(KYODO NEWSより)

三鷹事件、再審開始認めず 竹内元死刑囚、東京高裁

東京の旧国鉄三鷹駅で1949年、無人電車が暴走し6人が死亡した「三鷹事件」で死刑が確定した竹内景助元死刑囚(45歳で病死)の遺族が申し立てた第2次再審請求で、東京高裁は3月31日、再審開始を認めない決定をした。

 

「事件が起きた時同僚と風呂に入っていた」という完全なアリバイがあるのに…

 

 

1949年、三鷹駅で車庫の無人電車が突如走して6人が死亡、10数名が重軽傷を負ったこの事件、当時の国鉄大量首切りに対する労働組合の反対運動をつぶすため、「下山事件」「松川事件」と同様、当時のアメリカ占領軍が起こしたのではないか、と疑われているこの事件。

国鉄(現在のJR)を解雇された元運転士竹内景助さんが「犯人」とされてしまいました。

(9人の共産党員と竹内さんが逮捕され、他の9人の無実は認められたのに、竹内さんだけは「犯人」とされ、死刑判決を受けてしまいました。)

 

事故の起きた時、国鉄の同僚と職員用の風呂に入っていた、という明確なアリバイがあり、同僚の2人も「竹内と一緒に風呂に入っていた」と証言しているにもかかわらず「死刑囚」にされてしまったのです。

 

竹内さんは獄中で無実を訴え続けたにもかかわらず、「脳腫瘍」を発症し、治療してもらうよう訴えたにもかかわらず「医療放置」され、帰らぬ人になってしまいました。

入管での「医療放置」で亡くなったスリランカのウィシュマさん、大川原化工機事件で罪をデッチ上げられ「医療放置」で死亡した会社相談役、相嶋さんと同じです。

 

敗戦後の米軍占領下で起きた異常な事件。事件から75年経っても「えん罪」を作ってしまった国家の責任を認めようとしない「司法の闇」がいまだ日本をおおっています。

 

 

 

 
 

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