ETV特集で以前放送された「三鷹事件 70年目の問い」をご紹介します。

 

無人の電車が暴走して20数名の死傷者を出した「三鷹事件」

下山事件の1週間後に起きた、この事件。下山事件、松川事件同様、当時の米占領軍の影が見え隠れします。

容疑者として逮捕されたのが、国鉄労働者「竹内景助」、妻と5人の子どもがいた。

単独犯行と「自白」し、死刑判決を受けたが、その後「自白は強制されたもので、無実」と主張したが認められず、獄死。今も遺族がえん罪を晴らすために闘っている。

 

「無実」と書かれた墓石

遺族や支援者たちは「無実」と墓に刻み付けた。

下山事件から1週間後、7月15日の夜、三鷹電車区の車庫に停めてあった無人の電車が駅に向かって暴走、電車は60キロ以上の速度で車止めを突破。駅を飛び出して向かいの建物につっこんだ。まきこまれた乗降客6人が死亡。20数人が重軽傷を負った。

 

不可解な謎 交番に「今夜重大事故が起る」という電話があった。交番は事故でつぶれたが、4人の警官は外にいて無事だった

 

駅前の交番には当時4人の警官が勤務していた。交番は電車に押しつぶされたが、4人は外にいて難を逃れた。

「国鉄がらみの事件が起こるかも知れない」という情報を警察は事前につかんでいた。

警官の中西は「今夜重大事故が起る」という電話があった、と証言している。

 

 

MP(米軍警察)は現場を隠そうとした?

周りの人が事故に遭った人を救助しようとするとMPに「出ていけ」と追い払われた。

裁判では、MPが写真を撮っていて、MPから「作業が終わるまで事故調査を待つように」と命令された、という証言もあった。

 

無実の共産党員を次々逮捕。過酷な「取り調べ」で「自白」させられる者も出た

警察は国鉄三鷹電車区の共産党員を次々に逮捕した。竹内景助はこの時逮捕されたが、ただ一人共産党員ではなかった。

取り調べでは容疑を強く否認し。断食して抗議もした。

しかし竹内にとって予期せぬ事態が起こる。

共に逮捕された共産党員のうち2人が犯行を認めたのだ。

「例の事故電車を発車させたのは私と竹内景助の二人です」

竹内は府中刑務所に移され、囚人服を着せられ、厳しい取り調べの中でついに「自白」。しかし「できるならほかの仲間を救おう」と、共謀ではなく「一人でやった」と「自白」した。

竹内の長男は「おやじの義侠心、自分が犠牲になって人を助けようとした。だからおやじは言っていた。名前がいけなかった。かげ(景)で人を助ける」と語る。

担当した藤井弁護士は「共産党員の無罪を優先し、党員ではない竹内の弁護には力を入れなかった」と言う。

後に東京拘置所で竹内を診断した精神科医で作家の加賀乙彦は拘置所が竹内の言動や面会記録を書いた「身分帳」をもとに診断を行った。そこには「一審では英雄気取りっていうのか、共産党員たちを助けてやる。そういう人間であることを示したかった。面会者も『革命は近い。お前が一人でこの罪を背負ってくれれば英雄になる』と、竹内に言っていた」などと書かれていた、と語る。

 

一審は無期懲役、二審は死刑他の被告は無罪

一審は「竹内は無期懲役」、他の被告は無罪とされた。

有罪の根拠は竹内の「自白」と、竹内を見た、という目撃証言だけだった。二審の東京高裁は一度も証拠調べをせず「死刑」判決を出した.

 

無実を訴えるが死刑が確定

竹内はこれ以降「無実」を訴えていく。

1955年最高裁は「上告棄却」、竹内の死刑と他の被告の無罪は確定した。

 

裁判官のうち死刑賛成は8人、反対は7人、と判断わかれる

15人の裁判官のうち、竹内の死刑に賛成は8人、反対は7人だった。

 

竹内は記者に対して「絶対にやっていない。判決は間違いだ」と、激しい口調で述べたという。

 

獄中の「医療放置」で無念の死

 

1967年脳腫瘍で獄死。享年45。

竹内の死後、妻の政(まさ)と子どもたちは国を相手に国家賠償請求訴訟を起こした。

1974年、東京地裁は遺族の訴えを認め、医療上の過失で竹内が死亡したことを認めた。

「無実を勝ち取るまで闘う」と言い続け、5人の子どもたちを育て上げた妻、政は1984年、72歳で亡くなった。

 

再審請求

2011年、再審請求を申し立てた。

 

検察の「かなり無理な」ストーリー

検察が作った事件のストーリーはこうだ。

竹内が電車を暴走させるために、1両目の運転室に入り、落ちていた針金を拾って鍵穴に差し込み、コントローラーを開錠、ハンドルを回して「発進位置」にし、バネの力で戻らないよう、拾った紙ひもで結んで固定。

パンタグラフを上昇させると、電車から飛び降りその場を逃げ去った。

 

無実の論点1 
2両目のパンタグラフはなぜ上がっていた?

1両目では2両目のパンタグラフを上げることはできない。2両目で誰かがパンタグラフを上げる捜査をしたので、確定判決は誤り。

 

無実の論点

目撃証言

電車区正門付近で竹内君に会った、という目撃証言。自白以外、唯一の状況証拠とされた。

目撃した、とされる場所は電柱は一つ。街灯の高さは5m。明るさは60W

再現実験の結果、人物をちゃんと識別できたのは40人中7人だけだった。見間違えの確率は82.5%。

 

無実の論点3

停電をめぐるアリバイ

事故発生時、竹内は自宅にいた。

竹内は自宅にいた時、事件のせいで実際に起きた停電を正確に供述していた。

妻 政も「夫は自宅にいた」と、一貫して証言していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントをお寄せください。(記事の下の中央「コメント」ボタンを押してください)