【国際交流のチャンス】弾丸日帰り旅行で 原爆ドームに学ぶ旅③ | アラサー女一人、マレーシア留学

アラサー女一人、マレーシア留学

元英語嫌いでマレーシア留学することになったアラサー女子のお気楽なブログ。
2023年9月に渡航予定です。マレーシア留学の準備と院生旦那との結婚生活と観劇のことを綴ります。

仕事と電波の都合で休日を中心にいいねさせていただいてます。

【国際交流のチャンス】弾丸日帰り旅行で 原爆ドームに学ぶ旅③

こんにちは!
マレーシアに留学予定のゆうなです

今年(2023年)の9月からマレーシアに留学することになったアラサー女子です。大学院修士課程を卒業したため人より就職が遅く、社会人生活もうすぐ3年目の26歳です。元々英語が嫌いだったけど、学生時代の国際交流の経験から一念発起して社会人留学を決意しました!

 

準備とか現地の生活とかを記録して、将来同じように留学する同世代のアラサー女子の方の参考になったらいいなあという気持ちでブログを書いてます。

 

 

 

 

sokoiko!サイクリングツアー

広島に行く前にサイクリングツアーへの参加を申し込んでいた。

広島育ちのジモティなガイドさんによるツアーだ。広島市内のレンタサイクル「ぴーすくる」を使って移動する。
 
実はトリップアドバイザーを通じて海外からの観光客に超人気のツアーでもある。
この日はさすがに平日ということもあり、日本語ツアーの参加者が私だけだった。
このまま日本語ツアーをマンツーマンで実施していただいても良かったのだが、せっかくなので英語ツアーに入れてもらうことにした。ちょっとドキドキ!
 
他の参加者はイギリス、ニュージーランドから来た人たちだった。みんな英語ネイティブだ!
 

 

平和記念公園内

原爆ドーム~相生橋〜折り鶴のモニュメント

ツアーのはじめにそれぞれ簡単な挨拶と自己紹介をした後、一旦公園の外、爆心地(グラウンド・ゼロ)である「島病院」の前を通ってから原爆ドームの前へ。実際に移動してくることで、その距離感がわかる。
 
相生橋から原爆ドーム・平和記念公園を見る
そこから自転車でまた公園を出て向かったのは原子爆弾が落とされた際に目印となったT字型の相生橋。その上から平和記念公園をながめた。
 
 
折り鶴・原爆の子の像
「折り鶴・原爆の子の像」という折り鶴を折り続けた少女、禎子さんのモニュメントもよく知られている。被爆から10年後に白血病を発症して、回復を願う折り鶴を作り続けた佐々木禎子さんという女の子の死をきっかけにつくられた像である。
禎子さんの折った鶴は資料館の方で見ることができる。
ガイドさんによれば、最期の方は身体の自由が利かず、つまようじを使って折っていたという。
 
平日だったからか、小学生の団体が祈りの歌や詩の朗読をしながら折り鶴を捧げているセレモニーにいくつか遭遇した。
元々私がカトリック校出身のため、キリスト教的な祈りは経験したことがある。沖縄に平和学習へ行った際にも、各地で祈り、最後にはミサをした。
そうじゃなく、平和を祈る歌とか詩の朗読を聞くのは初めてだったが、その場にいるだけで気持ちを一つにできるような気がした。
 

 

G7首脳が植樹した被爆桜〜慰霊碑

G7首脳により植樹された被爆桜

次の場所への道中、最新のスポットということで紹介があったのが、この柵に囲まれた小さな木である。

 

 

先日のG7の際に各国首脳が植樹したソメイヨシノである。土台となっている木に接ぎ木されているのは、1945年8月6日のあの日に被爆した被爆樹木であり、いわば被爆桜2世ともいえる。
 
もう少し良い囲いもあったんじゃないかなとか思ったりもしたが、これから大きくなって花を咲かせる日が楽しみだ。
 
広島平和記念公園の慰霊碑
そこから公園の中心である慰霊碑へと向かった。
慰霊碑の前にはたくさんの人がいた。まっすぐに見ると原爆ドームを望むことができる。平和記念式典などではこのあたりがステージになっていてあまり映らないが、ガイドさんに、水の中にはモニュメントの言葉が色々な国の言葉に翻訳されている石があるというのを教えていただいた。
 

赤十字病院

ぴーすくるで街の方へ移動する
次にアーケードの商店街を通り抜けて赤十字病院へ移動する。自転車で回るツアーだからこそこうやって移動できる。
「日本人は雑踏でもスイスイ行くから皆さんも頑張って!」と励まされながら進む。
実は私にとっては初めての電動自転車だったので、日本人である私がなんだかんだ運転に不自由していたかもしれない。
途中では広島の街のこと、暮らしのことも教えていただいた。
 
広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク
公園から少し離れて着いたのは広島赤十字・原爆病院。
「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」という形で被爆遺跡が保存されている。
実際に被爆して歪んだ窓枠を見ながら、ガイドさんの説明を聞いた。教科書には載っていない、ガイドさんにとって身近な広島の人たちの「その後」のお話まで聞くことができ、原爆の出来事というのは体験した人から直接話が聞けるくらい最近のことで、今にも問題が続いていることなのだと感じさせられた。
 
お話をかみしめながら広島電鉄の車庫なども見学し、街中をさらに自転車で走って、商店街で解散となった。
 

感想

ツアーの中では随所に、広島の歴史の話や原爆の日の話がある。その時、主語は「私のおばさんは〜」とか「おじいさんは〜」というように、ガイドさんの身近な人達である。

広島が地元のガイドだからこそシェアしてくれるストーリーだと思う。
 
私は身近な戦争経験世代本人たちが、あまり語ろうとしなかったのもあり、経験を聞けなかったのが少し心残りというところがある。
その分、聞くことができた話は自分の心の中に落とし込んで、誰かに伝えるというふうにしたいと思った。
 
また、今回は英語ツアーに参加したが、適宜ちゃんと理解してるが気遣ってくださって不安なく参加できた。
ついでに自分は英語のリスニングなら得意なんだということを改めて感じた。
 
一個一個の場所はもちろん自力で回れるが、ストーリーとして学んだり、モニュメントや噴水の場所の意味を理解しながら回ったりするには、ツアーに参加してよかったと思う。
 
マレーシア留学も応援していただいたので、がんばりたい!という思いに繋がった。
 

 

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