徳行品第一 #5 「利他徳」 | 仏教のこころ

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●無量義経徳行品第一 #5

 第一 通序 「利他徳」


●概要

ここでは、菩薩の行を讃歎している。菩薩の行とは、布施を中心にした六波羅蜜だ。その中でも、他者を仏道に導くことは大きな徳行である。菩薩がどのように他者に教えを説き、導いているのかが細かく説かれている。


●現代語訳

ほこりの多い乾いた場所に水のしずくをたらせば、そこだけは塵をおさえることが出来るように、まずは、小さな教えを人々に説いて、その人の欲望を抑えた。そうすることによって涅槃への門を開き、解脱へと導く縁となった。苦悩から離れられるようにと人々に教えを説き、教えを実践することの喜びを体験させた。それは、暑苦しいところに冷たい風を吹かせて、涼しくて清々しく心地よい状態に導くことに似ていた。

次に、非常に奥深い「十二因縁の法門」を説いて、苦の原因は真理を知らないことにあると教え、苦悩から離れる方法を具体的に説き明かした。その教えを聴いた人々は、照りつける灼熱の太陽の光から救ってくれる夕立のような恵みを感じた。

その後、この上もなく尊い大乗の教えを説き示し、誰もが持っている良心に潤いを与え、善の心を芽生えさせ、水田一面に稲が実るように、心を功徳で満たし、ひろく人々に菩提心を起こさせた。

菩薩の智慧は、暗闇を破す太陽や月の光のように、方便として、必要な時によく人々を照らす。そのことは、人々が大乗の道を進むことを助け、人々をまっすぐに最上の悟りの境地へとたどりつかせる。常に安らぎ、深い真理と限りない大きな慈悲の心で、苦悩する人々を救うようになる。


●訓読

微渧(みたい)先ず堕ちて以って欲塵をひたし、涅槃の門を開き 解脱の風を扇いで、世の悩熱を除き法の清涼を致す。次に甚深の十二因縁を降らして、もって無明・老・病・死等の猛盛熾然(みょうじょうしねん)なる 苦聚(くじゅ)の日光にそそぎ、しこうして乃ち洪(おおい)に無上の大乗を注いで、衆生の諸有の善根を潤漬(にんし)し、善の種子(しゅじ)を布いて功徳の田に遍じ、普く一切をして菩提の萌を発さしむ。

智慧の日月・方便の時節・大乗の事業を扶蔬(ふそ)増長して、衆をして疾く阿耨多羅三貎三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成じ、常住の快楽(けらく)、微妙真実に、無量の大悲、苦の衆生を救わしむ。



●真読

微渧先墮。以淹欲塵。開涅槃門。
みたいせんだ。いえんよくじん。かいねはんもん。

扇解脱風。除世悩熱。致法清涼。
せんげだつぷ。じょせのうねつ。ちほうしょうりょう。

次降甚深。十二因縁。用灑無明。老病死等。
いごうじんじん。じゅうにいんねん。ゆうしゃむみょう。ろうびょうしとう。

猛盛熾然。苦聚日光。爾乃洪注。
みょうじょうしねん。くじゅにっこう。にないこうちゅう。

無上大乗。潤漬衆生。諸有善根。
むじょうだいじょう。にんししゅじょう。しょうぜんごん。

布善種子。遍功徳田。普令一切。発菩提萌。
ふぜんしゅし。へんくどくでん。ふりょういっさい。はつぼだいみょう。

智慧日月。方便時節。扶踈増長。
ちえにちがつ。ほうべんじせつ。ふそぞうちょう。

大乗事業。令衆疾成。
だいじょうじごう。りょうしゅしつじょう。

阿耨多羅三藐三菩提。常住快楽。
あのくたらさんみゃくさんぼだい。

微妙真実。無量大悲。救苦衆生。
みみょうしんじつ。むりょうだいひ。くくしゅじょう。



●解説

ここには、菩薩がどのように人々に教えを説いて、利益を与えていくかの順序次第が説かれている。まずは、やさしい教えを説いて、教えを実践することによって安らかな心になれることを実感させ、次に仏教の根本的な縁起を説き、その後、大乗の教えを説いて菩提心を起こさしめた。菩提心とは、成仏を目指す心のことをいう。

学校教育には、順序次第がある。7歳の子どもにいきなり方程式を教えたり、漢文を教えることはない。低いレベルから入り、徐々にレベルをあげていく。仏教も同様である。最初から、深い教えは分からないので、低い教えから入り、徐々にレベルをあげていく。

ここでは、救われる立場の人を救う立場へと育てることが書かれている。つまり、相手を菩薩へと導くのが、菩薩の努めであり、さらには成仏に導くのが目的である。ただし、勧誘と導くこととは違う。宗教団体に入るようにと誘うことを菩薩道だと説く教団もあるが、そのことはその教団のドグマであって、勧誘と菩薩道はイコールではない。


●用語の説明

○涅槃(ねはん)
(梵)ニルヴァーナ "nirvaaNa"
直訳すれば、「吹き消す」こと。燃える火を消すこと。煩悩を火にたとえ、それを消すことをいう。安らぎの境地。


○解脱(げだつ)
(梵)ヴィムクティ "vimukti"
「開放する」「放棄する」という意味。誤った執着心から起こる業の繋縛を開放し、迷いの世界の苦悩を脱するから「解脱」という。その意味で、古来「自在」と解釈されてきた。それは、外からの束縛の解放や自由より、内からの自らを解放することや自由を獲得することを重要視するヴェーダの宗教(バラモン教)では、輪廻からの解脱が勧められたが、大乗仏教では、解脱や涅槃というあらゆる一切の執着から離れることをいう。


○甚深(じんじん)
非常に奥が深いこと。意味・境地などが深遠であること。通常、縁起の法を形容していう。


○十二因縁(じゅうにいんねん)
(梵)ディヴァーダシャーンガ・プラティートヤサムトパーダ
  "dvaadaSaaNga-pratiityasamutpaada"
縁起を基にした仏教の重要な思想。十二の連鎖縁起のこと。苦の原因を探って見極め、その原因を滅して苦を滅するという思想。老死などの苦の原因は、煩悩にあるとして、その根本原因を「無明」だと見極めた。

①無明(むみょう)
(梵)アヴィドヤー "avidyaa"
無知・無智、真理について明るくないこと。無我・無常について無智なことをいう。自我(アートマン)は、認識することのできないものだが、多くの人々は自我を誤って認識している。「自分の子ども」「自分の命」「自分を大切にする」などと考える時、何らかの自我を想定しているが、それは自我ではない。このような誤認は、苦を生じる大きな原因となる。

②行(ぎょう)
(梵)サンスカーラ "saMskaara"
意志作用のこと。自分を認識しようとする意志のこと。

③識(しき)
(梵)ヴィジュニャーナ "vijNaana"
認識作用のこと。分別による認識のこと。「識別」ともいう。自分と自分以外とを分けることで、自分というものを認識すること。

④名色(みょうしき)
(梵)ナーマ・ルーパ "naama-ruupa"
色とは形のあるもの、名とは名前のあるもの。よって形のある身体、形がなく名前によって存在が示される心のことをいう。自分を認識することによって、さらに自分を心と身体に分けて認識すること。心身なので、五蘊(色受想行識)のことともされる。

⑤六処(ろくしょ)
(梵)シャダアーヤタナ "SaDaayatana"
眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官のこと。自他を分別することによって、他を感受するための感覚器官を認識する。

⑥触(そく)
(梵)サパルシャ "sparSa"
自分と他が接触すること。眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官によって、他とコンタクトすること。

⑦受(じゅ)
(梵)ヴェダナー "vedanaa"
感受すること。他とのコンタクトによって、色を見て、音を聞き、匂いを嗅ぎ、味を味わい、そのものに触れ、イメージを感じ、快・不快という感情を起こす。たとえば、多くの食べ物の中から、リンゴを見てロックオンするようなもの。

⑧愛(あい)
(梵)トリシュナー "tRSNaa"
欲求のこと。感受して、快を感じたものに近づこうとし、不快なものから遠ざかろうとする欲求のこと。トリシュナーとは、「渇き」のことで、強い欲求のことをいう。「愛」と訳されるが、日本人の想うキリスト教の愛とは概念が異なる。リンゴを見て欲しいと想い求めること。

⑨取(しゅ)
(梵)ウパアダーナ "upaadaana"
執着のこと。あるものを感受し、それを欲しいと想い、さらに執着すること。リンゴを欲しいと想い、手に入れることに執着すること。

⑩有(う)
(梵)バヴァ"bhava"
存在のこと。他を摂取することにより、自分という存在が有るという認識を固めること。自我(アートマン)の認識によって、自我への執着となり、「有」への固執となる。

⑪生(しょう)
(梵)ジャーティ "jaati"
転生のこと。自我への執着は、あらゆる行為を起こし、それが業(カルマ)となって次の転生へと繋がる。転生とは、迷いの世界を輪廻するということ。

⑫老死(ろうし)
(梵)ジャラー・マラナ "jaraa-maraNa"
老化と死のこと。生老病死は「苦」に直結するもの。自我への執着を持って死ねば、転生を繰り返すことになる。

~初期仏教の十二因縁は、以上のように時間という概念が盛り込まれていない。無明~老死は瞬間的にも展開するし、過去・現在・未来という長い時間をかけて展開するとも観ることができる。その後、上座部では、「業と輪廻」の思想が深く入り込み、「三世両重の因果」へと発展した。時間という概念が入り、因果を主とした説となった。


○猛盛熾然(みょうじょうしねん)
火の勢いの激しい様子。


○苦聚の日光(くじゅのにっこう)
苦が集まり、燃え盛る状態。

~ここでの日光とは、人々を暑さで悩ませるようなジリジリと照りつける太陽の光のこと。


○潤漬(にんし)
布にじわじわと水分が浸みこんでいく状態のこと。


○功徳(くどく)
(梵)グナ "guna"
すぐれた徳性。善い行為の結果。善の結果として報いられた果報。修行の功によって得た徳。


○菩提(ぼだい)
(梵)ボーディ"bodhi"
智・道・覚と訳す。目覚めること。


○阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
(梵) アヌッタラ・サムヤク・サンボーディ
  "anuttara-samyak-saMbodhi"
無上正遍知、無上正等正覚。智慧によって得ることのできる最上の悟りのこと。


○快楽(けらく)
五官の快楽ではなく、精神の深みから感じる悦びのこと。



~無量義経徳行品第一 #5 「十二因縁」