徳行品第一 #10 「仏身歎」 | 仏教のこころ

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●無量義経徳行品第一 #10

 第二 別序 「仏身歎」


●概要

大荘厳菩薩が、釈尊の存在(体)を讃える。


●現代語訳

 大いなるかな! 
 最上の悟りを開かれた 大いなる聖主
 煩悩なく 迷いなく 執着なく
 天 人 動物たちの善き指導者となり
 行いは風 徳は香りとなって
 あらゆるものの心へと染み入り
 智慧定まり 心定まり 
 思慮もまた定まり
 意識滅し 心もまた滅し
 永く 夢 妄想が起こることなく
 また すべての因縁もない


●訓読

 大いなるかな大悟大聖主 
 垢なく 染なく 所著なし
 天・人・象・馬の調御師 
 道風徳香一切に薫じ 
 智しずかに情しずかに
 慮凝静(りょぎょうじょう)なり 
 意滅し 識亡して 心また寂なり 
 永く夢妄の思想念を断じて 
 また諸大陰入界なし



●真読

 大哉大悟大聖主(だいざいだいごだいしょうしゅ)
 無垢無染無所著(むくむぜんむしょじゃく)
 天人象馬調御師(てんにんぞうめぢょうごし)
 道風徳香熏一切(どうふうとっこうくんいっさい)
 智恬情怕慮凝靜(ちてんじょうはくりょぎょうじょう)
 意滅識亡心亦寂(いめつしきもうしんやくじゃく)
 永断夢妄思想念(ようだんむそうしそうねん)
 無復諸大陰界入(むぶしょだいおんにゅうかい)



●解説

ここからは、「偈」によって釈尊を讃える。
偈とは、サンスクリット語のガーター "gāthā" の訳で、詩句の形式で表わされた文のことをいう。古代よりインド人は「詩」を愛した。ちょうど、日本で短歌や俳句が詠まれたように、インドでも雅言葉(サンスクリット語)で詩を詠みあったようだ。

釈尊は、重要な教えを詩のかたちで説いたとされる。聖なる教えを文字にすることは、古代インドでは戒められていたので、師の教えは、口伝によって弟子へと伝えられた。なので、重要な教えは覚えやすいように詩のかたちで説かれた。

サンスクリット語の詩は、掛けことばや抽象表現・比喩表現を巧みに使う。それを漢訳にする時、さすがの鳩摩羅什でさえもサンスクリット語のような味は出せていない。ましてや、訓読にすると詩のかたちが崩れてしまう。韻をふむことさえなくなってしまう。

『無量義経』は、サンスクリット本がないので比べることができないが、法華経のサンスクリット語原文の偈は、実に美しい言葉によって耳触りよく詠まれている。


~無量義経徳行品第一 #10