(ⅱの続き)
映画『あゝ野麦峠』
1979年6月公開 配給:東宝
【解説】明治中期、長野県岡谷市にある製糸工場に岐阜県飛騨地方から野麦峠を超えて働きに出た少女たちの、
低賃金・長時間労働などの過酷な境遇を描いた青春群像秘話。昭和43年に発表された山本茂実の同名小説
を映画化したもので監督は『武器なき斗い』『にっぽん泥棒物語』『皇帝のいない八月』などの社会派巨匠・山本薩夫。
出演:大竹しのぶ・原田美枝子・地井武男他。1979年の邦画配給ランキングの2位。同年キネマ旬報ベストテン9位。
社会派映画としては突出したヒットとなった。
※
-以下は一部を改訂した再録文です-
『あゝ野麦峠』
-泣いてすごした青春に
もはじける勢いがあるー
この映画のクライマックスは、病にたおれたみね(大竹しのぶ)が兄(地井武男)の背中のネコダにかつがれ野麦峠にたどりつき、
秋の飛騨の山なみを眺めながら、「ああ・・・飛騨が見える・・・・・」としぼり出すような声を出してついに息をひきとる場面である。
この悲痛な声とゆがんだ表情の中にこれまでのすべての女工たちの思いのたけが一気に集約される。
同時にそこには、とき(浅野亜子)・きく(古手川祐子)・ゆき(原田美枝子)と続いた悲話を背負い、その時代を力いっぱい生きた
女工たちの真実の姿の集約があった。
そこに見えたものは、人間らしさをもとめて生きてきた人々(彼女ら)の、今日にも命脈とつながる民主主義的な感情や生き方の
源流ともいうべきものだったろうか。
細井和喜蔵の「女工哀史」(1925)は、人間の生活に必要な衣食住のなかの衣を造りだす紡績工は人類の母であり、それによって織られた「愛の衣」をまとうのは万人であるのに彼女たちが死をもって犠牲にならねばならないのは断じておかしいという人道主義的モチーフに貫かれていた。
この古典的名著に連なる山本茂実の原作「あゝ野麦峠」は、近代日本の黎明期を底辺でになった人々が、みねのような無数の女工たちで
あったという視座をテコに、彼女たちの 「泣いて過ごしたキカヤ(製糸工場)の青春でも、青春はやはりかけがえもなく楽しかった」、その群像をなまなましく彫り起こしていた。
ひるがえって、山本薩夫の映画『あゝ野麦峠』の感銘を支えるものも、原作の精神をひきついだ青春のはじけとぶ勢いであり、そればかりでなく、やがて彼女たちが”階級意識”に目ざめ、自らの「哀史」的な存在をのりこえて、自らの組織に結集し、たたかいにつき進んでいくであろう歴史の必然を剛毅に描いたことである。
例えば、青春。雪の野麦を超えた後、お助け茶屋で暖をとる女工たちの喜々とした表情。諏訪湖の美しさに、歓声をあげて喜ぶ新工たち。
食事をする時の元気はつらつさ。はな(有里千賀子)と音松(赤塚真人)のユーモラスな恋などいずれも、現代の青春の波長と重なって、
はじける青春の勢いを見せている。
そして、必然。みねの死をとむらう工女たちの、怒りに転化する勢いをも感じさせる、「ナムアミダブツ」の大合唱。
工女たちの若い身体と精神が、資本と機械によっていたぶられ、生きざまを左右されていく「運命」の浮沈とともに、三つの愛の形が展開
される。親子愛、友愛、そして兄妹愛である。
工女たちがその年のキカヤでのつらかった労働を終え、出むかえの肉親と峠で対面する場面は、再会の喜びがこれ程までに感動的なものであったのかと驚く。
今では、新幹線・フェリー・ジェットなど交通手段の発達と電話回線の高度化にともなってはたらく場所と生まれた場所、親と子のそれぞれの生活空間を結ぶ距離は短くなった。再会の感激も、別れのつらさも日常のスピーディーな流れのなかに埋もれてしまった感がある。
そんな中、馬の背中にひかれていくもの、箱ぞりに乗ってひかれていくものなどまるで絵のような情景に続いてやがてカメラは、はじらいをみせるようになったみねが兄の背中におぶさることにこだわっている、二人の兄妹愛のほほえましさを写しだす。
この映画の濃密さを増したもののひとつはこの愛の美しさであった。
今井正の映画 『あにいもうと』は、屈折した兄妹の繊細な愛情を描いていたが、山本薩夫の兄と妹は、骨太で、直截な愛の姿であった。
しかし、その情愛の架け橋をたちきるものが二つあった。一つは父・友二郎の父権であり、もう一つはキカヤのダンナ=資本のアコギさであった。この二つは共通して、どことなく脆弱な面を持ちつつも、しかしまぎれもなくみねの体から血と汗をしぼりとり、「嫁にもいかず」死の淵に追いやった運命共同体的な柱だったである。
そのダンナは、みねたち新工に 「ワシはお前たちの父様で、お前たちはワシの娘じゃ」と言う。
父・友二郎の権威を見せつけた場面に続けて、ダンナが新吉(山本亘)に横領の嫌疑をかけて首を絞めあげる場面をモンタージュ
する効果は、家父長制と資本の補完的なくびきこそが、女工たちの過酷な「運命」そのものに他ならなかったことをしめしているようだった。
みねの、ときや、ゆきにかける友愛もまた兄と妹の愛の無条件さと同じように美しく描かれていた。
これはいかにも優等工女的すぎやしまいか、という見方もできよう。が、大竹しのぶの内から発散する自然な表情の露出それ自体が、
自然さをかもしだしている。
湖畔に打ち上げられたおとき(浅野)の上にかぶさって泣く場面が長く感じられた点や、欲をいえばゆき(原田)との友愛の情感がもうひとつ、といった不満は残ったものの、みねの無心さに作為は感じられない。
それはそうと、みねが無意識のうちにせよ仲間との感情的な団結をもとめ貫きとおしていた根底には、もしかしたら、飛騨の山奥でのくらし、そのなかでの兄や妹や弟たちとの愛の中で育まれたものがあったのであろうか。
-「シネ・フロント」1979年9月号より‐