ここのところ寒い日が続きますね。こんなに長い寒波はここ大阪では珍しい。と言ってもチラチラと雪が舞う程度で生活に支障はほぼないが。


寒さが大嫌いな私はめっきり冬眠モード。まあアクティブでない時期が年に1週間くらいあっていいか。


と言っても屋内トレーニングはしっかりやってるよ。楽器とかジャグリングも含めて、ストレッチなんかもついつい後回しになってたのもあるし。


明後日辺りには寒さも落ち着くみたいなんでぼちぼちやっていきますか?


それにしてもこの冬は身体の捻れと向き合う時間が大きい。春までに 幾分でも捻れが解消しているとそれだけパフォーマンスも上がるだろうから、それを期待して今はおうちでトレーニング励もう。

たった今思いついたこと。これからもっと深めていきたいんだけど、取り敢えず頭の中のものを掃き出してみる。


器用な人は敏感な人が圧倒的に多いように思える。特にギフテッドと世間で言われるような子供たちは過敏なほど敏感で指先が特に器用で運動神経はひょろっとした力感が弱い体幹の割に俊敏さがあるように思える。思考力も強い。


考えてみれば器用さと敏感さの相関は当たり前かもしれない。そもそも鈍感な人が指先を器用に使うのは無理がある気もする。また指先が器用だとどんどん指先が鍛えられ、脳が刺激され思考力も強くなるのも当たり前かも。


私も幼少期から思春期まではドストライクのそういうタイプだったと思う。もちろんこういうタイプの人たちもそれなりに悩みがあり、それが周りから理解されづらく困ることも多いが、そこにつて触れるのは別機会にする。


一方で敏感だが不器用な人も一定数存在する と感じるが、鈍感で器用な人という括りに触れた記憶は無い。


だからどうなんだ、って思うよね。そう、そういう風に思っただけ。現段階では。


結論なくてすみません。

正月休みの頃、経済について動画でいろいろ学んだ。 経済学と言えばやはり神の見えざる手のアダム・スミスの国富論が入門に最適。


因みに神の手が見えたのはあのアルゼンチンのスーパースターのヘディングを邪魔した時だったかな。まあマラでファン世代なもので。


さて、経済学というものは前述のアダム・スミスの国富論を祖とするアダム・スミス以降の学問。と言うことは彼自身が執筆したそのタイミングで彼は経済学者ではなかった、ということになる。では彼の当時の肩書きは何だったのか?


答えは哲学者だったらしい。


人々が幸せに暮らすための哲学の一環としての国富論だったらしい。そして彼はそれ以前にもう一冊道徳感情論執筆している。更には国富論は道徳感情論を裏付けるための付属的なものだと彼は認識していたらしい。


現在は本来付録的な国富論が一人歩きし、経済学なる新たな学問の祖となっている。経済学者たちよ、道徳感情論を学んでいるか?


ところで、やはり元は哲学者のアダム・スミスだけに、道徳感情論の主な内容として共感というキーワードを大切にしているらしい。人々が互いに共感しあう社会こそが人類が幸せに暮らせる社会で、その中で経済も自然に発展していくと考えていたようだ。


私ごとだが、経済やお金というものに何か陰を感じる私が存在する。お金儲けという言葉は何かネガティブに響く。


そういう私にはアダム・スミスの考え方は学ぶに値するものかもしれない。そんな気がしていろいろ調べている。


まだまだ初歩の初歩で彼の考えに共感できる器もありませんが。まあぼちぼちやっていきます。