本格的に体幹トレーニングを始めて2週間、かなりヤバい状態かもしれない。


ここまでずっと絶好調だった。身体の捻れがどんどん見つかって対応が進めば進むほど状態は上がってきていた。


それが昨夜から肘に痛み。それも両方。特に右は針を刺されたような痛みが数分以上あらわれる時がある。ずっと痛い訳でないが一旦出ると10分ほど痛む。左もほぼ同じ場所で同じような痛み。頻度や持続時間は軽いが。


症状の現れ方から肘周りのストレッチが原因と思われる。なので少し様子を見ながら対応するつもりだけど。


この痛み自体が悪い症状だと判断した訳でない。ストレッチの効果として一時的に現れたいるだけのようにも思える。たぶんそれが正確のような。ただしサインが現れているということは抑え気味にする必要はあるのだろう。あと、寒さもあるかも。


今回は元々使っていなかった筋肉を目覚めさせるのが大きな目的なのでこういう症状は今後も予想される。そしてそれに対応することできっと身体への理解が 深まるはず。


取りあえずは様子を見ながら進めていくしかない。

昨日は教え子たちがプールに行く日。私はオフだったが行きつけのプールだったこともあり時間を合わせて遊びに行った。


子どもたちにとっては私も仕事で来ているかどうかは無関係。でも仕事かどうかはこちらも無関係。楽しい時間。もちろん無報酬だけど責任ある行動は鉄則だけどね。


さて、いつもは水をかけあって遊ぶ彼らだが、今回は泳ぎの練習をしようとする子が多かった。


特に、夏に監視員をしている私の姿を彼らは見ていて、彼らの中でも私はめちゃめちゃ泳げる人という認識が強いんだろうね。


そう言えば午前中に二色の浜で泳いで髪の毛に潮がついたまま出勤したりとかもしてたし。


そんで、子どもたちから教えてくれとリクエストがあった。この喜びは宇宙空間に弾き出るほど。


で、泳ぎのファーストステップはビート板でのバタ足。私自身はバタ足の重要性をあまり感じないが、彼らはやっぱりできるようになりたいみたい。でもなかなか難しいンだな。前に進まない以前に足が下がって体が立ってしまう。こうなると抵抗値が大きくなるので更に進まずに身体がどんどん垂直方向に立ってしまう。


子どもたちは一所懸命に頑張ってるんだけどね。


ここで普通なら「足を上げろ」とか言ってしまいがちなんだろうけど、彼らだって足を上げないといけないのはわかっていて、それができないから困ってる。なので、少し観察して「顎を水につけてみよう」とアドバイスしてみた。彼らはやはり水が怖く顎を思い切り持ち上げてバタ足する。顎を上げるから背骨が反って胸が張り出し下半身が沈んでいく。なので足は下がって良いから顎を水に浸ける練習をしてみた。はじめは口や鼻に水がかかるのを怖がるが次第に慣れてくる。たった数分でみんな慣れちゃう。慣れちゃうと意識しなくても足が浮いてくる。ゆっくり進み出す。少しできただけでもうれしくなって繰り返し出す。


いつも思うけど、学習はこうでないとね。


今回、子どもたちが泳ぎに興味を持ってくれたのは、毎年真っ黒になってる私の姿を鏡写ししてくれたんだと思う。私の泳ぐ喜びが彼らに伝わりだしたような。


今回は水かけ遊びが本当に少なかった。そして以前より楽しんでいるように感じた。


子どもたちはどこまでも鏡だな、そう感じた昨日でした。

冬が大嫌いな私。ここ数日の暖かさは年末のボーナスみたいなものかな?そして明日からは本格的な寒波襲来予想。余計に堪えそう。


ここ数週間は百人一首にはまっている私。今日で1/3ほど到達。これ、凄く楽しい。


で、私の冬嫌いが少し変わるかもしれない感覚。


百人一首は季節の趣を詠んだ物も多い。そう、様々な季節の感じ方、時代は変わろうと今も変わらない日本人の 心。


そして、その中にはもちろん冬を詠んだ物も多く載せられている。そういうものに触れることで、詠み人の気持ちがなんだか伝わる気がする。


山里は冬ぞ寂しさまさりける

人目も草もかれぬと思えば


28番源宗之の歌。冬の寒さと自身の不遇な境遇を掛け合わせて詠んだものと思われるが、こういう嘆きの歌も特に私にはマッチするのかも。


6番の大伴家持は冬霜の美しさを歌った歌があるが、これは天の川の白い美しさを冬の霜に見立てた夏の歌の説があり、私もそちらの趣が好き。


流石にそれ以外でも冬を喜ぶ歌は少ないように感じる。冬は嘆く、堪える、悲しむ、そんなのが多いのかな?


そんな季節をウキウキしたいなんて考えてた私の方がどうかしていたんだろうね。


やはり先人たちから学ぶことは多いな。


さて、明日からの寒波に備えて準備しますか?