実際に夢をみているときに、「これは夢だな」と自覚して自由に動くことができる明晰夢をよくみたのも、同じ時期だった。あの頃の僕は、現実と夢の境界線がゆらいでいたのだろうか。離人症というのが、あんな症状なのかも知れないが、今となってはよくわからない。
記憶は何度も思い返すうちに、少しづつ改変されていくのだろう。妄想や白昼夢の世界に浸っていると、それが本当にあったことの記憶のように感じられる。僕にはそれが現実にあったことなのか、夢でみたことなのかわからない記憶がいくつかあった。けれど「あった」という記憶だけで、それが何かはもう忘れてしまった。
(前略)…なあ、姉さん」
「何?」
「僕たちは、いつから姉弟だったんだっけ?」
言っている意味がわからず、私はこう答えた。
「……昔から。生まれた時からよ」
「そうか。……そうだったな」
P77
少女漫画家の主人公は、自殺未遂によって植物状態となった弟の意識の中に、SF小説的な医療装置によって一時的に入り込むということを繰り返していく。そこでは現実世界と同じように弟に出会うことができる。その弟との面会の描写と平行して思い返される幼少期の記憶が何度も挿入される。それらを継ぎ目なく並べることによって、読者はどの世界が今起きていることなのか、現実感を奪われた語りの世界に引きずり込まれていく。
このミス大賞受賞作ということで、とても読みやすい文章になっているが、このミス大賞受賞作にしては余韻が大切にされていて、つまり語られない部分がとても多くて、ここで描かれている全てを説明して欲しいという読者の期待は肩透かしにあってしまう。でも、僕はそんな語られない部分こそが大事なものだと近頃思っている。何かを語り尽すのではなく、語り尽くせない何かを掬い取ろうとして、そのこぼれ落ちたものに、僕はとても心引かれる。
あの砂浜にいた二人のこととか、完全なる首長竜のこととか、あの大嫌いなおじいちゃんのこととか。いったいそこに何があったのか、自分の想像と妄想を積み重ねていき、考えれば考えるほど、その記憶が物語の上に塗り重ねられていく。どこまでが本の内容で、どこからが僕が創り上げた物語なのか分からなくなっていく。それが僕にとっての完全なる首長竜になってゆく。
