楽、天にあるを見るべし。

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子供部屋のエアコンがうんともすんとも言わなくなった。

ようするに壊れてしまったのだ。

いちおう、業者に連絡入れたので、

返事を待つ間

部屋の片づけをした。

わんさかでる、ゴミ、ゴミ、ゴミ。

ゴミ箱の前には45リットル袋の

ゴミが山になった。

私はそれを2回に分け

階下のゴミ集積場に

置きに行った。

ゴミは、バケツの中に入れた。

床には何も落ちていない。

 

2回目にゴミ集積場にいったとき、

なぜか、プラゴミが床に落ちていた。

持ち上げると、ん?

あれ、これもしかして、私が日曜日に置いた

プラゴミじゃないか、

透明なビニール袋に入った、

見覚えのあるプラゴミ。

ただよう匂いも、覚えのある匂い。

あっ、これ私が出したプラゴミ。

でも、なんでこれが落ちていたの?

 

今我が家は重大な危機にめんしている。

もしかして、ご先祖さまたちが

なにかしら、メッセージを伝えてきたのかな・・・

 

 

モォ~、もぐもぐと草を食べながらホルスタインを

見ている投稿者。「かわいい」その気持ちとともに

なぜ、牛は神経質。ちょっとの音でもビビる。

目があう、飼い主をちらりと見てはまた草をはむ。

 

どうして、こんなに愛らしい生き物を

私たちは殺して食べなければならないのか。

命とはなんなのか。

 

絵本「いのちをいただく、みーちゃんがお肉になる日」

にもあるけれど

 

スピリチュアル的には、4本足の動物は

特に食べてはいけない。

なぜなら、私たちは肉を食べているようで、

殺される直前の動物の感情を食べている。

ある霊能者は、牛肉を食べた後、怒りの気持ちがわく、

と話していた。

 

生餌という言葉があるように

生き物の中には生きている生体を

食べる習性のある生き物もいる。

 

それを考えると

複雑な思いが投稿者の中に沸き上がったのだと思う。

 

私はラジオを聴きながら、

時代は進化した、と思った。

なぜなら

このような投稿があっただろうか。

 

なぜ私たちは動物を殺して食べなくてはならないのか。

 

草は食べられたがっている。

 

木の実、食物用の草、果実、魚

本来なら、このような食べ物だけで

わたしたちは充分だっただろう。

 

 

2026年6月16日 午後9時50分ごろ

いきなり緊急速報がスマホから流れました。

いやな警戒音です。

直後 地震発生。

 

「子供くん、テレビつけていい?」

「うん」

テレビ「地震が発生しました。身を守ってください」

というアナウンサー。

 

トイレの扉があく音が・・・

 

 

トイレに入っている夫目線より

トイレ使用中 便座にて

「あれっ!なんか体がゆれている。

僕なんかの病気になっちゃったんだ。

頭がぐらぐらする。

早く出て家族に知らせないと・・・・」

 

リビングにいる妻子に

「僕、なんか病気になっちゃったみたい

体がゆれるんだ、頭がぐらぐらする・・・

どうしよう・・・」

 

妻 & 子供

「・・・・(なにいってんの こいつ)」←妻のみにくい心の声

子供「おとうさん、今地震があったんだよ。」

妻 (いいこぶりっこ)「お風呂のお湯も途中でとめちゃった。(えへっ、という顔して)」

 

夫「えっ、そうだったんだ、僕自分がゆれて、なんか変な病気にでもなったかと思った。」

妻(みにくい心の声) ・・・(ふざけんじゃねーよ。誰が病気だよ、地震で揺れたんだよ。この〇〇」

 

 

私は、近所のおばさんが

小さな小さなアパートで開いていた

書道の教室に通い始めました。

小学校1年生 6歳のときです。

理由は、友達がそこの教室に通っていたから・・・。

 

当時近所に

そのおばさんこと、私の師匠である

高橋春峰 先生と

もう一つ書道教室がありました。

有名な 室〇先生の

お父様が開いていた書道教室です。

 

で、私は女性の先生元で20年以上通い続けることになることは

当時6歳の私には想像していませんでした。

縁があったのでしょうね。

 

楽しかったか、というとそうではなく

私の周りにいる人って

妬み、競争心、口ぎたくののしる人

そういう人ばかりいて、

その先生もその中の一人で、

私も結構その先生に言葉の攻撃を受けて

腹が立つ日々を送っていました。

家に帰れば、母や父にののしられていました。

父が手に資格をもて、と口うるさくいう人だったので、

それに洗脳されて、書道師範の資格をその先生から得ました。

そこまでの道のりは長かった。

そのとき、母が私に好んで着せていた

赤いコートが号のきっかけになりました。

 

西川寧、豊道春海 各先生の流れを受け継ぐ

書道西川流師範

号 紅園

 

私の先生高橋春峰先生というのですが、

なくなった直後

小児科の帰りにベビーカーを押す私の前に

あらわれてくれました。

 

先生と近しい人から

「あなたのこと気にかけていたわよ」と言われて、

ああ、だから、姿を見せてくれたんだな、と

思いました。

ありがとうございます。

春峰先生。

 

 

ある子供の両親は

子供がどんな罪を犯しても

私たちのこどもなので・・・

と話した。

 

ある親は

もういい年だし(10代後半)、

本人が反省して自分の罪を償っていってほしい。

 

この言葉を聞いた私は

他人事のように話すんだな、

と感じた。

 

その人その人によって

考えも違うし、

記者報道者の前出し、

 

ただ共通して言えることは

加害者の家族になってしまったということ

 

昔 東野圭吾著「手紙」を読んだ。

加害者家族が社会的な状況に苦しむ話だ。

 

どんなに小さな事件でも

自分のしたことが自分にかえってこなくても

家族をとおして自分のしたことを

かいまみることがおきてくる。

 

家族の在り方について

よく考えてほしい。

親子であっても、一人一人は別の人間。

しかし、親と子というのは・・・

ふくざつな関係と言えるだろう。

 

子のしたことがわが身にはねかえることもありえる。

子供に対してどのような行動をとってきたのか

充分な愛情をそそいだのか、

それとも、時間的こころの余裕がなくて

自身のことに精いっぱいで

子供のことはそっちのけ、だったのか。

結果がすべてを物語っている

 

 

 

最近ファンタジーとか、

「わたしの幸せな結婚」など

家族にしいたげられ、強制的に結婚

配偶者と幸せになる漫画ばかりを読んでいたためか

なんか、ちょっとおなかがいっぱいになってきた。

そもそも、もう少し、まともなストーリーは?

自分の世界観があるじゃない、

なぜ今はやりだから、といって

シンデレラストーリーを描くのかな?

シンデレラ物語じゃなくて

エッセイ漫画のほうがよっぽど

人気がでると思うよ。

 

それに、皇太子、王族、王様、皇帝の

配偶者がどれほど、つらい生活なのか、

想像に値するよね。

結婚から先が地獄なんだよ、

人の上に立つもの、国を背負うものの

配偶者とは、それなりの責任が伴うし、

跡継ぎの問題もあるし・・・

 

かくゆう私も昔強制的に結婚させられそうになった経験がある。

その人は父の大のお気に入りで、

いわゆる3高で、私にはもったいない人なんだけど、

性格に難ありで、

女性を差別するような発言がぽろっとでたときには、

これは一緒になってはいけないひとだ、と。

「おまえはこの男と結婚するんだ」

という父や母、伯父。

とにかく、結婚してはだめだ、という私の意思をつらぬきこの見合い話を壊した。

人をさげすむような人とは結婚できない。

自分の考えを押し付けるような人とは結婚できない。

 

結局わかれたときは、父に皮肉をずっと言われていた。

私も心も体もズタボロだった。

 

JR川崎駅直結タワーリバーク3階

アートガーデン川崎にて

今月30日から開催される

アンデパンダン展

に出品する作品を書き上げた。

去年に続き、

隷書「曹全碑」より。14文字

やっと、やっとできた。

それで、

書道用品キョー和、美術部へ

送るために、郵便局へ。

書道作品は、45lサイズのゴミ袋に入っていただけ。

郵便局の女性が

中の品物「半切 書 1枚」

とだけ書いただけなのに、

すぐに「書道作品」とわかってくださり、

箱を奥の部屋から持ってきてくれた。

「ああ、ありがたい。これで作品が

つぶれなくてすむ」と私は心の中でほっとした。

女性は丁寧に、つぶれないよう

壊れ物、ビン類 逆さま厳禁の項目に

丸をつけてくれた。

親切かつ丁寧な対応に

感謝しました。

箱のことを考えていなかった私、ダメですね。

でも、送料も高くなった・・・

1枚の紙きれで、学区の学校に通う。

よく考えれば不思議な話である。

なぜ、そこに行かなくてはならないのか、

本人はそれを望んでいるのか、

私たちは、何も考えずに役所に言われたまま

行動しているが、

そこに「私の意思」はあるのか。

 

学校一貫教育から多様な学びになっている。

親が一番安心して子供を預けられる場所

学校

しかし、親は学校と深くかかわっていないのでは?

もう学校は信頼できる場ではない、

だったら、逆に親が学校を監視すればよい。

今まで学校に何もかも任せすぎた。

教室で、教諭がどのような形で子供に接しているのか、

どなり散らす場面、胸ぐらをつかむ場面

こういうのを目にしたことがないだろう。

 

子供のためにしていることが子供のためになっていない。

いじめは家で親のストレスが子供にいき、

子供はそのストレスを自分より弱い立場の子にいく、

こういう知識はあるだろうか、

いじめられても、学校にいかなければならない子供。

行きたくなくても、働く親が預ける場所がなくて、

校門の前に子供を置いていく、泣きわめく子供、

 

残念なのは、子供が死ぬということ。

学校に行かなかったら、死なずに済んだ子供がいる事実。

 

子供の命を第一に考えるのなら・・・

子供の気持ちによりそっているのなら、

親はどのような選択をすればいいのか

しかし、親も教諭も多忙を極めている現実。

 

心のゆとりがなく、一日があっという間に過ぎていく。

その繰り返し。

 

 

子供が低体重児で1か月病院にいた。

子供が無事に退院し、

本格的育児がはじまった。

夫は仕事、私育児家事、

悲鳴をあげながらの育児。

 

ある日、クリーニング店に行った。

店の人

「ポケットチェックをすませてから

持ってきてください」

カッとなってしまって、

そのクリーニング本店にクレームのメールを入れた。

「有料でもいいから、ポケットチェックを店側でしてくれ、と」

受け取りにいくとき、すでに店に連絡がいったのであろう、

私の顔を見て、「あっ」と別な店員さんが小さな声をあげた。

なぜ、あんなクレームを入れたのか、という顔だった。

しかし、私がベビーカーを押している姿を見たとき、

「ああ、なるほど」という納得した顔をした。

その店員さんも育児経験だと瞬間的に私もわかった。

乳児のいる家庭は、子供に24時間つきっきりで、

ポケットチェックなどする余裕もない。

身も心も疲れ果てている状態なのだ、

子供が大きくなった今は、

クリーニング店にはいると、

「ポケットチェックはすんでいます」と

言葉をかけている、やっとここまで

心に余裕が持てるようになった。

ここまでくるのに、20年かかった。

物心ついたときから、身近に猫がいた。

母が猫好きで、その母は、その母、つまり

私の祖母の影響が大きかったという。

 

私自身猫から教わったことが多く、

猫の影響を多大に受けている。

これもみな母のおかげだと感謝している。

 

結婚後も縁があり、猫を15年飼った。

責任を持ち、最期まで育てた。

その間、猫に感謝もあるが、

厳しさもあった。

早朝起こされる、一緒に寝ると

布団の真ん中を猫にぶんどられる。

ドアをあけろ、餌をくれ、

抱っこしろ、

おい、昼寝の時間だ、

一緒に寝よう、

毛をすく時間だ、

一日のルーティンのすべてを

猫は知っていた。

愛情のすべてを注いだ、

もちろん愛情だけでなく

金も時間も体力も注いだ。

ひぃぃぃ。

配偶者は動物が苦手なので、

すべての面倒を私がやった。

きつい、猫に留守番させるのも

つらい、かといって、

配偶者への気遣いもしなくてはならない。

あああああ。神様こんな試練をなぜ、と言いたい。

一人で世話はできない、と思った。

もう一人分の手がほしい。