相変わらず充実な毎日です。

先日話した通り時間を買う計画は着々と進行しつつあります。言い換えればこれまで存分にあった時間の余裕を手放す決心を決めたわけですが、やはり手放せば与えられるという格言は今回も繰り返しそうです。

ここ数日は関節の解し方がどんどん深まっています。これまでO脚が改善しつつあることは何度も取り上げましたが、足首も柔軟が増したようで、少し無理はしているもののつま先、くるぶし。膝を全て揃えてたてるようになりだした。開脚も股抜きができそうな気がしてきた。2年前にバイク転倒で痛めた手首の故障も後遺症がほとんどなくなってきた。その他にも…。

人間の身体に秘められた物凄い力を日に日に感じています。

簡単に説明もできないし、このパワーを中途半端な心の持ち主が得てしまうととんでもないことになりかねない。なので深くは話しませんが…。

振り返ると体幹と向き合い出してもうすぐ3年。これまで一進一退を繰り返してきたが、これも時間の余裕があってのこと。現在の私にはもうそんな余裕はない、そう考え、できることとできないことを整理してみた。そして限られている時間の中で何ができるかを考え直した。

限られている時間とは帰宅後の数時間。少ない日は15分くらい、多くても2時間。それ以外に体幹と向き合えるのは就寝中と運転中くらい。

しかし、この発想が転換点だったのかもしれない。

時間がなくなったことで確実に集中力が高まった。身体を動かす時間が減ったが、集中力が高まったことで閃きが鋭くなった。閃いたことを着実に試すことでどんどん理解が深まる。結果的に閃いたことの半分以上は無意味に終わるが、その結果が着実に次の閃きをもたらす。

様々な理解が深まると個々のスキル云々でなく身体能力そのものが高まる。そうすると個々の技が容易になってくる。その過程を振り返ることで更に身体の理解が深まる。まさに臨界点に達したような、もう熱量を加えなくても自然に化学反応が繰り返されるような、きっとそんな状態。

いつもいつも思うが人生は裏腹。手に入れたいものはどんどん遠ざかり、諦めたものは知らぬ間に手中に当たり前のように存在する。

また一つ、同じ学びを繰り返すことで腹に落ちてくる。

しかしまだ私の心に諦めのつかないものは存在する。まだまだ向き合いは必要。次の臨界点を求めて、諦めずにまた一からもがく所存なり。
今日は六甲アイランドで撮影。そう、私がディレクターデビューしたスタジオの隣にあるゲストハウス。もうあれから10年、時の速さに戸惑ってしまう。

ところで今日は自動車で高速ブッ飛ばして行ってきました。いつもは二輪で、かつ小型な私の愛車は阪神高速のゲートをくぐれず、いつも下道…。だったんですが、もうそんな生活やめます。先週ETCの申込もしたし、会社の乗用車も週末は融通が利くし、冬の間に限定解除して中型ミッション免許取って、税金少々上がっても中型に移行しますわ。

考えてみれば、去年の秋までは平日の福祉の仕事もほぼ非常勤の扱いで、休みたい日に幾らでも休めたけど、今は労働時間も拡張され、休みは取らせてもらえるものの背負うものが大きくなったこともあり、そうそう休んでられん。

加えて秋は撮影業務繁忙期のうえにここんとこ絶好調に仕事が入る。残念ながら体力の限界で断る日も増えてきた。そんな状態なのにまた学習指導の仕事を復活させてしまった。

もはや身体が二つでもやばげな感じ。月間200時間のペースで働いとる。

確かに15年前は330時間を当たり前に働いてたけど、流石に血尿が出て断念した。週に2回3回は徹夜仕事してたし。そもそも過労死しても良いって思ってたから。

そんなところからもう一回フラットに戻って、有り余る時間の中で自分の生き方を探ったことから今の充実した人生が見えだした。でもその充実の先にはまた時間を追いかける人生が待っていた。

しかし、同じ轍は踏まない。15年前の貴重な経験を活かし次はタイムマネッジをやりきる。

元々多興味多活な私は引き算が苦手。やることをセーブするのは性分に合わん。だから不経済でも良いから徹底的に時間を買う。税金や高速代で時間が買えるんなら安いもんや。時間が有り余ってた5年前とは訳が違う。

そんなわけで無謀であまり意味の無さそうなタイムマネジメントに足を突っ込んでみます。どうせ失敗するだろうけど失敗せんと気がすまん正確なんで、やるだけのことはやりきってみますわ‼

まあコケたら笑うてくだされや!
私の支援のモットーは私自身が幸せに生きること、つまり自身の人生を肯定できる存在を証明することだと感じています。

これについてはこれまで何度か説明してきたのでここでは割愛します。ただ、私自身が鬱だった時代や発達障害での苦しみを抱えていた頃に欲していた支援とは実は全く異質なものなんです。

何故そうなったのか、の説明は後にして、これまで私が受けてきた福祉サービスについて話す必要があります。

私が受けた福祉サービス、つまり支援は、A型の受給者証と自立医療支援のみ。加えてそれらは鬱が解けた後、発達障害の診断は出たものの発達特性での苦しみがはぼ失せて、かつ自身の障害や鬱の経験に感謝できるようになってから。

同じ苦しみを持つ者を同じ目線で支えたい、そんな気持ちから手帳を申請し、より近い立場を経験する必要性を感じたことから受給者証を得ました。

つまり、極端な言い方をすれば、支援をさほど必要としない状況になってからだったので、受けた支援が良いものなのかの判断がつきづらい、そんな状況とお考えください。

だったので、もちろん私自身が望んでいた支援をすることを当初は考えました。もちろん実践しました。多くは自助会で。当時はA型の利用者でしたが、自助会主宰者であることを多くの人間が知っていたので、事業所内でもできる支援は心掛けました。

そこから今日の私なりの支援の形が出来上がってきたのです。

つまり、当初の私の支援は脆くも崩れ去ったわけです。今となっては広野さんやバッシー君たちも同じ道を行ったことを理解できますが、遅ればせながら私もどっぷり浸からせていただきました。

具体的な内容についてもここでは述べません。これまで様々な角度からお伝えしてきたことです。

福祉の仕事をしている同業者たちは、みな当事者のニーズを満足させようと一所懸命です。その姿勢はもちろん肯定されるものですが、果たしてそれで目的が達成されるのでしょうか?

さらに加えて言えば、発達障害児やグレーゾーンと呼ばれる子供たちの親のニーズを満足させることなど当事者にとって意味があることなのでしょうか?子供の個性を抑圧するだけのツールになっていないでしょうか?

これは私自身の過去との向き合いです。適切な支援があれば自立できると信じていたその支援が、自分自身の手で葬り去らなければならない、そんな辛さと真っ向から向き合っています。

以上の経験を一人でも多くの支援者に共有できることを心より望みます。そして、自立が見えてきた当事者たちとも。

もう一度、最初から振り返って、根本から支援というものを深めてみませんか?共に。