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"Food for Thought"

日々考えていることを、自分の思考をまとめるためにも書きつづっています。

政府・日銀の介入で、一時的に円が85円/$に戻った。しかし、この円高ヒステリーには、どうしても違和感を覚える。

1971年まで360円/$の固定相場で、その後308円/$となって、1973年から変動相場に移行している。一般に、長い目でみた場合、円・ドル間では「年率3%」で円高に向かうとも言われている。相場の上昇スピードには濃淡はあるが、単純に1973年~2010年の37年間を「308円/$×(0.97の37乗)」としても「99.8円/$」である。現在の85円/$と比較すれば確かに円高に過ぎているが、全く不思議なレベルではない。

過去のトレンドを見ても、円は常に強くなる方向であるにも拘わらず、何故いつもこう騒ぐのであろうか。この点が疑問だ。

一国の通貨が強くなって滅びた国はない。本来、通貨が強くなれば、購買力が増し、海外から安くモノが買え、豊かな生活が過ごせるはずである。日本の輸出に影響があるというが、先進諸国における輸出依存度は日本は意外に低い。少し円高となると、こぞって大騒ぎをするが、最近の円高のおかげで、(少なくとも自分の周りの)価格が下がったものはない(ガソリンも上がったままだし、ワインも高い)。円高によって利益を得ているものは黙っており、被害を被る一部の声のみで騒いでいるのではないか。

ユーロ対ドルの交換レートは、「1.○○」である。世界第二位、いやいまや第三位となった日本の通貨交換レートが「85円/ドル」や「112円/ユーロ」といった、2桁・3桁の途上国並みの交換レートを持っていること自体が奇異ではないのだろうか。乱暴な言い方をすれば、「1ドルの交換レートが1円」もありということだ。

ここまではメチャクチャとしても、少なくともこれまでのトレンドからすれば、「円は常に強くなる」ということも前提したほうがよい(仮に弱くなっても損はない)。

報道にしても、円高で大変だ!というだけではなく、
  ・円高で、日本のグローバル化が図れる、
  ・海外投資も海外の企業買収もしやすい絶好のチャンス、
  ・コールセンターや医療も海外アウトソースすることで、安くて良質なサービスが受けられる、
  ・世界中からいいモノや味覚(個人的にはワイン・シャンパン)がとれるようになる、
という良い面をシッカリ評価し、むしろ、
  ・円高になっても、庶民の生活に寄与しないのはなぜか、
  ・それは非効率な流通体制やその他の分野があるからではないか、
  ・円高を契機に、規制緩和や淘汰によって、その分野にこそメスを入れるべきではないか、
といった議論がなされて然るべきである。

勿論、上記は名目レートについての議論であり、実効レートは大きな変動をしていない。財政状態などからしても、上の議論は当たらないという点もあると思う。経済学者ではないため、詳細については異論もあるかと思うが、あまりに側面的な議論に辟易してしまう。

声の大きなものの意見に従うのではなく、声なき声に耳を澄まし、本当はどうなっているのかを見極めたい。
【童話】 東村と西村

むかしむかし、ある山のふもとに、東村と西村がありました。どちらも普通の村なのに、冬になると、決まって東村に火事が起こります。東村の消防士さんは、いつも消火活動に大変。それに対して、西村の消防士さんは村の掃除ばかりです。村の人たちは言いました。

村人A:「東村の消防士さんは大変だ。でも、あの人たちがいるから、みんなが無事に暮らせる。」
村人B:「そうそう。それに比べて、あの西村の消防隊は、いつも掃除ばかり。暇なんだね。」

当然、西村の消防士たちにも、村人がどう噂しているかを知っています。彼らも、本当はカッコよく、ホースを担いで、華麗な消火・救助活動をしたい・・・。そして、そのための訓練も万全にこなしているのです。

でも、西村の消防士たちは知っていました。

冬になると、決まって火事が起こるのは、山から吹き下ろされる落ち葉が原因であることを・・・。そして、一旦、火事になると、村人の財産のみならず、愛する人たちをも失うことがあることも・・・。

村人に何と言われようと、冬が近くなれば、西村の消防士たちは、箒を持って落ち葉を掃き続けるのでした。

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IRは、地道な活動である。うちのメンバーは、年間に1000人もの株主・投資家とミーティングを行っている。それで、何かが劇的に変わるわけではない。しかし、地道な活動がベース・ロードをつくって、大惨事になることを免れている。派手な活動やパーフォーマンスではなく、目には見えない地道な活動こそが、本当に重要なことなのだ。
先週、あるセミナーに参加した。月に1度程度は、視野を広げるためにセミナーを受けることにしている。

【資本市場において、企業は「商品」。有価証券報告書は、その「商品」を説明するパンフレット。IR(Investor Relations)は「商品」のマーケティング/セールス・アクティビティ。欧米のブルー・チップ企業(一流企業)は、株主総会を「商品」説明会と位置付け、如何に長くPR活動できたかを競うほど。「○○分で無事終了した」と喜ぶ日本の企業とは違う。「商品」の価値は何かを追求し、訴えること。】

IRも広報もPL・BSへの影響はない。業績への影響がないため、ぶれない「軸」をしっかり持っていないとモーティベーションの維持が難しい。しかし、①企業そのものを「商品」とし、②その「商品」のマーケティング・販売活動を、③様々なツールを使って行う役割、と定義すると方向性が見えやすくなる。あとは、如何にその「商品」の価値を見出すかだけだ。
昨日、あるファンド・マネージャーと飲んだ。

「まだ駆け出しなので・・・」と、200億円「しか」任されていないらしいが、昨年の運用パーフォーマンスは年率20%だったとか。中国株への投資でこれだけの実績をあげたそうだ。来週いっぱい、中国の企業を訪問するらしく、毎日6件のミーティング(つまり一週間で30件のミーティング)をこなさなければいけないとぼやいていた。

いまの低金利や株価低迷を考えれば、年20%もの利回りをあげるのは相当のことだ。かつて、バックパッカーで、中国全土をくまなく旅行したという「土地勘」が幸いしているのかもしれないが、この実績はすごい。

それにしても、やはり資金は日本を見限って中国に行かざるを得ない。「中国がだめになったらどうするの?」と聞けば、「次はインドを狙っているので大丈夫」なのだとか。

結局、お金が入ってこなければ、国も企業も発展しない。「運用益をあげなければ、即クビになる」と言うファンド・マネージャー達にとって、国境の概念はない。日本のファンドでも、いわゆる「ホームグランド・バイアス(自国の投資先を選好すること)」なしで世界へ資金を供給しているのだ。

結局、お金が入ってこなければ繁栄はない。如何に魅力的な国・企業となるか。本当は、それだけを考え続けることが重要なのだ。
8月28日の自分の予想に反して、菅氏に決定した。国会議員票は僅差であったが、地方議員/党員・サポーター票が効いた。地方では、小沢に票を入れることに対して恫喝などもあったようだが、いずれにせよ、予測というものは難しい。

菅氏は高校同窓の大先輩ではある。しかし、いまの日本の閉塞感を考えると、小沢氏に期待をしていたことは確かだ。飽くまでも表舞台に出ることを避け、裏手に周って日本を変えていこうとしたものが、あまりに自らの思考と異なる方向へ動き始めたので、敢えて出馬を選んだのだろう。そこまでの信念を持っているのであるから、一時その実現に邁進してほしかった。地方への財源・権限委譲、記者クラブ見直し、一時的な財政出動など政策的にも支援できた。

いずれにせよ、未来を予測するのは難しい。やはり、自分の色眼鏡で物事を測ると、全てに都合がよい風に考えてしまいがちだ。今回の自らへの教訓は、やはり「現実を直視」すること。
先週、「京都先進企業に学べ」ということで、ワ○ール・京○ラ・宝○造を訪問。勿論、目玉は宝○造さんの「飲み比べ」。日本酒度と酸味の加減を変化させた「松竹梅」をたらふくいただいた。しかし、今回の「驚き」は、下着メーカーのワ○ールさん。

会社紹介のあと「人間科学研究所」所長の説明。「科学」は知識を創造するところ、「工学」はその知識を活用すること、と棲み分けし、新しい知識の創造に寄与するのがミッションとか。既にプレス発表済みとのことだが、45年間のデータから導き出した「からだのエイジング」についての説明が圧巻だった。

45年間蓄積した、4歳から59歳までの日本人女性のべ4万人のデータから、加齢による体型変化を、CGを使って示していた。平均的に、20代後半でからだ全体が引き締まり、その後50歳代までに体重は平均約5kg増える傾向にあるそうだ。バストもクーパー靭帯とかが脂肪化して変化するらしい。この辺をCGと分析データとバストの動画・写真でかなり説得力を持って話された。

しかし、「一般的な傾向はそうなのだが、約15%の人は体型変化がない人もいる」そうだ。3つの要素があって、一つは「食事」。暴飲暴食をせず、規則正しくバランスのいい食事を摂ることで、体型変化のない15%の人は全員3食をきちんと摂っていたとか。二つ目は「運動」、美しい姿勢を維持する、運動をしっかりするなどで、これも頷ける。「なぁ~んだ、あったり前じゃん」と思っているうちに、三つめ。体にあった「下着」ときて納得。経年の変化にあった下着を身につけることが大事ということで「やはり、そうきたか~!!」 ただ、それまでに、格調高いプリゼンで洗脳されてしまったせいか、すぅ~っと納得でき、「さすが!」と思った。

それにしても、「創業者・○○の申しますには…」と、ことあるごとに言われ、いずれの企業も創業者の精神が社内中に浸透しているのがわかる。いままで多くの企業の会社紹介を見てきたが、「創業者の考える人間力とは」というプリゼンを見たのは京○ラさんだけだった。自分の働いている企業とは全く違う社風のようだ。
学生時代の仲間と飲んでいて、マスコミの話題となった。広報をやっているので、「先進国のなかでも日本のマスコミは異質」と話した。

日本では、記者クラブを中心とした「情報の談合」状態。5大新聞社が、官庁からの情報をシェアし、「特オチ」がないよう「協調」している。一方、その他では「抜いた・抜かれた」の世界。どこが早くすっぱ抜くかだけを競っている。

欧米では、すっぱ抜くのは通信社(AP、ロイター、時事)の仕事。新聞社(FT, NY Times, Washington Post)は、それをもとに独自の取材・分析を行って記事を書く。各紙によって論評が異なり、さまざまな意見に接することが可能だ。一方の日本は、論評はほぼ同一。「情報の談合」を行って、すっぱ抜きだけに記者を走らせているので、やむを得ないとも言える。

いま、新聞の購読者は激減している。ネットが普及したことで、携帯でニュースを見る、会社のネットで詳しく読む、など時代の変化が背景にあることは確かである。速報性で勝負すればネットにかなうはずがない。よって、新聞社が、これに対抗するには、質の高い分析しかない。しかし、「抜く」ことばかりをメインにやってきた今の新聞社には深堀りした分析を加えることはできないのではないか。

テレビも惨憺たる状況だ。民放に出演したある方の話によれば、「小学校4年生でもわかるように話をしてほしい」とディレクターに言われたそうだ。いまのゴールデンタイムの番組を見れば、そのレベルがわかる。池上彰氏がよく出演するが、「こどもニュース」の流れを汲んだ番組が中心。お堅いNHKの視聴率が上がってきているが、さすがに民放のバカさ加減に皆、嫌気がさしてきたのだろう。

我々の接するメディアは劣化している。マスコミの言うことを鵜呑みにすることなく、自分の頭で考え抜くことこそが大事である。
9月になっても暑さが続いている。しかし、もう来年のカレンダーの印刷にかかる時期である。

年末に、お客様のところへカレンダーを持って、営業マンたちが「年末のご挨拶」に伺うことになっている。月がまたぐと、「賀詞交換会」でご挨拶。全く、非効率と思うものの、「手ぶらではいけない!」とかで毎年制作している。会社のカレンダーは、例年約3万部作って世界に発送しているが、「日本画」と決めており、割りと評判がよい。画家にとっては、結構な稼ぎと登竜門になるらしく、応募も多いそうだ。

昨年、平山郁夫氏を選んだところ、ちょうど発行前にご逝去された。そのせいか、印刷を追加注文するほどの「売れ行き」。

今年は、奥村土牛(とぎゅう)氏とさせていただいた。

ちょうど、昨年が氏の生誕120周年で、今年5月に山種美術館で「生誕120年展」があった。正直、あまり知らなかったのだが、「鳴門」の絵の前に立つと、ゴーという音が絵から聞こえてくるような迫力で圧倒された。

企画会社からの提案に「奥村土牛」氏があり、ほとんど独断で決定。画伯の雅号の由来をいたく気に入っているからでもある。

「牛のあゆみ」という自叙伝によれば、唐時代の寒山詩にある「土牛、石田を耕す」という言葉から、父が命名されたとある。「牛が石ころの多い荒れ地を根気よく耕し、やがては美田に変えるように、お前もたゆまず精進しなさい」との意味が込められていた由だ。氏も、101歳で亡くなられるまで、年を経るごとに厚みのある絵を残されていった。

派手なパーフォーマンスより、地道な活動。地道な活動を通じて、身の周りを良くしようとする心がけ。そして、そのことを大事にしようとする意思。来年は、「丑年」ではないが、「たゆまず精進」という言葉をできるだけ多くの人と共有したいとの「思い」である。
かつて同じ部署にいた会社の後輩から「飲み」の誘いがあった。飲んでいるうちに、製造委託先の会社(100%子会社)との関係で苦慮していると打ち明けられた。以前、彼の仕事を担当したことがあるので、助言を期待してのお誘いだったようだ。

当社が営業・研究開発を行い、子会社が製造を行うことになっている。しかし、境界線がはっきりしていないなか、試行錯誤で子会社の利益水準がよくなり、発言力が強まって困っているというのだ。一応、話は聞いて、「どう思いますか?」と聞かれたので、一言。

「戦う相手が違うだろ」

内輪で戦っているものが、外との戦いに勝てるはずがない。本当に見るべきは、「親会社vs子会社」ではなく「顧客vs自社」「自社vs競合」だ。「日本人は」と括ってよいのかわからないが、とかく「なか」との戦いに終始して、「そと」との戦いを忘れがちだ。事実、この事業部の業界での位置づけは、自分がいた頃から全く伸びていない(その責任を内部でなすり付けあっているようにも見える)。

太平洋戦争時代、海軍と陸軍がそれぞれの権益を主張し、日本という視座がないまま敗戦したということを読んだことがある。いまの日本も、「なか」でゴタゴタを繰り返すうちに、世界から大きく遅れをとってしまった。政争に明け暮れ、首相も短期間での交代を繰り替えているうちに、国際舞台での日本の発言権はなくなった。強みといわれた日本の技術も。日本の競合メーカーだけを意識して「ガラパゴス化」し、世界で使い物にならなくなった。「なか」で戦うものはほろぶ。

これを書こうと思ったのは、ある方のブログに、マスコミも本当は、小沢氏vs菅氏について、「横綱と幕下。小沢は未来を話し、菅は自分の過去を話した。世界を見ている小沢と、永田町と霞ヶ関しか見ていない菅」とあったためだ。仮に「永田町・霞ヶ関」しか見ていないといえば、上の「子会社をどうするのか」と同じ目線である。いまの日本はそうした議論をしている余裕はない。海外の投資家と接すれば、如何に我々が忘れられているかがよくわかり、株価が如実にそれを物語っている。

内部での戦いを避けるには、視座を高く保ち、そのなかでの関係者のビジョンを共有するしかない。目線を常に高く、国・企業・個人のどのようなレベルであっても、「世界のなかで」自分の立ち位置を考えたい。
自分の過ごしてきた時代と比べ、いまは「人にやさしい時代」と思う。

かつてメールがこれほど使われていない時代には、電話での会話が中心。異性に「電話」をする際にも、どう言おうかなどとドキドキしながらかけたものである。「いきなりお父さんが出た!」など、予想外のことは当たり前であり、応対を失敗して凹むことも多かった。また、その場その場で判断しなければならず、嫌な相手にも「嫌」と雰囲気が伝わった。肉弾戦のようなもので、ひとつひとつの行動がビンビン響く感じである。

今では携帯メールがあり、アドレスさえゲットできれば、直接当人と連絡を取れる。嫌な相手でも、メールの文章を考えて、傷つけないように断ることもできる。もらった相手も、(たとえ凹んだとしても)相手を傷つけないような返事を書ける。その場その場での判断ではなく、考える時間がとれるのがありがたい。

ブログやツイッターなどでも基本は、「やったー」「おいしそ~」「いいね」など、相手をヨイショするワードが多用され、他者を傷つけることはネチケットに反すると考えられている。

職場でも、以前は、パワ・ハラ、セク・ハラ、過重労働、など当たり前。これらの「経験がない」と言う人はいないだろう。それが今では、部下への声がけに配慮し、PCの壁紙は(アイドルの水着ではなく)「風景写真」。労働時間短縮も労使で協議して、長時間労働ともなれば、人事に呼び出される。草食系男性が増えたと言われるが、下手に声をかければセク・ハラで「内部告発」されるので怖くて声もかけられない。

人のもつドロドロした部分は表に出さず、常にやさしく応対する。自分に対しても相手に対しても、傷つくことはしないようにするという時代なのだと思う。

うつ病が増え、年3万人もが自殺をする(12年連続で3万人/年ということは、36万人も亡くなったということ。10万人当たりの比率で、G8国家ではロシアに次いで多いのだそうだ)。ワーク・ライフ・バランス・セミナー、うつ病予防講座、メンタル・ヘルス講座、更には「自殺予防週間(9/10~9/16)」のポスター貼り。以前ではこのようなことは考えられないことだ。自殺者比率は世界でもロシアについで多いのが日本とか。生活環境が格段によい日本がこれほどメンタル事故が多いのは、あまりに「慮り」が過ぎて、ちょっとしたことでも「メンタル」になってしまうからではないか。

本当にやさしいということは傷つけないことなのであろうか。

「逞しい日本人」

これからは、こうした日本人像が求められると思う。

「優しくなければ生きていく資格はないが、強くなければ生きていけない」というような言葉もあったが…。