神々の黄昏・創世記 於具那と加那志の物語・
人には描いてきた其々の時間があり、描いていく未来がある。
人が人と出会い、互いの時間が交わったとき。
時には目に見えない意思が、互いの未来を描き始める。
Never having to say your apologies。
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神々の黄昏創始記:青い龍と赤い龍の物語 登場人物
加那志:父を知らず母とは自分の出生の時死に別れた。神女として修業の身。
青い龍:加那志の心の中に住む龍。亡くなった母の想いの化身。
於具那:王としての父より過酷な試練を与えられながら、ひたすら父の意に沿おうとしている。
赤い龍:於具那の中にあるものが化身した姿。続いてきた血が時として於具那の中で荒ぶる。
ククリ:加那志の母。神女。失踪して数年後故郷へ帰る。その時、加那志を身ごもっていた。
クスマヤ:神女としてのククリや加那志を指導する琉の島では高位の神女。
ヒヌカン:加那志の養父で村長(むらおさ)。
ナビィ:加那志の養母。ヒヌカンの妻
日る子:伊邪那岐と伊邪那美の間に生まれた最初の神。神として不完全とみなされ天の岩船で流された。
赤い龍と青い龍の物語
琉の国の浜辺、ようやく空が明けるころ。
一層の船が打ち上げられていた。
傍らには、一人の男が流木のように波に洗われていた。
琉の島に、朝が来た。
加那志は、朝の海が好きだ。
加那志は、琉の島でも高いセジ(霊力)を持つといわれる神女クスマヤが後継者として選んだ娘である。
神女の修行の中に、海に身を浸し祈る行がある。
自らの海神を定めるため、海神と同体になるためだ。
世話になっているヒヌカンの家からそっと抜け出しアダンの林を抜け、海岸へと出た。
真っ青な空と翠の海、珊瑚が砕けた白い砂浜、切り立った岩礁が所々に異界のように屹立する。
海の色はヒシ(サンゴ礁)の波がしらを境に深い藍へと変わるいつもの風景の先に、島の刳り舟とは違う異国の船が打ち上げられていた。
小走りに近づくと、人が倒れている。
加那志は、一瞬息を呑んだ。
倒れているのは、若い男だった。
一見眠っているような男のくちびるには、生気は認められなかった。
(死んでいる?)
脈をとると、微かなとぎれとぎれの息吹が加那志の指先に伝わってくる。
(まだ、生きている。)
加那志はどうにか若者の体を船の日陰に移し、急ぎ村の人々に知らせに走った。
走りながら、加那志の脳裏に若者の面影が何度も浮かびドキドキと心臓が鳴るのを覚えた。
このような気持ちは初めてだった。
村へと急ぐ加那志の心は、かき乱れていた。
運び込まれた若者を見るなり、クスマヤは皺の中に刻まれているような目を大きく見開いた。
「この若者を、シマにいれてはならぬ!直ぐに来た船で沖に流せよ。」
その強い言葉に、加那志は驚いた。
「お婆ぁ、なぜなのですか?どんな時でもどんな人にも、あなたは手を差し伸べた。」
「なぜ、この方だけをお助けしないのですか?」
元来、琉の島の人々は傷つき漂流して島にたどり着いた人々は、家族のように看病し迎え入れ温かく遇するのが常だった。
「この方だけを、見捨てるようなことは出来ません。」
クスマヤは加那志の眼差しと言葉に、かぶりを振った。
「加那志。お前にはわかっておらぬ。この男とシマの縁(えにし)が、どの様なことになるかを。」
「ならぬ!絶対にならぬ!」
クスマヤは、加那志が産着に包まれてこの村へとやってきた出来事を思い出していた。
(クスマヤの回想)
加那志の母は、ククリという若い神女だった。
クスマヤのもとで修業し、ククリが生れた“伊平の島”へと神女として還っていった。
そのククリの乗ったサバニ(刳り船)が、航行中に行方不明になったのである。
クスマヤの力をもって透査しても、ククリの姿は琉の世界の海から忽然と消え去っていた。
人びとがククリの噂を耳にすることなく、記憶の欠片になったころ。
ククリはヤマトと南ヌ海を行き来する交易船に乗って、故郷の島へと還ってきた。
知らせを聞いたクスマヤは、ククリを再び神女とする儀式を授けるために彼女に迎えを出した。
ククリは使者にその儀は受けられないと断り、使者を送り返した。
ククリの中には、新しい命が宿っていた。
神女とは神と契りを結び、神の知識を言問いし人々に伝える役目。
人の子を宿しては、もう神女の務めは果たせないからであった。
そして、ククリは女の子を産んだ。
ククリは自らの命と引き換えに、ひとつの命を送り出した。
母とは我が命をなくすることも厭わず、命を生み育てるもの。
幼子はその母も父もいない世に、一人ぼっちで放り出された子であった。
クスマヤは、その子を自分の村に迎え入れた。
指を母親の乳房代わりにしきりにしゃぶる幼子を見て、クスマヤはククリの涙を見た。
ククリは、青い龍となって幼子と共にいた。
「この子の名は、加那志」
幼子の中にいる青い龍は、クスマヤにそう告げた。
【注:ククリと神の物語・スピンオフへ続く】
神女となるものは、選ばれしものである。
その候補者がクスマヤのもとへと、遠い島からも修行に来る。
加那志はその中でも、抜きんでていた。
風のささやき、雨の呟き、星のざわめき、潮騒の唸り、虫たちの吐息、鳥たちのざわめき・・・。
細やかでそして繊細な羽毛のように、そのすべてを拾い上げる心を持っていた。
クスマヤは加那志に潜んでいる力が、琉という世界にとどまらないもっと大きな世界にあることに驚いていた。
それは恐らく、ククリが行った国で結ばれた男の力なのかもしれないと感じていた。
力を加えれば簡単に壊れる卵の様な加那志の心を、大切に育てなければと考えた。
クスマヤは、ある日皆を集めて宣言した。
「我が後継者は、この加那志。」
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クスマヤは目の前に横たわる男に、息も絶え絶えの赤い龍を見ていた。
(荒ぶる魂。)
(“禍・まがつ“。)
「この男を、助ける事はならぬ!絶対にならぬ!」
「ティダ(日)の皇子なる。」
周りを取り囲んでいた村の者たちに、動揺とざわめきが拡がった。
この村には、秘かな言い伝えがあった。
ある日、ティダ(日)の皇子の一人が天降り海からやって来る。
その皇子は、1本の剣(つるぎ)を携え、袋の中に赤い碗や種、火を作る石、マータン(勾玉)と言われる石の首飾りを持っている。
それらすべては、ティダが民に遣わしたものであり大いに重畳(大変喜ばしい)なことであるが、引き換えに大災厄も招くことにもなると。
言い伝えには続きが、あった。
ティダの皇子に選ばれし娘は、その命と引き換えにティダの皇子の天昇りを手助けすることになると。
村長(むらおさ)ヒヌカンの始祖は、琉の島に初めて降り立ったアマミヨ(女神)とシネリヨ(男神)が土の中から産みだした最初の島人の一人と代々伝えられてきた。
言い伝え通りの若者が息絶え絶えに、ヒヌカンの目の前にいる。
ヒヌカンの背後から彼の肩に手を当てて覗き込んでいた妻のナビィは、夫の耳元でささやいた。
「このまま、この若者を海に流しましょう。言い伝えのティダの皇子に違いない。私たちに禍(わざわい)を招く」
若者を救う事は加那志という卵を砕く結末になる事を、クスマヤも恐れていた。
村人たちの経験では、若者の回復はとても見込めるものではないことは明白であった。
体だけでなく、若者の生命力を引き出すには神の力が必要であった。
この若者を助ける為に適切な処置を指示できるのは、クスマヤだけなのである。
クスマヤは、そのことを拒否した。
場にいる全員が、自分たちを納得させる理由を見出していた。
ただ一人を除いて・・・。
ヒヌカンを先頭に村人たちが、もう一度若者を海へと戻そうとしたとき。
加那志が村人たちの前に立ちはだかった。
クスマヤに向かい、村人たちに向かい、加那志は懇願した。
「この方を助ける為に、お婆ぁの力は借りません。唯々この方が持つ定めと力に任せ、この村に留め置くことだけをお許しくださいませ。」
「海へ返すことだけは、どうかおやめくださいませ。」
加那志の眼差しと絞り出すような声に、クスマヤも村人たちも気圧された。
人を見捨てる事、クスマヤ自身が最も嫌うと教えてきたことであった。
村人たちも、見捨てるという行為は望むことではなかった。
人の世には見えない定めがあり、その定めに抗う事は難しい。
(見えない定め。定めの先がどうあろうと、人はずっと定めの中で生きてきたもの。クスマヤの思考は乱れていた。)
加那志の中の、青い龍が白く輝いていた。
青い龍が、クスマヤに必死に訴えていた。
「す、好きに、するがよい。」
そう言い捨てると、クスマヤは奥へと姿を消した。
クスマヤは、自分の思いと逆の言葉が放たれた戸惑いの中にいた。
若者は加那志の育て親ヒヌカンの苫屋へと運ばれた。
幼い加那志がクスマヤのもとに来たとき、村長(むらおさ)のヒヌカンの家に預けられた。
ヒヌカンの妻ナビィはちょうど乳飲み子を抱えていた。
加那志はヒヌカンの家の子ども同様に、大事に育てられた。
加那志は、若者のためにてきぱきと作業した。
体の熱をとるために、薄くて軽く風通しの良い芭蕉の敷布が敷かれた。
芭蕉布の糸を御嶽の湧水に浸し、若者の体をくまなくぬぐった。
芭蕉布の糸は柔らかく肌を傷つけない、さらに排尿など阻害する水分枯渇状態を改善する薬効がある。
若者のむき出しだった肌は火ぶくれだった。
月桃の葉を砧(きぬた)で叩いて柔らかくしたものを、貼り付けた。
月桃は殺菌力の強い植物で、傷口の化膿を抑えることができる。
強い火ぶくれの部分には、鮫の皮をはいだものを貼り付けていった。
皮膚の乾燥を防ぎ、再生を助ける成分が魚の皮にはある。
神女とは、シャーマンの役目として薬草などの知識も必要とされ加那志は身につけていたのである。
しかしながら、若者の回復はとても見込めぬものであることは明白であった。
加那志は、諦めなかった。
米を噛砕き醸し汁を聖なる場所御嶽に供え力を与えた。
神酒(みき)と呼ばれるもので、発酵で糖質や栄養価の高い飲み物になる。
その神酒を桑の枝、クバの葉でかき回し浄め、若者の唇を湿らせた。
何度も何度も湿らせるうちに、神酒は雫となって若者の口の中へと伝っていった。
献身的に、この作業を続けるしかなかった。
出来ることは、若者の生命力に賭ける事しかないのはわかっていた。
若者が目覚めないのは、何かの呪力の後遺症とはうすうす感じていた。
神女として未だ修行半ばの加那志には、どうしたら押し返せるのかが判らなかった。
看病の間の微睡(まどろみ)は、夢と現(うつつ)が入り混じる。
ある日加那志の中の何かが、加那志の心につながった。
雲の様なものが浮かんでは消え拡がり、彼女の中でクルクルと踊り廻り始めた。
彼女は目を閉じながらも、夢を見るようにその世界を見ている。
(夢?)
(違う!)
(わたしは、自分の目で見ている?!)
青い炎が、加那志の“目“に浮かんだ。
(目は閉じているのに、目で見ている?)
青い炎が、詠う様に加那志に語りかける。
(力に力。さらなる力を呼ぶ。考えようぞ。力とは?そして力は何に弱いかを。)
加那志は内なるものにつながり、覚醒した。
村の聖なる場所に、人々が祈る場御嶽がある。
神女たちが、修行する場でもあった。
伊比(イビ)と呼ばれる石造りの祭壇の前に、加那志はかしずいた。
微睡の中で聴いた声に、加那志なりの応えを試そうとしていた。
加那志は、その祭壇に若者の姿を投影して置いた。
加那志が知っているそして感じている琉の島の自然やその優しさを、ただひたすら若者の姿に投影し始めた。
それは、彼女が愛してやまない琉の島の自然全てへの彼女の想いだった。
やがて加那志の“目”が、若者が何かに封じ込められているのを捉えた。
全身を覆っているもの、“意識の繭”であることを知覚した。
加那志は「祈り」とは何かを理解し始めたのかもしれない。
若者を無力にしている“意識の繭”は、人の祈りの心の糸であること、それも少なからずの人々の祈りの糸が撚(よ)りあって複雑に絡み合い呪縛を作り上げていた。
(力に力。さらなる力を呼ぶ。考えよ。力とは、何かを。そして力は何に弱いかを。)
さらなる力で断ち切ることも出来ようが、力とは浄めによって消えていくのでは?が彼女が到達した応えだった。
加那志の琉の国や島々への想いが、頑なだった繭を溶かし始めるのを感じる。
加那志は溶け始めた繭の隙間に、目指すものを見つけた。
傷つき縮こまるように眠る赤い龍の姿であった。
加那志は、赤い龍に手を差し伸べた・・・。
絡みついた糸が伸びてくるが、加那志の周りで糸は溶け去っていく。
数日のうちに、若者の唇に生気が戻ってきた。
於具那は、ずっと夢の中にいた。
幼いころからの思い出が、次から次と浮かんでは消えていく。
夢の最後の情景は、ずっと決まって同じであった。
すでに船上で息も絶えたような於具那の顔を、光に包まれた不思議な女神が覗き込んでいる姿。
不思議なことに、すぐ傍に自分が浮かびながらその光景を見ている。
女神は、左右に白い竜と黄色の龍を従えていた。
於具那の夢は、そこで必ず途絶えた。
そして、又最初から同じ夢を見る。
その繰り返しであった。
決して終わることの無い、無限の世界が其処にあった。
しかし、今回の夢は違っていた。
ふと見上げた空が、溶けた。
空の隙間に、違う青い空と太陽が垣間見えている。
その空から、青い龍が静かに静かに降りてくる。
日なたのような暖かい風が、彼に吹き寄せてきた。
於具那は、気づいた。
灼熱に照らされながらも、凍えるような寒さの中にいた事を。
於具那の瞼が、うっすらと開けられた。
見知らぬ娘が、息がかかるほど間近で自分をのぞき込んでいた。
「お父さん、おかぁさん、トートーメ、目を開けた!」
娘は、嬉しそうに振り返って叫んだ。
娘は、於具那に問いかけた。
「あなたの名は?」
「於具那。」
「私の名は、加那志」
於具那の回復は、目を見張るものがあった。
村の若者たちと漁に出、畑を耕すまでになっていった。
於具那は、たいがい無口だった。
漁で銛を射かけるにせよ、鍬を持つにせよ、一度教えると恐ろしく習得が早かった。
島の男に比べ長身で、クルクルと巻き髪を両総(りょうふさ)にしたタケルは明らかに異国の人であった。
初め遠巻きにしていた子供たちが、先ず1歩1歩と物珍しさも手伝い近づいて親しくなっていった。
子供たちの後は、女たちであった。
黙々と働く彼の姿に、村人たちは好意の目で接するようになっていった。
加那志は於具那が目覚め回復すると、クスマヤに命じられ再び神女の修行の日々へと戻っていった。
クスマヤからも、若者が回復したら再び修行に専念するようにと強く言われていた。
加那志は、若者から意識的に遠ざけられた。
於具那は、時々思うことがある。
永遠の繰り返しに思えた夢の最後に、謎の女神がのぞき込んでいたもの。
叔母の倭媛からもらった勾玉だったような気がする。
持ち物を返されたとき、娘が言った。
「よっぽど大事なものが入っているのでしょうね。貴方はこの袋を、しっかりと握りしめていましたよ。」
ある時、気が付いた。
娘が彼の傍を通り過ぎる時に、勾玉がチリーンと音を発するのを。
(勾玉が、この娘を呼んでいる・・・。)
琉と言われる島に流れ着いた。
於具那は、浜辺に立っていた。
ヤマトへと、還らねばならなかった。
風が吹き返す季節になった。
「うりずん(陽春)」の季節がやってきていた。
彼は毎日浜辺にでて、風を測った。
“クチヌカジ”と呼ばれる東風を待った。
その風が来ている。
この風なら、黒い潮の流れに乗ってヤマトへと還れる。
(間もなく、風をつかまえられる。)
「還られるですか?」
振り返ると、加那志がいつの間にかクバの木の傍にたたずんでいた。
「そろそろと、思っています。」
助けられた時、ヒヌカンとナビィから「お前を助けたけれど、娘の加那志には心を向けないように」と言われていた。
於具那は、意識して加那志を避けていた。
互いに想いがある事は、判っていた。
「今夜は満月。月ぬ浜に出て春を祝う祭りの晩です。いらっしゃいませんか?」
加那志が言えることの、精いっぱいだった。
於具那は、うなずいた。
濡れたような長い黒髪、憂いを含んだような大きく見開かれた瞳。
於具那と加那志の目が、宙で絡み合い余韻は香りとなって漂った。
風が音を立てて、互いの耳元を通り過ぎていった。
かがり火が、夜空を焦がす。
人びとは月あかりと炎に照らされ闇と影の部分に隈どられ、傀儡のように踊っている。
篝火とは少し離れた岩に寄りかかるように、加那志は待っていた。
春祭りは、若い男女が互いの想いを打ち明けるモーアシビ―という場でもあった。
遅れてきた於具那は加那志を認めて近づき、手に握ったものを差し出した。
加那志の手のひらに於具那の手のひらから渡ってきたもの。
勾玉(ムータン)の首飾りだった。
勾玉が渡ったとき加那志の手のひらで、勾玉が微かに身震いし振動は腕を伝い彼女の内なる魂がそれを受け止めた。
勾玉が、色を発した。
於具那の記憶では、叔母倭媛に手渡されたとき勾玉は水色だった。
叔母の手から離れ、勾玉は無色へと変化した。
いま加那志の手に渡った勾玉は、薄紅色へと変化していった。
「まぁ、なんという美しい珠だこと!」
於具那は首にかけて無邪気に喜ぶ加那志のすがたを見ながら、驚きを感じていた。
(珠とは、魂なのだ。勾玉とは、魂を宿す器なのだ。)
「この旅に出る前、叔母からこの勾玉を渡されました。勾玉にふさわしい人へ渡してほしいという叔母の思いだったでしょうか・・・。」
かがり火の周りでは男女が円陣を組み、互いの想いを唄で交わし合う。
やがて唄合いで気が合った男女は、アダンの茂みへと姿を消す。
「唄合いしませんか?」
加那志が、詠いだした。
「なぐみぬあわれ いとやなぎごころ かぜにひきゃされて なびちぃいきゅり 。」
(女の身の哀 れさは 糸柳のようなもの 風に引かされるままに 靡(なび)いて行く)
於具那が、返す。
「“愛(かな)“とわがえんや 、消えぬ篝火ぬごころ うちやこがれとぅてぃ よそやしらぬ 」
(愛しい人よ、私と貴女の縁は 消えたかがり火のようなもの 内は焦がれていても 余所は知らない)
どちらともなく寄り添い、加那志の胸にかけられた薄紅色の勾玉が火明かりを灯していた。
於具那の手のひらが、探るように加那志の額を覆った。
加那志の“目”に、紅い輝きが映った。
(於具那の魂の色・・・。)
その手は、加那志の髪を何度も何度も確かめるように漉きあげていく。
加那志は、相手の自分への愛おしさを感じていた。
(魂が喜び、体も心もその喜びに反応している。)
於具那の手が、加那志の背へと廻された。
ビクッと、した。
於具那の手から発せられたものが、加那志の中に切れ込むように入ってくるのを感じた。
加那志の手が、おずおずと於具那の背へと廻された。
頼りげに揺れている心を、於具那は感じた。
互いを感じ合う時間は一瞬で有ったが、互いを知るための有り余るほどの永遠の時間が其処にあった。
2人は共に手を取り、かがり火から遠ざかっていった。
どちらともなく唇は合わさり、二人は身にまとうものすべてを脱ぎ去った。
唇は瞼をふさぎ、互いの手が目となって相手を確かめ合う。
愛おしいものすべてを胸に刻もうと、互いがもがき求めあった。
於具那が加那志を貫き、二つの個は1つの個となった。
更なる高みの頂(いただき)が、見えてくる。
頂へは、二つの個それぞれが己だけ見つめて上っていった。
己が上るために、相手の中から必要なものを貪り補い合う
快楽が訪れた。
二人の頂にあったもの。
二人が頂で見たもの。
二人が見たものは、同じだった。
“青い龍と赤い龍が湧き上がる雲から形となり、姿を現した。
やがて双竜は絡み合って、一つになっていく。
互いの龍が持つ力が、絵の具を溶かすように二人の世界を染めていく。
二人が、感じ合えたものとは。
赤い龍は母に抱かれる安らぎを、青い龍は幼子を抱く充ち足りた母の幸せを。“
満月が美しく輝く夜空。
天の片隅に、黒雲が湧き出てきた。
黒い雲は叢雲となり、その中に稲光が赤く不気味に走って雲を照らす。
見る間に、空を覆い一つ二つと大きな雨粒が落ちてきた。
先ほどまでの穏やかな海がうその様に、風が起こり波が騒ぐ。
稲光は雲と共に近づき、宙を裂いてかがり火へと落ちてきた。
かがり火は、遅れてきた轟音と共に夜空に舞い上がって白い閃光が光跡となって散った。
辺りを、闇が支配した。
つづいて、第2弾の稲妻が降りてきた。
稲妻は抱き合う於具那と加那志を、直撃した。
二人は、光の中にいた。
光りの中を、2匹の龍が二人を抱いて昇っていく。
唱が、聴こえてくる。
「てんにはなさかし ちにたまきしてぃ たぁちりうにてぃちくらかけてぃ しぬでぃいもれぃ」
(天に花を咲かせ 地に玉を被せて 二匹の龍に一つの鞍を掛けて 忍んでいらっしゃい)
突然の嵐が去って、人々が浜辺の宴の跡へと集まった。
於具那と加那志の姿だけが、忽然と消えていた。
「加那志~~~。」
ヒヌカンの妻のナビィの声が、響く。
クスマヤは、御嶽の伊比で祈っていた。
双頭の龍にまたがり、若者と加那志が手を取り合い空を飛んでいく。
(人の世には見えない定めがあり、その定めに抗う事は難しい。見えない定め。定めの先がどうあろうと、人はずっと定めの中で生きてきた。)
今はただ、加那志の行く末を案じ懸命にクスマヤは祈っていた。
クスマヤの願い、母ククリの願い、ヒヌカンやナビィの願い、村人たちの願い。
様々な願いを糸として、加那志の身へと繭を紡ぎ出していた。
クスマヤも、また母なのだ。
日る子は遥か西の彼方から、迫りくるものを感じていた。
日る子が知る神の世界より、遥かに大きいものが迫っていた。
それは、違う神の世界なのか?
この神の世界は、迫りくる神の世界と立ち会わねばならないことは悟っていた。
ずっと前から、その時が来ることを感じていた。
嵐を抜けてきた若者が握りしめていた袋の中のものを、日る子は見つめていた。
ムータン(勾玉)。
ムータン(勾玉)とは、この神世界に人が現れし時よりずっと大切にされてきたものだ。
ムータンには、人の魂が宿る。
この国の神と人を結ぶ器。
若者の持つムータンは、この国の神と人の行き先を標していた。