4.復活したひたち号と常磐線の思い出
1)復旧した常磐線(2020/3)
東日本大震災後、最後まで不通だった富岡〜浪江駅間が復旧しました。色々なWebを読むと、当初JRはいわき以北と以南でその間の旅客輸送量が違うため、運転効率から特急ひたちの運行を寸断する(直通させない)
計画だったらしいですが、地元の要望と復興の象徴として、仙台〜いわき〜品川の直通を再開したらしい。。。。とてもいい話❕
常磐線に初めての乗ったのはうん十年前。まだ、「ゆうづる」など常磐線夜行寝台特急がバンバン走っていた 頃、母に連れられて北海道へ帰省した時のこと。残念ながら全く記憶はありません。それから今回2回目の常磐線完全走破。ひたち号は、上図の様にかなり多くの駅に停車します。速達性というよりかは、福島県内を細かく拾って、東京へ(仙台へ)運ぶのがミッションなのかも知れません。
5.ひたち14号の車窓
1)仙台駅(10:14)発車時の車内放送(長い…)
まずは品川まで4h37’のロングラン。その車内放送もロングラン。仙台市内の車窓をみながら動画でお楽しみ下さい。
2)東北本線と常磐線の分岐箇所確認(岩沼〜逢隅間)
大幹線級2本の分岐箇所ですが、岩沼から東北線は複線、常磐線は単線。全く格が違うようです。
3本の線路は複雑に立体交差するわけでもなく、田圃の中で、東北線(写真↑)2本と常磐線(こちら)は坦々と離れていきました。実際には岩沼駅構内に分岐器があるようです。
3)亘理駅通過
駅舎が天守閣風になっていますが、列車からは上手く撮影できませんでした。。。
4)高架橋で生れ変わった山下〜坂元〜新地駅付近
Dcc.Wikによるとこの辺りが1番津波被害が酷く、山下、坂元駅舎は駅ごと流出してしまったらしい。。。。そこで自治体は復興計画として、常磐線を山側に移設して高架橋で復旧。海側に大規模な堤防兼県道を整備しました。
動画では列車交換ができる高架式坂元駅からスタート。車窓から海側に大規模な防潮堤とまさにたわわに実った金色に輝く水田が広がります。辛いことが沢山あった地域ですが、一方で復興の力強さが感じられる農村地帯です。
車窓からは、ポツンと立派な建物が見えました。Googlemapで確認すると…
山元町震災遺構(旧中浜小学校跡)というところ。どこまで津波が来てしまったのか❔児童は無事だったかのか❔気になります。
5)相馬駅停車(10:52)
ここまで40分経って、最初の停車駅・相馬駅。今までの車窓がのどかだったのですが、びっくりする位の旅客利用がありました。
6)原ノ町(11:08)
恐らく小高駅だったでしょうか。下り特急ひたち号と初めてのすれ違い。
7)浪江(11:25)
当駅〜富岡駅迄は常磐線が一番最後に開通(復旧)した区間。
駅周辺にはまだまだユンボ(シャベルカー)が活躍していました。
8)福島第一原発発電所
今も福島県の皆様を苦しませている福島第1原発を列車から確認しようと、スマホと車窓を握りしめ緊張していましたが………。。。
小高い丘に遮られ、確認することはできませんでした。Googlemapで国道6号から見た場合も確認できませんでした。原発は人目が付く国道や鉄道から見えない所に造るものなのでしょうか❔
大震災以前はそんなこと気にしませんでした。そういえば、積丹半島を車で旅行した時も北海道泊村にある泊原発は国道229号からは見えず、どうも崖の陰に隠して造られている様でした。。。
9)大野駅(11:36)
この駅も新設された様で、真新しい跨線橋。
こちらもユンボ(ショベルカ―)が活躍中。駅は新設ですがが、周囲は仮設物🚧ばかりで何もありません。。。
富岡駅に近くなってくると、車の渋滞が出来る程の交通量。
10)富岡駅(11:44)
当地域の拠点駅らしく、結構な人の乗降がありました。帰宅指示困難地域から外され、住民が戻って来たせいかも知れません。。。
11)広野駅(11:58)
12)波立海岸展望台付近(久野浜〜)
常磐線は海沿いを走っていますが、意外と小高い丘(海岸段丘?)に苛まれなかなか見えませんが、やっとここに来て海沿いの風光明媚な場所にでました❕
13)いわき駅(12:18)
沿線では水戸に次いで大きな駅。なんと・ナント、福島県では1番人口が多い都市らしい
ひたちの他、E501系、キハ110形など、列車バラエティーも楽しい駅です。
今回車窓編はここまで。次回はいわき〜品川駅間と、お昼になりました。買込んだグルメの紹介です。