NHKBSで「下山事件」を放送する、というので、前に地上波で放送した番組の再放送だろうと思っていたらとんでもない!

下山事件と並ぶ大事件「松川事件」の真相も暴く、すごい番組でした。

 

下山事件の翌月に起きた脱線事故「松川事件」

 

1949年8月17日、福島駅を発車した旅客列車がカーブにさしかかった際、レールが何者かに外されて列車が脱線転覆。乗務員3人が死亡した。

犯行に使われたバールや自在スパナが発見された。

しかし、奇妙なことに、誰が発見したかは明らかにならなかった。

組合運動つぶしのでっち上げ。14年後に全員無罪

国鉄(現JR)の組合員や共産党員20人が「犯人」とされ、起訴された。

当時の国鉄職員大量解雇反対の闘いをつぶすことが目的だった。

しかし、アリバイや「自白」の信用性が問題になり、事件から14年後、全員の無罪が確定した。

真犯人は米占領軍と旧軍部特務機関

では犯人は誰なのか?事件が起こる前に国鉄の職員に脱線の方法について聞いてきた人物がいたことが明らかになった。ある週刊誌が報じた真犯人の名は中島辰次郎。かつて特務機関(日本軍のスパイ組織)に所属していた。

中島が生まれたのは千葉県市原市

その後中国のハルピンにあった特務機関養成所を卒業

戦時中は中国やモンゴルでスパイ活動を行い、戦後はアメリカの諜報機関の傘下で貯法活動に参加。

キャノン機関と接点があり、下山事件にからんだ矢板、特務機関の長光とも関係があった。

 

真相を語ったテープにより、米軍立川基地から犯行現場に向かい、犯行後また立川に戻ったことがわかっている

生前の中島が生前松川事件について語ったテープがある。「月額300ドルを支給されてOSS(アメリカ諜報情報局)に勤務し、その日その日を諜報勤務で過ごしておりました。」

1949年8月14日、台湾から帰国した直後。アメリカの諜報員に連れられ、GHQの宿舎になっていた郵船ビルの一室に招かれた。

そして事件の前日、目的を知らされないまま米軍立川基地に連れて行かれた。

16日10時頃立川から輸送機で仙台に行った。仙台のCICに行ったのが午前3時ごろ。それから仙台から先頭にジープ、後ろにフォードの真っ黒塗りの乗用車1台がついて、7人がその2台の車に分かれて乗ったわけですが、私のとなりにカザマも乗りました。50歳ぐらいで他の日本人を指揮していた。

実行部隊は7名。

はっきり記憶しているのは、大槻呉服店を1回行き過ぎて、踏切にぶつかるところでバックして大槻呉服店と小学校の間に入った。

 

それで日の暮れるのを待っている。午前0時5分頃車を動き出さしてヘッドライトは消しました。呉服屋の前を通って踏切に差し掛かって畑の中へ車を入れたあと車から2つの木箱を抱えておりた。

600メートル歩いたところで道具をおろした。

それからスパナの親分みたいな道具を3本出した、

そして線路の釘を抜き始めた。30本ぐらい抜いたあとスパナのでかいやつでこじった。線路を。

抜かない線と抜いた線の継ぎ目がずれた。作業が終わったのが17日の午前2時ちょっと前。車へ引き上げてビールを車の中で祝杯。

「これは軍の仕事なんだから黙っていりゃいいんだ」と言われた。

午前5時過ぎた頃仙台CICに帰った。

朝方8時頃の輸送機で立川に帰った。

事件前日に東京から仙台に移動して、その足で福島の現場に移動。深夜に実行し、再び仙台。そして東京に戻る短時間の犯行だと中島は語った。

 

昭和天皇が松川事件について、こう話している

昭和天皇の言葉「松川事件はアメリカがやって共産党のせいにしたとかいうことだが、してるのは自国のためというのは勿論あるが、日本の為になってるは確かだ。正当に日本はアメリカと仲よくやってくことが大事だと思うに、ソ連や中共側の宣伝に踊らされてるのは困った事だ。之に対処する宣伝等人心を引っぱる事をせねばならぬと思う」(「拝謁記」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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