砂場 -6ページ目

砂場

本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

シューマンの指 (100周年書き下ろし)
奥泉 光
講談社
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これはシューマンを偏愛する天才ピアニストの音楽小説であり、彼に焦がれる「私」が語る青春小説であり、冒頭からありえない謎が提示されるミステリー小説でもある。様々な要素を含んだ物語を、何かひとつのジャンルにまとめるなら、シューマン小説と呼ぶのが僕にはすっきりする。この物語はどこを切り取っても、そこからシューマンの音楽が聴こえてくる。

 私は、シューマンのコンチェルトを弾く永嶺修人の姿をありありと思い描くことができる。
 いくぶん高めの椅子に座り、両腕を鍵盤に向かってやや突っ張るようにした姿勢と、僅かに左に傾けた首の形を想うことができる。速い楽句を軽やかに粒だてようとうるときには、すっと尻を後ろにずらして体勢を低くし、強くオクターブのユニゾンを叩き出そうとすれば、尻を浮かせ、ほとんど立ち上がるような格好で上から指を鍵盤に振り下ろす様子を想うことができる。
P15


ページをめくるほどにシューマンの音楽が聴きたくなる。それは、そこから他の音楽に広がることなどなく、ただひたすらシューマンの音楽だけで完結してしまうような、いびつに歪んだ音楽の愛し方になる。特定の何かを愛するというのは、そういうものかも知れない。愛するゆえに盲目となり、盲目ゆえに世界はどこまでも広がってゆく。

「鼓膜を震わせることだけが音楽を聴くことじゃない。音楽を心に想うことで、僕たちは音楽を聴ける。音楽は想像のなかで一番くっきりと姿を現す。耳が聴こえなくなって、ベートーヴェンはよりよく音楽を聴けるようになったんだ」
 永嶺修人はよくいっていた。そうして、私がこの曲を「聴く」とき、ピアノの前に座っているのは、リヒテルでもリパッティでもなく、永嶺修人その人なのだ。
P15


鳴り響く音楽のなかで、物語は手のひらからこぼれ落ちていく。僕はシューマンの何を知ることができ、彼らの何に触れることができたのか。鮮烈なイメージが脳裏に焼き付きながらも、それは蜃気楼のようにゆらめき消え入りそうで、遠くが透けてみえる。

娘が生まれて4歳になって雲をみて「ぞうさんみたい」とか「かばさんみたい」と言うようになった。僕も子供の頃はよくそんな風に見えていて、けれど、いつの頃からか雲は雲にしか見えなくなったんだよなと思う。僕にとって雲はもう長い間ずっと雲のままだったけど、娘が嬉しそうにさも大発見かのように指差す雲を見上げ、娘に見えている「ぞう」とか「かば」とか「うさぎ」をイメージしてみると、確かにそのように見えてくることに驚く。あの細い部分がぞうの鼻であり、あの大きな塊がかばの胴体で、あの端っこが別れている部分がうさぎの耳なのだ。

「あの雲は○○みたいやなー」とたまに言ってみると娘は「ほんまや!」と驚いたり、「ちがうで、△△やで」と自慢気な顔をしたりする。「ほら、よくみてみー」と上から目線で訂正されたり。雲をみるときはいつも娘のほうが正しいのだった。

星座から見た地球
星座から見た地球
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福永 信
新潮社
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まずAという子供の日常を切り取った1ページ程度の物語があり、続いてBの日常があり、同じようにCが続き、Dで終わる。すごく近くにいるのにすれ違っているような4人。そしてまたAからDの物語が順に語られるが、これはさっきの物語の続きというわけでもなく、さっきのAやBたちと同一人物というわけでもなさそうだが、無関係でもなさそうな気がする。全てにおいて関連性は「気がする」程度しか感じられず、ABCDにあった出来事が順繰りに語られていく。その語り口調は「Aは~すべきだったのに」という風に、まるで神か親か保護者かのような上からみた視線だ。

遠くから淡々と、けれど細部まで見逃すまいと目を凝らしているかのような文体を、僕は見上げるように読み進めていく。平凡というよりは子供らしい波乱に満ちた日常を鮮やかに切り取った、小さな物語たち。彼ら彼女らに今まで何があってこれからどうなるのか、読み手はその一瞬を垣間見るだけで掴みとることはできない。それは夜空の星の存在が、地球から見れば瞬きでしかないことに近い気がする。その物語たちはお互いに繋がっていそうで繋がってないような、絶妙な距離にある。この全てが本当は場所も時間も遠く離れた、まったく無関係な物語だという可能性は捨てきれない。けれど、読み進めるほどに、それぞれの固まりが繋がった物語であるような気がして、僕は本のなかに星座を見つける。
ばらばら死体の夜
ばらばら死体の夜
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桜庭 一樹
集英社
売り上げランキング: 29973


連作短編の形式をとった長編小説。先日読んだ『からまる』と同じように登場人物の視点が変わることによって、その人物の違った側面を照らしだす。自分が思っている自分と、他人が思っている自分は違う。けれど、『からまる』がそのことによって人の持つ心の深さや豊かさを掬い上げ肯定していたのに対し、この物語は真逆の眼差しを向ける。ここでは、人の心と身体はいかにばらばらの寄せ集めでできているか、そこに統一された人格・人間性などないということを、執拗に暴き立てていく。

消費者金融のローン地獄というテーマを扱い、金に絡め取られる人たちが登場するが、ここで本当に怖いのは金ではない。金やその場の感情によって簡単に剥がれ落ち、その隙間から覗くもう一つの自分の姿が怖いのだ。

年齢とずれた外見。誰かに着せられたようにしか見えない服。不自然な笑顔。斜めに傾いた姿勢。バランスの悪い服の色の組み合わせ。部分的にゆがんだ顔のパーツ。身体も心も統一感がなくギクシャクと生きる人たち。全ての目論見はどこかズレていき、過去と現在と未来がツギハギされる。

生きているあいだ、ずいぶんちぐはぐで変な人間だと思っていたけど、ここでこうしてばらばら死体になってみると、不思議なことに、初めてこの人らしい姿に落ち着けたように見えた。なんというか、形として、安定した。そうか、この人はずっとばらばらだったんだ、生きて動いているのにばらばら死体みたいな人間だったんだ
P18


読みながら少しづつ疑念が頭をもたげてくる。この登場人物たちが自分ではわからないように、僕も自分で気づいていないだけのではないだろうか。考えれば考えるほど自信が無くなっていく。他人の目からみれば、彼らと同じように僕もばらばらなのではないかと。
からまる
からまる
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千早 茜
角川書店(角川グループパブリッシング)
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 わたしは思いの全てを口にだしてしまう田村とは違う。けれど、たまにあのまっすぐさが羨ましくなる。わたしが小器用に覆い隠してしまったものを、あの子はむきだしにして生きて、どんなひどい目にあっても求めることを恐れない。ふらふら頼りなくみえてあの子はわたしより、ずっと強いのかもしれない。時々、そう思う。

自分はこういう人だと思う自分がいて。自分の中に隠しておきたい自分がいて。こうみられたい自分がいて。こうはなりたくないという自分がいて。人は誰も自分のなかに色々な自分がいる。

この連作短編集では短編ごとに主人公が変わる。視点が変わることで、さっきまで主人公だった人が、それまでとはまた違った姿をみせる。見ている人の数だけ姿は変わるけど、そのどれもが自分であるということ。自分には見えなかった自分の姿を知ることで、自分の中の自分が少し変わる。自分を見つめ、相手を見つめることで、その距離が少し近くなる。

俺は目を瞑った。目蓋を透かして光が入ってくる。視界は血管の色だ。女はいつもこれを見ているのだろうか。
 空から天窓を覗いたら、俺達はどんな風に見えるのだろう。ちっぽけな虫みたいに見えるのだろうか。


誰と繋がるか、誰と繋がらないかではなく、すでに生きているだけで人は多くの人と複雑にからまっている。その糸の先に誰かがいることを忘れ、乱暴に引っ張って切ってしまわぬように。傷つくのを恐れ、その糸を断ち切ってしまわないように。その糸が織り成す模様が、できるだけ美しくあるように、僕たちは今日もからまる。

どこかに遊びに行ったり、友人と楽しく過ごして帰ってきた夜。ひとりベットに横になり、天井を見上げていると、なんだか今日あったことが自分の体験したではないように思えてくる。そうなると、その記憶からどんどん現実感が奪われて、まるで夢であったことのように霞んでゆく。大学生の頃、そんなことがよくあった。

実際に夢をみているときに、「これは夢だな」と自覚して自由に動くことができる明晰夢をよくみたのも、同じ時期だった。あの頃の僕は、現実と夢の境界線がゆらいでいたのだろうか。離人症というのが、あんな症状なのかも知れないが、今となってはよくわからない。

記憶は何度も思い返すうちに、少しづつ改変されていくのだろう。妄想や白昼夢の世界に浸っていると、それが本当にあったことの記憶のように感じられる。僕にはそれが現実にあったことなのか、夢でみたことなのかわからない記憶がいくつかあった。けれど「あった」という記憶だけで、それが何かはもう忘れてしまった。

完全なる首長竜の日
完全なる首長竜の日
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乾 緑郎
宝島社
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(前略)…なあ、姉さん」
「何?」
「僕たちは、いつから姉弟だったんだっけ?」
言っている意味がわからず、私はこう答えた。
「……昔から。生まれた時からよ」
「そうか。……そうだったな」
P77


少女漫画家の主人公は、自殺未遂によって植物状態となった弟の意識の中に、SF小説的な医療装置によって一時的に入り込むということを繰り返していく。そこでは現実世界と同じように弟に出会うことができる。その弟との面会の描写と平行して思い返される幼少期の記憶が何度も挿入される。それらを継ぎ目なく並べることによって、読者はどの世界が今起きていることなのか、現実感を奪われた語りの世界に引きずり込まれていく。

このミス大賞受賞作ということで、とても読みやすい文章になっているが、このミス大賞受賞作にしては余韻が大切にされていて、つまり語られない部分がとても多くて、ここで描かれている全てを説明して欲しいという読者の期待は肩透かしにあってしまう。でも、僕はそんな語られない部分こそが大事なものだと近頃思っている。何かを語り尽すのではなく、語り尽くせない何かを掬い取ろうとして、そのこぼれ落ちたものに、僕はとても心引かれる。

あの砂浜にいた二人のこととか、完全なる首長竜のこととか、あの大嫌いなおじいちゃんのこととか。いったいそこに何があったのか、自分の想像と妄想を積み重ねていき、考えれば考えるほど、その記憶が物語の上に塗り重ねられていく。どこまでが本の内容で、どこからが僕が創り上げた物語なのか分からなくなっていく。それが僕にとっての完全なる首長竜になってゆく。