自分がもし動物だったら。なんて考えたことは無かったけれど、シロクマになった自分を想像してみたら、けっこういけそうな気がする。見た目が白くてフワフワして、やけに巨大になるけれど、意識や思考が今まで通りなら、それはそれでいいかも知れない。そこはシロクマだから暑さに弱ったり、冷蔵庫にシャケがあったら、あるだけ食べてしまうけど、自分の胸に手を当てて考えると、あながち遠くなかったりするし。
シロクマになった自分を想像するとはちょっと楽しい。けれど、この物語にでてくる3頭のシロクマの人生はそんな楽しいシロクマ生活ではない。それはシロクマ特有の身体性のためではなく、彼女たちが生きる閉鎖的な共産主義社会のためであったり、友人がいなかったり愛する人と分かり合えないためだったりする。
「寒い」という形容詞は美しい。寒さを得るためなら、どんな犠牲を払ったっていいとさえ思う。凍りつくような美しさ、ぞっとする楽しさ、寒気のする真実、ひやっとさせる危険な芸当、あおざめる才能、冷たく磨かれた理性。寒さは豊かさだ。
P48
この物語に登場する初代シロクマはサーカスで活躍するだけでなく、作家としての才能があった。そのため、その内容が物議を呼び、本人の意図とは関係なく亡命を繰り返す波乱万丈な生涯を送ることになる。本人は反共産主義でもなく、ただ無性に自分の自伝か書きたいだけだったのに。
その娘トスカはサーカスで「死の接吻」という演技で人気を得る。この章はトスカと共に舞台に立つ女調教師の視点で物語の大部分が語られる。サーカスが持つ社会と隔絶した独特の雰囲気と、東ドイツというソ連の影響下にある共産主義国家の国営サーカスという屈折した立場、それらを果敢に乗り越えていく女調教師のサーカスとトスカに注ぎ込まれる圧倒的な熱意。一冊の長編にもできそうな盛り沢山あ内容が鮮やかに描かれる。
赤林檎のような鼻を付けた道化が舞台に出てきて、よろよろと舞台を歩きまわって転んだり宙返りしたりする。サーカスにはサーカスの真実がある。うまく歩けない人が一番運動神経が優れていて、人を笑わせることのできる人が一番まじめなのだ。
P147
そして統一後のドイツで絶大な人気を誇ったクヌート。祖母と母の生涯は詳しくわからないが、このクヌートの章では、ウィキペディアにある本物のクヌートの生い立ちをきちんと踏襲している。母親に育児放棄され、飼育係と獣医によって献身的に育てられるクヌート。シロクマでも人間でも、誰かに育ててもらわなければ生きていけない「哺乳」類だ。その赤ん坊が初めて見る未知の世界は、成長するにつれ少しづつ広がっていく。大きくなると可愛さがなくなり、お客が減るところまで忠実に描く。
幸せな人生なんてものはないのだろう。喜びのようなものがあり、悲しみのようなものもあり、なにかに夢中になるものがあれば、流されるまま歩んでいく時もある。幸せかどうか分からないけど、それはそれでいい人生なのかなと思う。そんなシロクマたちの生きざまを、しっかりと掴みとり抱きしめていく。










