さてどうするか?
さて、これからどうするか?
である。
とにかく、ITの時代は、Web2.0へ向かっているのは間違いあるまい。
インターネットの初期には、「cool.com」なんてドメイン名がはちゃめちゃな価値をもっていた。しかし、今では違う。一体どれだけのユーザーさんが直接ドメイン名を叩いてホームページを開くだろう。ほとんどの人は、「検索」なる万能な道具で目的のホームページへ辿り着くに違いない。
そこで、あえて以前のようにわたしの会社の独自ドメインは当面持たないことにした。もっとも、資金もないのだが。
無料ホームページのサービスを利用する。
それから、ECサイトも持っておこうと思う。これも、限りなく無料に近いものにした。
来週くらいには、我がホームページを公開できそうである。
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こんな便利なものがあった。しかし、独自ドメインもサーバーもないわたしには、どうしたらいいのだろう。
それは、それ、これは、その専門家に任せよう。
きっとわたしの道はあるさ。
x-menとNTTレゾナント
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X-MENのシリーズ第3作目を観た。
期待していたどきどき、わくわくが少なかった。そうなるな、と思うシーンがそうなって、驚きがない。特殊効果のオンパレードで作られた映画で、それなりの一流の特殊効果が使われているんだが、3作目ともなると、見慣れてしまったという具合である。
驚きとわくわく感は、同じXでもX-Filesの方が、勝っているように思える。もっともX-Filesは、今となっては、ずいぶん昔のものになってしまって、そのときは、それなりに、わたしも特殊効果の映像にこれほど毒されていなかったのかも知れない。
しかし、X-Filesの方は、日常と非現実とがうまくごちゃ混ぜになっていて、日常的な空間で突発する非日常という驚きがわくわく感になっていたのかも知れない。
日常的な空間に出現する非日常的な驚きという点で、NTT-Xを思い出す。(現在では社名変更してNTTレゾナントとなっている)
この会社は、古い大きなビルにあるのだが、いかにも古いがっちりしたビルの中、廊下を進んで行き、ごく普通のクラッシクなノブのある扉を開けると、まるでタイムスリップしたような銀色の四角い空間が現われる。(この不思議な銀色の無味乾燥な空間は、X-MEN 3でも登場していた!)
この空間は、NTTレゾナントへ通じる四角い銀色の部屋なのだが、銀色の壁と天井に囲まれていて、何もない。向こう側へ出る扉がないのである。
この銀色の空間には、電話機がひとつ置いてあり、なんか不思議な感覚で、アポを取っている担当者へ連絡することになる。
そして、入り口とは反対の方へ進んで行くと、扉がないと思われていた銀色の壁が自動で開き、会社へ通じる仕組みになっている。そこは、このクラシックな頑丈なビルとは似ても似つかない、しゃれたスペースになっていて、天井には、光ケーブルの照明が走っている。
この、ひとつの儀式とも言える空間を通り抜けることで、知らない間に相当な心理的ショックを受けていることになる。
神社へお参りに行くときに通る、参道や鳥居などの効果に似ていなくもない。
多くの神社は、いきなり本殿があって、いきなりお参りとはいかないものだ。神社によっては、長い、長い、階段をひーひー言いながら登っていかなければならないものだってある。
すなわち、日常から、神聖な非日常的空間への入り口である。
とにかく、日常から非日常へのトランスポートをもっとじっくり、うまく、使って欲しい。
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Get backからはじまる2007年
新年、あけましておめでとうございます。
とはいっても、それほどめでたくもないのが心情ではある。
わたしは、また古巣に戻ってきてしまった。おそらく、わたしには、これしかなく、これがちょうどいいのだろう。
昨年末、31日の夜中、年が明ける12時のちょっと前、いつものように伊勢崎神社へ行った。わたしにとって新年を強烈に実感できるのは、年の変わり目、カウントダウンして、新しい年になるのを空気で感じることである。その絶好の場所は、神社である。この習慣は、東京の日野市百草で借家住まいをしていた頃からずっと続いている。古い巨樹が何本もそびえる神社の境内に、新しい年が近づく夜中の12時近く、そこいらじゅうから、寒そうな歩きかたで人々が集まってくる。あったかい暖房のきいた部屋で大晦日を思い思いにくつろいでいた人々が、どういうわけか、この寒いのに、夜の闇に飛び出して、そぞろやってくる。
外から見ていると寒そうな人々なんだが、なにか不思議な熱気のようなものを内に秘めている。その熱気がぞろぞろ、ぞろぞろと約束も規則もないのに、夜の闇の神社へ向かってくるのだ。
わたしは、年に1度しか味わうことのできない、この不思議な熱気が大好きだ。
夜の闇の神社には、灯りがともり、大きな賽銭箱の上でどっかと身構える龍も今夜はやけに厳かに見える。
わたしが東京から群馬の伊勢崎へUターンし、会社を起こした当時、その熱気はもっともっとあからさまで、無邪気で、荒々しくもあった。かれこれ20年も前だ。
その当時は、ぞろぞろと集まってくる人々が、ひしめくように境内へ押し寄せ、12時が近づくと、どこからともなく大声でカウントダウンの掛け声が始まったものである。
さて、カウントダウンの掛け声がいよいよ高まり、12時(新年の0時)になると、神社の神殿で太鼓が鳴り響き、遠くで花火が上がり、みな一斉に手に持ったお金を賽銭箱めがけて投げつけたものだ。賽銭箱に入らないものや、途中で落っこちてきて人の頭を直撃するものまであった。
いやはや元気のいい新年のはじまりだった。
さて、2007年度の幕開けは、その当時から比べるとお行儀が良くなってしまったようである。
押し合いへし合いもないし、遠くから賽銭の一斉射撃もない。
お守りもすんなり買えた。
すぐ近くのお寺では、ずっと除夜の鐘を一般の人々が順番でつくのがならわしだったが、今年からはやめてしまって、除夜の鐘の音もなくなってしまった。楽しみにしていた甘酒の無料ふるまいも消えてしまった。
そんなこんなで、人々の盛り上がりも少なく、ちょっと寂しい新年の幕開けとなってしまった。
しかし、お寺の境内では例年のごとくお焚き上げの炎が健全であった。
昨年までの古いだるまやお札を勢いよく炊き上げている。
さすがにここは熱い。勢いよく燃え上がる炎に5分も顔を向けていると、焼けるように熱くなる。
そして、この炎は、わたしに実に多くのことを語りかけてくれた。ありがたや。ありがたや。
さぁー、今年も頑張るぞ!
そして、みなさまにとっても、2007年がほんとうに良い年でありますように!!!!
ミスズヤ書店でオペラ
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桐生市本町にあるミスズヤ書店にまた、営業で立ち寄ってみた。
なかなか、店主のおじさんが出てこないので、棚の本を見ていたら、新文庫本の「カラマーゾフの兄弟」が3冊ほどあった。そういえば、前回店主に会ったとき、「カラマーゾフの兄弟」の話をしたっけ。その時は、在庫がなかったので、わたしは残念がった。それでかどうかはわからないが、ちゃんと棚に並んでいる。かわなくちゃならないような気分になっていたときに、店主が現れた。
書店には、こわれた古いテレビの代わりに新しい、ちょっと小さいテレビが入っていた。
ここへは、デジタル放送をアナログテレビで観られるセット・トップ・ボックス(STB)を売り込んでいたつもりだったが、これを使うと、デジタル放送は映るが、画面が小さくなってしまうので、諦めた。
(以前このブログへ書いた画面の縦横比の問題である。わたしは、この問題をそうとう悲観的に見ている。2011年に地デジに放送が一本化されたとき、問題になるのは、この点だと思う。STBでアナログへ変換することは、まったく難しい問題ではなくなるだろう。特に価格面では、問題にならないくらい安くなっていると思う。しかし、画面の大きさにまつわる問題は、いかんともしがたいに違いない。<なんで、この点をもっと話題に乗せないのだろう>)
店主が突然、オペラのDVDつき書籍のことを話し始め、いいですよーと楽しそうである。
わたしもCDでは、オペラは沢山出ているのを知っているが、画像のないオペラはどうも、という理由で、真剣に購入しようとしたことはなかった。今回のDVDつき書籍のパンフレットと、第一巻を手にとってみると、値段も手ごろだし、演奏もわるくない。
音楽DVDの話になり、「内田光子」のDVDを取り出して、早速新しいテレビで映して見せてくれた。テレビに映しだされたのは、ベートーベンのピアノ協奏曲第四番であったが、モーツァルトのソナタ集もいいといって、DVDを見せてくれた。
いやはや、桐生の町の小さな書店で、こんな話をするとは夢にも思わなかった。
楽しい、楽しい、ひとときである。
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カミさんと再び結婚
本日、市役所に婚姻届を出した。10年数ヶ月前に離婚したカミさんとまた結婚した。
いろいろとあって、あのときは、当然の成り行きのように離婚した。
田舎ドンファンとドンキホーテのまじりっけのない奇妙な運命のように、人生の河の中で、泳いでいた。
純粋さは、単純で、気まぐれだ。
「犀の角のようにただ独り歩め」
という言葉が聞こえてくる。
なんだか不思議な言葉である。
ずいぶん前、学生の頃、よく読んだ言葉だったに違いない。
テレビで、「あなたの前世は、XXで、だから、xxなんです。」なんて、当然のことのように言い、当然のことのように聞いている。
なんかおかしいのである。
さように、この世は、きてれつ変化、奇奇怪怪、だから面白いのだろう。
やはり、どうにも、単純さは、純粋で、恐ろしい。
わたしにはオーラも前世もなにも見えないが、何かが感じられる。
目に見えないものが、わたしにぶつかってくるようだ。
きっぱりしているが、淀んでいるようで、水面に光が反射して、その向こうが見えない。
言葉をなくした辞書のような気軽さで、とっとと歩き出そう。
カラスの目に飛び込んできた夕日の中で、とんぼが笑った。
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ゲットバック(Get back)
あのお地蔵さんがわたしに告げた内緒の言葉は、「Get Back」であったかもしれない。
お地蔵さんが道端にちらりと見えたとたん、その顔に吸い寄せられるように車を停め、道路から下へ降りて行った。
おまえのあるべきところへかえれ
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それにしても、いかがわしいトラックバックが沢山くっついてくる今日この頃である。
それは、まるで、わたしたちの頃、夜の歌舞伎町を一人でふらふらと歩いているような気分でもある。
わたしは、それは、嫌いではない。
むしろ、ふらふらと楽しい。
このいかがわしい、猥雑な、喧騒な、きらきら、ぎらぎらした、にじむような、生きている感じ。
そうして、朝の、別世界の、一人ぼっちの、歌舞伎町。
日が昇り、カラスが騒ぎ。
目が乾いてきて。
空を見て。
また、夕暮れて、あの歌舞伎町が復活する。
この繰り返し。
ともかく、Get Back!
新城 宏の「最後の晩餐には」
わたしが最初に正社員として入った会社の社長(昭和9年生まれ)が、現在湯河原で畑仕事と鶏を飼いながら、マイペースで文筆活動をしている。
フランス文学科などという、お金にはとんと縁のない科目で大学を卒業し、さて就職はと探すうち、この社長のユニークな経営方針が目について、それよりも月給が高くて魅力的だったので、入社試験を受け、なんとか合格した。実は、月給が高く見えるという仕掛けには、年俸制という隠し技があった。
今、プロ野球の松坂投手がアメリカのメジャーリーグに行くことで、大変話題になっているが、給料は、複数年ではあるが、基本的に年俸性である。そういった、制度を取り入れたユニークな会社だった。
実は、その当時は、情報産業は成長期で、この会社も恐ろしい勢いで成長を遂げてきたところだった。
それが、わたしの入社した頃から少しづつ成長の速度が遅くなっていく情勢だった。
それはそれでいいのだが、羽鳥社長はわたしと同じ群馬県生まれということもあって、なんとなくわたしの師のような存在だった。彼のモットーは、「自立厳正」で、そのように生きてきた人であり、第二の人生をそのように生きている。
さて、羽鳥さんのペンネームは「新城 宏」で、わたしの名前の「城」という字が入っていることにちょっとびっくりしてうれしかった。
通常は「新庄」が使われるだろう。
彼は、「新城宏文芸工房 」というホームページをもっていて、毎月規則的に更新している。(これも羽鳥社長らしい更新の規則正しさである)
わたしは、彼の会社で10年ほど勤めて、自分の会社を作るため飛び出したのだが、そのとき、彼に切々とその「わけ」を手紙で書き送ったことを思い出す。
彼は、今70台であり、わたしは、50台である。
彼のエッセーに「最後の晩餐には」というのがある。
共感する点が多いのに驚く。
特に、「のり弁」と「ちくわ」には、まったくだ。
そうしたものがほんとうは「うまい」食事なのだと思う。
そして、ほんとうに贅沢なのである。
こちらがうまいものを味わう「力」と「コンディション」がないと、うまいといえないからだ。
この「力」と「コンディション」が、実は、多くの人には「欠落しっぱなし」の真実に贅沢なものだと思う。
その「こちら側のもの」をさしおいて、もっとうまいもの、もっとうまいものと探し求めているのがグルメというならば、それは哀れむべきものに違いない。行き着く果ては、あの「ローマの退廃」の饗宴ではなかろうか。
こちらのがわの「もの」が欠如しているから、「つかめ」ないもの。
それを永遠に求めている。
ちょっと彼も、不安を述べているが、新城宏の「最後の晩餐には」、つかまえることのできる「幸せ」がある。
営業マンとティムバートンの「ビッグフィッシュ」
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「なぜか僕の父は、人に好かれ、優秀な営業マンになった」
という言葉がまぼろしのように頭に浮かんできた。
わたしは、営業マンには向かないな、などと思うようになって、それでもケーブルテレビの営業をやっている。わたしが扱っているケーブルテレビには、お客様にとって、きらめきのような魅力がない。営業でドアのチャイムを鳴らし、運良くお客様がケーブルテレビの説明を聞いてくれたとしても、例の輝くような魅力が存在しないのを痛感してします。
ところで、アメリカ映画なんかを観ていると、家庭にケーブルテレビが入っているのはごく当たり前のようである。
この間もドリームワークスが作った「森のリトル・ギャング 」という映画を観たが、その一場面で動物たちが、(こともあろうに)テレビ鑑賞をする場面が出てくる。そこで、テレビのリモコンをもって、400チャンネルあるというくだりがあった。想像するに、これはケーブルテレビである可能性が高い。
アメリカ的には、「自分の観たいものを観る」という考えでたくさんのチャンネルが欲しいのだろう。
ところが、わが日本的には、どうも、「流れてくるものを観る」ことの方が楽しいようである。それが、日本的なテレビの楽しみ方なのかもしれない。コマーシャルがどんちゃか入っていたっていい。それが、かえってにぎやかで楽しい。
自分の観たもの?
そんなもの探すの面倒だし、疲れちゃうよ。
といった、気分なのかもしれない。
テレビの観かた。ここにも、日本的な「自己顕示欲」のスタイルが影響しているのではないかと思う。
さて、ティムバートンの「ビッグフィッシュ」という映画が突然わたしの頭の中で映し出されている。
ティムバートンといえば「シザーハンズ」の監督だ。
あの映画もいかにもアメリカ的という住宅地で起こる奇想天外なものがたりであった。どこかの宅地開発会社が、新しい住宅地をぽこんと作った町。そういう感じの町並み。
いかにも営業マンの活躍しそうな町。
そこに飛び込んだジョニーデップ扮する異端のもの。
この町と、シザーハンズを生み出した古い城との対比がまた強烈だ。
あらためて「ビッグフィッシュ」を思うとき、営業にまつわる「嘘」と「ほんと」と「魅惑の輝き」などがきらきらとわたしを取り囲んでいる。
サンタクロースがほんとにいないとわかりきっているのに、親は、クリスマスプレゼントをせっせと買い込む。
クリスチャンでもないのに、子供にプレゼントしなきゃと思い込んでいる、われら日本人。
子供にとって、プレゼントをもらう絶好のチャンス。
お店にとって、普段は絶対に売れない、プレゼント用品をたくさん販売する絶好のチャンス。
巷は、クリスマス。
ここにも、「営業」の不思議な原理と、「きらめく魅力」の「うそ」と「ほんと」の微妙な揺らぎによるエネルギーがはたらいている。
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- シザーハンズ<製作15周年 アニバーサリー・エディション>/ジョニー・デップ
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- そういえば...
- 「チャーリーのチョコレート工場」にも、いかにもアメリカ的な営業方法が登場していた。
- 子供たちは、チョコレート工場見学の特別チケットを獲得するために、たくさんのチョコレートを買いまくるのだった。
- 貧しい子供が、やっと買った一枚のチョコレートに、そのチケットが入っていたことから、このファンタジーが展開していく。
- (この映画のたしかティムバートンが監督だった)
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時計じかけのオレンジ
- 時計じかけのオレンジ (期間限定)
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食べ物の話。
この映画に出てくる真っ赤なソースがかかったスパゲティー。
自分の妻をなぐりものにされ、殺された夫(かなり年取っている)が復習のため、スパゲティーに睡眠薬を入れておいた。
主人公の暴力青年が犯人だが、今度は自分が殴られて瀕死の状態で、この老人の家へやっとの思いでたどり着き、助けを求める。老人は、青年の正体を知らず、風呂に入れ、スパゲティーを用意することになる。
しかし、青年が風呂の中で歌っている歌で、この青年の正体を知ることになる。(犯行当時は仮面をかぶっていたが)
そうとはゆめしらず、青年は真っ赤なソースのスパゲティーを食べ始める。
そして、突然ばたんと顔をスパゲティーにうずめて気を失ってしまう。
この映画に登場する真っ赤なソースのスパゲティーがわすれられない。
もちろん、この映画を観終わったあと、映画館のレストランでスパゲティーを食べた。
それは、すいぶん昔のこと。
かれこれ、30年以上前だろう。
この映画も家庭のテレビでDVDで観たいとは思わない。
なにかこわれてしまうものがある。

