死者の書、空海、そして真理教

チベット仏教の経典は、発祥の地で失われたインド仏教の経典を忠実に翻訳している点で研究者にとって高い価値があると言われています。

 

仏教はその後期(7~8世紀)において、経典の行間を読むような研究と実践を重んじる理論体系を持つようなったことから神秘主義の要素が現れてきたように思われます。

空海が唐から持ち帰った密教という教えは、密教でも中期に当たる思想が基となったようです。

仏教はインドから中国への伝播ルート以外に複数あり、チベットへも独自な発展をしたようです。

 

つまり、空海の持ち帰った密教とチベットに渡った仏教の基層に流れるものには多くの同一性が認められるという事でしょうか。

 

資料を読み込むと、チベット仏教の教義で中国では伝わらなかったものがあるようです。

それは、タントラと呼ばれるものの中に含まれていました。

明快に述べるならば、男女の性的な行為の中に生じる互いの「気」の統合による昇華の作法と言えるものだと理解します。

今日見かけることのできる歓喜天などの偶像群は、まさにそれと軸を同一にした思想と言わなければならないと感じます。

そしてかつての神仏習合の時代の名残は神社に統一された今も、聖地と言われる場所にその残滓を認められることは何を物語るか?

日本において古くからの山岳信仰と習俗した結果、修験という独特の信仰形態を生み出していきました。

土俗化した信仰に、確実に性的な修行要素も内包してったと思われます。

 

この密教の実践部分は、明治以降の検証ができるかぎり「合気道」や医療行為の「気合術」へと分化していくこととなるのです。

他方卑弥呼の時代に卑弥呼が能くした「鬼道」という占いの巫覡も、恐らく密教が見出す以前の或る真理を追究した結果なのかもしれません?

つまり根底には、人がたどり着くことのできる精神的領域の複雑さと奥深さを自分には感じさせるのです。

それが、チベット仏教における埋蔵経「死者の書」なのだと想うのです。

 

真理教の教義とは、基本的にはチベット仏教を踏襲してシステム構築していったと思われます。

基本は2つの教義です。

一つは輪廻転生という因果律からの解脱を目指すものです。

一つは、解脱への修行を位置付けるヴァジラヤーナという実践だと思われます。

その結果が、チベット仏教で修業したものが到達できるポアと呼ばれるものにつながるようです。

事件の背景をマインドコントロールという客体的な捉え方に結論付けると、逸脱した部分があるのではないか?

何せ相手は中国3000年の歴史に匹敵する連綿とした研究実践を基にした、フィジカルでメンタル要素を含む思想体系という進化樹系統を持つ神秘思想なのですから。

 

以上を踏まえて、フアンタジーのスピンオフ続編“神々の憂鬱”を進めています。

 

概して神々は不死であり、生物には等しく死が来る。

死の捉え方を説くのが、チベット仏教の重要な側面と思われます。

そこへ「ニーベルンゲンの指輪」などの神々の没落の物語をスパイスすると、日本神話に顕れてくるプレ神話時代の物語が書けるのではないか?

一人の巫女が誕生して故郷へ帰る時、運命は巫女を伊津毛という当時の弥生国家へと誘います。

そして、生きながら死者の道を歩きます。

それは、神通力という非日常的な力を持つ巫覡の習得に他なりません。

しかし、運命は皮肉です。

様々な経緯の後に、子供をはらんで故郷へと帰りつくのです。

神との誓約を結ぶべき巫女の妊娠。

それは、巫女としての道が閉ざされた一人の女の姿でもあるのでしょうか?

生れた子供の命と引き換えに、巫女は旅立ちます。

生まれた子供の名は、加那志。

昨年の日本海西上の旅における、様々な遺跡との出会いが文中巫女が経験する舞台となります。

シリーズの中は、それぞれにテーマを設けて書き進めています。

この編は、死というものと向かい合ってみたいと思います。

この項を書き終えたという事は、この2か月半の地獄のような痛みからそろそろ抜け出せると確信したからにほかなりません。

以下、シリーズ神々の憂鬱より冒頭の一節から

 

 

神闘記スピンオフ 『神々の憂鬱』

 

「森羅万象」とはあらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がり。

その成り立ちは相対する2元の相を伴う。

天と地、空と海、太陽と月そして男と女。

両相が調和するためには、結びという作用が働かなくてはならないと人々は考えた。

そのための触媒として、神羅万象以外の世界の力を借りることを思いついた。

人びとは自らの祈りの中で、それを括りと名付けた。

その外の世界を、彼等は「奏楽」と呼んだ。

 

紅紅里(くくり)は晴れがましい気分で、琉の島から故郷の祝(ほうり)の島へと渡る交易船に同乗していた。

凪の穏やかな航海で、波のうねりがゆりかごの様に眠気を誘い追憶へと誘っていく。

 

祝(ほうり)の島の神女になるべく紅紅里(くくり)は、幼くして両親と別れ琉の島へと渡った。

☆追憶

5歳の春のことであった。

ある日見知らぬ大人たちが家に来て品を並べ、この中から自分が好きなものを選べと言った。

品とは、首から下げるための細工が施された見たこともない綺麗な石や貝殻だった。

紅紅里が懐かしさと共に手に取ったのは、薄墨がかった加工玉であった。

全体に水滴が曲がったような形状で、尖った部分が穏やかな鉤のようであった。

玉は、交易によりいつの頃か島へと渡ってきた。

伝えでは、遥か彼方の“伊津毛”の地で磨かれ魂が宿ると言われたものである。

祝(ほうり)の島の代々の神女は、この玉を踏襲してきた。

数ある中から彼女がそれを手に取ると、玉がじわじわと桜色へと導かれていった。

居並ぶ大人たちはその様子を見て、お互い目を見合わせた。

「この子は、伝え通りのものを選んだ。間違いない。」

紅紅里(くくり)は、幼くして定めの人となった。

 

島嶼と呼ばれる島々が、大陸の南西の広大な海に連なっている。

気の遠くなる時間をかけて、島伝いに海の民が海へと漕ぎだして拡散していった。

彼らは半農半漁で、航海術と稲の栽培と漁の技術を共有していた。

クニや王という束縛を嫌い、自然とただ寄り添い自然と共に生きることを望んだ民たちであった。

彼らは流れ着いた島のラグーンや入り江に、家族や部族単位で住み着いていった。

その場所の定住が進み適正数を超えると、彼等は神の神話を携えて海原を東へ東へと漕ぎだしていった。

祝(ほうり)の島とは、そんな島の一つであった。

 

「吾らは奏楽の子、天の童。」

 

祝の島で、奏楽と交信できる神女が亡くなった。

彼女は亡くなる前に、伝えを残した。

「わたしは生まれ変わる。わたしの首飾りの玉を選んだ少女が私だ。その少女がこの玉を選び手に取ると、この玉の輝きを導き出すだろう。」

「それが、わたしの魂の蘇りの証だ。」

神女と呼ばれる女たちがいた。

神女とは、魂が神に選ばれし女たちのことであった。

 

8年の修行の歳月が流れ、童女は少女になっていた。

ある日、師のクスマヤ―に龍の穴と呼ばれる洞窟へと連れていかれた。

龍の穴は何人も入らずの場所であり、地底に伏す龍がが住む場所とされていた。

洞穴は地下水脈とつながり、清らかな小川が開口部から流れ出ていた。

 

洞窟へ入る前にクスマヤ―が一輪のハイビスカスを手折って、紅紅里に渡した。

2人は洞穴の中へ入っていった。

ひんやりとした、風が流れてくる。

暗闇に目が慣れると、洞窟の壁が淡緑色に光っていた。

ヒカリコケの一種である。

光る標が道案内をする暗闇を進むと、幾重もの棚田状の緩やかな滝の流れに行き当たった。

天上からは、幾重にも柱状の龍の尖った背骨が生えていた。

棚上の水のくぼみは、幾重にも重なった龍のウロコに見えた。

なんとか最上部まで登り切り、二人は下を見下ろした。

連綿と重なる龍の鱗が、そこにあった。

「目を閉じて、ハイビスカスを想うところに投げ入れよ。」

紅紅里は閉じた目の先で、心を鎮めさせた。

閉じた目の向こうから、次々と湧き上がる紫色の雲が現れる。

やがてそれが収まって一つの大きなひときわ大きい光彩が現れる。

澄み渡る時をみはからい、紅紅里は花を投げ入れた

紅紅里の投げた花は、一つの瀬の流れに乗りながら幾つかの棚を超えてある滝棚へ落ちて止まった。

紅紅里と共にある龍が、決まった瞬間であった。

クスマヤ―が、静かな声で言い放った

「お前の龍が決まった。誰よりも白くどの色にも染まらない白の龍だ。」

「時はもう満ちてきている。島へ還るがよい。」

「これからは、お前自身が龍と自らの魂を育てる時なのだ。」

 

突如として、紅紅里の追憶という夢は破られた。