仏教のこころ

仏教のこころ

法華経を中心とした仏教のページです。

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●無量義経徳行品第一 #13

 第二 別序 「三十二相を述べて悟りを讃える」


●概要

ここでは、釈尊の身体にある三十二の佳い特徴のことが説かれています。


●現代語訳

 姿かたちとして 示されるのは
 身の丈 一丈六尺
 身体中より 紫金の光を発し
 姿勢正しく まわりを照らされ
 際立った存在です
 眉間の白い毛は月のように旋り
 うなじからは
 太陽のような光が四方に放射し
 頭髪は 渦を巻き 紺青色で
 頭頂は 高く盛り上がっておられます
 眼は 清らかで まるで鏡のようであり
 まぶたは 上下にまじろぎます
 眉は 紺色でスラリとのび
 口と頬は よく整っています
 唇と舌は 赤く丹華のようで
 歯は 雪のように白く
 四十本が揃っています
 額は広く 鼻は長く 
 面門は開いており
 胸には 卍 があり
 獅子のように胸を張っています
 手足は柔らかく 車のような紋があり
 腋と手のひらには 細い線があって
 内外に握ることができます
 手は長く 指は細く真っ直ぐで
 皮膚のきめは細かく
 毛は 右に渦巻いています
 くるぶしと膝は 美しく現われていて
 性器は 馬のように隠れており
 筋は 細く 鎖骨は しっかりとしています
 足は まるで鹿のように伸びています
 前も後も美しく
 清浄であって垢がありません
 濁った水に入っても汚れず
 塵も身体に付きません
 このように仏は 三十二相があり
 細かく見れば 八十種の
 よき相をお持ちです


●訓読

 示して 丈六紫金の
 暉(ひかり)を為し 
 方整照曜として甚だ明徹なり
 毫相月のごとく旋り
 項(うなじ)に日の光あり 
 旋髪紺青(せんぱつこんじょう)にして
 頂きに肉髻(にくけ)あり
 淨眼明鏡のごとく上下にまじろぎ 
 眉しょう紺舒(こんじょ)にして
 方(ただ)しき口頬(くきょう)なり
 唇 舌 赤好(しゃっこう)にして
 丹華の若く 
 白歯の四十なる
 なお珂雪のごとし
 額広く鼻修(なが)く面門開け 
 胸に万字を表して
 師子の臆(むね)なり
 手足柔軟にして千輻を具え 
 腋掌合縵(やくしょうごうまん)
 あって内外に握れり
 臂修肘長(ひしゅちょうちょう)
 にして指直く細し 
 皮膚細なんにして
 毛右に旋(めぐ)れり
 踝膝露現(かしつろげん)し
 陰馬蔵(おんめぞう)にして 
 細筋鎖骨
 鹿膊脹(ろくせんちょう)なり
 表裏映徹し 浄くして垢なし 
 濁水(じょくすい)も
 染むるなく塵を受けず
 是の如き等の相三十二あり 
 八十種好見るべきに似たり



●真読

 示為丈六紫金暉(じいじょうろくしこんき)
 方整照曜甚明徹(ほうしょうしょうようじんみょうてつ)
 毫相月旋項日光(ごうそうがっせんきょうにっこう)
 旋髮紺青頂肉髻(せんぱつこんじょうちょうにっけい)
 浄眼明照上下眴(じょうげんみょうきょうじょうげじゅん) 
 眉ショウ紺舒方口頬(みしょうこんじょほうくきょう)
 脣舌赤好若丹菓(しんぜつしゃっこうにゃくたんげ)
 白齒四十猶珂雪(びゃくししじゅうゆかせつ)
 額広鼻脩面門開(がっこうびしゅめんもんかい)
 胸表卍字師子臆(くひょうまんじししおく)
 手足柔軟具千輻(しゅそくにゅうなんぐせんぶく)
 腋掌合縵内外握(やくしょうごうまんないげあく)
 臂脩肘長指直纖(ひしゅちゅうぢょうしじきせん)
 皮膚細軟毛右旋(ひふさいなんもううせん)
 踝膝不現陰馬蔵(かしつろげんおんめぞう)
 細筋鎖骨鹿膊腸(さいこんさこつろくせんちょう)
 表裏映徹浄無垢(ひょうりようてつじょうむく)
 浄水莫染不受塵(じょくすいまくぜんふじゅじん)
 如是等相三十二(にょぜとうそうさんじゅうに)
 八十種好似可見(はちじっしゅごうじかせん)


 
~無量義経徳行品第一 #13
●無量義経徳行品第一 #12

 第二 別序 「修徳の三身」


●概要

ここには、仏が何を修めて仏と成られたのかが説かれている。

●現代語訳

 持戒・禅定・智慧・解脱
 解脱知見の徳を修めて仏は生じ
 三昧・六神通力・三十七道品
 これらの修行から仏は発し
 慈悲・十力・四無畏
 これらのはたらきによって
 仏は 起こり
 人々の善の行為の
 因縁によって 出現された


●訓読

 戒・定・慧・解・知見より生じ
 三昧・六通・道品より発し
 慈悲・十力・無畏より起り
 衆生善業の因縁より出でたり



●真読

 戒定慧解知見生(かいぢょうえげちけんしょう)
 三明六通道品発(さんみょうろくつうどうぼんほつ)
 慈悲十力無畏起(じひじゅうりきむいき)
 衆生善業因縁出(しゅじょうぜんごういんねんしゅつ)

 *三明を三昧と記す本もある。



~無量義経徳行品第一 #12
●無量義経徳行品第一 #11

 第二 別序 「内証身」


●概要

ここには、如来の存在が空であり、仮であり、中であることが示されている。簡略にいえば、無執着の境地だということである。


●現代語訳

 その身体は
 有ではなく 無ではなく
 因ではなく 縁ではなく 
 自他ではなく
 四角ではなく 円ではなく 
 短くも 長くもなく
 出ではなく 没ではなく
 生じるのでも 滅するのでもない
 造られたのではなく
 起こったのではなく
 為すのでもなく 作るのでもない
 坐っているのではなく
 寝ているのではなく
 行くのでも とどまるのでもない
 動くのではなく 転がるのではなく
 動きが止まっているのではなく
 進むのではなく 退くのではなく
 安全でも 危険でもない
 肯定ではなく 否定ではなく
 得でも 損でもない
 あちら側はなく こちら側はなく
 去るのではなく 来るのでもなく
 青ではなく 黄ではなく
 赤でもなく 白でもなく
 紅ではなく 紫やその他の色でもない


●訓読

 その身は 有に非ず また無に非ず 
 因に非ず 縁に非ず 自他に非ず 
 方に非ず 円に非ず 短長に非ず 
 出に非ず 没に非ず 生滅に非ず 
 造に非ず 起に非ず 為作に非ず 
 坐に非ず 臥に非ず 行住に非ず 
 動に非ず 転に非ず 閑静に非ず 
 進に非ず 退に非ず 安危に非ず 
 是に非ず 非に非ず 得失に非ず 
 彼に非ず 此に非ず 去来に非ず 
 青に非ず 黄に非ず 赤白に非ず 
 紅に非ず 紫種種の色に非ず



●真読

 其身非有亦非無(ごしんひうやくひむ)
 非因非縁非自他(ひいんひえんひじた)
 非方非円非短長(ひほうひえんひたんぢょう)
 非出非沒非生滅(ひしゅつひもつひしょうめつ)
 非造非起非為作(ひぞうひきひいさ)
 非坐非臥非行住(ひざひがひぎょうぢゅう)
 非動非転非閑静(ひどうひてんひげんじょう)
 非進非退非安危(ひしんひたいひあんき)
 非是非非非得失(ひぜひひひとくしつ)
 非彼非此非去来(ひひひしひこらい)
 非青非黄非赤白(ひしょうひおうひしゃくびゃく)
 非紅非紫種種色(ひくひししゅじゅしき)



●解説

ここでは、有無の両辺への固定した観方を否定している。人は「有る」と観ればそれに執着し、「無い」と観ればそれに執着する。霊魂の有無、死後の世界の有無、輪廻転生の有無、解脱・涅槃の有無に執着し、時には執着することによって他と争うこともある。仏教では、何らかの事物に執着することを否定する。

事物の有無は因縁に依る。因縁和合に依って仮に有り、因縁和合が無ければ仮に無いのだから、有無という固定した観方からは離れる。

最初の「非有亦非無」が理解できれば、その後の「非因非縁非自他~」も理解できるだろう。ただし、納得できるまでには時間がかかるかも知れない。ある程度、仏教を理解できるようになってから、じっくりと観じたほうがいい。


~無量義経徳行品第一 #11
●無量義経徳行品第一 #10

 第二 別序 「仏身歎」


●概要

大荘厳菩薩が、釈尊の存在(体)を讃える。


●現代語訳

 大いなるかな! 
 最上の悟りを開かれた 大いなる聖主
 煩悩なく 迷いなく 執着なく
 天 人 動物たちの善き指導者となり
 行いは風 徳は香りとなって
 あらゆるものの心へと染み入り
 智慧定まり 心定まり 
 思慮もまた定まり
 意識滅し 心もまた滅し
 永く 夢 妄想が起こることなく
 また すべての因縁もない


●訓読

 大いなるかな大悟大聖主 
 垢なく 染なく 所著なし
 天・人・象・馬の調御師 
 道風徳香一切に薫じ 
 智しずかに情しずかに
 慮凝静(りょぎょうじょう)なり 
 意滅し 識亡して 心また寂なり 
 永く夢妄の思想念を断じて 
 また諸大陰入界なし



●真読

 大哉大悟大聖主(だいざいだいごだいしょうしゅ)
 無垢無染無所著(むくむぜんむしょじゃく)
 天人象馬調御師(てんにんぞうめぢょうごし)
 道風徳香熏一切(どうふうとっこうくんいっさい)
 智恬情怕慮凝靜(ちてんじょうはくりょぎょうじょう)
 意滅識亡心亦寂(いめつしきもうしんやくじゃく)
 永断夢妄思想念(ようだんむそうしそうねん)
 無復諸大陰界入(むぶしょだいおんにゅうかい)



●解説

ここからは、「偈」によって釈尊を讃える。
偈とは、サンスクリット語のガーター "gāthā" の訳で、詩句の形式で表わされた文のことをいう。古代よりインド人は「詩」を愛した。ちょうど、日本で短歌や俳句が詠まれたように、インドでも雅言葉(サンスクリット語)で詩を詠みあったようだ。

釈尊は、重要な教えを詩のかたちで説いたとされる。聖なる教えを文字にすることは、古代インドでは戒められていたので、師の教えは、口伝によって弟子へと伝えられた。なので、重要な教えは覚えやすいように詩のかたちで説かれた。

サンスクリット語の詩は、掛けことばや抽象表現・比喩表現を巧みに使う。それを漢訳にする時、さすがの鳩摩羅什でさえもサンスクリット語のような味は出せていない。ましてや、訓読にすると詩のかたちが崩れてしまう。韻をふむことさえなくなってしまう。

『無量義経』は、サンスクリット本がないので比べることができないが、法華経のサンスクリット語原文の偈は、実に美しい言葉によって耳触りよく詠まれている。


~無量義経徳行品第一 #10
●無量義経徳行品第一 #9

 第二 別序 「三業供養」


●概要

大荘厳菩薩が、釈尊を供養する様子が描かれている。


●現代語訳

その時に、大荘厳(だいしょうごん)菩薩摩訶薩は、説法の会に参加しているすべての人々を見渡して、誰もが静かに坐り、心を定めているのを知ると、参列している八万の菩薩摩訶薩と共に立ち上がり、仏の近くへと進んだ。仏のもとに着くとみ足に額をつけて深く礼を捧げ、仏のまわりを何度も廻りながら、美しい花を頭上より散らし、芳しいお香を焚いた。天上界からは、天の衣、首飾り、貴重な宝石が、ゆっくりと回転しながら、あたり一面に降り、それらの天上界の宝物が次第に雲のように集まってきたのを、一つにまとめると仏へと捧げた。

また、天の調理場では、天の鉢や器に様々なご馳走を盛り付けた。その色彩を見、芳しき香りを嗅ぐだけで、満足できるような御膳も仏へと捧げた。また、天の幟、旗、天の傘、天の家具を仏のまわりに飾り、天の伎楽を演奏して奉った。そうした後に、仏の前へと進み、膝を地につけて礼拝し、合掌して、心を一つにして声を合わせ、詩を説き、仏の徳を讃えた。


●訓読

その時に大荘厳菩薩摩訶薩、遍く衆の坐して各定意なるを観じおわって、衆中の八万の菩薩摩訶薩と倶に、座よりしかも起って仏所に来詣(らいけい)し、頭面に足を礼しめぐること百千匝して、天華、天香を焼散し、天衣(てんね)、天瓔珞(てんようらく)、天無価宝珠、上空の中より旋転して来下し、四面に雲のごとく集って、しかも仏にたてまつる。

天厨、天鉢器に天百味充満盈溢(よういつ)せる。色を見、香を聞(か)ぐに自然に飽足す。天幢(てんどう)・天旛(てんばん)・天軒蓋(てんこんがい)、天妙楽具処処に安置し、天の伎楽を作して 仏を娯楽せしめたてまつり、即ちすすんで 胡跪(こき)し合掌し、一心に共に声を同じうして、偈を説いて讃めて言さく。



●真読

爾時。大荘厳菩薩摩訶薩。
にじ。だいしょうごんぼさつまかさつ。 

遍観衆坐。各定意已。与衆中八万菩薩摩訶薩倶。
へんかんしゅざ。かくぢょういい。よしゅちゅうはちまんぼさつまかさつぐ。

従坐而起。来詣仏所。頭面礼足。遶百千匝。
じゅうざにき。らいげんぶっしょ。づめんらいそく。にょうひゃくせんそう。

焼散。天華天香。天衣。天瓔珞。
しょうさん。てんげてんこう。てんえ。てんようらく。

天無價宝珠。従上空中。旋転来下。
てんむげほうじゅ。じゅうじょうくうちゅう。せんてんらいげ。

四面雲集。而獻於仏。
しめんうんじゅう。にこんのぶつ。

天厨。天鉢器。天百味。充満盈溢。
てんちゅう。てんばっき。てんひゃくみ。じゅうまんよういつ。

見色聞香。自然飽足。
けんしきもんこう。じねんほうそく。

天幢。天幡。天軒蓋。天妙楽具。
てんどう。てんばん。てんこんがい。てんみょうらくぐ。

処処安置。作天伎楽。娯楽於仏。
しょしょあんち。さてんぎがく。ごらくおぶつ。

即前胡跪合掌。一心倶共同声。
そくぜんこきがっしょう。いっしんくぐどうしょう。

説偈讃言。
せつげさんごん。



●解説

大荘厳菩薩が登場する。
大荘厳菩薩は、この『無量義経』の重要な登場人物である。なぜなら、この経典は大荘厳菩薩に対して説かれる。荘厳とは、大乗仏教では菩薩が菩薩行によって世間を浄化することをいう。大荘厳菩薩とは、大いに菩薩行を実践して仏国土を浄く飾っているということを象徴する名前だ。

ここでは、大荘厳菩薩と多くの菩薩たちが、様々なものを釈尊に供養する様子が描かれている。供養とは、諸仏・諸菩薩・天・阿羅漢たちに、供物を捧げることである。

仏教以前のヴェーダの宗教(バラモン教)では、儀礼儀式を重んじており、動物をいけにえとして捧げていた。これを供犠(くぎ)という。仏教では、そのような殺生を禁じて、花やお香を捧げる供養をするようにと説く。

ここでは、三業の供養がされる。三業とは、身口意の三種の行為のことである。釈尊に礼拝し、右に廻り、ひざまついて合掌することが「意業の供養」であり、様々な供物を供養することが「身業の供養」である。そして、この後、偈(詩)のかたちで釈尊を讃えることが「口業の供養」となる。

また、供養には、利供養(供物)・敬供養(讃嘆・恭敬)・行供養(行法)の三種があるといわれる。これを法華経では、供養・恭敬・尊重・讃歎と言い、繰り返し全章で勧められている。

行供養とは、仏法を行じることであり、八正道や六波羅蜜などの行を行じることをいう。この行為は、仏土を荘厳にする尊い供養である。




●用語の解説

○天衣(てんね)
菩薩や天人などが肩から胸に垂らしている長い布。


○瓔珞(ようらく)
珠玉を連ねた首飾りや腕輪などの装身具のこと。


○胡跪(こき)
右膝を地につけて左膝を立てる礼法。



~無量義経徳行品第一 #9
●無量義経徳行品第一 #8

 第一 通序 「声聞の名前を列ねる」


●概要

次に声聞たちの紹介がされている。


●現代語訳

説法会に参列している出家修行者の名は、

 大智舎利弗(だいちしゃりほつ)
 神通目健連(じんづうもつけんれん)
 慧命須菩提(えみょうしゅぼだい)
 摩訶迦旃延(まかかせんねん)
 弥多羅尼子富楼那(みたらにしふるな)
 阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)
 天眼阿那律(てんげんあなりつ)
 持律優婆離(じりつうばり)
 侍者阿難(じしゃあなん)
 仏子羅雲(ぶっしらうん)
 優波難陀(うばなんだ)
 離波多(りはた)
 劫賓那(こうひんな)
 薄拘羅(はくら)
 阿周陀(あしゅうだ)
 莎伽陀(しゃかだ)
 頭陀大迦葉(ずだだいかしょう)
 優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)
 迦耶迦葉(がやかしょう)
 那提迦葉(なだいかしょう)

という。
このような出家修行者が、12000人いる。皆、聖者の最高の境地の位にあり、様々なこだわりや煩悩を滅し、また執着がなく、真に迷いから脱した者たちである


●訓読

その比丘の名を、大智舎利弗、神通目健連、慧命須菩提、摩訶迦旃延、弥多羅尼子富楼那、阿若憍陳如、天眼阿那律、持律優婆離、侍者阿難、仏子羅雲、優波難陀、離波多、劫賓那、薄拘羅、阿周陀、莎伽陀、頭陀大迦葉、優楼頻螺迦葉、迦耶迦葉、那提迦葉という。是の如き等の比丘万二千人あり。皆、阿羅漢にして、諸の結漏を尽くして、また縛著(はくぢゃく)なく、真正解脱なり。



●真読

其比丘名曰。大智舍利弗。神通目揵連。
ごびくみょうわつ。だいちしゃりほつ。じんつうもっけんれん。

慧命須菩提。摩訶迦旃延。彌多羅尼子富楼那。
えみょうしゅぼだい。まかかせんねん。みたらにしふるな。

阿若憍陳如。天眼阿那律。持律憂波離。
あにゃきょうぢんにょ。てんげんあなりつ。じりつうばり。

侍者阿難。仏子羅雲。憂波難陀。離婆多。
じしゃあなん。ぶっしらうん。うばなんだ。りはた。

劫賓那。薄拘羅。阿周陀。莎伽陀。
こうひんな。ばくら。あしゅだ。しゃかだ。

頭陀大迦葉。憂楼頻螺迦葉。伽耶迦葉。那提迦葉。
づだだいかしょう。うるびんらかしょう。がやかしょう。なだいかしょう。

如是等比丘。万二千人。皆阿羅漢。
にょぜとうびく。まんにせんにん。かいあらかん。

盡諸結漏。無復縛著。真正解脱。
じんしょけつろ。むぶばくじゃく。しんしょうげだつ。



●解説

菩薩の後に声聞の大弟子たちが紹介されている。ここに名前があげられているのは、十大弟子たちをはじめとする長老の弟子たちだ。長老というのは、年齢のことではなく、高位の弟子のことである。


~無量義経徳行品第一 #8
●無量義経徳行品第一 #7

 第一 通序 「最高の悟り」


●概要

菩薩は、菩提心を持ち、六波羅蜜を実践する。そのことで「阿耨多羅三藐三菩提」(あのくたらさんみゃくさんぼだい)という仏教の目的を得ることができる。


●現代語訳

この菩薩たちは、悟りへの道を自由自在に進む。菩提心は定まっていて、動じることがない。菩薩は、誓願の力にとどまって、広くこの世界を浄める。久しくない未来において最高の悟りを得るであろう。この菩薩摩訶薩たちは、皆、このような人知の及ばないほどの徳を持っているのである。


●訓読

菩薩の諸波羅蜜に遊戯(ゆけ)し、如来の地に於いて堅固にして動ぜず。願力に安住して、広く仏国を浄め、久しからずして 阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得べし。この諸の菩薩摩訶薩、皆かくの如き不思議の徳あり。



●真読

遊戲菩薩。諸波羅蜜。於如来地。
ゆけぼさつ。しょはらみつ。おにょらいぢ。

堅固不動。安住願力。広浄仏国。
けんごふどう。あんじゅうがんりき。こうじょうぶっこく。

不久得成。阿耨多羅三藐三菩提。
ふくとくじょう。あのくたらさんみゃくさんぼだい。

是諸菩薩摩訶薩。皆有如斯。不思議徳。
ぜしょぼさつまかさつ。かいうにょし。ふしぎとく。



●解説

「菩薩の諸波羅蜜」とは、六波羅蜜のことである。六波羅蜜とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の行を完成させること、完成させるための行のことだ。六波羅蜜の目的は、すべての行を完成させて、最終的に智慧を完成させることにある。智慧の完成のことを「般若波羅蜜」といい、般若波羅蜜を成せば最高の悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を得ることができる。


~無量義経徳行品第一 #7
●無量義経徳行品第一 #6

 第一 通序 「自利」


●概要

菩薩のはたらきを幾つかの譬諭によって説いている。


●現代語訳

この菩薩たちは、人々の真の善友である。善の心を育てる素晴らしい田畑であり、困っている人があれば、招いていなくても現れる師であり、人々に安らぎを与える人、救う人、護る人、心のよりどころとなる人である。

どこにあっても、人々のために、立派なリーダーとなる。もし、人が真理を観る眼を塞いでいたならば、眼を開かせる縁となり、真理を聞かない者、嗅がない者、味あわない者には、真理を体験できるような縁となり、心が狂って荒れ乱れている者には、心を落ち着かせ正気に戻れるように関わる。

この菩薩たちは、まるで船長のようである。人々を船に乗せ、迷いの岸から、安らぎの岸へと送る。

また、優れた医者のようである。あらゆる病状や多くの薬の効果に通じており、患者に適した薬が何かを見極め、病気に応じた薬を授け、人々はその薬を服す。

また、腕のいい調教師のようである。行いに乱れがなく、どのように荒れた象であっても、馬であっても、調教する術を持っている。それは、勇ましい獅子が威厳をもって、どのような獣であっても従わせるようなものである。


●訓読

これ諸の衆生の真善知識、これ諸の衆生の大良福田、これ諸の衆生の請せざるの師、これ諸の衆生の安穏の楽処・救処・護処・大依止処なり。

処処に衆生の為に、大良導師・大導師と作る。よく衆生の盲いたるが為には、しかも眼目を作し、聾(りょう)・劓(ぎ)・唖(あ)の者には、耳・鼻・舌を作し、諸根毀欠(きけつ)せるをば、よく具足せしめ、顛狂荒乱(てんのうこうらん)なるには大正念を作さしむ。

船師・大船師なり、群生を運載し、生死の河を度して涅槃の岸に置く。

医王・大医王なり、病相を分別し薬性を暁了(ぎょうりょう)して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ。

調御・大調御なり、諸の放逸(ほういつ)の行なし。なお、象馬師のよく調うるに調わざることなく、師子の勇猛なる威、衆獣を伏して沮壊(そえ)すべきこと難きがごとし。



●真読

是諸衆生。真善知識。是諸衆生。大良福田。
ぜしょしゅじょう。しんぜんちしき。ぜしょしゅじょう。だいろうふくでん。

是諸衆生。不請之師。是諸衆生。安隱楽処。
ぜしょしゅじょう。ふしょうしし。ぜしょしゅじょう。あんのんらくしょ。

救処護処。大依止処。
くしょごしょ。だいえししょ。

処処為衆生。作大良導師。大導師。
しょしょいしゅじょう。さだいろうどうし。

能為生盲。而作眼目。聾劓唖者。
のういしゅじょうもう。にさげんもく。りょうぎあしゃ。

作耳鼻舌。諸根毀缺。能令具足。
さにびぜつ。しょこんきけつ。のうりょうぐそく。

顛狂荒亂。作大正念。
てんのうこうらん。さだいしょうねん。

船師。大船師。運載群生。
せんし。だいせんし。うんざいぐんじょう。

度生死河。置涅槃岸。
どしょうじが。ちねはんがん。

醫王。大醫王。分別病相。曉了藥性。
いおう。だいいおう。ふんべつびょうそう。ぎょうりょうやくしょう。

隨病授藥。令衆楽服。
ずいびょうじゅやく。りょうしゅやくぶく。

調御。大調御。無諸放逸行。猶如象馬師。
ぢょうご。だいぢょうご。むしょほういつぎょう。ゆにょぞうめし。

能調無不調。師子勇猛。威伏衆獸。難可沮壊。
のうぢょうむふぢょう。ししゆみょう。いぶくしゅじゅう。なんかそえ。



●解説

菩薩のはたらきを「船長」「医者」「調教師」などに譬えている。『無量義経』『法華経』では、このような巧みな比喩に満ちている。仏教の多くの経典は、比喩・象徴化・抽象化を駆使して人々を真理に導くが、『無量義経』『法華経』は、特にこれらがよく使われている。「譬諭によって真理へと導く」というのが、『法華三部経』の大きなテーマだからである。

譬諭は、言葉によって説くことのできない真理を言葉によって説こうとする。不可能を可能にはできないが、言葉でイメージを伝えることで、真理を得る重大なヒントを与える。


●用語の解説

○善知識(ぜんちしき)
(梵)カルヤーナ・ミトラ "kalyaaNa-mitra"
仏道に導く人のこと。法華行者は、他者にとっての善知識であることを目指す。


○福田(ふくでん)
福徳を生み出すところのこと。


○請せざるの師
請われたから現われるのではなく、人々の苦悩をみて頼まれいなくても現れる師のこと。


○分別(ふんべつ)
分けて考えること。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。分析。


○暁了(ぎょうりょう)
あきらかに理解すること。


○放逸(ほういつ)
悪を止め、善をすすめることに対して、だらしがなく、精進を怠ること。


○沮壊(そえ)
破ること。



~無量義経徳行品第一 #6
●無量義経徳行品第一 #5

 第一 通序 「利他徳」


●概要

ここでは、菩薩の行を讃歎している。菩薩の行とは、布施を中心にした六波羅蜜だ。その中でも、他者を仏道に導くことは大きな徳行である。菩薩がどのように他者に教えを説き、導いているのかが細かく説かれている。


●現代語訳

ほこりの多い乾いた場所に水のしずくをたらせば、そこだけは塵をおさえることが出来るように、まずは、小さな教えを人々に説いて、その人の欲望を抑えた。そうすることによって涅槃への門を開き、解脱へと導く縁となった。苦悩から離れられるようにと人々に教えを説き、教えを実践することの喜びを体験させた。それは、暑苦しいところに冷たい風を吹かせて、涼しくて清々しく心地よい状態に導くことに似ていた。

次に、非常に奥深い「十二因縁の法門」を説いて、苦の原因は真理を知らないことにあると教え、苦悩から離れる方法を具体的に説き明かした。その教えを聴いた人々は、照りつける灼熱の太陽の光から救ってくれる夕立のような恵みを感じた。

その後、この上もなく尊い大乗の教えを説き示し、誰もが持っている良心に潤いを与え、善の心を芽生えさせ、水田一面に稲が実るように、心を功徳で満たし、ひろく人々に菩提心を起こさせた。

菩薩の智慧は、暗闇を破す太陽や月の光のように、方便として、必要な時によく人々を照らす。そのことは、人々が大乗の道を進むことを助け、人々をまっすぐに最上の悟りの境地へとたどりつかせる。常に安らぎ、深い真理と限りない大きな慈悲の心で、苦悩する人々を救うようになる。


●訓読

微渧(みたい)先ず堕ちて以って欲塵をひたし、涅槃の門を開き 解脱の風を扇いで、世の悩熱を除き法の清涼を致す。次に甚深の十二因縁を降らして、もって無明・老・病・死等の猛盛熾然(みょうじょうしねん)なる 苦聚(くじゅ)の日光にそそぎ、しこうして乃ち洪(おおい)に無上の大乗を注いで、衆生の諸有の善根を潤漬(にんし)し、善の種子(しゅじ)を布いて功徳の田に遍じ、普く一切をして菩提の萌を発さしむ。

智慧の日月・方便の時節・大乗の事業を扶蔬(ふそ)増長して、衆をして疾く阿耨多羅三貎三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成じ、常住の快楽(けらく)、微妙真実に、無量の大悲、苦の衆生を救わしむ。



●真読

微渧先墮。以淹欲塵。開涅槃門。
みたいせんだ。いえんよくじん。かいねはんもん。

扇解脱風。除世悩熱。致法清涼。
せんげだつぷ。じょせのうねつ。ちほうしょうりょう。

次降甚深。十二因縁。用灑無明。老病死等。
いごうじんじん。じゅうにいんねん。ゆうしゃむみょう。ろうびょうしとう。

猛盛熾然。苦聚日光。爾乃洪注。
みょうじょうしねん。くじゅにっこう。にないこうちゅう。

無上大乗。潤漬衆生。諸有善根。
むじょうだいじょう。にんししゅじょう。しょうぜんごん。

布善種子。遍功徳田。普令一切。発菩提萌。
ふぜんしゅし。へんくどくでん。ふりょういっさい。はつぼだいみょう。

智慧日月。方便時節。扶踈増長。
ちえにちがつ。ほうべんじせつ。ふそぞうちょう。

大乗事業。令衆疾成。
だいじょうじごう。りょうしゅしつじょう。

阿耨多羅三藐三菩提。常住快楽。
あのくたらさんみゃくさんぼだい。

微妙真実。無量大悲。救苦衆生。
みみょうしんじつ。むりょうだいひ。くくしゅじょう。



●解説

ここには、菩薩がどのように人々に教えを説いて、利益を与えていくかの順序次第が説かれている。まずは、やさしい教えを説いて、教えを実践することによって安らかな心になれることを実感させ、次に仏教の根本的な縁起を説き、その後、大乗の教えを説いて菩提心を起こさしめた。菩提心とは、成仏を目指す心のことをいう。

学校教育には、順序次第がある。7歳の子どもにいきなり方程式を教えたり、漢文を教えることはない。低いレベルから入り、徐々にレベルをあげていく。仏教も同様である。最初から、深い教えは分からないので、低い教えから入り、徐々にレベルをあげていく。

ここでは、救われる立場の人を救う立場へと育てることが書かれている。つまり、相手を菩薩へと導くのが、菩薩の努めであり、さらには成仏に導くのが目的である。ただし、勧誘と導くこととは違う。宗教団体に入るようにと誘うことを菩薩道だと説く教団もあるが、そのことはその教団のドグマであって、勧誘と菩薩道はイコールではない。


●用語の説明

○涅槃(ねはん)
(梵)ニルヴァーナ "nirvaaNa"
直訳すれば、「吹き消す」こと。燃える火を消すこと。煩悩を火にたとえ、それを消すことをいう。安らぎの境地。


○解脱(げだつ)
(梵)ヴィムクティ "vimukti"
「開放する」「放棄する」という意味。誤った執着心から起こる業の繋縛を開放し、迷いの世界の苦悩を脱するから「解脱」という。その意味で、古来「自在」と解釈されてきた。それは、外からの束縛の解放や自由より、内からの自らを解放することや自由を獲得することを重要視するヴェーダの宗教(バラモン教)では、輪廻からの解脱が勧められたが、大乗仏教では、解脱や涅槃というあらゆる一切の執着から離れることをいう。


○甚深(じんじん)
非常に奥が深いこと。意味・境地などが深遠であること。通常、縁起の法を形容していう。


○十二因縁(じゅうにいんねん)
(梵)ディヴァーダシャーンガ・プラティートヤサムトパーダ
  "dvaadaSaaNga-pratiityasamutpaada"
縁起を基にした仏教の重要な思想。十二の連鎖縁起のこと。苦の原因を探って見極め、その原因を滅して苦を滅するという思想。老死などの苦の原因は、煩悩にあるとして、その根本原因を「無明」だと見極めた。

①無明(むみょう)
(梵)アヴィドヤー "avidyaa"
無知・無智、真理について明るくないこと。無我・無常について無智なことをいう。自我(アートマン)は、認識することのできないものだが、多くの人々は自我を誤って認識している。「自分の子ども」「自分の命」「自分を大切にする」などと考える時、何らかの自我を想定しているが、それは自我ではない。このような誤認は、苦を生じる大きな原因となる。

②行(ぎょう)
(梵)サンスカーラ "saMskaara"
意志作用のこと。自分を認識しようとする意志のこと。

③識(しき)
(梵)ヴィジュニャーナ "vijNaana"
認識作用のこと。分別による認識のこと。「識別」ともいう。自分と自分以外とを分けることで、自分というものを認識すること。

④名色(みょうしき)
(梵)ナーマ・ルーパ "naama-ruupa"
色とは形のあるもの、名とは名前のあるもの。よって形のある身体、形がなく名前によって存在が示される心のことをいう。自分を認識することによって、さらに自分を心と身体に分けて認識すること。心身なので、五蘊(色受想行識)のことともされる。

⑤六処(ろくしょ)
(梵)シャダアーヤタナ "SaDaayatana"
眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官のこと。自他を分別することによって、他を感受するための感覚器官を認識する。

⑥触(そく)
(梵)サパルシャ "sparSa"
自分と他が接触すること。眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官によって、他とコンタクトすること。

⑦受(じゅ)
(梵)ヴェダナー "vedanaa"
感受すること。他とのコンタクトによって、色を見て、音を聞き、匂いを嗅ぎ、味を味わい、そのものに触れ、イメージを感じ、快・不快という感情を起こす。たとえば、多くの食べ物の中から、リンゴを見てロックオンするようなもの。

⑧愛(あい)
(梵)トリシュナー "tRSNaa"
欲求のこと。感受して、快を感じたものに近づこうとし、不快なものから遠ざかろうとする欲求のこと。トリシュナーとは、「渇き」のことで、強い欲求のことをいう。「愛」と訳されるが、日本人の想うキリスト教の愛とは概念が異なる。リンゴを見て欲しいと想い求めること。

⑨取(しゅ)
(梵)ウパアダーナ "upaadaana"
執着のこと。あるものを感受し、それを欲しいと想い、さらに執着すること。リンゴを欲しいと想い、手に入れることに執着すること。

⑩有(う)
(梵)バヴァ"bhava"
存在のこと。他を摂取することにより、自分という存在が有るという認識を固めること。自我(アートマン)の認識によって、自我への執着となり、「有」への固執となる。

⑪生(しょう)
(梵)ジャーティ "jaati"
転生のこと。自我への執着は、あらゆる行為を起こし、それが業(カルマ)となって次の転生へと繋がる。転生とは、迷いの世界を輪廻するということ。

⑫老死(ろうし)
(梵)ジャラー・マラナ "jaraa-maraNa"
老化と死のこと。生老病死は「苦」に直結するもの。自我への執着を持って死ねば、転生を繰り返すことになる。

~初期仏教の十二因縁は、以上のように時間という概念が盛り込まれていない。無明~老死は瞬間的にも展開するし、過去・現在・未来という長い時間をかけて展開するとも観ることができる。その後、上座部では、「業と輪廻」の思想が深く入り込み、「三世両重の因果」へと発展した。時間という概念が入り、因果を主とした説となった。


○猛盛熾然(みょうじょうしねん)
火の勢いの激しい様子。


○苦聚の日光(くじゅのにっこう)
苦が集まり、燃え盛る状態。

~ここでの日光とは、人々を暑さで悩ませるようなジリジリと照りつける太陽の光のこと。


○潤漬(にんし)
布にじわじわと水分が浸みこんでいく状態のこと。


○功徳(くどく)
(梵)グナ "guna"
すぐれた徳性。善い行為の結果。善の結果として報いられた果報。修行の功によって得た徳。


○菩提(ぼだい)
(梵)ボーディ"bodhi"
智・道・覚と訳す。目覚めること。


○阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
(梵) アヌッタラ・サムヤク・サンボーディ
  "anuttara-samyak-saMbodhi"
無上正遍知、無上正等正覚。智慧によって得ることのできる最上の悟りのこと。


○快楽(けらく)
五官の快楽ではなく、精神の深みから感じる悦びのこと。



~無量義経徳行品第一 #5 「十二因縁」
●無量義経徳行品第一 #4

 第一 通序 「転法輪」


●概要

菩薩は、智慧を得ているので、人々の個性に応じた教えを伝えることができる。


●現代語訳

また、菩薩は、人々の機根や性格、欲望をよく見極め、善をすすめ悪を止める力と、人々を説得する力によって、諸仏の教えに従い、その教えを人々に伝えることができた。


●訓読

また、善く諸の根性欲を知り、陀羅尼・無礙弁才を以って、諸仏の転法輪、随順してよく転ず。



●真読

又善能知。諸根性欲。以陀羅尼。
うぜんのうち。しょこんしょうよく。いだらに。

無礙辯才。諸仏転法輪。隨順能転。
むげべんざい。しょぶつてんぽうりん。ずいじゅんのうてん。



●解説

相手の状態を観て、相手に応じて教えを説くことが仏教の大きな特徴といえる。人はそれぞれに、性格・欲求・夢・希望・趣味・職業などが違う。教えを聞いてそれを理解し、行動を起こす能力(機根)も違う。そのような相手の根性欲(機根・性質・欲望)を見極めて、諸仏・諸菩薩は教えを説かれた。相手の根性欲に対して説法をしたので対機説法という。このことは、『説法品』のテーマであり、法華経の重要なテーマでもある。



●用語の意味

○根性欲 (こんじょうよく)
機根・性質(習性)・欲望の略。
機根とは、教えを理解し実践する能力のこと。対機説法の「機」とは、機根のこと。


○陀羅尼 (だらに)
(梵) ダーラニー "dhaaraNii"
記憶して忘れないこと。本来は、仏教修行者が覚えるべき教えや作法などをしっかりと記憶することを言ったが、後に変じて、「記憶する呪文」のことをいうようになった。意訳して総持・能持・能遮ともいう。能持とは諸々の善法をよく持つことであり、能遮とは諸々の悪法をよく遮ること。


○無礙(むげ)
障害、妨げのないこと。


○弁才(べんざい)
巧みに話す能力のこと。


○転法輪(てんぽうりん)
教えを説くこと。



~無量義経徳行品第一 #4