「いじめ」というテーマが求めているもの
中島みゆき「愛してくれと云ってくれ」1978年
Tamikoさんのブログで、「いじめで自殺。いじめられるほうにも問題が…… 」という中で、こんな一説がある。
「ちょっと極端な話ですが、本当に嫌なら行かなくていいんです。
でも、子供にとっては学校が社会、いや、一日の大半が学校生活で占められるのを考えたら、「世界」と言っても過言ではないでしょう。
その「世界」からはじかれてしまったら、子供はどこへ逃げればいいんですか?」
わたしは、つくづくこのごろ、学校での「いじめ」という問題が世間を騒がせるたびに、何か違うんじゃないか、なぜ同じことばかり繰り返して云ってるんだ、これじゃ、また同じことが起きてしまう。と考えてしまう。
世間では、繰り返し繰り返し、「学校でのいじめが原因で自殺した」とか、「学校はいじめに気づいていたが、何もしなかった」とか、「いじめの発端は、先生の一言」とか、言っている。りんごの皮の表面を爪でヒッカイテいるようで、なんとももどかしい。ほんとうの「もの」は、りんごの皮を突き破って、引き裂いて、その中に巣くう「なにかの虫」なのではないか。
このまま、りんごの皮をみんなで、よってたかって、引っかいたってどうしようもない。あの「虫」は、びくともしない。そうしているうちに、「虫」は、ますます元気になり、どんどんりんごのみずみずしい果実を食い荒らしていってしまう。そうして、あるとき、りんごの皮を、いつものようにヒッカイテいると、ずぶりとりんごの形がこわれ、もはや空洞になった果実がされけ出され、そのとき、わたしたちは、気づくのだ。「ああ、この子は自殺してしまった」「なんで、あんなにつやつやしていたりんごが、こんなに空洞になってしまったのだ」と。
「うた」や「ものがたり」や「映画」などが、頼りになると願っている。
一言では、言い表せないもの。外面の事実を探って、積み重ねても、決して中身には到達できないもの。
そんな、ほんとうは、一番大切なものが、わたしたちの中にもあり、そうして、みんなの中にもあり、そうしたみずみずしいりんごの果実の実感をみんなで共有しあい、共有することで、そこに巣くう「虫」を体とこころで感じ、その「虫」を退治できるときが必ずやってくる。
「うた」や「ものがたり」や「映画」などが、頼りになると切に願っている。
そして、もっとも強力な「くすり」、それは、「愛」なんだと思う。ふかく、ふかく、ずっと、ふかいところに、ひろく、ひろく、ずっととおくまで、つづいているもの、「愛」という言葉では、いいつくせないもの、そういう「くすり」が必要だ。
そこは、これまで世界だと思っていたところから、もっと別の世界へ連れて行ってくれるもの。
そうして、同時に「危険」でもあることば。
わたしがひとりではないと、ささやいてくるもの。
そのささやきが、ほんとうに光に輝き、わたしの目を痛くするところ。
その痛みが輝きのほほえみで、甘くなってしまうところ。
そうしたものを、みんな、みんな、まだもっている。
りんごの果実のみずみずしさだ。
その奥のかたいところ、まもられたところ、そこは「わたし」ではない。
わたしからわたしたち、もっともっと、広い世界へ広がっているところ。
それはふるえている。
すべてのふるえがひとつのもの。
そんな、心と体と、存在とを突き刺すようなもので、ふるえが果実につたわり、
甘い果実のかおりが、いとおしくなってゆく。
そうした、世界をもっともっとみんなでうたいたい。
たそがれがくるまえに。
わたしは、その昔、中島みゆきといううたうたいの存在に出合った。
パチンコ屋のたばことほこりとやるせなさとせれでもうかれる夢のような空気が換気扇から噴出して漂う街で。
きずだらけになったりんごの中から、おそろしく透明で、信じられないくらい透き通った風が吹いてきた。
わたしは、酒にうかれて、街明かりの震える、ちまたを泳ぎまわった。
いまにもおぼれそうになったとき、
うたうたいの舟がやってきた。
その舟にのって、しばらくは、さすらった。
たびのおもいではまだまだつづく....
おばちゃんのランチュウ(金魚)
桐生市内の、あるおばちゃんが大切に飼っているランチュウ(金魚)
営業で、桐生市新宿を歩いていると、見覚えのある金魚が発砲スチロールの簡易池で泳いでいる。ここは、新宿と書いて「しんしゅく」と呼ぶ街だ。鉄工関係の仕事をやっているらしく、工具やらなにやらが工場に雑然としている。もちろん工場の主役はおばちゃんではないが、留守番のようなかっこうで、奥にいた。
声をかけると、杖をついて歩いて出てきてくれた。ケーブルテレビのことをお話しすると、どうしたことか、杖をついて隣の家に行って、戻って来た。足がお悪いらしく、歩くのが大変な様子で、恐縮していると、案外元気でほがらかに、
うちは、もう入ってるよ。
と、にこやかだ。
隣のうちといっしょに入ったんだって。
わざわざ、隣の家まで杖をついて行って、確認してくれたわけである。
わたしの商売は、さて、おいて、ここに泳いでいる金魚たちのことを聞いてみた。
ランチュウですねー。
ここから、おばちゃんとのランチュウに関する会話が長々と続くこととなる。
実は、わたしの父も、わたしが中学生の頃、金魚をめっぽうたくさん飼っていて、行き着くところ、ランチュウになってしまった。そうすると、わたしら家族を巻き込んで、大変な可愛がりようだった。品評会へも出品して、いい成績を残すまでになった。ということは、それだけ、わたしたちも多かれ少なかれ巻き込まれて、てんてこ舞いをした。だから、強烈に記憶に刻み付けられた。
ランチュウ!
こんなところで、こうして、再会するとは以外だった。
それで、ついついおばちゃんと長々としたおしゃべりが続いていくことになった。
おばちゃんは、ほんとうに、ランチュウを可愛がっている。それが、ほんとうに、わかるので、こちらも嬉しい気持ちになって、いろいろとお話しした。
こうして、あらためて、ランチュウの泳いでいる姿を見ると、やっぱり可愛らしい。
しかし、ランチュウは、金魚の中でも、もっとも飼うのが難しい種類で、よくこんなに元気に育っているものだと、感心してしまい、同時に心配でもある。
そうだ、父がもっていたランチュウの飼い方の本が物置にあったんじゃないかな、と思い。そして、父は6年前に他界して、もう誰も読む人がいないので、もしまだその本が物置で眠っていたら、もってきてあげようと、その場を離れた。
ランチュウを心配し、可愛がり、世話をするおばちゃん。
おばちゃんもランチュウのように可愛い。
変革はここにある
それがここでこうして、街角でこんなふうにして、携帯電話で株を売買している。素人ながらに。
圧倒的に違うのは、これが生々しくインターネットでつながっていることである。
それで現実に得をしたり損をしたりする。これは架空のゲームではない。なるほど、これが梅田望夫さんが紹介した第5の革命、すなわち本当の情報革命の足音なのだろう。それは筋肉ではなく神経だという。携帯電話で写真が単に撮れることよりずっと未来へ通じるすごいことなんだ。
きっと過剰な人達が、私なんかよりずっとずっと過剰な人達が道を作って行くのだろう。
ところで本日は2000円ほど損をした。
ところで、株取引の原理から考えると、この金額は2000万円の損とも言える。ちょと恐ろしくもあり、楽しくもある。
朝食の店「あ」
朝食の店「あ」 (クリックするとバカでかい画像で表示)
久しぶりで朝食の店「あ」に昼飯を食べに行った。
ここの経営者Hさんのご主人は、わたしの父母とテレビが縁で知り合いになっていて、わたしの父はすでに他界してしまったが、ご主人からいただいた店の案内の手紙が縁で、こうしてわたしは、この店「あ」の存在を知ったというわけである。
本日の昼定食は、鉄火丼であった。例によって、お新香と煮物とサラダが付いてくる。これで、500円だからほんとうにリーゾナブルだ。しかも、いつもうまい。
名刺には、「ふっくらゴハンに あつあつみそ汁 そして旬のお惣菜 ああにっぽんの「めし」」(朝食の店 あ)と書かれているが、まさにそのとおりの味である。とくに、ご飯が絶品である。ご飯がほんとうにうまいのだから、すべてうまい。ここの料理には、なにか「気」のようなものが隠し味で入っていると思う。
名刺は、2種類いただいた。
偶然、その名刺をデザインされたデザイナーのHさんが店に来られた。二人ずれである。話を聞いていると、もう一人は桐生市の大川美術館に勤務されているという。(わたしも少なからず美術には興味があったので、ついついお話が始まった)
デザイナーのHさんからも名刺をいただいた。
総合デザイン事務所「デザイン ラボ」 の方だった。ちょっと一癖ありそうな風体の人である。(デザイナーは、ほんとうは、こうでなくっちゃ、と思う)
わたしは、ほんとうに駆け出しの営業で、ケーブルテレビを売っていて、「あ」のおかみさんのご主人がかつてテレビのお仕事をされていたということで、本能的にこのお店に来たのも事実であるが、一度昼に来て、定食を食べてみて、ここでしか味わえない不思議な「おいしさ」と「おちつき」に感じ入ってしまった。
上の写真を見ていただければわかると思うが、食堂ぅっていうイメージからちょっと外れた、不思議なつくりのお店で、スナックと食堂とレストランとビストロと喫茶店と「何か」が融合しているような、それでいて、なにか「溶け込んでいる」ような雰囲気の空間である。
そして、行く道がわかりずらい。新しく出来た「パン屋」と墓地の駐車場に挟まれた狭い道を、入って行くのだが、ほんとうにこの先にお店があるのだろうか?と心配になりながら、ゆっくり道を進んで行くと、「ぽっかり」と、「ここよ、ここよ」と呼びかけて来るようなお店、それが朝食の店「あ」である。
あんまり晴れ晴れの様子ではないので、もったいない。
しんしんとした森に囲まれて、ぽっかりと開けた草原のような食事場所だ。
わたしは、そんな夢のような虹の考えで、「大川美術館」へ行ってみよう、Hデザイナーの「デザイン ラボ」にも行ってみたくなり、朝食の店「あ」の<朝食>を食べなくちゃと思い、このぽっかりと開けた秘密の草原の食卓へ、「虹でできた朝露の食べ物」の味わい方を知っている人をたくさん招待したいと思っている。
ではまた。
デジタルテレビ画面の大きさ
デジタル画面(16:9)の大きさ「桐生市の魚屋さん魚峰」
さて、デジタルテレビ画面の大きさが、実は、大きな問題である。
上の写真は、デジタル画面サイズである。この画面の縦横比は、アメリカで映画用に使われている「ビスタサイズ」と同じものだ。デジタル画面は、「黄金比」だという声もあるが、実は、厳密にいうとそうではない。
http://www.zeirishiohara.net/bestopia/backno/200606.html
(こちらの記事では、「黄金分割」という見出しで、このへんのところを少し解説しています)
ところで、これまでのアナログテレビは、4:3の画面だった。
これは、ごく普通の映画の画面と同じで、パソコンの画面もこれにならって同じである。
上の写真の場面を4:3で表示(画面の引き伸ばしなし)
かつては、上記でリンクした記事でいっているように、4:3の画面を無理やり16:9に変形していたので、「変な画像」であった。しかし、デジタル放送が本格化しつつある現在では、「変形」することはなく、下の画面のように16:9の画面の4:3部分のみ使った表示をしている。
アナログテレビで16:9を表示
上の画面のように、画面の縦横比が会わないもの同士を表示する場合、両端がカットされたり、上下がカットされたりすることになる。
当面、ずっとこの便宜上の状態は、続きそうだ。
(縦横に変形してしまうよりは、ずっとましだが)
ちょっと損をした気分にならないだろうか?
せっかく大型の画面を購入したのに、使ってない画面が両端にあるし、せっかく迫力ありそうな新作映画をDVDで見ようとしたのに、(アナログテレビなので)上下がカットされて、かえって迫力がないものを見ている。
ほんとうに「もったいない」話である。
しかし、もっと問題なのは、映像を作る場面のことだ。
人物がよく映るように決められた従来の画面(4:3)、に対し風景がよく映るように決められたデジタル(ビスタ)画面(16:9)は、一本の映像作品で、はじめから終わりまで、ずっと変わらない。
ということで、映画(ドラマその他映像作品)の作り方、そのものがデジタル時代になって、変わらなければならない状況だ。
今までは、何の違和感もなく、4:3でずーとクローズアップして、一人の人物の顔が主役になれた。
しかし、これからは、16:9で人物の顔をクローズアップしていっても、最大に顔がぴったり決まった画面は撮れない。
それが、現実となった。
テレビ画面のサイズは、実は大問題
赤い線の29型アナログテレビの画面サイズは、ほぼ32V型デジタルテレビに相当
まじめな話をしよう。
ほんとうにまじめに。
デジタルテレビがわたしたちの家庭に普及するための障害として、デジタル電波を受信するアンテナ(方向の調整)やデジタルチューナーなどの問題がある。デジタル電波を放送するテレビ局の機器対応経費などは、お金があればクリアできそうであるし、アンテナやチューナーなども物理的なものなので、なんとか解決できるだろう。
ただ、一般家庭の人には、まだまだデジタルテレビやデジタル放送に対する、ぼんやりとした理解や不安、また無関心がただよっている。
現在は、アナログ放送からデジタル放送への過渡期にあたり、アナログ電波とデジタル電波が同時に流されていたり、電気屋さんでは、アナログしか受信できないテレビとすぐにでもデジタル放送が受信できるテレビが同時に販売されていたりする。しかし、ごく普通にごく普通の品質の薄型大型テレビを購入する場合は、ほぼ100%デジタル放送が受信できるテレビになっている。
わたしは、ケーブルテレビの営業をはじめて、まだ間もないが、直感的に見て、大画面の薄型テレビでアナログ放送を見るには、画面がおそろしく低品質になってしまっていると思う。これは、本来高精彩のデジタル放送を映すために設計されたテレビが、仕方なくアナログ放送を映しているためであると思う。
しかし、デジタルテレビなのに、デジタル放送が受信できなかったり、受信できる地域でも、アンテナの向きを調整したりする必要があったりと、これまでのように単純にテレビを家電量販店で購入すればよいという状況ではなくなtっている。
ちょうど、わたしが子供の頃、その頃は現在のような家電量販店がなかったので、近くの電機屋さんで、テレビを購入し、電機屋さんにアンテナを立ててもらって、アンテナの方向を調整しながら、テレビを設置してもらった頃の思い出を思いださせる。
そこで、現在は、われわれケーブルテレビ屋の出番である。
ケーブルテレビがカバーしている(配線がなされている)地域であれば、もはやアンテナは必要なくなり、現在でもすでにアナログ放送とデジタル放送を同時に、ケーブルから受信できる。
このため、最近購入したデジタル対応の大型薄型テレビであっても画質の悪いアナログ放送を仕方なく見ている方が大勢いると思われるが、そういう人たちのテレビを一挙に、たった2時間程度の工事と調整で解決してしまう。
そのかわり、月々最低でも3,150円の料金がかかるのではありますが。
もちろん、ケーブルテレビはデジタル放送のためだけにあるのではない。基本的には、多チャンネル(現在44基本チャンネル+有料オプションチャンネル)を楽しめるのが大きなメリットであり、ケーブルテレビ局が制作した地域コミユニティー番組が見られるメリットが大きなセールスポイントである。
ここ桐生局のフロアでは、ケーブルテレビで受信できる基本チャンネル全てを小さなテレビで映している。
これらのチャンネルをながめていると、およそテレビが放送しているあらゆるジャンルの番組が全部同時に見られるので、不思議な感覚になってくる。
(お近くで興味のある方は、気軽に遊びにきてみてくださいね。)
さて、問題は、ここからだ。
アナログとデジタルでは、画面の縦横比が違うのだ。
わたしにとっては、これは大問題なのだが、あまり取りざたされていないようだ。
さて、単にデジタルでは横長の規格になっただけであるが、物理的にはそうであるが、大きな違いがここにある。
その詳細は、また後で...
つづく
鉄筋コンクリート住宅 KARIMURA
その会社は、桐生市と前橋市をつなぐ国道50号から北へ入ったところにあった。
カリムラ建物 である。
鉄筋コンクリート住宅を専門につくっている会社だ。
しかし、そのコンクリート住宅とは、対照的なロケーションに、会社が建っている。
そこがいい。
向かいには田んぼがあり、ビニールハウスがあり、のどかなところである。
有線放送から流れるラジオなども聞こえている。
写真は、カリムラ建物のオフィスであるが、ドームのようなのもがてっぺんにある。
モダンなコンクリート住宅には、やっぱり「アンテナなし」で、ケーブルテレビじゃなくっちゃね。
それが、「住宅スタイルってぇもんだ」
そして、静かにガレージの扉がスライドし、彼は、愛車の真っ赤なフェラーリで、近くのコンビニへ大好きな「みたらし団子」と「セブンスター・スーパーライト」を買いに行った。
つづく
近頃のいじめに思うこと
また子供の自殺があった。いじめが大きな原因だとニュースは報じている。
この前も、そうだった。自殺した子供の、自殺の原因が学校でのいじめではないかと、1年近く後にニュースで報じられたものだ。教育委員会や学校は、「遺書」にそのようなことを思わせる内容が書かれていて、それを知りながら、意図的に公表せず、わたしたちにニュースとして伝えられなかった。
わたしは、「子供の自殺」と「いじめ」というキーワードが大きくクローズアップされて報じられているが、その他にもっと重要な問題が潜んでいるように思えてなららい。
というようなことを考えながら、ブログ検索で「いじめ」をみつけてみると、こんなブログに出会った.
http://animal-club.jugem.jp/?eid=545
「オタクな趣味と猫に明け暮れる毎日。」
こうして、何かを考えながら、さまよっているうちに、誰かがどこかで、考えたことの「言葉」に出会う、というような経験は、わたしがこれまでは、経験しなかったことだ。まして、わたしが子供(小学校から中学校あたりに)のときに、こんな風な経験ができたらどうだたろう、としみじみと考えてみたりする。
そしてそれが、宮沢賢治のような人の場合だったらどうだろう。
それで、「風の又三郎」でひとしきり検索をして、...
あくまでもわたしの場合であるが、子供のころを思い出してみると、「いじめ」はそこらじゅうにあった。ように思えて仕方ない。
ちょっとみんなと変わっていて、弱そうなやつをみつけると、すぐ「いじめ」の対象となった。しかし、そいつを「いじめ」てはいたが、どういうわけか、そいつの家に行って遊んだこともおぼえている。
先のブログにも触れられているように、子供の世界は独特だ。その世界をいつかみんな、おとなになるにつれて忘れ去って行く。わたしもそうだ。
宮沢賢治の「風の又三郎」を「検索」でちょっと目をとおしてみて、それがわかる。
そうだ、わたしにも子供のころの「詩」があった。今では、それらの詩を書いたわたし本人でさえ、そこに広がる子供だけの実在の何かがわからないくらいとおいものになっている。
いま、わたしに直感できることは、「子供の世界」には、おとなにはわからない、なにか「エネルギー」のようなものが実在し、そのエネルギーがときには、暗い事件となって顕在してしまうのではないだろうか、とくことだ。
「いじめ」「学校」「自殺」「殺人」...
そのような、単体ばかり、あつめても、ひとつの大きな「エネルギー」をあらわすことができないだろう。
さて、もう一度、あの「闇」の世界へ行ってみるとするか...
ネット株が革新するもの
2006年10月12日、楽天株が値下がりして、TBSとの交渉に影響?
前の会社を退職してから、ネット株に興味をもった。ちょうど、ちょっと前、ある証券会社の不手際で、ネット株をやっている若い人が、金額の記憶はあいまいであるが、それでも10億円以上の儲けを手にしたそうである。「犬も歩けば棒にあたる」とはいうけれど、たまたま個人でネット株をやっていて、ちょうどあのような事件に遭遇し、降って湧いたようにお金が入ったのである。
会社を辞め、ハローワークのお世話になっているとき、書店ではネット株で儲ける本が目立って並んでいた。
若いのに10億円儲けたとか、元手20万円で1億円儲けたとか、という話である。それも本の主人公は、実在する人で、しかもみんな若い。もっと衝撃的なのは、そうしたネット株でも儲け話に登場する人たちは、決して株のプロではないということだった。とことん株を研究し、とことん人生をかけ、プロとしてつらぬいてきている人たちが、べらぼうに株で儲けたって、そんなに衝撃的ではないが、パソコンを使いこなす若者が、よっと株をいじっているような段階で、あれほどのお金を儲ける、ということこそが衝撃だった。
自分で会社を設立した経験があるので、ちょっとは株のことは知っているが、株で儲けるということは、これまでとんと考えたことがなかった。そんなわたしも、つい、ネット株の成功話に輝いている本を買ってみた。お金にまつわる話で、しかも主人公や著者が現実の人なので、ついつい何冊も買って、食い入るように読んでしまった。思えば、こんなに真剣にのめりこむように読書したのは何十年ぶりのことだろう。(わたしにもこんなエネルギーがあるんだと、なんだか嬉しくて、金に目がくらんだだけだという可能性を忘れて、すっかり熱中してしまった。)
そうして、何冊か読んでみて、わたしなりにわかったことは、株で成功したことばかり光っている本が多いこと、失敗談は、あくまでも成功を引き立たせる役目だけで登場すること、株取引の基本には、専門用語が多いこと、そして、なんかとってつけたように、株式投資の基本を説いていることなどである。
しかし、ネットで株が取引できるようになって、これまでの株売買とはまったく違う、「新しいマーケット」がそこにあると、直感した。とにかく、パソコンとインターネットがあるなら、「はじめてみる」ことだと思い、3社ほどのネット証券に登録した。
その後、いろいろとあったが、わたしはひところロトという宝くじにこったことがあり、ぜんぜん当たらなかったので、自然に熱が冷めてしまって、ほとんど考えることすらなくなっていたのだが、ネット株には必ず儲かるやり方があると思うようになった。
これまで、株は遠い存在だったが、ネット株は、株を近い存在にした。マクロからミクロへのシフトとでもいえるだろうか。こうしたところを明確に、しかも、率直に語っている本は、まだないような気がする。
(誰かが得をすると、誰かが損をする)という法則がやっぱりネット株にもあると認めざるを得ない。だからだろうと思う。
そうして、何よりもありがたい変化は、わたしのような貧乏人でも株が売買できるようになったことである。
わたしは、昨日楽天の株を携帯電話で注文し、38.450円で2株買って、今日、40,200円で2株売った。
その差額は、儲けである。小さいが儲け。
しかも、1取引が10万円までなら、証券会社への手数料が無料である。
それでも、これまでの株売買のトータルでは、1万円ほど損をしているが。
(途中、事情で、株価に目が届かなかったことが痛手であった)
不動産屋さんのわんちゃんたち
事務所の奥にある秋田犬専用の部屋からこんにちわ
会社から車で10分ほどのところにある「群馬住宅センター 」さんへ、ごあいさつに、お伺いした。
雨が降ったりやんだりの湿っぽくて肌寒い日だった。こんな日にはじめての会社を訪問するのは、なんとなく心が寒さを感じてしまう。しかし、玄関のところへ近づいてみると、かわいらしい花がきちんと植わっている。そして、玄関には大きなわんこがいた。わたしの心は、一気に明るくなった。
玄関の扉を開けて奥に進み、そっと事務所のドアを開けると、これまた大きなわんちゃんが寝そべっている。近くのデスクにいた女性の方が、ちょっと困ったような表情をされて、
どうぞ、奥のドアからお入りください、
と、わんちゃんが、わたしの邪魔にならないよう、気を使ってくださった。
わたしは、直感でこの女性の方が社長さんだな、と思った。玄関を開けて中に入るまでは、社長は男性だと思っていたのだが、一目見て、この女性の方から社長の雰囲気が伝わってきた。
わんちゃんとごあいさつ。向こうに見えるのは、社長さん。
(ちょっとピンぼけになってしまって、申し訳ありません。次回は、(わんちゃんさえよければ)ちゃんと撮ります。)
社長さんといろいろとお話をさせていただき、社長さんや、わたしを紹介していただいたKさんは、とてもおいそがしそうだったが、わたしは、なんとなくゆったりとして、心地の良い時間を味わせていただいた。
帰りぎわに玄関を出ると、社員の方がわんちゃんのお世話をされていた。
幸せな、不動産屋さんの、わんちゃんたちである。













