ハイクオリティライフを目指して精神的なゆとりのある暮らしを送ろうとしているのですが東京にいるとそれは難しいことなのかなぁ、と思い始めてます。

都会での暮らしはゆとりがなく人も車も多く落ち着かない、と思われますが実はそうでもなく、逆に東京都下の住宅街のほうに生活のゆとりがないように感じます。

都心は確かにゴチャゴチャとした所も多いですしどこも混雑しているのですが、大きな公園やお寺なども多く以外に緑がたくさんあります。それに六本木ヒルズや東京ミッドタウンのような新しいビルなどは広い空間が上手く演出されているところもあって都会的な癒しの場所になっています。

それに比べて東京都下の住宅地区にはマンションばかりで空間にゆとりが感じられません。建物のないところはほとんどが駐車場になっていますし小さな敷地に小さなビルが建っているところも多く狭い所を更に狭く仕切って暮らしているような感じがします。

我が家も東京都下のマンションなのですがとりあえず生活できる空間しかなくゆとりがありません。もっと広い所に移りたいと思うのですがどこへ移っても大差はないでしょうし、本当にゆとりある空間を手に入れようとするととても高くて手が出ないと思います。

ベランダから外を眺めると同じようなマンションがいくつも見えます。その一つ一つの窓にそれぞれの暮らしがあって、その中でいろいろなことを思いながら暮らしているのだろうなと想像してみると、それぞれの人が持っている不満が集まり大きな黒い雲になって空を覆っているように見えてしまいました。

都会に暮らす中でのハイクオリティライフって何だろう、と改めて考えています。日本へ戻って3ヶ月、すっかり日本人になっていると思うのですが、もしかすると居るはずのない青い鳥を探しているのかも知れませんね。

これからは都会の片隅で普通に暮らしていく中での楽しみや希望を探していこうと思います。そこに都会のハイクオリティライフがあるような気がしてきました。


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台風9号が関東地方から東北地方を駆け抜けていきました。

久し振りに関東を直撃した台風だったようですが私にとっても久し振りの台風でした。
都心では電車が止まったりしてかなり混乱をしていたようですし、関東一円で雨風による被害があったようでした。

東京でも深夜から雨と風が強くなり昼過ぎまで続きました。私の家の近所では幸いにも大きな被害はなかったようですが、私は窓から強い風と雨を飽かずに見ていました。

台風は昔から変わらず日本を襲っていましたから古典にも出てきます。確か枕草子だったと調べるとその一節が見つかりました。

 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。

台風の翌日こそ趣があっていいものだ、と清少納言が書いています。吹き荒れた風と雨に庭の木が倒れ、落ち葉が散乱し、雨水が流れた跡が残る。被害に遭われた方があれば極めて不謹慎な話ですがそんな台風一過のあとの乱れた様に趣があると言うのですが何となく分かるような気がします。

自然の猛威に何も抗うことが出来ず、吹き荒れる風雨になされるがままに一夜を耐え過ごし、その翌日のむしろ爽快な気落ち。家や塀が多少壊れてもそんなことは諦めるしかなく、被害が大きければ大きいほどに清々しさすら感じるのでしょう。そういう感じ方が清少納言の素晴らしい所ですね。

台風9号が通り過ぎたあと、近所を少し歩いてみましたがアスファルトの道路の隅には落ち葉やどこからか飛んできたゴミが吹き寄せられていて嵐が過ぎ去ったあとの生々しさを見せていました。

清少納言が感じた「いみじうあわれにおかしけれ」という気持ちには程遠いものの、台風一過のあとの爽やかさのようなものを体で感じてきました。
それは都会に居ても自然の中で暮らしていることを感じさせてくれたからかも知れません。

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最近は良くスーパーへ買い物に行きます。


と言っても一人で行くのではなく夫婦揃っていくのですが私はカートを押す係り。同じような夫婦を良く見かけますが旦那さんがカートを押して奥さんの後をついて歩く姿はどうもあまりカッコイイものではないので、私はせめてみすぼらしくならないように背筋をピンと伸ばしてカートを押してます。


でもスーパーに行くのは好きです。いろいろなものがあって行く度に新しい発見があり、流行を見ることもできるし、日本の経済状況を感じることも出来ますし、人々の暮らしぶりを見ることもできます。ある種のウォッチングですが、きっと何かの役に立つだろうと思ってます。


そんな私のウォッチングの中で気になるのが野菜の種類の豊富さです。聞いたことのない野菜が結構あるものです。例えば;

ブナピー        白くてかわいいキノコ

ペコロス        小さな玉ねぎでシチュー用

モロヘイヤ       エジプト原産のほうれん草のような菜っ葉

だだちゃ豆       山形県鶴岡地方の枝豆

モロッコいんげん   いんげん豆の一種

チコリー         10cmぐらいの白菜と言ったら分かってもらえるかな

紅ひゆ菜        すこし紅い色の入った小松菜みたい

フリルアイス      サラダ菜のよう

モコヴェール      これもサラダ用の葉っぱ

空芯菜          炒め物用?、中が空洞らしい


どれもみんなスーパーで売っていたものです。モロヘイヤは聞いたことがありましたがあとは最近出てきた野菜なのではないでしょうか。

恐らく新種もあれば外国から入ってきたものもあるでしょう。どれもそれなりに美味しくいただけることでしょうが我が家の主婦はそういう新しいものには手を出さないようですのでお味の方はコメントできません(だだちゃ豆は美味しかったですが)。


次から次へと新しい種類のインスタント食品だとか、新しい名前のビールやビールもどきが出てくるのも日本の暮らしが豊かな証拠かも知れませんが、野菜のような食材が豊富なのは見ているだけでも心豊かになる気がします。スーパーの野菜売り場ではいつもあれこれつぶさに見てしまってカート押し係の私は後ろに取り残されてしまうのです。


先日、郊外型の回転ずしに行って、その進歩に驚いてしまいました。


回転ずしに対する私のイメージは小さなお店でカウンターがコの字型になっていて、中では板前さんがお寿司を握っていています。時々お客さんが何か注文する声が聞こえそれに板さんが元気良く応えるだけでお店の中はベルトが回転するモーターの音だけが聞こえる不思議な静けさに包まれていて、時には少し居心地の悪い思いをすることもありました。


それがどうでしょう、郊外型の回転ずしはまるでファミレスでした。カウンターもありましたが6人がけぐらいのテーブルが並びその横をお寿司が回っています。全部で30テーブルぐらいはあったのでしょうか、かなり大きなお店でした。


テーブルに案内されて座ると後は勝手にどうぞ、というスタイルは同じです。次から次へといろいろなお寿司が流れてきます。ここは全品一皿100円で無添加なことを売り物にしているところですが、見ていると100円とは思えないようなお寿司が流れてきます。これはかなり経営努力をしていると感じます。


お寿司以外にもジュースやビールも流れてきますし、果物や甘いものも流れてきて小さな子供にも飽きさせない工夫があります。

それと驚いたことにテーブルの横にあるディスプレーで自分の好きなものを注文をすることが出来るのです。そしてその注文したものが流れてくるとチャイムの音とディスプレーの表示で知らせてくれるのです。


おなかが一杯になって清算をするときはお皿をテーブルの端にあいている横長の穴に投げ込みます。するとディスプレーに数字が出て何枚食べたか分かるようになっています。


実に上手く考えられたシステムで、お客さんに負担を掛けることなく、好きなものを好きなだけ食べることが出来て、隣の人や回りを気にすることもなく、小さな子供がいても座り易いイスでかつ他の客さんに迷惑を掛けることなく、そこそこ美味しいお寿司が食べられるのです。そして(どこまで信頼していいのか分かりませんが)無添加で安全だという安心感もついてます。


家族3人で食べたのですが、たくさん食べたつもりでもお会計は3000円ほど。これで利益が出るのかと心配してしまう価格です。


何か一つ時代が変わったなと思える食事でした。


(この項続く)

日本という国はつくづく食べるものが豊富だと思う。


ただ単に物資が豊富ということだけでなく食材の種類も豊富だし、調理の仕方もバラエティに富んでいる。また外食に対して最近では中食(なかしょく)と言われるように食を買うことの選択肢も多い。


今は東京都下の街に住んでいるがJRの駅周辺は夥しいと言ってもいいほど居酒屋がある。一つの大きなビル全ての階が居酒屋という所もあるが逆に言えばそれだけ需要があると言うことだ。しかしどの店もその違いが良く分からず同じように見えるのはそれらのお店が若い人を対象にしていて年寄りには感覚的に分からないものなのかもしれない。

しかし良く見るとそれら居酒屋のほとんどが大手居酒屋チェーンのお店であり、個人営業と思われるお店はほとんど見当たらない。それだけ過当競争が激しく経営ノウハウと共同仕入れや調理などによるコスト削減を行わなければやっていけないのだろう。


それと良く目に付くのが回転ずしのお店である。特に郊外型というのだろうか、街の中心部ではなく郊外の大きな道路沿いにあるファミレスのようなお店が多い。恐らく家族連れを対象にして気軽に入れる雰囲気にしているのであろう。そして価格も一皿100円均一と言うように子供がおなか一杯食べてもお財布の心配がをしなくてもいい設定なんだと思う。


ファミレスといえばお店の種類も数も増えていると思うが、価格が安くなっていることに驚かされた。見た目はとても素晴らしい料理なのに500円とか600円の値段が付いていたりする。メニューも豊富で洋食中華和食となんでも揃っていて目移りしてしまうほどだ。こういったファミレスもかなりの経営努力でコスト削減をしているのだと思う。


コンビにも実にたくさんある。町の中にも郊外にもあって今や日本の暮らしになくてはならないものとなっていて、いつでもお客さんが入っていて繁盛しているように見える。コンビにであるからいろいろなものを売っているわけだが、やはり売り上げとしてはお弁当やおにぎりなどの中食が多いいのではないだろうか。

都会に住む若い人は独り身が多いだろうし、外で働く人たちはお昼ごはんをコンビニで調達することも多いようだ。


中食といえばスーパーの惣菜売り場はどこでも力を入れているように見える。毎日日替わりで旬の素材を調理したものを出している所もあり夕方は結構賑わっている。

昔であれば出来合いのもので済ましていしまう、というある種の罪悪感を主婦は感じていたかも知れないが今は中食というカテゴリーも確立され、家族構成にあわせて買う量を調節することも出来、材料や調理の油などにこだわっているお店もあって何の抵抗もなく出来合いのものを買っているのだと思う。


食べることに関しては本当にバラエティ豊富でどれも美味しそうであり、ドイツのときの暮らしと比べると便利で有り難いことだと思うが心のどこかにこれで良いのだろうとか言う思いがある。

かつてラーメンばかり食べていたら暫くしてラーメンやその他のインスタント食品を見るのも嫌になったことがある。その時は何を食べても同じ味に感じてしまい、インスタントのお味噌汁もチャーハンの素も何か共通する味がありそれを体が受け付けなくなってしまった。


中国でダンボール入りの肉まんが話題になったりうなぎの蒲焼や歯磨きなど食の安全が取り沙汰されている中で、コンビニやスーパーの中食や居酒屋の料理は安全だと思うが、添加物などは基準以内だからいいというものでもないような気がする。全てそうだとは言わないがどこかに似た味を感ずるときもある。


それと、外食や中食が増えると若い人たちが家庭で調理をすることを覚えないのではないかと言う危惧も感じてしまう。我が家の娘もあと数年でお嫁に行ってしまうかもしれないが彼女たちが一体どういう主婦になるのかと想像すると親として不安である。


便利で有り難いのだけどどこかに一抹の不安を抱える日本の食である。


<この項つづく>