしたが、このようなランディングは初めてだ。このパイロットはうまい。誘導路を17分間も走って56分にようやく駐機をした。

12時00分に飛行機から降り、入国審査、荷物の受け取り、リムジンバスのチケット購入、バス乗車と進んで、1時39分無事横浜駅に到着。

横浜から電車に乗って我が家に着いた時は、2時30分ちょうどだった。


家に帰れば、座る間もなく今晩食べるものを、スーパーへ買いに行かざるをえない。

買った物をリュックに詰めて背負い、レジ袋をぶら下げているいつもの自分の姿を見ると、これが現実なんだよなと思うはいつものことだ。

今思えば、トルコのパンをもっと食べ、エフェスビールをもっと飲み、ヨーグルトの美味しさをもっと堪能しておくべきだった。

今度、アメ横でドネルケバブでも食べてみようか。


これで、トルコ旅行は終わりでが、なかなか面白い旅行でした。

トルコ旅行に人気がある意味が分かったような感じがしました。

次回からはイギリスですが、すこし間が空くと思います。


ブログは終わりになりそうですが早いものです。トルコの料理には日本と共通しているところもあるような気がします。

今日の昼食のスズキもその一つなのですが、その大きさから言ってスズキではありません。


昼食

 12時25分、ボスポラス海峡の入り口、マルマラ海に面したところにあるスルバリク(Sur Balik)と言う魚料理のレストランに到着した。レストランの窓からは、道を挟んでマルマラ海や、ボスポラス海峡を北上していく船舶がよく見える。
2月19日の昼食1   2月19日の昼食2
魚のスープと白インゲン豆   スズキのグリル
2月19日の昼食3 デザートの生リンゴ
メニューは、

1.魚のスープ

  脂のない魚のぶつ切りが入ったスープ。ゆでた白インゲン豆、

パセリ、パプリカ、

タマネギ、ピクルス、ネギが入っている。豆が甘くて美味しい。

2.スズキのグリル、フライドポテト、生野菜、ご飯、チーズ春巻き?

  30cmくらいのスズキなので、フッコと言った方がよいだろう。

その内臓を取り除いて、丸ごと1匹グリルし、ほかのものとあわ

せて皿に盛りつけてあった。

魚をナイフとフォークで食べるのは難しいが、スズキは白身魚

だから、肉はあっさりとして上品な味がする。

脂分は少なくレモン汁を掛けて食べたので、口当たりもサッパリ

している。

3.デザート  生リンゴ

1時15分終了。32分出発。外気は14度。

イスタンブル空港

 空港へ向かう時に、カディルさんが「すみません、私この後皆さんと一緒に東京へ行くことになりました。東京でビジネスです。」一同驚いて歓声が上がった。

1時50分にイスタンブル空港に着いたが、1回目の手荷物チェックにも慣れてきた。

しかし、この空港では係員が無作為に8~10人に1人の割合で、スーツケースを開けさせるという。自分のは開けられなかったが、同行者のうち4人が開けられた。

2時10分トルコ航空のカウンターに並び、へジャブをかぶった美人のお姉さんに窓側の席をほしいと言ったら、TK0050便 45JKと書いたチケットをくれた。スーツケースを預けたのは20分。ちなみに、カディルさんはビジネスクラスのチケットを手配していた。彼はお金持ちなのだ。

出国審査を受けてから、2回目の手荷物検査をすませ、毛束さんにイヤホンガイドを返したのが2時50分。その後、諸注意を受けて解散した。

チケットには、219番ゲートと印刷してあるので、そこを捜してイスに座ろうと思ったら、その搭乗口はまだ閉鎖されていて入ることが出来ない。通路にたった8席しかないイスにようやく座れたが、ガラス越しには219番ゲートのロビーのイスがたくさん見えている。

するとパイロットやキャビンアテンダントもそこへ来たのだが、全員その場に立ったまま待たされていた。合計で1時間くらい待っただろうか、4時20分になってようやく扉が開けられた。さらにゲートのロビーに入るには、その受付で搭乗チケットを確認されたのだ。しかしそのロビーにはトイレがなく、用を足す時には、チケットをその受付に置いて行かねばならなかった。窓から外を見ると、空港は一面の霧でほとんど何も見えない。

そういえば毛束さんが「皆さん幸運です。13日に成田を発ってきましたが、14日には成田が大雪で空港が閉鎖になりました。14日発のトルコ旅行は足留めのようです。一日遅れていたら、皆さんの飛行機は飛べませんでした。」もしそうだったら旅行はどうなるのだろう。「さらに、今日の霧です。皆さんは昨日アンカラから飛んできたのですが、今日はその便が運行停止になっています。一日遅れたらどうなっていたのでしょう。とにかく運が良すぎです。」それを聞いた一同は、胸をなで下ろし、“もし飛ばなかったらどうなるんだろうか”と他人の心配をする余裕が生まれていた。しかし、他人の不幸は蜜の味がする。


帰りの飛行場というのは、帰国するという安心感もありますが、「ああーーこれでトルコともお別れだ」という残念な気持ちもあります。

これはトルコに限らずどこの国に行ったときも同じ気持ちにさせられるものです。


サバは脂が抜けたようなもので、身自体は美味しくありません。

油でソテーしてあることと、レモン汁などで味付けするから美味しいのかも知れません。


サバサンドウィッチ

サバサンドウィッチ屋さん  サバサンドウィッチ

サバサンドウィッチ屋さん  サバサンドウィッチ

下船したところに、旅の本などには有名な3軒のサバサンドウィッチ
屋さん
がある。このレストランは、係留した船に厨房をもち、岸壁にイス席を設え、その上を屋根で覆っている。サバをオイルで良くソテーしてあり脂はしっかりと抜いてある感じだ。20cm位のコッペパンに切り込みを入れ、タマネギ、レタスと脂のない小振りのサバ(頭を落とした開きのサバ)を挟んで売っている。そのまま食べるとパサパサしてうまくないので、レモン汁と塩を適宜ふりかけると、サッパリ感が出て美味しく感じる。

値段は6リラ?だったような気がする。55分に出発し、徒歩で地下道を歩いて反対側にあるエジプトバザールへ移動した。

エジプトバザール

エジプトバザールの香辛料屋さん エジプトバザールの香辛料屋さん

 地図にはエジプシャンバザールと書いてある。ここには、各地から集められた香辛料のお店がたくさん店を開いている。バザール内では色とりどりの香辛料を量り売りで売っていて、その色彩は実に綺麗で華やかである。ほかにも雑貨店、衣料品店、貴金属店などもある。このバザールはそれほど大きなものではない。ここで、クルーズに参加しなかった8人の人と合流し、10時08分バスに戻って出発。外気温は10度。

トプカプ宮殿

 トプカプ宮殿などのイスタンブルの歴史的観光地は半径1kmの範囲に集中している。

そのため、23分には宮殿に到着した。ここはシルクロードの終点の1つであるという。
トプカプ宮殿帝王の門   トプカプ宮殿挨拶の門
帝王の門           挨拶の門
バスから降りると、ほとんど目の前に宮殿の
「帝王の門」があり、そこの狭い入り口から中に入った。この門はとても大きなもので、宮殿と言うよりは防衛堅固な城壁の一部という印象だ。入るとそこは「第一の庭」とも言うギュルハネ庭園で、かつては動物園であり、君主の離宮などもあったようだ。現在は左手に国立考古学博物館やかつてのオスマン帝国の造幣局が建っている。

庭園を300mほど歩くと、そこには「挨拶の門」(表敬の門)があり、入場する時に手荷物チェックが行われた。この門の扉を正義の扉とも言い天井は木造になっている。また門の左右には2本の塔が立っていた。

この門の外では、出陣する兵士を王が謁見したという。

ここからが宮殿の本体で、この門を入った所の外廷とさらに内部の内廷に分かれていた。主な政治はこの外廷にある建物で行われていたようである。

ハレムの入口 ハレムの入り口

正面に王の内廷(私生活空間)の入り口の「幸福の門」がある。左奥には正義の塔が見え、それを目指して進んでいくと、そこが、宮殿のハレムの入り口でもあった。

カディルさんが「皆さんハレムというと、何を想像されますか?このハレムは、生活に困った女性を面倒見る場所でもあったのです。王の奥さん達を含め、女性達は英語、フランス語、イタリア語などや教養を身につけ、外国からの賓客の接待をしていたのです。トップの女性はスルタンと呼ばれていました。「会議の間」では、国の高官が重要な会議をしたのですが、王様な高いところの格子窓からその様子を見ることが出来、状況を把握したのです。」その後、カディルさんがこれからの観光のポイントを話してくれた。「この後、解散して、自由に観光していただき、11時45分に「幸福の門」の外に集合とします。

「会議の間」の隣にハレムの入り口がありますが、出口は門の中になります。門を入ったところに「謁見の間」があり、建物は庭を取り巻くように建っています。左側のハレム出口側の建物に、マホメドのあご髭、モーゼの杖、予言者の肘の骨、歴代王の肖像画、武具展示室があります。右側の建物は宝物館で、4つの部屋に金銀財宝が展示されています。その中で必ず見なければいけないのが、世界で4番目に大きなダイヤモンドです。84カラットあります。」と聞いたのは11時00分だった。これから45分間でそれらのものを見て回るのは忙しい。急いで「幸福の門」の外にあるトイレに入り、「会議の間」をもう一度見てから、ハレムに入っていった。

ハレムの入り口は、幅2m高さ3mほどの、壁に空いた穴という感じでとても狭い。

中に入るとそれまでの印象とは全く違い、様々な部屋が作られていて、その昔、様々な女性が生活したであろう空間が広がっていた。もちろん日常的にこの空間に入れる男性は王様だけだったのだろうが、女性の生活を支えるために、たくさんの宦官がいたのであろう。ハレムを出て、左側の建物に入り、歴代王の肖像画やマホメドの髭の入った箱、モーゼの杖などを駆け足で見てから、宝物館へ移動していった。中にはとても高価な財宝が並べられているのだが、それらを見続けていると「このデザインは良い、これはあまり・・・」などと勝手な評価をしている自分がいる。巨大なダイヤを見てもそれがダイヤとは思えず、ただのガラスのような感じがしてしまう。

「謁見の間」を見終わった時には11時35分になっていたので、「幸福の門」の外側の集合場所に戻った。

平日にもかかわらず観光客が多く、遠足に来ている生徒も見える。女性は顔だけ出すチャドルや目だけ出すニカーブの人もみられる。へジャブの人や何も付けていない人も多いが総じて美人が多い。女性の服装を見ていると、へジャブ、付けていない、ニカーブ、チャドルと言った順だろう。「挨拶の門」から、50分に再び「帝王の門」を出てバスに乗り、12時05分に出発した。


トプカプ宮殿を見ると、オスマン帝国の国王の強大な力というものを感じてしまいます。それだけ、オスマン帝国は領土を経営するのがうまかったと言うことなのでしょうが、近代装備をしたヨーロッパにすべて打ち砕かれてしまったようです。

昨日は海峡の沿岸に立ちましたが、今日は海峡クルーズです。

しかし、濃霧に覆われた海峡はその姿を現してくれませんでした。


ボスポラス海峡クルーズ

 ホテルを出たバスは、濃霧のイスタンブル市内を金角湾に向けて走っていくのだが、ほとんど景色が見えない。8時10分に金角湾に架かる橋を渡っているが、橋ではたくさんの人が釣りをしている。カディルさんが「ここで釣りをしている人たちは、アルバイトです。みんなこの後に仕事へ行くのですが、それまでの時間を使って、釣りをしているのです。アジやカタクチイワシが釣れますが、それを売ってもうけるのです。」見ると、本当にたくさんの人が長い竿を出して釣り糸をたれているが、釣れている様子はほとんど見られない。湾を渡り終えて左折し、18分にたくさんのクルーズ船が係留されている桟橋に着いた。カディルさんが、クルーズ会社の事務所に行くと、今日は濃霧なので船が出せるかどうか分からないとのことで、しばらく待つことになった。

岸壁から金角湾の水を見ると、透明度が高く汚染されていないようだが、ゴミはたくさん浮かび、冬だというのに、水クラゲがたくさん浮かんでいる。
海峡クルーズ船に乗船   ガラタ橋と釣り人

ようやくクルーズに出発    ガラタ橋と釣り人
8時30分になって、ようやくクルーズに出発することが出来るようになった。

クルーズ船は船上デッキと船室部分から出来ている。最初、皆さんデッキで景色を見ていたが、何しろ濃霧のためほとんどミルクの中にいる感じで景色はうっすらとしか見えない。それに、デッキでは霧の水滴が当たり徐々に身体を冷やしてくるし、船が進むことによる向かい風を遮ることが出来ない。船は金角湾の湾口付近の入り江にあるサバサンドウィッチのレストランの前を通ってから、ガラタ橋の下をくぐってボスポラス海峡の南口に出て行った。36分。

ガラタ橋は水面からの高さが低く、大きめの船が通過する時は、勝鬨橋のように橋桁を上げることが出来る。ガラタ橋を見上げると、たくさんの釣り人が1~2m間隔でぎっしりと並んでいるではないか。それも両側に。是非そこで、日本の仕掛けを試してみたいものだ。

海峡に出た船は、ゆるやかに左へ曲がり、ヨーロッパ側の岸に沿って北上していく。

37分、漁師の手釣り船が20隻ほど釣り糸を垂らしていたが、見ている範囲では、どの船も釣れている様子はない。対岸はアジアだが、全く影も見ることが出来ないのは残念だ。海峡の潮の流れには強弱があるようだが、船がしきりにローリングしているので、今は潮を上っているようだ。目の前を海峡横断フェリーが横切っていく。

霧の中から、左手の沿岸1kmに渡ってドロマバフチェ宮殿が現れた。この宮殿は722室を持ちイタリアのバロック式で造られている。

48分、右前方にイルカが現れた。

54分、岸壁沿いに建てられたガラタサライ大学の200m先に「第一ボスポラス橋」が海峡を横断している。この橋は吊橋で、幅39m、全長1510m、水面からの高さは64mである。橋は自殺の名所だそうで、英国の会社によって建設されたものである。

船上のアップルチャイ アップルチャイ

そのころ、やがて暖かいアップルチャイが無料で振る舞われたが、何人かはそれを飲むと三々五々下の船室へ降りて行ってしまった。左にガラタサライ島が見える辺りまでくると、「濃霧が晴れないので、海峡を管理するところから帰港指示が出た」と言うことで、戻ることになってしまった。確かにこの先は海峡がS字状に曲がっているので危険なのだ。

ところでガラタサライは、トルコの名門サッカーチームだが、ガラタの語源は紀元前のガリア人に由来すると言う。ガラタサライとはガラタ宮殿の意味で、サッカークラブから出発した総合スポーツクラブの名前である。クラブは様々な分野に事業を拡大して、ガラタサライ高校・ガラタサライ大学なども持っている。

濃霧の海峡を進む巻き網船 濃霧の中を進む巻き網船

国際的に、船は左側通行が大原則なので、9時04分にUターンをしたクルーズ船は、アジア側の岸をうっすらと見ながら走るはずだ。しかし濃霧がさらに強くなり、07分にアジア側航路が通航禁止になってしまったので、ヨーロッパ側に戻って帰港することになった。その中を、海峡を南下してきた巻き網船が、船尾にトルコ国旗をしっかり立ててクルーズ船を追い抜き、霧の中に消えていった。国際海峡なので、国旗を立てることは安全のためにも必須のことなのだろう。再び、ガラタサライ島、ドロマバフチェ宮殿(16分)、釣り船群などを見ながら戻っていく。水中には水クラゲがたくさん浮かんでいる。クルーズ船は霧笛を響かせながら、44分にたくさんの釣り人がお仕事中のガラタ橋をくぐって、47分にサバサンドウィッチ店そばの桟橋に着岸した。


霧がひどくてほとんど見えない観光になってしまいました。

晴れている海峡を体験したかったのですが残念です。

シェラトンホテルの引き出しを開けると、ここにもキブラの矢印がありました。

それを見て大喜びをするのは変でしょうね。


シェラトンホテル
シェラトンホテル   シェラトンホテル2307号室

シェラトンホテル          2307号室

シェラトンホテルのキブラ キブラ(メッカキブラと書いてある)
 10時45分にシェラトンホテルに着いた。明日の連絡は既に受けているので、オプショナルツアーに行く人の集合を確認してから、2307号室のカギをもらって解散。

なぜかこのホテルでも、2組だけが高層の24階を割り当てられ、部屋に着いた時は10時54分だった。

2307号室はダブルベッド2つを余裕でおける広い部屋だ。室内調度や、浴室などは全く問題なく、高級感がたっぷりという感じがする。

時間は既に11時になっているので、シャワーを浴びて、さっさと眠らなければならない。荷物は、お土産などはほとんど買っていないので、重量は日本出発時と大して変わらないし、衣服も途中途中で整理して詰め込んで来たので整理することもたいしてない。作業は明日の朝にしよう。

2月19日(水)

出発

 目が覚めたら、5時30分だったので、起きだし荷物整理をしていると、6時になりモーニングコールが鳴った。着替えてレストラン“333”に行き、49分に着席していた。

2月19日の朝食 ヨーグルトが美味しい朝食

メニューは

 キュウリ、トマト、ソーセージ6種、チーズ6種、レーズン、玉子、ヨーグルト、牛乳、ミカン

味は全体によいが、ヨーグルトが今までと少し違っている。濃厚さがない。自家製造の普通以下といった感じがする。どうも濃厚処理をしていないようだ。7時8分終了。

部屋が24階なので、アザーンの声も届かず、窓からは外が何も見えない。曇りガラスなのかと思い、少し開く窓から外を見ると、イスタンブルが一面の霧で満たされていたのだ。

これではボスポラス海峡が何も見えない。

7時40分にチェックアウトを済ませてバスに乗ると、もうほとんどの人が乗り込んでいた。外気は9度で肌寒く、一面の霧で100m先も見えない。

その中を、バスは7時45分に出発した。


それにしてもトルコの食事はとっても良いですね。何にもまして、ヨーグルトが絶品です。

ベリーダンスのダンサーには驚いてしまいます。

その動きをじっと見ていると、プロだなあ、と思い知らされます。


ベリーダンス

 暗くなったイスタンブルの町を走って、8時40分に「ガル ミュージックホール」と言うところに着いた。

着席すると料理が配られてきた。
2月28日夕食1   2月28日夕食2

前菜             チーズパイ
① 前菜 レタス、パプリカの柔らか煮、
ヨーグルトペースト、

  アンチョビ、ピーナツバター? キュウリ、ケーキ、

  白インゲンのトマト煮、湯葉のようなもの、不明なもの

たくさんの物が少しずつ並んでいたが、なんだか分からないものも

あり、うまい物ではない。今までの中で一番うまくないのだ。

② チーズパイ

  これもブルーチーズを使ってあるので、うまくない。

チーズは大好きなのだが、ブルーチーズは苦手なのだ。

時計が9時になると、ステージで踊りが始まった。

最初は、男3人と女3人がトルコ音楽にあわせて踊る。女の衣装はセパレートのように見えるが、ウエスト部分は薄い布で繋がっている。

直ぐに男が消え、女3人がスローテンポで踊って退場すると、男3人が現れ、間もなく女3人が衣装を替えてきて踊る。踊りの意味は分からないのであまり面白くない。

音楽のリズムや踊りは中央アジアの遊牧民のそれを思わせるが、コサック的な面もある。

アイルランドのタップダンスや、東ヨーロッパ風のラインダンス風のものもある。

10分になったら、舞台を低くして、客席から10人を招き入れて即興的に踊り、客を戻してから舞台を再びせり上げて退場。

2月28日夕食3 牛肉ソテーやいろいろな盛り合わせ

③ 牛肉のソテーのトマトソース乗せ、

  ジャガイモ、ご飯、菜葉の和え物添え、サラダ

  牛肉は硬すぎて、ゴムを噛んでいる感じがする。

出されている物は何とも言えぬ不味い味で、パサパサ感と相まって、

これだけのものは滅多に食べられない

ベリーダンス1 最初のベリーダンス

18分、音楽と照明が変化してベリーダンスが始まる。25分になるとベリーダンスのリズムがスローに変わり29分にはアップテンポになる。ウエストをくねらせ、腰を前後左右に動かして踊るのは、男性を挑発するのだろう。

31~33分にかけては激しいリズムで踊り、終了した。

カディルさんは、砂漠を旅した民族は、ほてった足を砂の中に埋めて冷やしていた。その状態で踊りを踊ったので、下半身が固定され、上半身をくねらせるベリーダンスになったのだと言っていた。調べてみると、諸説あるが本当の起源は書いてないから、そうなのかも知れない。

34分になると、明かりを持った男女6人の踊り。囃子のかけ声は遊牧民のベドウィンやトアレグのものと同じだ。

35~40分、イスを持ち出して、客を舞台に上げて踊る。それは床屋の踊りで男女1人ずつが男の髭を剃り女と結婚をするストーリー。

40分、男1人の踊り。音楽にインドのシターのような音、リードや笛の音が入っている。女が1人加わり、再び6人となって群舞を始めるが、何の踊りなのか分からず、43分になるとアップテンポになって46分まで続いた。男の体型を見ると大柄ではないが、腹が出ているのが気になる。

2月28日夕食4 小さなパウンドケーキ


④ パウンドケーキ(蒸しケーキ) シナモン入り

ベリーダンス2 エキゾチックな魅力のベリーダンサー

48分 今日のメインのベリーダンスが始まる。

ダンサーはトルコ風の美人でスタイルも良い。衣装は赤い下着の面積が小さく、下半身はさらにスダレのようなものを付けて、下着がチラチラ見えるようにしてある。鍛えられているのだろうか、筋肉は発達している。この人がメインイベンターなのは明らかで、その雰囲気からして他を圧倒するものがあるし、見ている者を引きつける何かを感じてしまう。踊りを見ていると、ウエストを境に上体と腰を別々に動かしているが、これも技だろう。

56分に早いリズムに変わり、10時頃には身体がうっすら汗ばんできているのが見える。

02分には単調なリズムになり、05分まで太鼓の音が強く響き続けると、一種の陶酔感をもたらしてくる。小太鼓の早いリズムに乗って、フィナーレの舞いが行われ06分に終了となった。

このダンサーは18分間も休みなく1人で踊り続けたのだが、その体力は素晴らしいものがある。プロだ。年齢的には30歳前後だろうか。10時10分、バスに乗車出発。


メインで踊ったベリーダンスのダンサーは、その雰囲気からしてやはりトリに踊る人だなと思わされました。迫力もありますし魅力もあります。

外国に行くとトイレを観察することが多いです。ここウシュクダラ駅のトイレには男性用の小便器が一つもありませんでした。しかし、手洗い水や洗剤、手ふき紙などは自動化されていたのです。ここのトイレはどういうコンセプトで作ったのでしょうか。


トルコのトイレ

 トイレはその国の素顔を表している。トルコのトイレをあちこちで見
てくると、男子トイレの個室と小便器の数に特色があるだろう。この国は個室の数の方が多いのだ。ウシュクダラ駅の男子トイレはなんと個室だけだった。トイレはもちろん水洗ではあるが、個室を見ると洋式と和式があり、和式は足乗せ台はあるだけだ。小便器は一般にその位置が高く、便器自体もやや高い位置に付けられている。手洗いの水道はほとんど自動給水で手をかざすだけで水が出てくるし、洗剤もついている。手ふきのほとんどは紙式で、そこについているセンサーに手をかざすと1回分の紙が自動的に出てくるものだった。

有料トイレは、大抵その利用料が1リラ(50円)で、例外もあるが清掃は比較的良くなされている。

トルコの人

 トルコの男の人はそれほど背が高くない。圧迫感を受けないのはそのような身長だからかも知れない。顔の輪郭や体格を見ると、がっちりとしている人が多い。カディルさんもそうだが、胸板が厚くてとても丈夫そうな感じがする。食料が豊かなのだろうか、お腹が出ている人もよく見る。イスラム式の民族服を着ている人はほとんど見ることは出来ない。女性を見ると、若い女性を見るチャンスは比較的少ないのだが、見た範囲ではエキゾチックな顔立ちで丸顔は少ない。トルコは民族の交差点だから混血が進み、美人の割合が高いのだろう。イスタンブルを除きへジャブを着用している女性が多いが、それをヘジャブでなくファッションと見れば、女性はそこに様々なおしゃれをしていることがわかる。イスラム教の影響があるせいだろうか、女性の動きは総じて抑制的で、あまり活発に動いている感じがしない。滅多にいない女性店員も決して前に出てこようとはしないし、「いらっしゃいませ」的な言葉を発することもない。ある程度以上の年齢の女性は、それなりにふくよかになっているが、チャドルなどを着用している人が多いから、その実体は分からない。

イスティクラル通り散策

 この後、ベリーダンス鑑賞付きの夕食だが、その開始は8時40分なので、それまでの時間は、イスティクル通りの散策をすることになった。

そこへの移動の時間を利用して毛束さんが連絡を始めた「皆さん、今のうちにホテルの連絡をしておきたいと思います。明日のモーニングコールは6時、朝食は6時30分からでロビー階にレストランがあります。その時に部屋番号を言って下さい。荷物出しは7時45分までです。明日オプショナルツアーに行く人の出発は7時45分で、ロビーのシャンデリアの下にお集まり下さい。行かれない8名の方は9時30分までにチェックアウトをして下さい。全員が再集合するのはエジプトバザールで10時00分です。

今日の私の部屋は0516号室です。電話は80516とおかけ下さい。各お部屋には水が1本、コーヒー、紅茶が付いています。ポットもあります。明日は日本に帰る日ですので、スーツケースの重さに注意して下さい。くれぐれも手荷物に液体や刃物などを入れないようにして下さい。」と言っている間に6時53分にタクシム広場に着いた。

インティクラル通りの人混み   インティクラル通りのコックさん

何となく歩いている人ばかり イケメンで愛想がよいコックさん

この広場から南西方向イスタンブル1の繁華街、イスティクラル通りが伸びている。8時に広場のマルマラホテル前に集合することで解散。

この通りは幅が20mほどで、この時間は人でごった返している。特に目的もなく人恋しさで歩いているだけではないかと思えてしまう。通りの中央を線路幅1m位の路面電車が走っている。通りの左右は商店が軒を並べ、様々なお店が明るい光を煌々とさせている。屋台も出ていて、そこでは、焼き栗と生のムール貝を売っているのが珍しい。焼き栗を買って食べてみたが、甘味が薄い感じがする。ムール貝

を食べている人がいたので見ると、その場で開けてくれたものを食べていたが、衛生的に大丈夫だろうか。とあるレストランのウインドウでコックさんの手際を見ていると、向こうもこちらに興味を持ったようで、様々なポーズを取ってくれた。花屋さんなどを見て8時に集合して出発。


この後、ベリーダンスを見に行きます。

オリエント急行と言えばアガサクリスティです。そしてその終着駅がトルコのシルケジです。そしてそのシルケジの列車止めを見たのです。

ホームにはクラシックな駅時計がぶら下がっていました。


ボスポラス海底鉄道
オリエント急行の終着駅シルケジ   シルケジの海底駅

オリエント急行の終着駅シルケジ  地下に作られた新シルケジ駅
 バスはトプカプ宮殿と最初に泊まったレガシーオットマンホテルの間にある、オリエント急行の終着駅のシルケジ駅に着いた。駅は宮殿の北西側にあたり、駅の外には当時の蒸気機関車が展示されていた。今は使われていないプラットホームは100年以上前のままでそこにはオリエントというロマンを感じてしまう。

その昔、ここまで鉄道で来た旅行者は連絡船でアジア側に渡り、ハイダルパシャ駅からさらに東に向かったのである。ノスタルジアに浸りながら、最近新たに出来たシルケジ駅へ移動していった。シルケジ駅は地下42mに作られている。5時10分。長いシンドラー社製のエスカレーターに3回乗って、アジア方面行きのホームに立った。5時23分に入ってきた電車はまだ新しく、車内のプレートを見ていると、乗客がコリアだと言っている。ボスポラス海峡を横断するこの海底トンネルは日本の大成建設が請負って完成させたが、走っている電車は韓国製、エレベーターはスイス製と国際色が豊かだ。

車内にはたくさんの人が乗っていて座席は空いていない。アジア側のウシュクダラまでの料金は2.5リラ(125円)で5分ほどの乗車だった。

ウシュクダラの町は、その昔、江利チエミが歌に歌って大ヒットし、日本中に知られた。

ユシュクダラ ギデルケン オルディダ ビル ヤグムール・・・と発音するらしいが、当時はそうは聞こえていなかった。トルコ語の発音は難しい。

ウシュクダラ

 ウシュクダラ駅で降りて、エレベーターを何度か乗り換え地上に出たが、そこは古い空気が充満する町だった。

周囲の建物は古いものが多く、高いものはない。道を渡って、岸壁に出ると対岸にはヨーロッパ側の高層ビルが見え、右手に第一ボスポラス橋の吊り橋が見えている。

ボスポラス海峡で鰺を釣っていたおじさん 釣った鰺を見せてくれたおじさん

目の前のボスポラス海峡を行き来する船の波が岸壁に打ち付け、しぶきを上げている。そこでは多くのトルコの人が釣りをしている。釣果を見てみるとアジがほとんどでイワシが混ざっている。ところが、これは趣味ではなくてお金を稼いでいるのだと言うではないか。釣っている人の仕掛けを見てみると、ビニールの疑似餌を付けたサビキ仕掛けだ。それを長い竿で海峡の投げ込んで釣っているのだが、エサやコマセは全く使っていないから、サビキはしない。こんな仕掛けで釣れるんだから、トルコのアジは素直なものだ。

これでは魚が釣れるはずがないが、20匹ぐらい釣ったおじさんがそれをビニール袋に入れて得意な顔をしていた。見ると袋の中のアジはほとんど口を大きく開けていたので、日本では魚屋さんが買ってくれないものばかりだ。

ウシュクダラ駅 ウシュクダラ駅の長いエスカレーター

時刻も6時に近くなり夕まづめの風も冷たくなってきたので、再びウシュクダラ駅に戻り、シルケジ駅に戻ることになった。

ウシュクダラの駅のトイレに入ったのだが、ここの男子トイレに小便器がない。個室が2つあるだけだ。6時19分発の電車に乗り、シルケジに着いたのは6時23分。

シルケジで地上に出て、バスが出発した時は6時36分。町はそれほど明るくない。


アジアとヨーロッパは、ボスポラス海峡とダーダネルス海峡を隔てて目と鼻の先にあります。イスタンブルはボスポラス海峡を隔てて市街地が広がっていますが、実際に見るまではその狭さが実感できませんでした。

もしここをロシアの船が通ると全部丸見えです。

ロシアはそれがとても嫌なのです。

だからシリアに基地を作ってあるのです。

グランバザールは、大きな市場という意味です。周囲を塀で囲み、いくつかの門で出入りをするようになっています。時間があればあちこち歩いてみたいのですが、少し歩いた感じでは、どこのお店もそれほど代わり映えがしないようでした。異国情緒に浸るのはよいと思います。


グランバザール

 「皆さん、これからグランバザールへ行きます。道に迷う危険性もありますから、言葉を1つ覚えて下さい。また、グランバザールにはいくつかの入り口がありますから、そのゲートを写しておいて下さい。道に迷ったら、その写真を見せて「bura nere」(ブラ ネレ)」と言えば教えてくれます。」と説明を受けて3時22分にグランバザールの近くでバスを降りて歩き始めた。午後のアザーンが響いている中を、バザールに向かうと、1750年頃に作られた1番目の門があり、脇にトイレがある2番目の門を入ると目の前に3番目の門があり、バザールの一番ゲートになっていた。写真をパチリ。
ヌルオスマニエ門
ヌルオスマニエ門


おみやげ店アナトリア   アナトリアの店主とカディルさん

おみやげ店アナトリア     アナトリアの店主とカディルさん
その門にはNURUOSMANIYE KAPISI
」(ヌルオスマニエ門)と書いてある。場所は、グランバザールの南東の角に当たる。

門の手前を右に曲がり、「アナトリア」というお土産物店に案内された。店員は日本語が分かる。カラスミなどの商品の試食をしてから、店の外に置いてあった1枚500円の安いスカーフを買って、バザールの中に入っていった。カディルさんが、トルコでは女性がスカーフを捲く時には、お祈り捲き、農作業捲き、掃除捲きがあって、その都度変えていると言っていた。ほかの人たちは、ここで、カラスミや乾燥果実、オリーブ製品などを買っていたようだ。安いと言ってもカラスミ一腹で一週間分の昼食代だ。

グランバザール内の雑踏   2月18日の交換レート

グランバザールの雑踏      この日の交換レート

バザール内には、貴金属店、雑貨店、衣料品店、提灯店、飲食店、お土産品店などが軒を並べている。ところどころには両替屋もあるが、面白いのはその交換レートが少しずつ違うのだ。ある店では1万円を250リラに替えると表示してあるが、その隣では215リラとなっている。もし、1万円を250リラに交換し、隣の店で250リラを円に交換したら12500円になってしまう。これって良いんだろうか?誤表示だろう。

国際都市だから、このような町中の店でもドル・ユーロをはじめとして、英・仏・豪・デンマーク・スウェーデン・日・サウジアラビアの通貨交換も表示してあるが、それにしても両替商の数が多すぎる。

衣料品・雑貨品等々の売値を見ていると、ほとんど同じ価格を付けているので、協定でも結んでいるのだろうか。

時間も少ないし、不案内なので1番ゲートからまっすぐに伸びる通りを歩き、反対側のゲートまで行ったが、同じような店舗が並んでいるだけなので、途中で一本内側の道を歩いて帰ってきた。そこには提灯を専門に売っている店が並んでいる。途中途中で直角に奥へ伸びる路地があるが、そこに見えるお店もそれほど代わり映えのするものではない。

カディルさんが言うには、このバザールで店を出すには相当な権利金を払わねばならないそうだ。1つ100円のブレスレットをいくつか買って、1番ゲートを出て「アナトリア」へ帰ってきた。1人0.5リラのトイレを済ませて4時30分に出発。35分にバスに乗った。


何となくなのですが、バザールの中を歩いていると、文化が融合するとはこういうことなのかという雰囲気になってきます。

やはりその場所でそこの空気を吸いながら文化を見ることが、理解をする上で大事だなと感じさせられました。

ブルーモスクに入るとその大きさに驚きます。しかし内部にはこれといった装飾がなくシンプルなのがとても良いです。


ブルーモスク
ブルーモスク

ブルーモスクの外観   

ブルーモスクの大円天井
太い柱に支えられた大円天井(中心ドーム)と5段のステンドグラス
ブルーモスクのミヒラーブとキブラ

礼拝場所と正面のミヒラーブ

 このモスクとアヤソフィアをあわせた地域一帯を「スルタン アフメト ジャーミィ」と言い「アフメト王モスク」という意味になっている。アフメト王はオスマン帝国14代目の王で、1603年に13歳で即位して14年間その位にいた時に、このモスクを建てたという。1603年は徳川家康が江戸幕府を開いた年だ。ジャーミィとはアラビア語の“集まる”と言う意味で、金曜日にイスラム教徒の礼拝日でモスクにたくさんの人が集まることから、ジャーミィがモスクを表す言葉になったそうだ。

5分ほど公園内を歩いて2時36分に靴を脱いでブルーモスクに入った。

モスクの中心ドームは、大人10数人でようやく取り巻ける太い4本の柱を中心にして支えられている。ドームの天井の高さは、20mはあるだろうか。その天井からは長いロープで燭台がつり下げられているが、もちろんその途中に、虫除けのダチョウの卵3つがぶら下げられている。ドーム天井や壁にはアラビア模様の青いタイルがはめ込まれ、光に反射して爽やかな光を放っている。これがブルーモスクの謂われらしい。モスクはドーム構造をしているので音響効果がよくて、マイクがない時代でも声が良く通り、それが独特の効果を発揮している。

正面の壁にはミヒラーブが作られキブラを示しているので、多くの信者がそこに向かって礼拝をしているところでもあった。その壁には5段のステンドグラスがはめ込まれ、各段を通過する光線により5回の礼拝を示すようになっている。

広い床には全面に絨毯が張られ、そこでは同時に5000人が礼拝でき、モスクの外では10000人の礼拝が可能という大きさである。モスクの内部は、観光客が観光する場所と信者が礼拝する場所が、移動式の簡単な柵で仕切られて、“訪問者はこの線まで”と表示されていたが、誰でも中に入れる雰囲気だった。しかし、信仰の邪魔は出来ないので、その線を越える人はいない。正面の反対側の壁には、トルコ石の青緑色が鮮やかな23021枚のタイルが貼り付けられているのも素晴らしい。

そのミヒラーブを背景に絨毯に座って写真を撮り、3時05分にモスクを出た。

キリスト教会では感じないが、モスクではその雰囲気が身体にしみこんでくるような感じがする。それは、イスラム教がその礼拝を、信者各自に任せているからだろうか。モスクの中には何もないし、神父や牧師などもほとんど見ないし、十字架的なものもない。あるのは礼拝行動だけで、そのシンプルなのがよいのかも知れない。

3時14分出発。外気は16度。


モスクの雰囲気を体に受けてから外に出てきました。

このときの気持ちは、イスラム教徒ではないのですが、良い気持ちになっています。