こういう時だからこそ
落ち着きのない土曜日を過ごした。朝は母の夜の時間(日本時間の夜10時くらい)にあわせ、目覚ましをセットして起きた。昼間は大丈夫だろうけど、夜は心細くなるんじゃないかと電話をする為。
案の定、余震がちょくちょくあるらしく、熟睡なんて出来たもんじゃないらしい。しかし、『自分は生き延びて恵まれている』と感謝している母。私と一緒に話していて大笑いしている母を頼もしいと思った。まだ笑えるくらいの力は残っているみたいだが、恐怖と隣り合わせ…というのも感じた。
『今年76歳の私よ、いつ逝っても悔いはない。でも、人さまに迷惑をかけるようなことはしたくない。できればぽっくりと逝きたい。大丈夫、ママは人に迷惑をかけるような死に方はしないわよ。』
と、いつもの話がとんだ。『あなたと話して落ち着いて眠れるわ。まぁ、余震で起こされちゃうんだけどね。』といっていた。
こちらからはどうすることも出来ない。せめて、毎晩寝る前のスモールトークを買って出ようと思った。
今朝、近所のリンから、
『急だけど、今晩ウチに夕飯を食べにこない?カジュアルだから、なにも持たないで、そのまま来てね。』
とメールがあった。夫も家に居ないし、子供と家にいるっていう私を気遣ってくれたんだと思う。
お言葉に甘えて、彼女の家にいったきた。
昨日彼女は私の家族の事を気遣って、わざわざ家に来てくれていた。今日も、
『○○(夫)も居ないし、こういう時は気持ちが負のスパイラルを画いちゃうから外に出て喋った方がいいのよね』と、気遣ってくれた。彼女の旦那さんのジムも、
『what for you have friends ?!-何の為に友達がいるんだよ!?』
といってくれた。
本当にありがたい。
行き場のない不安を分かち合ってくれて、本当に感謝している。
案の定、余震がちょくちょくあるらしく、熟睡なんて出来たもんじゃないらしい。しかし、『自分は生き延びて恵まれている』と感謝している母。私と一緒に話していて大笑いしている母を頼もしいと思った。まだ笑えるくらいの力は残っているみたいだが、恐怖と隣り合わせ…というのも感じた。
『今年76歳の私よ、いつ逝っても悔いはない。でも、人さまに迷惑をかけるようなことはしたくない。できればぽっくりと逝きたい。大丈夫、ママは人に迷惑をかけるような死に方はしないわよ。』
と、いつもの話がとんだ。『あなたと話して落ち着いて眠れるわ。まぁ、余震で起こされちゃうんだけどね。』といっていた。
こちらからはどうすることも出来ない。せめて、毎晩寝る前のスモールトークを買って出ようと思った。
今朝、近所のリンから、
『急だけど、今晩ウチに夕飯を食べにこない?カジュアルだから、なにも持たないで、そのまま来てね。』
とメールがあった。夫も家に居ないし、子供と家にいるっていう私を気遣ってくれたんだと思う。
お言葉に甘えて、彼女の家にいったきた。
昨日彼女は私の家族の事を気遣って、わざわざ家に来てくれていた。今日も、
『○○(夫)も居ないし、こういう時は気持ちが負のスパイラルを画いちゃうから外に出て喋った方がいいのよね』と、気遣ってくれた。彼女の旦那さんのジムも、
『what for you have friends ?!-何の為に友達がいるんだよ!?』
といってくれた。
本当にありがたい。
行き場のない不安を分かち合ってくれて、本当に感謝している。
遠くに居るもどかしさ。
こちら時間の朝6時頃に電話が鳴った。出張でドイツ経由でデンマークに着いた夫から?と思って、そのまま留守電に変わるまでベッドのなかからきいていた私…。すると、
起きろ~~!仙台で大きな地震があって、今さっきママ(私の母)に連絡とれたから。そっちからも早くしろ~~!
私達を朝っぱらから電話でおこすなんてことは絶対にしないやさしい夫なので、こんな電話をかけてくるなんて・・・と、びっくりして飛び起きた。夫と話しながらTVをつけて自分の目を疑った。仙台の海岸がグチャグチャだ。慌てて母に電話。日本はもう夜8時過ぎだから、電話は直ぐに繋がった。
母は友達と早めのランチをビルの33階(!)で済ませ、そのまま2階にある映画館で、英国王のスピーチを観ようと入り、その前にトイレに並んでいたときに地震がおこったらしい。友達の手をとり、その辺に居る人に早く外にひなんしましょうって声を掛けて逃げたらしい。地震の場合は電車は直ぐに止まるのを知っていたので、直ぐにその辺を走っていたらバスに飛び乗り、3つ乗り継いで家にたどり着いたらしい。どれもこれも、判断がはやかったからバスにも並ばず、交通のパニックにもそれほど巻き込まれず、バスにぎゅうぎゅうに乗り合わせた人たちと恐怖体験をはなしながら家路についたらしい。母曰く、
{こういう時、家に一人だったらとっても心細かったに違いない。でも、大勢と一緒っていうのは、話せるから不安が紛らわされた』らしい。
昨日(10日)母と電話で話したとき、『今日は東京が空爆に遭って、目白の家が丸焼けになった日なのよ。』と言われたばかりだ。今日の母は『あの日、疎開先の埼玉の伯母の家を抜け出し、東京の家を目掛けて一人で汽車に乗ったり歩いて帰った事を思い出したわ。家の人間に連絡が着かないから、とっても心配で疎開先を飛び出したの。仙台の方はもっと大変だから…』
と、夜になってから昼間の興奮が蘇ってきて、眠れそうにないといっていた。
私の姉は傍に住んでいるので、母が帰宅するよりも先に母のところへ行き、倒れていたものを直したりしておいてくれたらしい。私は何もできなくて、本当に歯がゆい。
『○○(私の夫)がハンブルグからデンマークに向かう車の中のカーラジオで地震を知ったんだって。それで直ぐに電話をくれたのよ。とってもありがたかった。電話はほんと、つながらないのに、何故か○○からのは繋がったのよ。不思議よね。安心してママ、泣いちゃった。デンマークからに貴方のいるアメリカから、本当に世界は狭いのね…』
しばらく母とはなしをし、お互いが安心したところで電話を切った。娘と次男はまだCNNを観ていたが、学校の時間なのでTVを消した。私はそれからしばらく、ドイツやデンマーク、そしてここアメリカの近所の人からの電話の対応、メール、SMS,フェイスブックへの投稿の返事などに1時間以上費やした。9時半のテニスの練習にいっても、先ずはこの話から。皆さん、心配してくれて本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
出張中の夫のところにも、アメリカの会社から何通か電話が入って、私の家族の心配をしてくれたらしい。
今日の次男は、学校が半日だった。お昼過ぎに学校に彼ともう一人の友達を迎えに行くと、『ママ、僕は今日学校で泣いちゃったんだ。地震はコワいし、日本の富士山は吹っ飛ばなかったか(なぜ?)とか、おばあちゃんは今日はちゃんと眠れるかとか、もし怪我をしていたらとか考えたら、涙が止まらなかった』
ときた。津波をTVで見ちゃったからね。あれはインパクト強すぎたみたいだ。そういえば、長男が9/11の飛行機のビルへの突っ込みをTVで生観戦してしまって以来、トラウマで頭痛が消えなかった事をおもいだした。あの時、夫が丁度1週間前にNYの出張から帰ってきたばっかりで(しかも、WTCにも行っていた!)、もし父親があそこに居たらとか、大勢亡くなった消防士の遺族の方を思ったりし、とにかく心を痛めたことを思い出した。
なので、今日の午後からは、次男の前ではTVをつけないことにした。そして、日本の家族は大丈夫だったことなどを、よく話して聞かせた。
これからも、映像は見せないようにしようと、娘ともちゃんと話した。
今日はあっという間に一日が過ぎた気がする。ぽっかりと心に穴が開いた感じ。
津波や地震で被害に遭った方々にお見舞い申し上げます。皆さん、がんばって!
起きろ~~!仙台で大きな地震があって、今さっきママ(私の母)に連絡とれたから。そっちからも早くしろ~~!
私達を朝っぱらから電話でおこすなんてことは絶対にしないやさしい夫なので、こんな電話をかけてくるなんて・・・と、びっくりして飛び起きた。夫と話しながらTVをつけて自分の目を疑った。仙台の海岸がグチャグチャだ。慌てて母に電話。日本はもう夜8時過ぎだから、電話は直ぐに繋がった。
母は友達と早めのランチをビルの33階(!)で済ませ、そのまま2階にある映画館で、英国王のスピーチを観ようと入り、その前にトイレに並んでいたときに地震がおこったらしい。友達の手をとり、その辺に居る人に早く外にひなんしましょうって声を掛けて逃げたらしい。地震の場合は電車は直ぐに止まるのを知っていたので、直ぐにその辺を走っていたらバスに飛び乗り、3つ乗り継いで家にたどり着いたらしい。どれもこれも、判断がはやかったからバスにも並ばず、交通のパニックにもそれほど巻き込まれず、バスにぎゅうぎゅうに乗り合わせた人たちと恐怖体験をはなしながら家路についたらしい。母曰く、
{こういう時、家に一人だったらとっても心細かったに違いない。でも、大勢と一緒っていうのは、話せるから不安が紛らわされた』らしい。
昨日(10日)母と電話で話したとき、『今日は東京が空爆に遭って、目白の家が丸焼けになった日なのよ。』と言われたばかりだ。今日の母は『あの日、疎開先の埼玉の伯母の家を抜け出し、東京の家を目掛けて一人で汽車に乗ったり歩いて帰った事を思い出したわ。家の人間に連絡が着かないから、とっても心配で疎開先を飛び出したの。仙台の方はもっと大変だから…』
と、夜になってから昼間の興奮が蘇ってきて、眠れそうにないといっていた。
私の姉は傍に住んでいるので、母が帰宅するよりも先に母のところへ行き、倒れていたものを直したりしておいてくれたらしい。私は何もできなくて、本当に歯がゆい。
『○○(私の夫)がハンブルグからデンマークに向かう車の中のカーラジオで地震を知ったんだって。それで直ぐに電話をくれたのよ。とってもありがたかった。電話はほんと、つながらないのに、何故か○○からのは繋がったのよ。不思議よね。安心してママ、泣いちゃった。デンマークからに貴方のいるアメリカから、本当に世界は狭いのね…』
しばらく母とはなしをし、お互いが安心したところで電話を切った。娘と次男はまだCNNを観ていたが、学校の時間なのでTVを消した。私はそれからしばらく、ドイツやデンマーク、そしてここアメリカの近所の人からの電話の対応、メール、SMS,フェイスブックへの投稿の返事などに1時間以上費やした。9時半のテニスの練習にいっても、先ずはこの話から。皆さん、心配してくれて本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
出張中の夫のところにも、アメリカの会社から何通か電話が入って、私の家族の心配をしてくれたらしい。
今日の次男は、学校が半日だった。お昼過ぎに学校に彼ともう一人の友達を迎えに行くと、『ママ、僕は今日学校で泣いちゃったんだ。地震はコワいし、日本の富士山は吹っ飛ばなかったか(なぜ?)とか、おばあちゃんは今日はちゃんと眠れるかとか、もし怪我をしていたらとか考えたら、涙が止まらなかった』
ときた。津波をTVで見ちゃったからね。あれはインパクト強すぎたみたいだ。そういえば、長男が9/11の飛行機のビルへの突っ込みをTVで生観戦してしまって以来、トラウマで頭痛が消えなかった事をおもいだした。あの時、夫が丁度1週間前にNYの出張から帰ってきたばっかりで(しかも、WTCにも行っていた!)、もし父親があそこに居たらとか、大勢亡くなった消防士の遺族の方を思ったりし、とにかく心を痛めたことを思い出した。
なので、今日の午後からは、次男の前ではTVをつけないことにした。そして、日本の家族は大丈夫だったことなどを、よく話して聞かせた。
これからも、映像は見せないようにしようと、娘ともちゃんと話した。
今日はあっという間に一日が過ぎた気がする。ぽっかりと心に穴が開いた感じ。
津波や地震で被害に遭った方々にお見舞い申し上げます。皆さん、がんばって!
ESLの子供達。
春からテニスとPTAのボランティアの交互の毎日。これぞ、アメリカの母。(あ、東京の下町にもこういうひと知ってる(^O^)
次男がまだ英語をまったく喋れなかった小学校入学時、どうにか学校にサグリをいれられないかとPTAに即参加しました。当初はクラスのクラフト(工作)や学校のイベントをお手伝い。アメリカの学校では、PTAの介入がとっても大きいですね…。先生より働いているんじゃないって場面、よく見かけました。
その内、次男の英語が達者になってきて、私がいくと舞い上がるので、クラスでのボランティアはやめました。それからは地味に図書室の管理おばさん(笑)これは自分のあいた時間にいって本の整理をしたりPCで管理したりするだけなので、買い物のついでに学校の図書室に寄って今でもしてます。
で、最近はESL(外国人の子供の為の英語クラス)を手伝っています。先生は一人しかいないので、彼女の補佐をしています。この先生、いろんな外国人の子供を扱っているだけあって、とっても辛抱強くて暖かい人です。どちらかというとアメリカの先生って平均年齢若いし、こんな人でも先生になれるの?っていう「?」っていう人が多い中(=いろんな意味で)、この先生はそろそろ定年?って、『私は立派な教師です』って人で頼もしい。
※小学校のESLは、高校や大学にあるソレとは違い、授業枠を持ちません。子供達は基本的に普通のクラスで一日中授業を受け、途中毎日30分くらい、ESLの先生が生徒を一人づつ迎えに来てくれて、マンツーマンで授業を行います。次男の通う学校は外国人が少ないのでマンツーマンですが、他の学校はどうだかわかりません。
今月、ESLでは全国共通のテストがあります。スピーキングは先生と一対一で、ライティングとリスニングは学年ごとに行われます。とにかく移民が多い国だから、《移民の子が一体どのレベルにいるのか》を計る目的のテストです。私はライティングとリスニングの試験官をしています。
驚いたのが、どの子も『あなたネイティブ?』ってくらい喋りがOKな事。とくに女の子はやはり早い。このテストは、就学してから5年間は受けなければいけないそうで、高校生の娘も来週受けるそうです。難関はライティング。これはネイティブでも大変なのに、外国人はもっとたいへんだろうに…。
3セクションに分かれていて、徐々に書くことが多くなっていき、時間配分も長くなります。低学年は自分の好きな食べ物を書くことから始まり、絵や図解説明に入っていきます。高学年になると、最後のセクションは自分の好きなスポーツを紹介したりと、時間配分も30分で3ページ分の書く余地があります。
2セクション目の図解説明ってのも難しい。今日は1年生で、《カエルの一生》。卵→おたまじゃくし→カエルになるまでの絵をみながら、自分の言葉で文章にして説明。5年生の図解では、電池とランプを使った理科。ランプが点かない配線になっていて、どうしてそれが点かないのか。どうしたらそれが点くようになるか…、それを文章で説明せよ。
これって、ネイティブの子供でも難しいと思う。┐( ̄ヘ ̄)┌
私の仕事は、1セクションが終わった毎に手をあげてストップする子達のところへ回って歩き、本当に回答されているか、ページを飛ばしていないか、という事をチェックするだけ。「もっと書いたほうがいいんじゃない?」とか、「ここは大文字でしょ?」とかは一切口にしてはいけません。言いたくなるんだな、これが…。
思ったのは、アジア人の子供達は文章をしっかり書けるってこと。ボキャブラリーもしっかりしてる。それからコレ大事、ちゃんと前を向いて座って書ける!アフリカからの移民の子達は、座っていること自体が大変。横を向いたり机を蹴って音をだしたり、先生が説明したことを聞いていないから、また質問したりで、第一、質問を読むことからして苦痛って感じ。小学校低学年からこれじゃ、高校まであがるっていうことは奇跡に近いのかもしれない…。
部屋をグルグル巡回しながら生徒達をみているんだけど、ふっと電気のスイッチが目に入った。そこには大きくON、OFFって表記してあります。で、ある事を思い出した。
次男が始めて小学校のキンダーのクラスに入った時の事。初日から普通のクラスに突っ込まれたけど、もちろん彼はまったく英語が聞き取れないし話せない。数日後、ちょうどONという単語を習っているとき、先生は次男がこの単語もわからない事に気が付いた。で、次男を電気のスイッチの所に連れて行って、
『○○、これみて!ON、OFF!ON、OFF』
と、電気をつけたり消したりして、オンとオフの意味を教えてくれたそうだ。この話は後日先生からきかされた事だけど、彼女曰く「○○の顔がぱ~っと晴れたのが読み取れました。自分でON and OFF!って何度も繰り返してスイッチを入れていました。それからは彼のボキャブラリーが毎日増えていってとにかく彼には驚かされます!』と言われたことがあった。
当時、他のお母さんからこんな話を聞かされた事もあった。
『娘が家に帰ってきて早々、《聞いて聞いて~!今日ね、○○が文章をしゃべったのよ!No more glue(糊がカラだよ)だって!すごいでしょ?》だって。とってもビックリしていたのよ』(^_^;)
今の次男をみていると、こんな時があったのが信じられないくらいよく喋るし、本読みもスラスラ、作文もスラスラ(おだてれば)だ。
ESLってクラスはサマサマなので、私はこのクラスにご恩返しがしたいのだ。
次男がまだ英語をまったく喋れなかった小学校入学時、どうにか学校にサグリをいれられないかとPTAに即参加しました。当初はクラスのクラフト(工作)や学校のイベントをお手伝い。アメリカの学校では、PTAの介入がとっても大きいですね…。先生より働いているんじゃないって場面、よく見かけました。
その内、次男の英語が達者になってきて、私がいくと舞い上がるので、クラスでのボランティアはやめました。それからは地味に図書室の管理おばさん(笑)これは自分のあいた時間にいって本の整理をしたりPCで管理したりするだけなので、買い物のついでに学校の図書室に寄って今でもしてます。
で、最近はESL(外国人の子供の為の英語クラス)を手伝っています。先生は一人しかいないので、彼女の補佐をしています。この先生、いろんな外国人の子供を扱っているだけあって、とっても辛抱強くて暖かい人です。どちらかというとアメリカの先生って平均年齢若いし、こんな人でも先生になれるの?っていう「?」っていう人が多い中(=いろんな意味で)、この先生はそろそろ定年?って、『私は立派な教師です』って人で頼もしい。
※小学校のESLは、高校や大学にあるソレとは違い、授業枠を持ちません。子供達は基本的に普通のクラスで一日中授業を受け、途中毎日30分くらい、ESLの先生が生徒を一人づつ迎えに来てくれて、マンツーマンで授業を行います。次男の通う学校は外国人が少ないのでマンツーマンですが、他の学校はどうだかわかりません。
今月、ESLでは全国共通のテストがあります。スピーキングは先生と一対一で、ライティングとリスニングは学年ごとに行われます。とにかく移民が多い国だから、《移民の子が一体どのレベルにいるのか》を計る目的のテストです。私はライティングとリスニングの試験官をしています。
驚いたのが、どの子も『あなたネイティブ?』ってくらい喋りがOKな事。とくに女の子はやはり早い。このテストは、就学してから5年間は受けなければいけないそうで、高校生の娘も来週受けるそうです。難関はライティング。これはネイティブでも大変なのに、外国人はもっとたいへんだろうに…。
3セクションに分かれていて、徐々に書くことが多くなっていき、時間配分も長くなります。低学年は自分の好きな食べ物を書くことから始まり、絵や図解説明に入っていきます。高学年になると、最後のセクションは自分の好きなスポーツを紹介したりと、時間配分も30分で3ページ分の書く余地があります。
2セクション目の図解説明ってのも難しい。今日は1年生で、《カエルの一生》。卵→おたまじゃくし→カエルになるまでの絵をみながら、自分の言葉で文章にして説明。5年生の図解では、電池とランプを使った理科。ランプが点かない配線になっていて、どうしてそれが点かないのか。どうしたらそれが点くようになるか…、それを文章で説明せよ。
これって、ネイティブの子供でも難しいと思う。┐( ̄ヘ ̄)┌
私の仕事は、1セクションが終わった毎に手をあげてストップする子達のところへ回って歩き、本当に回答されているか、ページを飛ばしていないか、という事をチェックするだけ。「もっと書いたほうがいいんじゃない?」とか、「ここは大文字でしょ?」とかは一切口にしてはいけません。言いたくなるんだな、これが…。
思ったのは、アジア人の子供達は文章をしっかり書けるってこと。ボキャブラリーもしっかりしてる。それからコレ大事、ちゃんと前を向いて座って書ける!アフリカからの移民の子達は、座っていること自体が大変。横を向いたり机を蹴って音をだしたり、先生が説明したことを聞いていないから、また質問したりで、第一、質問を読むことからして苦痛って感じ。小学校低学年からこれじゃ、高校まであがるっていうことは奇跡に近いのかもしれない…。
部屋をグルグル巡回しながら生徒達をみているんだけど、ふっと電気のスイッチが目に入った。そこには大きくON、OFFって表記してあります。で、ある事を思い出した。
次男が始めて小学校のキンダーのクラスに入った時の事。初日から普通のクラスに突っ込まれたけど、もちろん彼はまったく英語が聞き取れないし話せない。数日後、ちょうどONという単語を習っているとき、先生は次男がこの単語もわからない事に気が付いた。で、次男を電気のスイッチの所に連れて行って、
『○○、これみて!ON、OFF!ON、OFF』
と、電気をつけたり消したりして、オンとオフの意味を教えてくれたそうだ。この話は後日先生からきかされた事だけど、彼女曰く「○○の顔がぱ~っと晴れたのが読み取れました。自分でON and OFF!って何度も繰り返してスイッチを入れていました。それからは彼のボキャブラリーが毎日増えていってとにかく彼には驚かされます!』と言われたことがあった。
当時、他のお母さんからこんな話を聞かされた事もあった。
『娘が家に帰ってきて早々、《聞いて聞いて~!今日ね、○○が文章をしゃべったのよ!No more glue(糊がカラだよ)だって!すごいでしょ?》だって。とってもビックリしていたのよ』(^_^;)
今の次男をみていると、こんな時があったのが信じられないくらいよく喋るし、本読みもスラスラ、作文もスラスラ(おだてれば)だ。
ESLってクラスはサマサマなので、私はこのクラスにご恩返しがしたいのだ。
春季リーグ2011・1戦目
昨日「ボソッ」とケイタイから炸裂(?)し、それにコメントしていただいて有難うございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チームとしては2戦目、私は初戦、しかもシングルスだった。春季リーグは期間も長く、しかも1試合(毎週)につき、シングルスx2とダブルスx3組を選出しなければならない。ってことは、毎回8人が試合に繰り出す。1チームは多いと15人位いるけど、ウチのチームは12人。ちょうどいい人数かな。
昨日の試合は私が第一シングルスってことだった。チーム内でのウォームアップが終わって、いよいよ対戦相手とご対面。すると相手:「あれ?私達冬季リーグで当ってない?」と言ってきた。
あ、この人知ってる!私がベラベラしゃべって負けた人だ!
そうだった、ついこの間終わったばかりの冬季リーグ最終戦で、気を許してベラベラ喋って油断して→集中力ゼロになって→負けた相手だ!
イヤだなぁ、上手いんだよな、この人。しかも良い人なんだよね・・・。しかし、これも何かの縁。しっかりリベンジしろよという神の声に聞こえた。というか、リベンジもなにも、自分がしっかりしろよって事なんだけど┐( ̄ヘ ̄)┌
なので、しょっぱなから飛ばした。彼女がポイント毎にベラベラしゃべってきても、
私:aha,aha.... really? aha..... でやりすごした(笑)
完全上の空。なにかコメントしそうになるんだけど、絶対に必要以上しゃべらなかった。で、1セット目は6-2で私がとった。2セット目も絶対に油断しないように、集中し続けた。彼女はそれでも何かしゃべるんだけど、とにかくaha,aha.. really?..で逃げ切った(汗)
途中彼女が追い上げてきて、私のミスも出始めてブレイクされたけど、直ぐにブレイクバックに成功して5-5とし、なんとか2セット目のセット・タイブレに持ち込んだ。これで終わらせないと、1セットオールになって、10ポイントタイブレ(3セット目)だ。これだけは避けたかったので、絶対に早めにリードするように慎重にボールをつなげてチャンスを待った。で、セット・タイブレを7-3で勝利!
うれしかった。とにかくうれしかった。
対戦相手のタミーも「Schatzi、今回はエラーも少なかったし、前よりも断然上手くなっててビックりした。私は最後はスタミナもなくなっちゃったし、とにかく今は終わったことのほうが嬉しいよ。もしまたあなた達と対戦する事があった、絶対シングルスを希望する!そして、次も絶対にSchatziと対戦したい!今日は本当にありがとう!」と言われ、お互い大きなハグをして分かれた。
向こうの方の車の陰からウチのチームの熱血キャプテンとサブ・キャプテンが見ていてくれるのを知っていたけど、彼女たちは私達のコートに入ってきて、
「このコートが勝敗を分ける試合だったのよ(※私達の試合は他の試合より少し遅れてスタートしたから)。Schatziが勝ったから3-2で今日はウチの勝ち。よくやったSchatzi!うれしいね~♪」
そうだと知っていたらプレッシャーを感じて負けていたと思うけど、知らなかったから助かった(^_^;)
《今日の試合の気づいた点》
・不思議と目がボールに釘付けだった。今日は本当にボールから目が離れなかった。
・今だ!と思っても、あと1,2回はラリーを続けて、本当に良い位置にボールが来たらベースラインの角を目掛けてボールを追い出す攻撃がよくできた。
・自分のサービスの時は絶対にミスをしないことを心がけた。
・その半面、リターンではアグレッシブに。特に第二サーブを2歩ほどコートに入ってリターンエースを狙ったり、こちらがゲームを仕切れたことが何度もあった。
・今回は相手をベースラインに閉じ込めることに成功した。彼女はサービスラインにボールが落ちたら、速攻ネットラッシュしてくるタイプだから、それだけは食い止めたかった。
・あとこれ。相手をつけあがらせなかった(爆)←イヤな言い方だけど、レベルが互角か上の人との場合、相手にチャンスだ!と思わせたら最後、絶対に巻き返してきて手に負えなくなるから、とにかく自分のサーブの時は絶対にスキを見せないように心がけた(※こういう場面、ロジャーの試合でイヤと言うほど目にしているからね…)2セット目で冷や汗かいたけど、ほら、私はアマチュアだから(爆)
とにかく、『ボールをよく見るっ』てことが出来たから勝てたんだと思う。
来週もシングルスの予定。
次もヤルぞ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チームとしては2戦目、私は初戦、しかもシングルスだった。春季リーグは期間も長く、しかも1試合(毎週)につき、シングルスx2とダブルスx3組を選出しなければならない。ってことは、毎回8人が試合に繰り出す。1チームは多いと15人位いるけど、ウチのチームは12人。ちょうどいい人数かな。
昨日の試合は私が第一シングルスってことだった。チーム内でのウォームアップが終わって、いよいよ対戦相手とご対面。すると相手:「あれ?私達冬季リーグで当ってない?」と言ってきた。
あ、この人知ってる!私がベラベラしゃべって負けた人だ!
そうだった、ついこの間終わったばかりの冬季リーグ最終戦で、気を許してベラベラ喋って油断して→集中力ゼロになって→負けた相手だ!
イヤだなぁ、上手いんだよな、この人。しかも良い人なんだよね・・・。しかし、これも何かの縁。しっかりリベンジしろよという神の声に聞こえた。というか、リベンジもなにも、自分がしっかりしろよって事なんだけど┐( ̄ヘ ̄)┌
なので、しょっぱなから飛ばした。彼女がポイント毎にベラベラしゃべってきても、
私:aha,aha.... really? aha..... でやりすごした(笑)
完全上の空。なにかコメントしそうになるんだけど、絶対に必要以上しゃべらなかった。で、1セット目は6-2で私がとった。2セット目も絶対に油断しないように、集中し続けた。彼女はそれでも何かしゃべるんだけど、とにかくaha,aha.. really?..で逃げ切った(汗)
途中彼女が追い上げてきて、私のミスも出始めてブレイクされたけど、直ぐにブレイクバックに成功して5-5とし、なんとか2セット目のセット・タイブレに持ち込んだ。これで終わらせないと、1セットオールになって、10ポイントタイブレ(3セット目)だ。これだけは避けたかったので、絶対に早めにリードするように慎重にボールをつなげてチャンスを待った。で、セット・タイブレを7-3で勝利!
うれしかった。とにかくうれしかった。
対戦相手のタミーも「Schatzi、今回はエラーも少なかったし、前よりも断然上手くなっててビックりした。私は最後はスタミナもなくなっちゃったし、とにかく今は終わったことのほうが嬉しいよ。もしまたあなた達と対戦する事があった、絶対シングルスを希望する!そして、次も絶対にSchatziと対戦したい!今日は本当にありがとう!」と言われ、お互い大きなハグをして分かれた。
向こうの方の車の陰からウチのチームの熱血キャプテンとサブ・キャプテンが見ていてくれるのを知っていたけど、彼女たちは私達のコートに入ってきて、
「このコートが勝敗を分ける試合だったのよ(※私達の試合は他の試合より少し遅れてスタートしたから)。Schatziが勝ったから3-2で今日はウチの勝ち。よくやったSchatzi!うれしいね~♪」
そうだと知っていたらプレッシャーを感じて負けていたと思うけど、知らなかったから助かった(^_^;)
《今日の試合の気づいた点》
・不思議と目がボールに釘付けだった。今日は本当にボールから目が離れなかった。
・今だ!と思っても、あと1,2回はラリーを続けて、本当に良い位置にボールが来たらベースラインの角を目掛けてボールを追い出す攻撃がよくできた。
・自分のサービスの時は絶対にミスをしないことを心がけた。
・その半面、リターンではアグレッシブに。特に第二サーブを2歩ほどコートに入ってリターンエースを狙ったり、こちらがゲームを仕切れたことが何度もあった。
・今回は相手をベースラインに閉じ込めることに成功した。彼女はサービスラインにボールが落ちたら、速攻ネットラッシュしてくるタイプだから、それだけは食い止めたかった。
・あとこれ。相手をつけあがらせなかった(爆)←イヤな言い方だけど、レベルが互角か上の人との場合、相手にチャンスだ!と思わせたら最後、絶対に巻き返してきて手に負えなくなるから、とにかく自分のサーブの時は絶対にスキを見せないように心がけた(※こういう場面、ロジャーの試合でイヤと言うほど目にしているからね…)2セット目で冷や汗かいたけど、ほら、私はアマチュアだから(爆)
とにかく、『ボールをよく見るっ』てことが出来たから勝てたんだと思う。
来週もシングルスの予定。
次もヤルぞ!