【国際交流のチャンス】弾丸日帰りで原爆ドームに学ぶ旅② | アラサー女一人、マレーシア留学

アラサー女一人、マレーシア留学

元英語嫌いでマレーシア留学することになったアラサー女子のお気楽なブログ。
2023年9月に渡航予定です。マレーシア留学の準備と院生旦那との結婚生活と観劇のことを綴ります。

仕事と電波の都合で休日を中心にいいねさせていただいてます。

【東京→広島】弾丸日帰りで原爆ドームに学ぶ旅②

こんにちは!
マレーシアに留学予定のゆうなです

今年(2023年)の9月からマレーシアに留学することになったアラサー女子です。大学院修士課程を卒業したため人より就職が遅く、社会人生活もうすぐ3年目の26歳です。元々英語が嫌いだったけど、学生時代の国際交流の経験から一念発起して社会人留学を決意しました!

 

準備とか現地の生活とかを記録して、将来同じように留学する同世代のアラサー女子の方の参考になったらいいなあという気持ちでブログを書いてます。

 

 

 

 

前回まで

前回の記事に書いたように、留学前に訪れておきたい場所として広島を思い浮かべていた私は、ついに広島に0泊2日の弾丸旅行を計画した。

夜行バスに乗り、12時間の車中泊を終えて、翌朝の9:20すぎに広島にたどり着いた。

 

 

 

広島駅から平和公園へ

広島電鉄「広電」

広島の路面電車
 

夜行バスは広島駅の近くのセブンイレブンに到着したので、そこから5分ほどのターミナル駅である広島駅に行く。
ご飯はバスの中でサービスエリアで購入したパンで済ませてあった。食べようと思えばここでも済ませられたと思う。空いたばかりのおみやげショップなどを通り抜けて、早速路面電車の駅に向かう。

広島駅から原爆ドーム方面に向かうためには、この広島電鉄の路面電車か、路面バス、観光向けの周遊バス「めいぷる〜ぷ」に乗るのが選択肢になると思う。

 

路面電車とめいぷる〜ぷは値段が同じで、時間の制限さえなければ、バスの1日乗車券を買ったほうがたくさん乗り降りできると思ったが、私にはこの日の夕方の新幹線で帰宅するというミッションがある。路面電車で広島駅から原爆ドーム間の往復だけをすることに決めて、普通の運賃で乗車した。

 

電車はちょうど関西方面からの修学旅行だと思われる小学生の一団と、幼稚園生の遠足の団体と一緒になった。
あとは平日だったこともあり、日本人観光客はほぼおらず、ほとんど海外観光客だった。

 

多くの電車は原爆ドームに向かうのであまり心配はないけれど、行かないやつもあるにはあるので、日本語がわかる私も、どの電車に乗るか迷った。これはこれで雰囲気があるものの聞きとりにくい難点のあるアナウンスを頑張って聞くより、窓口に尋ねるか、案内表で乗る電車の番号を確認してしまったほうが良いと思った。

 


平和記念公園へ

広島平和記念公園の原爆ドーム

路面電車に乗って8駅のところが、原爆ドーム前駅だった。降りるともう見えていた。
夜行バスの時間が長かったので、私は前日からこの日の朝にかけて広島市が提供している平和学習コンテンツなどを読みながら来ていた。


地名や橋の名前、建物の様子を確かめるように原爆ドームの周りを一周回った。原爆ドームは世界遺産でもある。周りの普通の街並みとはミスマッチな、溶けて骨組みが目立つ建物が、原爆の被害の大きさを物語っていた。

平和記念公園とその周辺はsokoiko!のサイクリングツアーに参加して回ったので、その詳しい感想は、そちらで書きたいと思う。

 

 

 

平和記念公園を回る

広島平和記念資料館

ツアーの後には平和記念資料館に入館した。
リニューアルがあり、資料保存の観点から展示の再編が行われている。

じっくり見たところ、所要時間は2時間行くか行かないかくらい。ちょうど修学旅行生の団体と被り、すごくいい生徒達で「お姉さんが見てるからお前どけよ(私は彼らの頭の上からちゃんと見えている)」と混んでる中でも場所を譲ってくれたりした。
彼らはその前のボランティアツアーとの兼ね合いで、45分位で見るように言われていたらしい。さすがに全然足りないと思った。

 

以前NHKのドキュメンタリーでも見たが、あの日、学徒動員で広島の小学生が集められていたため、子どもの遺品が多い。それはもちろんだが、個人的には同世代の女性の遺品が多いことが印象に残った。

 

若い男性は軍人として招集されていたのだろう。

また当時は20歳を過ぎたら結婚して子どものいる人が多かったのだと思う。
市内に住んでいた人、子どもを探して市内に入り、その後放射線による被爆の影響で亡くなったり、後遺症を患ったりした人など、写真付きで遺品が展示されていた。日記やカルテなどは被爆後の様子が伝わって来て生々しかった。

 

「戦争は良くない」、「原爆は二度と落としてはいけない」と言葉でいうと短くなってしまうが、この場所に来てあの日について知ることで、本能的にその感情が湧き上がった。

 

それはこの場所を訪れたG7メンバーの各国首脳においても同じだったことを願いたい。

 

たくさんの顔を見せた広島の空

平和記念公園、晴れの空

sokoikoのサイクリングツアーに参加している間から、くもりが快晴になったと喜んでいたら、資料館を出る頃に大雨と雷になっていた。

折り畳み傘で国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に移動した。
天気予報で天気が不安定とは聞いていたけれど、あまりの変わりようにびっくりした。
日帰り旅行でも念のための雨具必須である。

 

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

こちらの国立の祈念館の方は、資料館と違って祈りの場という感じ。厚生労働省管轄らしい。
小学生や中高生に囲まれながらの資料館見学の後で、しかも雨でほとんどの人がここまで移動できていなかったこともあり、非常に静かな空間をらせん状のスロープを下へ降りていった。
これは時計の針と反対向きに降りていくことで、時間を巻き戻しているという意味らしい。

その先に「平和祈念・死没者追悼空間」がある。
爆心地から見た被爆後の街並みがパノラマ写真によって表現され、中央には原爆投下後に水を求めた人々のための、水の溢れる泉のようなモニュメントがある。壁のタイルはここができた頃にわかっていた死没者数と同じだ。

 

平和記念公園見学の最後に静かな祈りを捧げることが出来た。

 

平和記念公園の感想

この後に時間があれば別の観光スポットも行こうかと思っていたが、時間も微妙だったし雨も降ってきていたしで広島駅に戻り、19時台の新幹線を17時台に変更して東京方面へ帰ってきた。

 

平和記念公園では資料館やその他のモニュメントによって平和を考える時間やきっかけを得られたことが自分にとって良かったことだった。

さらに電車で見かけた海外の観光客だけではなく、世代や国籍を問わずたくさんの人たちが、この場所を訪れようという気持ちを持って訪れていたことが印象的だった。

 

 

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