昨日は母の三回忌でした。

実家にお寺さんに来てもらって、

弟家族と私家族と母の妹とその娘でこじんまりと。

その日はそのままみんなで実家に泊まって、楽しく過ごす。

 

の予定が、

弟が発熱、弟次男も体調不良で急遽欠席。

そのため泊まりの予定もなくなり、慌ただしい一日となりました。

そんな中でも、みんなで「あーだこーだ」と言いながら、楽しく過ごしました。

楽しいことが好きだった母には、これでよいのかも。

 

 

ここ数年、母との関係を考えてきました。

たまたま病気がわかった頃に、色彩知育®️や感情セラピーに出会い、

知れば知るほど、母との関係に目を向けることになったのです。

 

母が愛情をくれていたことはわかっているけど・・・

 私が欲しい愛ではないことの悲しさ。

 それを伝えても伝わらないもどかしさ。

 応えてあげられない罪悪感。

 

いろんな思いが絡み付いていました。

 

母の思いを自分のもののように考えていたり、

「娘はこうでなければ!」「母のこと好きでなければいけない」

という幻想を勝手に作っていたりしていたようです。

 

重くて、まとわりつくようなイメージでした。

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最近になってやっと少しずつ、
私は私が感じたいように感じればいい。
必ずしも「好き」と思わなくてもいい。
と気付き、すっきりしてきました。
そう思えるまで二年かかったけど、気付けてよかった。
 
話はかわりますが、
実家の庭にある一本の木が、去年の一周忌の直前にダメになっていました。
枯れているようなのに、グチュグチュになったのです。
 
どうしたらいいかわからないまま、全て取って、
(切ったり折ったりしなくても、手で取れるのです)様子を見てました。
日が経つにつれ、少しずつ新しい葉っぱが出てきて、一年経った昨日は
すっかり甦ってました。
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さらに、いつの間にか大きくなっていたアロエには花が咲いていました。
「それでいいんだよ」と言ってもらえたような気がして、
これから、気持ちを新たに進んでいけそうです。