楽、天にあるを見るべし。

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1, 自分を知ること

2, 自分を愛すること

3, 自分を大切にすること

4, 人それぞれが尊い存在である。

5, 命ほど大切なものはない。

6, 一人一人世界観を持っていること

7, ほかの人の人権と人格を尊重すること

8, 同じものを見ても、ひとりひとり違う感じ方をしている。

9, 自分とは違う考え方をしている、その人の考えを尊重しうけいれること。

10,     一番立場の弱い人にあわせること(政治経済にも言えるこ   と)

11,知識より大切なのは感情、すなわち心である。

ある日

私は子供に言った。

 

「誰がなんと言おうとも

自分がこれだ、と決めた道は

つき進みなさい。

つき進んでいって

疑問に思うことがあったのなら

そこで立ち止まり、

考え、再び行くべき道を見つけて

つき進みなさい。」

 

子供は目を見開いて

「お母さん、もう一度言って」

 

大きな本屋さんで2冊の本を私は眺めていた。

欲しい、でも予算が・・・・

 

言い訳が次から次へと頭に浮かぶ

動画で見ることができる。

少しまてば、古書店で入手・・・

「神との対話」を再読してから・・・

 

今日私は眼科に行った帰りに

トイレに寄りました。

手を洗おうと洗面所に立った時

頭の周りにふわーっと言葉が

流れていました。

ブックオフ

本があるよ

ああ、あの本、もしかして入荷したの?

 

今日の予定は、眼下のあと

水族館に行く予定でいましたが、

 

予定変更

ブックオフへ

スピリチュアルコーナーへいくと

な、なんと上下巻ありました。

「大日月地神示 上下巻」

 

前から欲しかったけれど、

やっと手元に・・・

うれしい。

すばらしいご縁。

感謝します。

私が伝えたいのは、親の精神状態が子供に与える影響は大きいということです。子供は立場が親より弱いです、親子でも言って良いこと悪いことがあります。言葉は受けてのものです。不満、愚痴、不安を子供に言わないで下さい。夫は妻を幸せにしてあげて。不満が子供にいきます。
私が親と縁を切ろうとしたときに、背中を押したのが医師でした。「親のそばにいくと精神が引きずられませんか?」この言葉で思い出したことがあります。親のそばにいくと吐き気がしたことを。母は精神疾患患者でした、
知り合いに言葉の暴力だけでなく、手を子供にあげる人がいました
その人の子供はあるときこう言いました。お母さんがしていることを僕がして何が悪いの?
負の連鎖を断ち切るにはどうすればいいのか、を考えます。

結婚して夫が指示された仕事はできるけど、自分から率先して仕事をしない人がいる、この話を聞いた時、教育の問題かなと思いました。

学校の指示に従う子、
不登校の子供は自分を持っています、
自分がこれをやりたいんだ、という意思がはっきりしています。
人の指示には従えません。
でもやりたいことをする、素晴らしいことです。
子どもはやりたいことを多いです、それを学校にいっがためにできなかった、親からは塾、習い事強制的にさせられた、
こういう人生を歩むと生きる力が育ちません。
塾予備校通わなくて東大に現役合格する人いますが、生まれたときから記憶力の優れている人は存在します、人のそれぞれです、感覚の素晴らしい人がいます、
個々の能力にあった、それを引き出してあげることのほうが大切だと思います。
学校に頭を押さえられ、家庭でも親の言いなりになると、自分に自信がない、感情は消え能面みたいな表情のない笑顔のない人間ができあがります←私。絶望の中で子供に生きてほしくありません。生きててよかった、楽しい、子どもたちにはそのような持ちで今を生きてほしいと私は願っています

私達は今教育が大きく変化している真っ只中で生きています。

例えば病気は昔は栄養が足りなくて結核が流行っていました、今は飽食の時代になり糖尿病患者が大勢います。

生まれてくる子供にも変化が、超低立ち中の子供が医療の進化で生きられる時代です、

教育に変化が起きるのは、よく考えてみれば、当たり前、のことが受け入れがたい、というのは、よほど私達は学校はいかなければならない、という刷り込みを長い間刷り込まれてきた、といえるでしょう。

時代は常に変化しています。教育も変化しています。

子供も繊細というか敏感な子が多いです、私も匂い駄目です、かおりのきつい柔軟剤で気持ち悪くなります、人混みに好いやすく、人と一緒にいると気を使いすぎて疲弊します。

私は学生時代バブル絶頂期でいわゆる受験戦争が激しい時代でした
近所では誰の家の子供がどこそこの学校にいった、といううわさが瞬く間に流れ、誰それが誰それと結婚した、
そういう環境のもとで育ち、レールを外れる人たちを親は見下していました、登校する前腹痛吐き気を訴えても気のせいだと言われただけ、訴えてもも無駄だと諦めました。
二十代半ばで病気になっても親は認めずレールにのるように強制的に結婚を勧めました。
親戚同士争いが起きました。年齢の近い親戚かいるのですが、親たちは誰が先に結婚するか競争が起きました。
そういう有り様を見てきたので、
私は、親と絶縁したときに、母方との親戚づきあいもやめました。
今は親戚付き合いは僅かです。
私が親と縁を切ったのは子供を守るためでした。
老けてきて顔が醜い、自分が価値ある人間だと思っているのか、籍をぬいてもいい、結婚前は私が起きると待ってましたといわんばかりに暴言をはかれ、結婚後、実家にいくと、すぐさま暴言がまっていました。
子供が生まれ初節供の前日、母に暴言を言われるのではと怖くてねこみ、これでは子供を育てることはむり、絶縁を決行しました。
手が欲しいときに手がなかったのはつらかったですが、夫婦でなんとか乗り切りました。途中倒れたり、入院したりもしましたが。

ここでお話したいのは、子供の不登校のことで親や義理の親、親戚など子供の不登校に関する言葉から、親は子供を守ってほしい、ということです。
私達は未来を育てています。
親は過去の存在です、もうすぐ死にます。
過去の人の言葉に振り回されるより、未来を育てていることを意識してください。
ある母親は同居している口うるさく言ってくる義両親が来れないようバリケードを作ったと聞いたことがあります。
子供を守るのは親です。
健康だからこそ勉学も働くことも可能です

学校に居場所がない子供は大勢います。普通クラスでも特別クラスでもない子。

私も長年の刷り込み、すなわち「学校に行かなくてはならない」がなかなか取れず、

夜中徘徊する子供を見ては「学校にいきたくないんだな」と頭ではわかっていましたが、翌朝また、子供を学校に行かせてしまいます。

学校そのものに疑問を抱いても、長年の「洗脳」が学校イコール行くべきもの、と。それに、

小学1年生なのに、下校時間が遅く、私は子供と一緒に帰宅して、すぐに御飯を作らなくてはならず、学校に行くことを考える時間がありませんでした。毎日があわただしく、あっという間に1日を終えるような日々でした。

アトピーなのに、ギョウチュウ検査をしたときも、疑問をいだきましたが、(これは、私が小学生のころよりありました。昭和40年、50年の話です。

小学校で子供と一緒に1日を過ごし、学校の先生の多忙を極める姿、そして、学校の先生の人としての質の悪さ、先生の生徒に対する暴力などを目のあたりにしとのと、

決定打になったのは、登下校えずく子供の姿を見て、私と同じパニック障害になってはならないと、

ようやく学校から子供を離すことができました。

情報がなく、学校から離れてすぐに、私は子供にも「友達が必要だろう」とフリースペースに入会。 

そこで主催された、内田良子先生の講演会で「ホームエデュケーション ホームスクーリング」という教育法を知りました。

やがてフリースペースにも通えなくなり、

後で知りましたが、登校渋りが起き始めた子は、

エネルギーロスの状態なので、充電期間が必要であること、

フリースクールに無理やり通わせることはしないこと。

なぜなら、子供がそこにもかよえなくなったら、

学校も、フリースクールにもいけないことという

子供が二重に傷つくことになる、という情報があとから入ってきました。

子供は深く傷つき「死んでもいいか」と何度も私に聞いてきました。

深く傷つく息子を見て私は後悔しました。

情報が次から次へと入ってきたのもホームエデュケーションの仲間にであってからでした。

 

学校に行くことができるこは、ほんの一握り。

不登校の子のほとんどが家で過ごしていること(ホームエデュケーション、ホームスクーリング)。

内田良子先生の講演会でホームスクーリング、ホームエデュケーション、という教育法をしり、子供は家で育てようと、私は決心しました。

24時間子供と一緒にいると煮詰まってしまいます。

 

そこで、私一人で児童精神科医に相談しに行きました。

お世話になった児童精神科医からは「お母さん、子供の今の年齢から9引きなさい、引いた数が本当の年齢」

と話され

私は9は引きすぎだ、じゃあ、5引いてみよう。

と、5を引いたら、子供にぴったし。

 

子供はゆっくりと成長するタイプの子供で集団行動はそもそもあいませんでした。

 

子供の成長のペースに合わせて子供を育てるといいよ、と二人の私の通院時に子供を預かってくださったシッターさんが言いました。

二人の人が同じことを言ったので、この言葉は真実だと私は思いました。

子供のペースに合わせてストレスのかからない環境を作ろう、と私は実行しました。

あとから入ってきた情報では、

 

嫌いと好きがはっきりし好きな物事には時間を忘れて無我夢中になる子、

聴覚より視覚からの情報の方が記憶に定着しやすい子、

こういう子供は時間割のある学校、

言葉で説明する教育はあいません。

今は多様な学びの時代、です。お子様のために家で安心して成長できる場を作ってください。

 

家にいると一日が長いので、テレビやゲームを許してあげてください。

本人が興味のある特異な分野を伸ばしてあげて。

不登校の子は学校に関係するありとあらゆるものが不安の対象になります、

学校、学校関係者、電話、プリント、登下校の時間

親御さんが学校から守ってあげてください。盾になってあげて。

学校教育は富国強兵制度の名残です。

サラリーマン養成所です。

私たちは学校にいかなければならない、と長い間洗脳されています。学校に行かなければ死なずにすんだ子供がたくさんいます。

 

学校、就職、結婚というレールからはずれてしまうと、

親は焦ります。また、人の目を気にするでしょう。

親戚などの集まる場所など親が守ってあげてください、親戚だからと無理につきあう必要もありません。

 

子供は家にいても成長し続け、変化し、やがて部屋から出、いろいろなところにいくようになります。

子供のことで悩みはつかないでしょう。しかし、子供がいるからこそ、親という役割をさせてもらっているのです。

子供を通して親も成長できるのです。

 

親も自分の時間を持ちましょう。趣味でも、仕事でもいいです。

子供から離れる時間が必要です。

 

ゆっくりでも、確実に子供は成長します。

子供が成長するのを信じ子供を信頼しましょう。

 

ショルダーバッグを繕ってほしいと

子供からたのまれた。

見ると、肩掛けとバッグのいたみが激しく、

修理を快くオーケーした。

細かいところは手で縫い、

大まかなところはミシンを使おうとミシンを出した。

ところが、ミシンの下糸が上の糸にからんでしまい、

修理どころか、ミシン自体が使えないことが

わかった。

すべて手で繕うことにした。

時間をかけてひと針、ひと針と繕っていった。

そのひと針に、子供の無事を祈った。

どこに出かけようとも、

子供が無事に帰宅できますように。

 

糸と針を持つってこういうことなんだ。

アイヌの人の刺繍が意味あるように、

物を作るにしても、洋服を作るにしても

ひと針ひと針思いをこめて縫う。

すると、そこに作り手の「祈り」「願い」が込められる。

この「思い」こそが相手への「祈り」となり、

「無事」につながるのだと、理解できた。

 

ミシンだとこのような「祈り」はなかったでしょう。

ひと針ひと針に「祈り」「願い」をこめて

ショルダーバッグを修理しました。

 

強迫神経症がひどくなり、

家をでるとき、何度も

窓の鍵の確認

ガスの元栓の確認

ストーブの消し忘れの確認

水道の確認、

玄関の鍵の確認

を何度も何度も十回くらい

確認して

家からやっと離れることができた私。

 

数年後それを確認強迫という病名であることに

気が付いた。

出かける前に常に疲れ切ってしまっているので、

ある日、紙を用意し、

チェック項目を書いた。

目視で確認、

電車の車掌さんのように

声にして確認

「窓の鍵しめた、よーし。」

そして、チェック項目に〇をつけて、

再度目と声で確認し、

それから、家をでるようにした。

そしたら、案外と楽に家を離れることができたので、

ちょっとここに書き出し

確認強迫で苦しんでいるかたへの

おすすめとして書きました。

よかったら試してみて

毎年受けている健康診断、

昨年はバリウム検査結果に

胃にポリープあり、要経過観察。

と検査結果に書かれてあったので、

今回は内視鏡検査を受けることにしました。

この内視鏡検査、十数年ぶりにうけます。

十数年前は、眠っている間に終了。

よかったと思ったのを覚えています。

今回もそうなるといいな、と思っていました。

 

検査前、横になる前に喉に麻酔をします。

シュッとこれを3回喉にふきつけ、

喉の麻酔。そして次は 

鎮静剤を静脈注射です。

鎮静剤を静脈に入れていきます。

その量を見たとき、

「ちょっと多いな」と思いました。

すぐに意識がぼーっとなり、

それまでの不安がなくなりました。

不安をとらないと、

私は不安がひどくて検査できなかった

過去があるので、

実費でしたが希望しました。

 

意識がボーっとしている間に

胃の奥底ににょろにょろ感がありました。

えづくことなく終了。

車いすで休憩室に。

そこで30分休んで、麻酔が完全に切れたら帰宅。

という予定でした。

 

ところが、休んでいる間、

身体が回復しません。

いつもなら、体が徐々に回復し、

意識もはっきりして、

ベッドからおりることができます。

身体を動かそうにも動きません。

体が動かなくなり、

硬直していくのがわかります。

???どうなっていくんだろう・・・

意識だけははっきりあります。

今何分経ったのかな?

何時だろう。

これからどうなるのかな、

私思い残すことあるかな、といろいろと考えていました。

思い残すこと・・・何もない。

子供も、まぁ、なんとかなるだろう。

今は無職でも、どこにも属していなくても

どうにかやっていくだろう。

意識がある・・・

でも、幽体離脱はしていない。

意識が肉体から離れない。がっかり。

休憩室に入ってから

30分がたったのでしょう。

看護師さんがやってきて、

何度も私の名前を呼びながら肩を叩いています。

身体が動かなくて、言葉もでなくて、

どうすればいいのかな。

肩をゆさぶられているのがわかります。

脈をはかられ、血圧を測り、血圧が高いと話しているのが

わかりました。瞼を上にあげられ、目の確認をしています。

医師をよんできたのか、男性の声で、私の持病を

看護師さんに尋ねています。

「パニック障害」です。

「あっ、薬が重複しちゃったんだ。」

腕に点滴が装着されるのがわかりました。

移動させよう、という声とともに、車いすに移動。

膝のうえには私の荷物がのせられました。

ガタゴトガタゴト車いすが移動しているのが

振動と共に体に伝わります。

点滴の値段も料金に加えるように

事務の人に連絡する声を聞こえてきました。

エレベーターに乗るのがわかり、

ベッドに移動されました。

「眠っている状態」という誰かに説明をしている声が聞こえます。

しかし、私は眠っていません。意識ははっきりとあります

 

時間が経ち、

徐々に体に力が入るようになりました。

口があけられるようになり、目も開けられるようになりました。

こんなことになって、来年の健康診断はどうしたらいいのか、

とふと心配に。

 

やがて看護師さんが様子を見に来て、

「よかった、ぐったりしていたから」

「意識はあったのですが、体が動かなくて・・・」

「じゃあ、まつげをさわったのわかった?」

「はい瞼をあけられたのがわかりました。」

やがて内視鏡の医師と思わしき人が様子を見に来られたので、

私が

「来年の検査どうしたら・・・」

と言ったら、

「今回のやり方はやめて、来年また考えましょう。

とにかく今日のことはメモしておいたので」

と、ほっとした顔で私を見ていました。

体の中の薬を尿として出すために

点滴を500mlを完全になくなるまで

横になっていました。

看護師さんが歩く様子を見せてほしい、と言ったので

てくてく数歩歩きました。

 

無事帰宅でき、とんでもない出来事だったけど、

ふだん体験できないような体験だったと

興奮した私でした。

まあ、無事で何よりでした。

それよりも、胃カメラのむ前に行った

問診で、年配の医師が

「麻酔するから楽に終わるからね」

と言われたtだけで、特に今服用している

薬のことにはふれなかったこと、

今回の出来事で、薬のことは前もって

伝えた方がいいな、と思いました。