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"Food for Thought"

日々考えていることを、自分の思考をまとめるためにも書きつづっています。

「リーダーとは人の上に立って、グリグイ周りを引っ張っていく」というイメージがある。しかし、大きく変化する時代の中で、かつての価値観を背負った人がグイグイ引っ張っても時代とずれる可能性がある。「俺の時代はこうだった」と言っても、「いま」と「俺の時代」は違うのである。

企業で組織図を書くと、通常は一番上に「社長」がいて、現場の担当がピラミッドの底辺となる図ができあがる。しかし、「逆さまのピラミッド」という考え方があって、この実践を心がけている。

「逆さまのピラミッド」は、三角形の底辺を逆に上位にもってくるものである。顧客・社会と接する現場こそが一番「偉い」ということを図式化している。その「偉い」現場を支えるのが課長、それを支えるのが部長とつらなってゆき、最も下に位置する逆三角形の頂点に「社長」が存在する。つまり現場を働きやすく支えるのが中間管理職であり、それを支えるのが幹部であり、最後の全てを支えるのが社長ということである。この図に従えば、社長には全ての重量が一人にのしかかってくる。また、社長一人の判断が組織(三角形)を大きく左右することも理解できる。何より、「最も上位に立つべきは最前線で戦っている現場の人々である」ということが描けていることである。

通常の三角形の頂点に立って、上から指示をするのではなく、現場を支援する役割としてのリーダーシップ。そして、支援をしながらも、その決裁が大きく現場を揺るがすことを念頭において決めていく判断力。これからは、このようなリーダーが主流になるのではないかと思う。
背負っている価値観・時代背景が違うということを、昨日の日記で書いた。

「いまの企業には4つの人種がいる」

と周囲には言っている。

(1)まず、60歳前後で主に企業の経営・意思決定に関与する人たち。いわゆる「団塊の世代」である。多くの同期がおり、40歳ころまでは右肩あがりを経験している。「みんなで一緒に・・・」という概念も強く、基本的には「明日は今日よりも良い」という価値観をもっている。

(2)続く、50歳前後。団塊の世代の下で育ち、「みんなで一緒」にはやや冷めた意識をもっている。どちらかと言えば、他との違いを出したい世代。ただ、ここも入社から30歳頃までの「遊び盛り」にバブルを経験し、「頑張れば明日はよい」という価値観が残っている。

(3)バブル期絶好調のときに社会に出た人たちがこの後に続く。こちらは学校を出る頃に、バブルの波に乗ったタイプ。ただ、そのことを十分に認識し、謙虚に自分を見つめている。

(4)そして、バブル後の若い世代。生まれてこのかた、「景気が良い」という状況を味わったことがない。常に右肩下がりの状況に置かれ、「明日は今日よりも悪い。だから頑張って、何とか昨日並みを維持したい」という考え方をもっている。みんなで集団行動をするよりも、「個」を大事にし、自己研鑽を惜しまない。IT関係は日常生活に溶け込んでおり、情報に対する感度が高い。

多分に感覚的ではあるし、違いもあるかもしれない。ただ、言いたいことは時代背景が異なることから、背負っている価値観が全く違うということである。極端に言えば、顔は同じ日本人でも、異なる4つの人種がいると考えたほうがよいということだ。いまの日本の経営者に「頑張ればやれる!」と言われても、若い人にはピンとこないだろう。

「いま」を考えるときに、「いま」を生きる人たちに主導させなければ、「時代」とずれる可能性がある。少なくとも、若い人たちの意見を十分に聞いて、方針をつくることを心がけていなければならない。
「天下りというのは、明治時代から開発されてきた、実は素晴しい制度なのだ。」 ある役人出身の人からに聞いた。

次官を誕生させたと同時に、その同期は全て天下る。つまりその省庁において、「一人」がリーダーとなるのである。もし、次官より年長のキャリア組がいたり同期がいれば、日本の社会において、その次官がリーダーシップを図ることは難しい。長年かけて選抜した優秀な人材に、思い切りリーダーシップを発揮させるための仕組みが「天下り」なのだそうだ。

これには一理あると思う。

確かに、国の省庁のトップ(次官)の周りに、年長者がうじゃうじゃいれば、やりにくいことこの上ない。現在の政治も民間企業であれば、とっくに引退しているような人たちが影の実力者であったり、ご意見番などといっていまだにテレビに出演している。彼らが育った時代・背景と現在とでは全く異なるのにも拘らずである。今の政治の混迷も、政治家に定年制がないためではないかと思ってしまう。

一方の民間企業。こちらには役職定年などはあるが、相談役・顧問などと称して隠然としている場合が多い。日本は、役員と従業員の所得格差が極めて低いと賞賛されているが、一方で、「それが故に手にした役職から退きにくい」と聞いたことがある。米国のように巨額の報酬を手にすることも議論があろうが、在任中に十分な報酬を手にしていれば、引退後の企業経営に関与する誘因はない。年長者やOBがいなくなれば、新しい経営陣もしがらみに囚われることなく思い切ったリーダーシップを発揮できるかもしれない。

今年から1億円以上の役員報酬を得ている場合には報酬開示されることとなった。100名強の経営者が開示したが、企業経営者の責任を考えれば、もっといてもよい。低報酬を言い訳にするのではなく、高い報酬でシッカリ稼ぐこと。そして、十分に報酬を得たら、去るべき時には去る。こちらのほうが日本全体にとってよいのではないだろうか。

これから高齢化が顕在化する日本において、活力のある社会を築くには、高齢者がそれまでの地位や役職・報酬に綿々とすることなく、全く新たなセカンド・ライフを過ごせる仕組みが必要と思う。
小さいころ、一時的だが、両親の祖母に育てられた。その時の祖母の「つぶやき」が、不思議に最近になって思い返されるようになった。

父方の祖母のつぶやきは、「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも ならぬは人の、なさぬなりけり」。

「やろうと思えば何でもできる」ということを孫に教えようとしたのだろう。最近になって、この言葉が上杉鷹山の言葉ということを知った。しかし、それ以前からスラスラと言えるようになっていたのは、繰り返し聞かされたからであろう。

母方の祖母のつぶやきは、「射た矢は返る」。

「人に向かって放った矢は、やがて自分に戻ってくる。良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが返ってくる。悪口や陰口も回りまわって必ず自分に戻ってくる。」 洗面器に水を張り、上から水滴を垂らす。中心に落ちた水滴から波が広がり、やがてその波は、端にぶつかってまた中心に戻る。人間の世界も同じだと、実地で教えてくれた。「返報性」を伝えようとしたのだと思う。

小学校に上がる前に聞いたものだが、今でもふたつとも覚えている。年寄りのこうした言葉をいまの子供たちは聞くことがあるのだろうか。高齢化の問題ばかりがクローズアップされるが、高齢者のもつ「智恵」の伝承はもっと考えてよいと思う。
先日、ある広報のセミナーに参加した。約100人ほどの会場に対して以下の質問。

「ブログをやっている方は手を挙げてください~!」

ほぼ、2割が挙手。

「では、ツイッターをやっていらっしゃる方、挙手をお願いします~!」

なんと、会場の半分以上が手を挙げた。

ツイッターの影響力が大きいのは聞いていたが、これほどとは思わなかった。

「ツイッター中毒」もいて、食事をしていても、相手に構わずツイッターをする人もいるらしい。長い文章は敬遠されがちだし、これからツイッターをどう使うのか考えなくては…。
小沢氏が出馬を決意した。敢えてこれからを占ってみたい。

まず、小沢氏が出馬したと言うことは、「小沢総理」誕生の可能性が高い。小沢氏は「負ける戦い」はしないからである。勝算ありと見込んだからこそ代表戦に臨むのであろう。

では、「国民世論」は支持していないのに勝てるのか。勝てる。これは民主党内の戦いだからである。世論を意識すると言っても、議員は議席があって始めて議員。選挙に強い小沢氏の擁立を望むのが大勢であろう。しかも鳩山氏を含めれば多数派である。「民意を反映していない人が党首となれば次の選挙で負ける」と考えるはずもない。いまの日本にとって必要なのは「強いリーダー」。菅氏も結局は財○省に取り込まれたように、「政治主導」と言いながら、官僚を操作するのは困難である。官僚のほうが、圧倒的に実務知識を持っているからである。豪腕・小沢氏が真に「政治主導」を果たせば、追って国民の支持を得ることはできる。

「しかし、金の問題が残っている」と言われるかもしれない。しかし、もし本当に小沢氏の心の中に「金の問題」が残っていれば、決して出馬しない。最後の戦いともなるであろう今回の代表戦に、本人が「×」と思うことを背負いながら戦えるはずがない。むしろ、敢えて自らの潔白を証明したいのだと思う。検○は既に証拠不十分で「シロ」としている。検○審査会が「怪しい」と言っているが、これは11名の無作為抽出された国民からなる単なるご意見番。感情的にどうあろうとも、起訴には法的が裏づけが必要だ。アマチュア委員会を使ってまで小沢氏を追い込めるのは、やはりその豪腕故か。

マスコミも反小沢。小沢氏はマスコミへのリップサービスをしないため記者から評判が悪い(これはデスクにも影響する)。つまり、検○もマスコミも、自分の都合で「反小沢」を展開しているのであって、国のことを考えて議論をしているのではない。

こうした逆風のことは当然小沢氏も知っての出馬である。政治生命をかけた戦いであり、負ける戦(いくさ)に臨むはずがない。

参考となるのは、チャーチルである。チャーチルは、1929年から約10年間官職につくことができず「荒野の10年」を過ごした。そして、時の対独宥和政策に対抗する形でチャーチルが首相となるが既に65歳。しかも、言動が激しい彼にとって、アンチ・チャーチルの大合唱の中での就任であった。結果的に、「決して負けない」と演説したとおりドイツには勝利し、英国史のなかでも偉大な政治家と今では記憶されている。しかし、ドイツには勝ったものの、戦争で体力を消耗して大英帝国の威光は消えうせ、米国に覇権を譲った。戦争には勝ったが、国際覇権闘争には負けたのである。

このアナロジーを展開するとどうなるのか。

小沢氏が首相となれば、党が分離して小党乱立となる可能性もある。すると、国の意思決定は機能不全となり、何も決められない。一方の中国は一党独裁で、決断が早く実行力がある。小沢氏が代表戦に勝ったとしても、そのときから日本はアジアの一島国への一歩を踏み出すのかもしれない。
では、「日本人が好きな歴史上の人物ベスト3」の発表!

因みに、前回提示したヒントに共通のキーワードは「変身」。水戸黄門・遠山の金さん・ウルトラマン・仮面ライダーなど、ある時、突然「変身」するのが人気者のお約束。

まず、第3位は「諸葛孔明」 庵で晴耕雨読を続けていたところ、三顧の礼で劉備の軍師となり華麗なる「変身」を遂げる。

第2位は「坂本龍馬」。泣き虫が千葉道場に入門して剣豪に「変身」。その後、国際感覚に優れ、海援隊を率いる棟梁に更に「変身」。

第1位は「織田信長」。「尾張のうつけ者」と呼ばれていたものが、斉藤道三の前で正装をまとって華麗に「変身」。続いて、今川の大軍を奇襲で破って、戦(いくさ)の天才に「変身」。更に、長篠の戦いでは鉄砲を日本にデビューさせて大勝し、またまた「変身」。

ということで、変身を重ねた人物ほど人気が高いという次第。因みに、最近のアンケートでも、「織田信長」の人気が第1位。閉塞感のある日本を変身させてほしいという表れと見られる。

「しかし…」、

と、その先生は続けて語った。

歴史にはさまざまなエピソードが添えられるが、「素人の直感」を重視すべきと説く。

諸葛孔明は三顧の礼で迎えられるのため、当時その才能は既に実証済みでパス。

続いての龍馬。(その先生おっしゃるには)確かに免許皆伝ではあったものの「木刀」ベース。真剣を抜いてはいけないことになっていたとか。よって、寺田屋事件の時も暗殺された時も、龍馬は真剣を使っていない。龍馬が若い頃にやっていたことは剣術よりも海外事情の研究。「竜馬がゆく」では、剣の腕を上げた龍馬が、勝海舟を斬りにいったところ、海舟の話に感激して弟子になるとあるが、あれは小説。海外事情のことを龍馬が勉強を続けていたからこそ、勝の門下に入って「日本」という概念を体得し、「海援隊」で貿易立社を図ったというもの。つまり、以前から勉強家であったわけである。

一方、信長が自らを「尾張のうつけ」と呼ばしめたのは、周りの敵を欺くため。実際の信長は、作法・振舞いについては完璧。衣装がきちんと着れても、作法は一朝一夕に身につくものではなく、道三を驚かせるくらいの作法は、日頃からそのように生活していたからできた次第。更に、信長は、若い時から戦のやり方を研究し、領民にも配慮した政策をとっていたのだとか。その証拠が桶狭間の戦い。今川軍を後方から攻めるため、尾張領内を迂回して進軍。数千騎もの軍隊が移動すれば、領民に動きが完璧にわかるはず。当時は下剋上で、いやな殿様であれば、領民や部下が敵に内通して殺してもらうのが当然の風潮。その時代に、一人の内通者も出さなかったというのは、如何に信長が領民・部下の信任を得ていたかがわかる。義元のクビをとった武士ではなく、今川軍の居場所を通報したものを第一の軍功として賞したのも信長ならではとか。

つまり、「変身はなかった」。積み重ねがあって変化は起こり、ウルトラマンのように「いきなり変身!」はない。確かに、素人でも考えてみれば当たり前のこと。「(そんなことが本当にあるかどうか)歴史を見るときには、素人の素直な判断を重視せよ」と教えられた。

お酒を飲んで夜な夜な「変身」するのとはわけが違うのである・・・。
今日は、「関係性」を求めて結局飲みに・・・。ということで、酔っ払いながらのブログ・・・。

ある著名な歴史学者からお話を伺った。そのなかで、「日本人が好きな歴史上の人物を上から順に3人あげよ」という問いがあった。結果を聞くと「なぁ~るほど」だったのでご紹介したい。選ばれた背景も頷けるが、「実は本当のところは…」というところが「へぇ~」である。

因みに、この3人、名前を聞けば誰でも知っている。1番・2番の人は、「テレビで放映すると必ず視聴率が取れる」という人で「当たり」! ただ、3番目は「卑弥呼の時代の人」という引っ掛けヒントで惑わされて「ハズレ」。

ヒントは、①歴史人物的には「水戸黄門」・「遠山の金さん」、②キャラ的には「ウルトラマン」・「仮面ライダー」。

次のブログを乞うご期待!
日本人は「関係性」を重視すると言われている。一方で、「自らの成長のために最も優先すべきは、卓越性の追及である」(ドラッカー)とも言われている。「関係性」は人とのつながりを重視するものであり、「卓越性」は一人の時間に磨きあげるものである。

「関係性」と「卓越性」の2つを中心とした「楕円」にした場合、日本では「関係性」の方が大きくなる。多くの人は「卓越性」より「関係性」を重視してきたのではないか。特に、意思決定を預かる今の中高年は、社内での関係性を築くために多くの時間を割いてきたと思う。社内の愚痴や人事を「放課後」に酒と共に語り合ってきたはずである。一方、バブル崩壊後に社会に出てきた若い世代は自己研鑽を続けている。「関係性」を重視してきた中高年と「卓越性」を重視せざるを得なかった若年層と、2つの世代間格差が生じている(一般論として)。

いまも多くの日本企業では「関係性」が重視されている。議論をぶつけ合って最適解を見つけるというよりも、「気心の知れた」連中と運営するほうがやりやすい。欧米へ企業からのMBA派遣が廃れたのも、本当の意味の「独立社外取締役」が普及しないのもその表れであろう。

学生時代には一人暮らしをし、溜まり場となった自宅で友人たちと毎日楽しく過ごした。しかし、ふと空虚化している自分に気づいたとき、やり場のない焦燥感にとらわれた。企業では、夜の飲み会やゴルフなど「関係性構築活動」が必要ながら、敢えて避けてきたのは、あの体験をしたくないからである。

とはいいつつも…、

関係性が希薄化すれば多少落ち着くなることも確かだ。

「関係性」と「卓越性」。

行動科学における「PM理論」(「Permormance」(業績達成)と「Mainitenance」(人間関係))のように、二者択一ではなく、そのバランスが重要ということなのだろう。

しかし、もし、いずれかを選択しなければならなくなったなら…。

「後悔するかしないか」を基準にして、

やはり「卓越性」を選ぶことになるだろう。
今日は、色々な国の人と話す機会があった。日本(人)と長い付き合いの外国人ばかりで、話題は「日本でビジネスをして驚いたこと」。「なぁ~るほど」と思ったのを↓に。

1.日本人は豹変する
昼間の打合せでは、みんな静かにメモをとったり頷いたりしている。「質問は?」と聞いても誰も手を上げない。「日本人は何て寡黙な民族だ」と思ったところ、夜になって居酒屋に行くと、その人たちが大騒ぎをしている。どうして昼と夜でこうも同じ人が豹変するのかと驚いた。長く付き合って分かったが、日本人とのビジネスはまず「関係性の構築」が重要のようだ。「飲んで騒いで」をやってから、商談をやるとスムースに行くことが多い。

2.日本人の「Yes」は「Yes」ではない
日本で打合せをしていると、「Yes」「Yes」と頷いてくれる。すっかり合意がとれたと思って確認すると、「Yes, but…」と言い出す。更に、最後までよ~く話を聞いてみると、結果は「No」だったりする。「関係性」を重視するために迂回して断ろうとしているようだ。米国では、合意できない時には即「No」と言ってしまう。ビジネスの席では、早く結論を言って欲しいと思った。ただ、最近わかったことだが、日本人が会話中に「Yes」と言っているのは、「聞いている」という相槌の姿勢だけで、「合意している」ことを表してはいないようだ。日本人の「Yes」を理解するのはとても難しい。

3.しかし日本人は時間に几帳面
インドネシアでは、「時間」に対する許容度が高い。10分・20分の遅れなんて当たり前。以前、働いていた会社も鷹揚だった。しかし、日本の企業に入って、門番が入門時間をチェックしているのには驚いた。日本の企業では、朝8時から操業となれば5~15分前には席についていなければならない(これにも驚いた)。時間に対してとても几帳面だ(これはイタリア・トルコも同じらしく、1~2時間の遅れなんて全然平気とか)。

その他、「ラジオ体操の話」(体操を企業のなかでやることに驚いたが、日本から赴任する日本人は誰でもその体操がすぐにできることに更に驚いた←ラジオ体操なので誰でもできる)、「日本でのビジネスにはまず酒かカラオケ・ゴルフが必要」(付き合いには体力も必要)など、さまざまな意見が出て楽しめた。違う視点からの話は何気ないことにも気づかされる。