より抜粋

 

 

 

<仏教の経緯>  

 

インドに釈尊がにあられたのは大体紀元前4世紀以前とされる(日本では弥生時代か縄文時代である)

そこから1000年間程の時代に、文字や図を書き残す事がどの程度可能であったか、

また、口頭での伝承の様子はどんな風かと想像してみる。

 

まず伝える”人”が介するという事。正しく伝えたか。

良くも悪くも、その人の理解によって、異なった伝わり方をする。

説明の仕方/言葉/トピックが違うだけで「大元オオモト」が正しく伝わるならよいが、

人はその「説明に用いる言葉」が違うと戸惑う。(時にそれだけで分派を起こす)

 

また、いつの時代もどこの国でも、既存の「宗教/思想/価値観」によって嫌われるであろう。

更に、シュウキョウはしばしば権力によって「人を集め束ねる勢力権拡大のための旗印」

時に「入植の手段」としても用いられてきた。(それはスローガン的にキャッチーならそれでよく内容の是非は重要ではないらしい)

それを目的として、都合よく捻じ曲げられ、真実は隠される。

そして「ある国家に宗教が正式に伝来する」という時は、誰か個人ひとりの信仰心によってもたらされるのではなく何らかの権力の意向によるのだろうし、逆に「外国に宗教を学びに行く」というのも個人の力でできる事でもなく、これも権力の支援を受けている…

そういうものだったのではないだろうか。

 

小さい単位の人と人の関わりにおいてはマウントの道具にもなるし、更には「正しい事を言う」とそれだけで嫌われる事も少なくない。事によっては殺される(『正しい事を言えば好かれると思ってなはらぬ』と大聖版ダルマパダにも書かれている)

それとも、それは現代の心の汚れた人の話で、仏教が栄えた古代にはそんな事はなかっただろうか。

 

そんな中、どの程度広い範囲の人々に 正しく 伝えられていただろうか。

 

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現在、日本でブッキョウとして多くの宗派に分かれているそれらの多くは

中国経由で(その後さらに朝鮮などを経由し?)もたらされたもの…

日本に入ってきた時点(いわゆる仏教伝来/公伝は6世紀前半)で既に釈尊が説かれた

「太言霊と太法図」は失われ、入ってきていない可能性は大いにある、と私は思う。

(入ってきていたとしても、極々秘伝でこっそり伝えられたものかもしれない)

開かれた時から、釈尊が説かれた「太言霊と太法図」を説いていないのは、現代においていわゆる新興宗教とされる所だけでないのではないだろうか。

 

ではその「由緒正しい伝統ブッキョウ」とされる数々の宗派が中国で最初に開かれた時点ではどうだったか?(wikiによると大体6世紀以降)

現在広く流通している漢訳の般若心経(多くの宗派で読まれ、仏教の真髄とも言われる)は、インドで学んだ中国の玄奘という僧(玄奘の弟子が法相宗を開いた)が中国で漢訳したもの…

玄奘の生きた7世紀は釈尊入滅後約1000年。

大聖は「正法時・像法時・末法時の三時の節からすれば、インドは像法時も末期である」と書かれている。

 

まず、そもそも玄奘が学んだというインドのナーランダ寺では、

正法「太言霊と太法図」が説かれていたのか?教えて貰えたのか?

玄奘は、太法図を示しながら、その説明として般若心経をよまれたのか?

漢訳する前の原文/梵文に「法図」を表す言葉があったのか否か、

玄奘が漢訳般若心経を編纂(?)した時点ではそこに「図」という漢字はあったのか?

漢訳した時点で既に「図」という文字がなかった場合、「法図」と訳すべきところを、ただ「法」としてしまった誤訳なのか、或いは意図的に消したのか、いつ誰が消したのか。

 

或いは、玄奘がインドに仏教を学びに行く以前から既に中国にあったブッキョウはどうだっただろうか?

wikiによるとインドから中国に仏教がもたらされたとされるのが1世紀頃。

その時点でも、釈尊入滅から既に約500年が経過している。

その奥義は伝わっていただろうか?

 

大聖のホームページに「インドの僧/逹磨大師は、ニセモノの仏教を広めている中国に、

釈尊の本物の教えを弘めようと中国に来られた」と、書かれている。

(520年に中国に来られて528年に暗殺されたと書かれているから、その後もニセモノが蔓延る時代が続いたという事…

そんな中で「今中国で流行っているそれは偽物な気がする、本家へ行って本物を求めよう」と思った玄奘などがインドに学びに行ったのか?時の反体制派の支援を受けたのか?

でも般若心経を持ち帰っても殺されずに歓待されたなら、時の勢力にとって不都合な事はしなかった、書かなかったからなのではないか)

 

玄奘訳の般若心経に限らず、種々の経文が編纂(?)され、仏像がつくられた時代…

釈尊が太法図を示しながら「三体を正置した驚嘆すべきスートラは黄金に輝き、

色と空が一体で…」と説かれたその言葉だけを太法図から切り離し、経文だけを

(薬は与えず、その説明書/効能書きだけを)もって「大切な法」「教え」「教義」とし、

仏像を作り「本尊」とし=像法時←現在日本で行われている由緒あるブッキョウとされるものが日本に入ってくる前、本家中国で宗派が起こった頃がこれではないだろうか。

日本のいわゆるブッキョウは当時のそれら/中国で行われていたブッキョウを手本としてきたという事ではないだろうか。

 

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日本では「仏教公伝以前にも私伝として伝わっていた」とwikiにある。

大聖からも「私伝というのがある」と伺ったことがある。

また、大聖は「弘法大師は天津法図の太法図を修されて、その確証のために中国へ渡られた」「弘法大師が唱えておられた心経は梵語原典で あ っ た 」と書かれている。

ニセモノの公伝より先に、私伝として日本に伝わっていたホンモノの仏教で太法図を学ばれたという事だろうか。(或いは日本に古来からあった神道の筋で…天皇だけが秘め伝えてきたとされるが、どこかから漏れてそちらで学ばれた方もあっただろうか?)

いずれにせよ、日本で太法図を得ていた誰かが「世間を賑わすブッキョウなるもの、

太法図が欠落した説明書だけを扱う偽物とみえるが、その本家中国には太法図があるのか?」と考え…政権筋か皇室筋かの指示で偵察に行った部隊、なんていうのもあるかもしれない(弘法大師は遣唐使として中国へ渡っている)

 

大聖は「日本には”梵文”の般若心経が残っているが、中国にはどういう訳か残っていないとされる。不思議な事である」と書かれている。

まずい事があって(大衆には見せず、こっそりとっておく事もせず)処分したのか?火災等で紛失したのか?現存しないって事にしてるだけなのか?

話が逸れるが、大聖が「太法図から作られた大切な漢字の説明」をなさっているが、それらの漢字が作られたのは、釈尊の説かれた太法図が中国に伝わったかもしれない時代よりも前じゃん?って気がするので「その漢字が作られた時、その場所には、それ以前にどこの筋からか伝わった太法図があったという事になるな」と思う。

 

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こうやって2500年の経緯を考えた時、貴方が信じてきたシュウキョウ/宗派が、いつの時代に起きたものかとか、釈尊から数えて何代目の弟子が教祖であるとか…それによって何か変わるだろうか。大差あるだろうか。宗派の開祖が太法図を得ていたからといって、

開祖が太法図を得ていない所を笑えるだろうか。(何故そこを問題にしたがるのか)

大衆の目が届かないように隠されてきた釈尊の金言と合わせて見た時

それでもなお、貴方がこれまで信じてきた事、シュウキョウで教わった事について、或いはその他この世で見聞/学んだ事について「じゃあこれは?」などという言葉が出るだろうか。

自分が信じてきたものが間違っていたと思いたくなくて、せめて

「全部間違ってたわけじゃない、一部は正しかった」と思いたいのではないか?

否定されたのが悔しくて、一矢報いたいのではないか?

わかりたいのではなく、わかりたくないのではないか?

一生懸命学んだ自分を、学んだ事を褒めてもらい/認めてもらいたいのではないか?

(存続を請願する背後の何某の足掻きを代弁しているのではないか。その末にやり始める事は「暴言/誹り」という投石行為である)