作詞:北山 修、作曲:加藤和彦、歌:北山 修・加藤和彦
1 命かけてと 誓った日から
すてきな想い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい愛をもう一度
あの素晴しい愛をもう一度
2 赤トンボの唄を うたった空は
なんにも変って いないけれど
あの時 ずっと夕焼けを
追いかけていった二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい愛をもう一度
あの素晴しい愛をもう一度
3 広い荒野に ぽつんといるよで
涙が知らずに あふれてくるのさ
あの時 風が流れても
変らないと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい愛をもう一度
あの素晴しい愛をもう一度
ここから、お遊びの歌詞4題目 2つ。
4-1 夜明け前の空を 星は還る 4-2煌めきの星さえ 還る時を知り
新しい世界に 陽はまた昇るよ 空は輝く 陽はまた昇るのさ
あの時 闇が怖くって あの時 闇が怖くって
立ちすくみ 震えた二人の 佇(たたず)み 震えた二人の
心と心に 時がくれたもの 心と心に 時がくれたもの
あの素晴しい愛をもう一度 あの素晴しい愛をもう一度
あの素晴しい愛をもう一度 あの素晴しい愛をもう一度
50年の月日で、わたしが得たものとは?
それは、美しい思い出ばかりが、素晴らし愛ではないということ。
浮かぶのは、先が見えない闇。
ご存知の方も、多いと思います。
一日で最も夜の暗闇が支配するときとは、夜明け前だそうです。
島崎藤村の「夜明け前」という題には、その様な意味が含まれているのか、いないのか・・・。
歌詞は、1~2番目は追憶、そして3番目で孤独の中にいる自分。
それはどうしようもない失意の底、それが自分には夜明け前の一寸先も見通せない闇の様に思われました。
しかしわたしの50年の歳月は、日はまた昇り、明けない夜はないことを教えてくれました。
50年前の歌詞の中にいる愛を無くした自分に、50年後の自分が愛について想うこと。
傷は美しい思い出と同じくらい、豊かな包容力を産むのではないか?
傷つくことの経験も、糧にすることが出来れば。
愛は一度死んだのです。
これは、自分自身への「あの素晴らしい愛をもう一度」です。
手に入れたものは、5日間の孤独の先に見えた光りでしょうか?
あの時と同じくらい,一人で観る「花」も鮮やか色を見せてくれること。
物語を紡ぐ時に、この気づきと学びを活かせるようになりたい。
視点と視野。
それを意識すること。
写真は、朝の散歩道で撮ったものです。
朝の光の中に、死さえ意味のあるものに思えました。