●無量義経徳行品第一 #6
第一 通序 「自利」
●概要
菩薩のはたらきを幾つかの譬諭によって説いている。
●現代語訳
この菩薩たちは、人々の真の善友である。善の心を育てる素晴らしい田畑であり、困っている人があれば、招いていなくても現れる師であり、人々に安らぎを与える人、救う人、護る人、心のよりどころとなる人である。
どこにあっても、人々のために、立派なリーダーとなる。もし、人が真理を観る眼を塞いでいたならば、眼を開かせる縁となり、真理を聞かない者、嗅がない者、味あわない者には、真理を体験できるような縁となり、心が狂って荒れ乱れている者には、心を落ち着かせ正気に戻れるように関わる。
この菩薩たちは、まるで船長のようである。人々を船に乗せ、迷いの岸から、安らぎの岸へと送る。
また、優れた医者のようである。あらゆる病状や多くの薬の効果に通じており、患者に適した薬が何かを見極め、病気に応じた薬を授け、人々はその薬を服す。
また、腕のいい調教師のようである。行いに乱れがなく、どのように荒れた象であっても、馬であっても、調教する術を持っている。それは、勇ましい獅子が威厳をもって、どのような獣であっても従わせるようなものである。
●訓読
これ諸の衆生の真善知識、これ諸の衆生の大良福田、これ諸の衆生の請せざるの師、これ諸の衆生の安穏の楽処・救処・護処・大依止処なり。
処処に衆生の為に、大良導師・大導師と作る。よく衆生の盲いたるが為には、しかも眼目を作し、聾(りょう)・劓(ぎ)・唖(あ)の者には、耳・鼻・舌を作し、諸根毀欠(きけつ)せるをば、よく具足せしめ、顛狂荒乱(てんのうこうらん)なるには大正念を作さしむ。
船師・大船師なり、群生を運載し、生死の河を度して涅槃の岸に置く。
医王・大医王なり、病相を分別し薬性を暁了(ぎょうりょう)して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ。
調御・大調御なり、諸の放逸(ほういつ)の行なし。なお、象馬師のよく調うるに調わざることなく、師子の勇猛なる威、衆獣を伏して沮壊(そえ)すべきこと難きがごとし。
●真読
是諸衆生。真善知識。是諸衆生。大良福田。
ぜしょしゅじょう。しんぜんちしき。ぜしょしゅじょう。だいろうふくでん。
是諸衆生。不請之師。是諸衆生。安隱楽処。
ぜしょしゅじょう。ふしょうしし。ぜしょしゅじょう。あんのんらくしょ。
救処護処。大依止処。
くしょごしょ。だいえししょ。
処処為衆生。作大良導師。大導師。
しょしょいしゅじょう。さだいろうどうし。
能為生盲。而作眼目。聾劓唖者。
のういしゅじょうもう。にさげんもく。りょうぎあしゃ。
作耳鼻舌。諸根毀缺。能令具足。
さにびぜつ。しょこんきけつ。のうりょうぐそく。
顛狂荒亂。作大正念。
てんのうこうらん。さだいしょうねん。
船師。大船師。運載群生。
せんし。だいせんし。うんざいぐんじょう。
度生死河。置涅槃岸。
どしょうじが。ちねはんがん。
醫王。大醫王。分別病相。曉了藥性。
いおう。だいいおう。ふんべつびょうそう。ぎょうりょうやくしょう。
隨病授藥。令衆楽服。
ずいびょうじゅやく。りょうしゅやくぶく。
調御。大調御。無諸放逸行。猶如象馬師。
ぢょうご。だいぢょうご。むしょほういつぎょう。ゆにょぞうめし。
能調無不調。師子勇猛。威伏衆獸。難可沮壊。
のうぢょうむふぢょう。ししゆみょう。いぶくしゅじゅう。なんかそえ。
●解説
菩薩のはたらきを「船長」「医者」「調教師」などに譬えている。『無量義経』『法華経』では、このような巧みな比喩に満ちている。仏教の多くの経典は、比喩・象徴化・抽象化を駆使して人々を真理に導くが、『無量義経』『法華経』は、特にこれらがよく使われている。「譬諭によって真理へと導く」というのが、『法華三部経』の大きなテーマだからである。
譬諭は、言葉によって説くことのできない真理を言葉によって説こうとする。不可能を可能にはできないが、言葉でイメージを伝えることで、真理を得る重大なヒントを与える。
●用語の解説
○善知識(ぜんちしき)
(梵)カルヤーナ・ミトラ "kalyaaNa-mitra"
仏道に導く人のこと。法華行者は、他者にとっての善知識であることを目指す。
○福田(ふくでん)
福徳を生み出すところのこと。
○請せざるの師
請われたから現われるのではなく、人々の苦悩をみて頼まれいなくても現れる師のこと。
○分別(ふんべつ)
分けて考えること。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。分析。
○暁了(ぎょうりょう)
あきらかに理解すること。
○放逸(ほういつ)
悪を止め、善をすすめることに対して、だらしがなく、精進を怠ること。
○沮壊(そえ)
破ること。
~無量義経徳行品第一 #6