線路沿いの道 -10ページ目

ストーブ

おととしの冬だった。

ホームセンターに行き、二人でストーブを買った。

ファンヒーターもエアコンも、家にはあったけれど

古臭い、開放型の石油ストーブを買った。


焼き芋を焼くためだった。

アルミフォイルに包んだ芋を

ストーブの上で焼きたかったのだ。


家に帰り、早速ストーブに点火すると

俺たちは焼き芋パーティをはじめた。


それからしばらくして、停電があった。

長い停電で、復旧に時間がかかった。


真っ暗な街を見ながら、俺たちはストーブをつけ

お湯をわかし、芋を食べたりしていた。

甘栗

ふと、コンビニに寄った。

棚に、甘栗があった。


みほが大好きな甘栗。

たったそれだけのおやつを

俺の仕事がおかしくなったそれからは

我慢するようになっていた。


甘栗くらい、買っていいよ。

俺はそう云った。


どれほど俺を気遣い

たくさんのことを、我慢していたのだろう。


二人でドライブに行きたい。

どこかに旅行したい。


俺が甘栗を、買ってあげるから。

歩くこと

17歳のときに、怪我をした。

大きな怪我だった。

入院と手術をくり返し、3年の間、松葉杖の世話になった。


それまでの俺は、スポーツマン気取り。

体は、動くものだ、と思い込んでいた。


歩けない自分だとか、走れない自分というものを

想像したことさえなかった。


それがどうだろう。

階段を上り、下りる。

それだけのことが、どれほど大変なことか。


仲間と歩く、そのために

必死で杖をつかなければならない。


優しくされたり、気遣われたりすることが

その頃、怖くなった。

自分が、ひけめを持つ人間であることを

認めることになるから。


群れの集団の中で、劣等生であることを

求められているような、そんな気がしたから。


最後の手術を終え、退院をした。

しばらくして、ふと通りを歩いているとき

走れる自分に戻っていることを知った。

小躍りしてよろこびに震えた。

かつての自分を取り戻した、そんな気がした。


実際には、なんとか走れる、それだけだった。

壊れてしまった体が、完全に治ることはない。

壊れていない部分で補い、間に合わせるだけだ。


それでも、俺は走れる。

それで十分じゃないか。


しあわせを膨らませることは

不幸を呼び込むことと、同じなのだ。