鉄道で行く旅・管理人のブログ

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2018年7月17日。今日は午後から『仕事』でしたので、朝早くから京都に出かけました。

京都まで確実に座って行きたいために京阪のプレミアムカーを利用しました。

 

まだ午前8時台でしたので、山鉾巡行を見る前に八坂神社(祇園社)に形だけの参拝をしました。

この神社が八坂神社と呼ばれるようになったのは明治元年の神仏分離令以降のことであり、それまでは祇園精舎の守護神の牛頭天王が祭神(仏教的な陰陽道の神)で、祇園社(祇園神社)と呼ばれていました。そのため、今でも地元の人は八坂神社を「祇園さん」と呼びます。

元々の牛頭天王は「疫病を流行らせる神」だったのですが、その牛頭天王を「祭」などで盛大に和ませる(手懐ける)ことにより、牛頭天王の霊力・神力を逆作用させて疫病を鎮めてもらおうというのが祇園祭の成り立ちです。蛇足ではありますが『毒をもって毒を制する』に近いような感じですので、当時の人々が疫病で困り果てていたことが何となく分かるようにも思います。

 

八坂神社の本殿です。

 

八坂神社の舞殿です。今日庵(こんにちあん)と書いてありますので裏千家の献灯のようです。

 

ようやく祇園祭の前祭(さきのまつり)の山鉾巡行の開始時刻が近づいてきました。

この山鉾巡行は八坂神社が主催する行事ではなく山鉾町が主催している行事です。

四条河原町の交差点付近です。初めての巡行見物ではありませんので、今回は多数のギャラリーの後方から祭の雰囲気を楽しむ程度のつもりでした。

 

四条河原町交差点での辻回しの直前の画像です。

江戸時代末期までは、長刀鉾以外の鉾にも生身の稚児が乗っていましたが、1929年に放下鉾が稚児人形に変わったときから生身(人間)の稚児がそのまま存続しているのは長刀鉾だけになっています。

 

高瀬川沿いに歩いて京都市役所前(河原町御池)まで移動しました。(高瀬川の之舟入址です)

 

京都府警・機動隊の現場指揮官車と思われる車両が停まっていました。

私は、この方面には暗いのですが「トヨタのランドクルーザー100ワゴンVX」のような感じです。

 

京都市役所前の河原町御池交差点です。

ビルの陰から長刀鉾が現れたときに、大きな歓声が沸き上がりました。

 

真正面からでないと「お稚児さん」と両端の2人の「禿(かむろ)」を撮ることができませんでした。

このお子たちは、おそらく『ええしの子』なのだろうと思います。

『良家のお坊ちゃま』に近い言葉が関西弁の『ええしの子』という言葉です。(最近はあまり使われなくなっているかもしれません)

 

河原町御池交差点での辻回しの途中です。

 

河原町御池交差点での辻回しが終わり、御池通を西に向けて出発するところです。

 

この後方の山や鉾も確認しましたが、やっぱり長刀鉾は周囲のギャラリーが一番多いと感じました。(本能寺文化会館前)

 

長刀鉾の見送りです。先日、長刀鉾町の会所で見た伊藤若冲の絵を基にした織物です。

長刀鉾町の会所で撮った見送りの画像です。

 

この寺町通で、私は長刀鉾とお別れしました。

 

午後から仕事のため、ここから阪急河原町駅まで歩きました。

以下は移動しながら撮った画像の一部です。

蟷螂山のカマキリです。この蟷螂山は、たいへん人気のある山でして、先日、会所を訪ねたところ、グッズの販売時間前から長い行列ができていました。

 

函谷鉾(かんこぼこ)と京都市役所です。

函谷鉾の見送りは「金剛界礼懺文見送(弘法太子大師真筆写紺地金文字織)」です。

 

祇園祭の山鉾の中でもひときわ豪華な装飾に彩られている月鉾です。鉾自体も重厚で立派なものです。

月鉾の見送りは染色工芸家の皆川月華(1892年-1987年)氏の作品「黎明図」です。

 

仕事に向かう直前の時間切れ寸前に撮った画像です。四条河原町交差点で郭巨山(かっきょやま)を見ました。

 

あわてて阪急京都線の特急に飛び乗り、大阪まで戻りました。

先日の画像を再び貼っておきます。

(おわり)

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「阪神・明石市内1dayチケットの旅」の第1回です。

阪神尼崎駅から直通特急で明石方面に向かいました。

 

1,500円の阪神・明石市内1dayチケットです。

 

早くも明石海峡大橋が見えました。(それでもJRと比較すると阪神・山陽直通特急列車の表定速度は遅いです)

 

舞子公園駅で普通電車に乗り換えました。対向列車が画像の6000系でした。この車両はLED幕ですが、カメラで撮影してもフリッカーが発生しない(優れた)車両です。

 

山陽電車の車内吊り広告です。左がヴィッセル神戸で右が阪神タイガースです。

 

明石の天文台が見えました。人丸前駅です。

 

人丸前駅にある東経135度の子午線を通過する山陽電車の直通特急です。

 

人丸前駅から中崎公会堂に向かって歩きました。

その道の途中で「忠度塚」の案内標識を見つけました。

そういえば、このあたりは源平合戦のときに平忠度が討ち死にした「一ノ谷の戦い」の地の近くです。

 

正四位下・薩摩守だった平忠度(たいら の ただのり)の塚です。

 

「忠度(ただのり)」の名は、交通関係者の無賃乗車(タダ乗り)客の隠語として『薩摩守(さつまのかみ)』がよく使われていたことでも知られています。

 

日本標準時子午線通過地の標柱です。

 

目的地の中崎公会堂に着きました。

この中崎公会堂は、1911年(明治44年)8月13日に夏目漱石が「道楽と職業」という講演を行った場所です。講演の様子は内田百けんの「明石の漱石先生」にも出てきます。

【大阪朝日新聞社の依頼による漱石の関西での講演会】

1.1911年(明治44年)8月13日に明石の中崎公会堂で「道楽と職業」を講演

2.同年8月15日に当時の和歌山県議会議事堂で「現代日本の開化」を講演

3.同年8月17日に堺市立堺高等女学校の講堂で「中味と形式」を講演

4.同年8月18日に大阪の初代・中央公会堂で「文芸と道徳」を講演

・夏目漱石は、大阪での講演後に胃病が再発したため、当時は大阪市東区今橋3丁目にあった大阪胃腸病院に入院しました。その大阪胃腸病院は戦後に「湯川胃腸病院」に名称を変更した後、天王寺区に移転しています。今もなお大手新聞(大阪版?)に「湯川胃腸病院」の広告が出ているのを目にします。

・ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士は昭和初期に大阪胃腸病院の初代院長・湯川玄洋氏の次女の湯川スミさんと結婚しています。(湯川博士は湯川家の婿養子でした)

・漱石の講演場所だった堺市立堺高等女学校は現在の大阪府立泉陽高等学校です。旧堺高女&泉陽高校は、与謝野晶子さん、橋田壽賀子さん(←私自身は『橋田ドラマ』のファンではありませんでした)、沢口靖子さんなどが卒業生です。

 

今回は堂内に入りませんでしたが、2002年に許可を得て中崎公会堂の内部を撮影したときの画像がありますので、それを貼っておきます。

 

ここには「明治時代には珍しい建築様式」と書いてありますが、実は短期間ではあったものの、日清戦争や日露戦争の勝利によって明治時代末期に日本古来の文化が見直され、伝統的な和風建築が復権した時代に、この中崎公会堂が建てらています。

 

明石市内中心部の繁華街まで歩きました。

 

玉子焼(明石での明石焼の名称です)で本家として有名な「本家きむらや」さんに立ち寄りました。日曜日でもあり、開店時刻の午前9時過ぎには、もう待ち行列ができていました。

 

魚の棚(うおんたな)商店街です。

 

かつては明石市営バスが走っていた明石市内ですが、明石市営バスは神姫バスと山陽バスに路線が譲渡されています。

このバス車両は、おそらく元明石市営バス「天文科学館ラッピング車両」の神姫バスのようです。

 

山陽明石駅から山陽電車に乗って神戸市垂水区の霞ヶ丘駅に向かいました。

(五色塚古墳編につづく)


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「有馬六甲周遊1dayパスの旅」の最終回です。

有馬温泉の町の中を徘徊しました。

 

昼食前に1dayパスの料金に含まれている「公共の2カ所の外湯(金の湯または銀の湯)」のうちの1カ所に入浴できる入浴券を利用して「銀の湯」に入浴しました。

「金の湯」は過去に3回ほど利用していますが、この「銀の湯」には初めての入浴でした。

 

私が風呂から出るときに、ちょうど入浴者が誰もいませんでしたので浴室を撮影しました。炭酸泉とラジウム泉の混合ですので無色透明の湯です。夏休み前のシーズン外で、しかも平日でしたので空いていました。

 

突き当たりが極楽寺で右側が温泉寺です。

有馬温泉は何度も来ているため、いつものことながら入浴程度で終わってしまいます。

 

今回は入浴しなかった「金の湯」です。『含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉』ですので、湯が空気に触れると赤茶けた色になります。

「金の湯」に入浴すると赤茶色がタオルに着色するだけでなく、湯上りのときに身体の拭い方が不十分な場合には下着に温泉の色が付着することがあります。

 

今回は「金の湯」に入りませんでしたので、「金の湯」の横にある「足湯」で湯の色の見本を撮影しました。

個人的な好みに過ぎませんけれど、私は足湯では入浴したという満足感が得られないタイプ(笑)ですので、この足湯には入りません。

 

昼食後に温泉を後にして、六甲有馬ロープウェーの有馬温泉駅まで歩きました。

その途中で見た、かつての有名旅館「池之坊満月城」です。長期休業中のようでした。今は、この周囲の貸し駐車場で収入を得ておられるような感じでした。

 

坂道の上に、六甲有馬ロープウェーの有馬温泉駅が見えてまいりました。

六甲有馬ロープウェーは昭和時代の末期に前勤務先の旅行で乗ったはずなのですが、そのときのことをほとんど覚えていません。おそらく駅と旅館を結ぶ道を宿泊旅館の送迎バスで移動したために、この坂道を覚えていないのかもしれません。

 

六甲有馬ロープウェーの有馬温泉駅前駐車場の料金所のボックスに転用されているロープウェイの車体です。

これは昔の摩耶ロープウェーの旧1号車のゴンドラのようです。たしか、この1号車の愛称は「すずかぜ」だったはずです。

 

六甲有馬ロープウェーが有馬温泉駅に近づいてきました。

 

ゴンドラの車内です。窓の上に有馬温泉の有名旅館の広告が並んでいますが、正面突き当たりの上部の広告が営業休止中の「池之坊満月城」の広告でした。

 

有馬温泉駅を出発しました。すぐに有馬温泉の旅館街が小さくなっていきます。

 

逆方向のゴンドラとすれ違いました。

 

六甲山頂駅前から六甲山上駅前まで六甲山上バスに乗りました。

 

六甲ケーブル山上駅の『展覧台』から見た風景です。午後から曇ってきており、視界は今ひとつでした。

画像の中で目立っていて分かりやすかったのが阪神高速5号湾岸線です。西宮浜から甲子園浜あたりと新淀川の河口付近が確認できました。

 

ポートアイランドです。有馬温泉にある「いでそよ人を 忘れやはする」の歌碑を揮毫した『宮崎辰雄行政』のの部分といえるでしょう。

 

レトロな感じの六甲ケーブル山上駅です。

 

駅舎内に二代目の六甲ケーブルの写真と模型が飾ってありました。六甲ケーブルには過去に3回乗っていますが、乗車した年代を確認したところ過去については3回とも、この二代目の六甲ケーブルでした。

 

ケーブルカーで六甲山を下りました。六甲ケーブルは昔の車両もそうでしたが、2両編成で麓側の1両がガラス窓がない開放型の車両です。

戦前に六甲山の観光開発をしたのは旧阪神グループです。

 

六甲ケーブル下駅に着きました。

 

六甲ケーブル下駅の駅舎です。1932年の開業当初は六甲山上駅と同じようなデザインだったのですが、1938年の阪神大水害により倒壊したため、復興後に画像のような山小屋風の駅舎に変わっています。この後、神戸市営バスで阪神御影駅まで移動しました。

(1938年の阪神大水害は六甲山南麓を中心に土砂災害などが各地で発生したもので当時は未曾有といわれた大災害でした。死者・行方不明者715名、流失・倒壊・埋没家屋5,732戸、半壊家屋8,530戸、浸水家屋は10万戸を超えていました。)

有馬六甲周遊1dayパス阪神版では阪急六甲駅~阪急神戸三宮の区間は乗車可能だったので、仮想的な利用運賃の高額化につながる点では魅力的な迂回ルートではあったのですが、少し疲れてきたので利用を辞退しました。

 

最後は、阪神御影駅から山陽電車の直通特急で大阪まで帰りました。

今回の有馬六甲周遊1dayパス阪神版の価格は2,460円でしたので、利用実績との差額を計算しました。

(仮想的な利用料金)

・阪神尼崎~阪神神戸三宮 280円

・神戸市営地下鉄三宮~新神戸 210円

・北神急行電鉄新神戸~谷上 360円

・神戸電鉄谷上~有馬温泉 190円

・銀の湯 500円 (参考:金の湯なら600円)

・六甲有馬ロープウェー 1,010円

・六甲山上バス 260円

・六甲ケーブル 590円

・神戸市営バス16系統 210円

・阪神御影~阪神尼崎 270円

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仮想的な利用料金合計 3,880円

1dayパス料金との差額+1,420円 

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*この他に観光地の割引クーポンがついています。また阪神版では阪神線全線(神戸高速線は不可)の同日の乗車がフリーになります。そのため阪神梅田駅や大阪難波駅それに武庫川団地前までの利用が可能です。

(おわり)

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