街の感性と旅人の感性
営業で桐生市境野町周辺を歩いていて、ふと、こんな仏像に出合った。
不思議に親しみのもてる仏像である。近くにお寺がなく、墓地だけがあって、この仏像がある。何の説明書きもないので、由来やその他なにもわからなが、不思議にほっとする仏像である。
Googleの検索のブログ検索で、「群馬 桐生」というキーワードで、こんなブログに出合った。
「冷たい月の陽炎 ETERNAL/Fate+」(言の葉の糸をひとつひとつ紡ぎ合わせて、言葉の綾を織り成していく 。)
そのブログには、埼玉県から群馬県桐生市の友だちを訪ねたときの、小さな旅の印象や模様が「紡ぎ合わされて」いて、群馬県に生まれ育ったわたしとは、別の世界の感性を感じた。
しかし、街とは、不思議なものである。それぞれの街にそれぞれの個性があり、それが街の感性のように漂っている。それを、このブログは感じ取っているようで、しかし、作者のもつ感性とあいまって、文章の存在としての、これまた感性を紡いでいるようだ。ブログの題名で、なにか、萩原朔太郎を思い出した。朔太郎は、わたしの出た高等学校の先輩で、そんな関係もあって、熱心に彼の詩やら評論やらを読んだものだ。
今でも朔太郎のことを思わずには、前橋にある「大渡り橋」は渡れない。
わたしの出身は、群馬県でも桐生市の西に位置する伊勢崎市であり、この営業で桐生市を歩き始めて、ずいぶんと街の感性が違っているなぁと思っている。
その違っている感性がどんなものか、ひとことでは、言葉で言い表すことができないが、このブログが言っているように「言の葉の糸をひとつひとつ紡ぎ合わせて、言葉の綾を織り成す」ことで、他の誰かに伝わるものではないだろうか。
なお仏像の安らぎも。
Kさんちの大きな猫ちゃん
営業で桐生市相生町のKさん宅を訪問すると、お留守のようで、大きな猫ちゃんが出迎えてくれた。この猫ちゃんも玄関に入りたい様子で、しばらくすると、にゃーにゃーと鳴いて、いかにも玄関を開けてよと、玄関の前に行って、訴えている。
呼び鈴を押しても、お留守のようなので、じゃまたねと猫ちゃんにあいさつをして、立ち去った。
2時間くらいして、またKさん宅を訪ねると、やっぱり大きな猫ちゃんが玄関のところに居座って出迎えてくれた。まだ、玄関を開けてもらえないのかと思った。案の定お留守だった。
猫ちゃんにあいさつして、この日はあきらめた。
翌日、Kさん宅を訪問すると、Kさんがいて、ケーブルテレビの契約の話がとんとんと進んだ。(今日は、あのでっかい猫ちゃんは見えないけど、あの猫ちゃんのおかげかな、と思う)
Kさんにお聞きすると、「メイクーン」という種類の猫で、新聞の「かわいい猫ちゃんあげます」という募集でもらったそうである。
昨日は、玄関を開けてもらえずにゃーにゃーいっていたが、それでも、全体、幸せそうで、いいところで飼われてよかったと思う。
Kさん宅のすぐ近く、10メートルほどのところに、ケーブルテレビのTAPがある。工事も比較的簡単そうだ。
あの大きな猫ちゃんも、たくさんのチャンネルがあるケーブルテレビを楽しんでくれるといいな。
「こちら側」から「あちら側」へ
「CommuWiki 」を早速はじめてみる
Web 2.0と総称されているインターネットビジネスの動きは、
・不特定多数無限大
・コストが無料
・ロングテール
というようなキーワードで表すことができるらしい。
そして、重要な転換点は、「こちら側」から「あたら側」への変化だと言われている。
わたしのパソコンビジネスは、どっちかというと、「こちら側」中心であった。
ところが、どうも、大きな川に思い切り入ってみて、足を流れの中において、立ってみると、「あちら側」への勢いを感じる。
上を見ると、どこまでも深く青い秋の空。
風は、かわいていて、ここちよい。
「あちら側」への旅の出発である。
まだ、「実験的なCommuWiki 」をさっそく始め、どうも「あちら側」へ通じていると思われる「バイマBuyMa 」に登録してみた。
バイマ(マイヤーズ・マーケット)は、なんとなく、わたしが、ずっとこころの中で、なんだかわからず、具体性のないまま、漠然と考えていたものを実現させるような雰囲気だ。
三和教材のわんこたち
群馬県桐生市の「三和教材(株)」のわんこたち
わたしの営業で最初に「G-net100」というインターネット光ケーブルを入れていただいた「三和教材株式会社 」におじゃますると、敷地に入ってすぐのところに犬たちがいる。この犬たちのすぐ後ろにあるのは、「ニワトリ小屋」である。
このわんこたちは、一番最初の訪問のとき、吠えた。しかし、帰りにはおとなしかった。次回からは、まったく吠えない。むしろ、尻尾を振って歓迎してくれる。
帰りぎわには、ちょっと寂しそうに見送ってくれる。
わんこたちの名前はまだ知らない。
こんなところに井戸
ここは、群馬の桐生市、その境野町を営業で歩いていると、ふと井戸と思われる「もの」が見えた。
新しい柱に囲まれ、立派な屋根がついている。その中に、たしかに、井戸らしきものがある。例によって、「ケーブルテレビですが」と声をかけてみると、中から愛想のいい女性が応対に出てきた。なんでも、ここに住んでいる方は、相当なお年をめしているそうで、「いっぱいチャンネルがあっても、そうしたものは必要ないと思うよ」と、礼儀正しく断られてしまった。
それはそれで、
あそこにある建物は、井戸ですか?
と聞いてみると、
そうなんで、井戸ですよ。今でも使ってるんです。飲み水ではないんですけど、庭の水やりとかにね。
と、明るい笑顔で答えてくれた。
ずいぶん昔のおりじなるの井戸とは違う風情であるが、井戸は井戸である。ブロックで囲こまれていて、ふたがしてあり、直接内部は見えないが、水の「イキ」を感ずる。たしかに、送水官が目立たないように取り付けてあり、まだ現役の井戸である。
そういえば、わたしも井戸の水で育った一人である。
あのころは、群馬県伊勢崎市のことではあるが、ほとんどの家が、家を建てる前に、まず井戸を掘った時代だった。
わたしの少年時代、それは、昭和30年代のことである。
光ケーブルの引き込み工事
光ケーブルを直接ユーザーさん宅へ引き込む工事
先週、光ケーブルをユーザーさん宅へ直接引き込み、光モデムでインターネット接続をする工事を実施した。写真は、そのときの模様である。
当ケーブルテレビは、基本的にテレビもインターネットも光ファイバーケーブルでデータを送受信している。これまでのADSLのブロードバンド接続と違い、基地局からの距離や雑音などに邪魔されず、インターネットならば上りも下りも100Mbpsに近い送受信性能を保持する。
工事は、「クロージャー」と呼ばれる幹線の光ケーブル装置に引き込み宅用の光ファイバーケーブルをつなぎ、ユーザーさん宅までその光ファイバーケーブルを空中をはわせて引き込む作業である。
上記写真の中央やや上にあるのが「クロージャー」と呼ばれる光幹線に取り付けられた装置。
ここから、ユーザーさん宅まで、光ファイバーケーブルを引っ張るのだが、今回の工事では、写真にあるごとく、立ち木の枝や葉っぱなどが繁っている中をつっきて行くので、予想以上に手間がかかってしまった。ユーザーさん宅まで光ファイバーケーブルを引っ張る作業は、ほぼ直線で、約400Mあった。
光ファイバーケーブルを引き込む作業は、大きく分けて2段階になる。その1は、ひたすら電柱を経由してユーザーさん宅までケーブルを、とりあえず引っ張る作業。その2は、もう一度基点の「クロージャー」へ戻って、その1で引っ張ったケーブルをしっかりと固定する作業。
午前中から作業をはじめて、その1が午前中に終了し、昼休みをはさんで、その2の工事が終了したのは、午後4時すぎになった。
やっと、ユーザーさん宅(三和教材株式会社 )へ光ファイバーケーブルを引き込み、光モデムへ接続し、パソコンの画面からインターネットへのアクセスをこころみると、接続できない事体になってしまった。
いろいろと試した結果、光モデムの先に接続され、3本のLANケーブルがつながっている「ルータ」の設定が原因であることがわかり、桐生局にいるサポート担当のTさんにかけつけてもらって、ルータのIPアドレスを設定しなおしてもらい、やっとパソコンからインターネットへの接続がOKとなった。
ルータによっては、今回のように従来のメタル同軸ケーブルによる高速インターネットから光モデム経由の光ネットに変更すると、自動的に今までのIPアドレスを取得変更してくれないものがあるそうで、今回も手動により、ルータの設定画面をパソコンに表示させ、設定した次第だった。
当ケーブルテレビの建前としては、光モデムへのケーブル接続が完了し、光モデムから問題なくデータが確認できた時点までが工事の範囲で、その先に接続されたルータなどの問題は、サービス外となり、有料のオプション作業となる。しかし、そこは、小さな地方都市のケーブルテレビのこと、ケースバイケースで、臨機応変の対応が得意なのである。
ちなみに三和教材株式会社さんは、介護関連の新しいサービスをインターネットで提供する「SANWAの介護ネット 」というビジネスを開始したばかりで、従来の3Mbpsブロードバンドから今回加入していただいたG-net光(100Mbps)へのバージョンアップをおすすめした次第である。
今後(あと3年もすろと)、光ケーブルによる高速ブロードバンド接続が、当たり前の時代になり、その高速ネットを活かしたコンテンツも当たり前の時代になると思う。そういった時代、いちはやく光ネットへ対応し、新しい時代にマッチしたコンテンツを用意することが、ひとつの大きなビジネス成功への重要ポイントとなる。
時代は、流れる、高齢社会の到来、団塊の世代のインパクト再び、光ケーブルによる、ほんとうの意味でのテレビとインターネットの融合(少なくともデータ通信上は、どちらの信号も同一の光ケーブルを走る)。
グーグル急成長の秘密
グーグルは、すさまじい企業と言われている、が、その成長の秘密は、新しいビジネス(収益)モデルをみつけたことにあるようだ。いくらすばらしい検索システムを作っても、さて、どうやって金を設けるかという段になって、苦境に陥りそうになったことがあるそうである。(あまり、このあたりを詳しくほじくった記事や文献がなく、成功ばかりが輝いているように見えます)
すばらしい商品+収益モデル(新しいビジネスモデル)がなければ、成功しない。
マイクロソフトはどうだったか?
それは、MS-DOS+ソフトを使う権利に金を払う(当時ビルゲイツが熱心に体当たりしていった新しいビジネスモデル)だ。
そして、グーグルは?
斬新な検索システム(「あちら側」、数十万台のPC並列処理、ページの格付けなど)+新しい広告モデル(アドワ-ズ など)だろう。
そうして、かつてのわたしの場合は、(小さいけど)
外国ソフトの日本語化+シェウエア+パソコン通信であったと思う。
さて、これからが未来だ...
CommuWiki - 内側から外側へ
わたしは、かつてパソコンソフトの会社を設立したことがある。最初に就職した会社は、現在東証二部上場企業になっている「アグレックス」という会社だ。わたしが入社した当時は、「日本能率コンサルタント」という社名だったが、わたしの在籍中に社名変更があった。その当時、社内では、「CI」といって、騒いだものである。「CI」とは、「コーポレートアイデンティティー」のことで、社名は、その代表格として扱われていた。
「アグレックス」は、当時社長だった「羽鳥宏 」さんが設立した会社で、なんにも仕事のあてのない「貸し机」から出発して、あれよあれよと急成長し、東証二部上場をはたした会社である。その設立当時のものがたりが、「クリエイト」という社内報に書かれていた。なぜだか羽鳥社長の書いたものがたりは、ずっとわたしのこころを捕らえて話さないものだった。思うに、文章には、その文章がもっている独特の波動もしくは、なにかオーラのようなものがあり、それがわたしのこころを捕らえるのだと思う。少なくとも文章という知的で論理的な本来のかたちだけではなく、それ以外の何ものかが文章には封じ込められていると思う。(思うようになった)
現在、当時の羽鳥宏社長は、現役を引退され、「人生二毛作」というキャッチのもと、第二の人生を快活に過ごされている。その様子などが、かれ(ペンネーム新城宏)の文芸サイトにはきらきらとあふれている。このサイトにはじめてであったとき、「そうか、やっぱり、文筆家になって、畑を耕し、鶏とおそろしく真剣につきあっているんだ」と感慨ひとしおだった。
それは、ともかく、「アグレックス」は、大手損害保険会社のような一流の企業のデータ入力からビジネスを拡大していった会社で、わたしが入社したころは、その基盤が磐石なものになっていた。その頃は、大型コンピュータを中心にした、中堅のシステム会社として確固たる地位を築きつつあったが、その当時からようやくビジネスで本格的に活用され始めたパソコンの分野への進出もはじまっていた。
わたしは、この会社が手がける本格的な一般消費者向けパソコンパッケージソフト商品第一号の開発に中心的な役割で関わることになり、すっかりパソコン文化に染まっていった。
それは、「タイプクイック」(TypeQuick) というオーストラリアのソフトであり、本格的なタイピング練習ソフトであった。羽鳥社長がみつけてきたオーストラリアのソフトで、当時発売されたばかりのコンパックの小さな(当時は)パソコンを担いで、日本に来ていた。ベンチャー企業で、商品はこのソフトしかなく、小さな会社だった。
そんなこんなで、わたしは、このソフトの日本語訳などから契約などなど、すべてを手がけ、開発と営業などのデモで、それこそ何百回となく「タイプ練習コース」を完了してしまった。
<コンピュータ、パソコンへの入り口はタイピング>
というキャッチフレーズで、販売促進や営業にかけずりまわった。
そのせいで、わたしのタイピングはものすごく速くなってしまって、まるでタイピングがスポーツのようにある種の快感のようになった。
あのキャッチフレーズ<コンピュータ・パソコンへの入り口はタイピング>は、わたしにとっては今でも変わらない。わたしに一生しみついて離れないだろう。
-それで、わたしの文章はいつのまにか「ながーく」なってしまうし、携帯のメールはずっと使わなかった-
察するに、かつて日本のマイクロソフト社長だった古川さん も、きっとタイピングが人並み以上に速いに違いない。彼のブログの長さにはびっくりしてしまう。(きっとわたしのブログもそうだろう、だから短くするようにしてはいるのだが)
さて、本題に戻しましょう。
というわけで、ホストコンピュータ中心の世界からパソコンの世界へと染まっていったわたしですが、いつのまにかアメリカのシェアウエアというソフトを日本で販売代行することになり、それがびっくりするほど売上が上り、とうとうそういったビジネスを基盤とする会社を設立することになってしまった。
パソコン+ソフトウエア(シェアウエア)+パソコン通信
というファクターが結びついて新しいビジネスが誕生しつつある時代であった。わたしは、その時代の波に乗り、ホストコンピュータ中心の世界(そして、同時にサラリーマン世界)からパソコンの世界へ飛び出していった。
ところが、またまた新しい波が押し寄せてきた。
それは、インターネットによる様々な革新的な波だった。
それ以外にもいろいろと大きな時代の波の影響で、わたしの会社はほとんど機能しなくなり、結果、またサラリーマンになった。
そして、今度は、Googleを代表とするいわゆる「あたらしいウェブ革命」の波が、今、世界中に押し寄せて来ている。ホストコンピュータを中心としたビジネスやいままでのパソコンソフトのビジネスもそれなりに今でも生きてはいるが、爆発的な発展は望めないのが現状で、Googleという会社の恐ろしいまでの成長と発展を見るにつけ、現実に大きな波が起きているとつくづく思わざるを得ないのが今日このごろである。
そこで、「わたしの性格からくる」なにかのスイッチが入って、この新しい波へ身を任せてみることにした。
<なにがなんだかわからないアメリカのソフトを扱っているうちに、あれよあれよと巨額な本当のお金が飛び込んできた>ように、また何かが大きく爆発するかもしれない。
梅田 望夫さんの「ウェブ進化論」に出てくる、「こちら側」と「あちら側」という表現がかなり、わたしにとってはインパクトがあり、今起ころうとしていることがすっきりとイメージできるようになった。
そこで、旧来のパソコンソフトの「こちら側」の世界から、Web2.0などと言われている「あちら側」の世界へ飛び込んでみることにした。
このブログを書いているものも「あちら側」の世界を使っているし、今から「CommuWiki
」という新しいホームページのこころみに参加しようと思う。
さて、「あちら側」の世界は、わたしにどんな夢を見させてくれるだろう。
要するに、わたしの現在の営業にインターネットがもたらしつつある新しい波「あちら側」をとことん活用しよう、ということだ。
織姫神社
出勤するときに毎朝わたしがご挨拶するところ。織姫神社 。
神社としては、ちょっと中途半端なような感じで、狛犬もなく、立派な参道もなく、桐生市民文化会館と桐生市役所の間にぽつんとある。だらか余計に日常生活の中にぱっかりと出現した別次元のような空間のように思われる。
挨拶といっても、別段お参りするわけでなく、この神社の別次元の空気を外側から吸い込んで、境内の大きな樹の呼吸を聞くだけだ。
わたしが毎朝、いっしょに呼吸する大きな樹
さて、わたしはこの樹の名前を知らない。
だれかお教えしてくれないだろうか?












